◇『落花狼藉』
著者:朝井 まかて 2019.8 双葉社 刊
江戸時代の「吉原遊郭」誕生の経緯と、そこで遊女屋の女将を務めた女性・花仍
(かよ)の目を通して、いわゆる太夫、女郎などそこで働く女性らの姿を、著者朝
井まかて独特の文体で生き生きと描く。
生涯遊郭で生きた女の一種の大河小説である。
吉原の大見世西田屋の主庄司甚右衛門。江戸で唯一の傾城町として売色御免の公
許を得た吉原創設の大立者である。花仍は幼いころ甚右衛門に拾われた孤児である。
読者は2町四方の遊郭吉原の町並み、吉原での遊び遊興の仕組みとしきたり、遊
女屋の仕組み、女郎のヒエラルキーなどを、花仍と仲良しでのちに梓太夫を名乗っ
た若菜とのエピソードなどを通じて知ることになる。
遊女の序列は太夫をトップに格子女郎、局、端女郎となる、太夫には女郎予備軍
の禿という小間使いが付く。太夫は顔見世には出ない。宴席である揚屋と傾城屋と
の往復時の道中歩きが太夫の見せ場である。
上流者しか相手にしない太夫は、お客の求めに応じ相手をするため囲碁・将棋、
三弦、舞踊・和歌、書、笛・太鼓などを身に着けた一端の教養人だった。
そんな梓太夫があろうことか妊娠した。女郎の妊娠など気を付けている筈なのに、
どうしたことか。とりわけ梓太夫は男歌舞伎の役者の一人勘三郎と知り合い、太夫
の年季明けを待って所帯を持つ約束があったらしいのに、誰の子かわからない子を
身籠ってしまった。本人はどうしても産みたいと言っている。
結局浅草のしかるべき処で女児を産んだものの産後の肥立ちが悪く亡くなってし
まった。生まれた娘は花仍が育てることにした。花仍はゆくゆくは西田屋の女将と
して跡を継いでもらうつもりで鈴と名付け厳しくしつけている。
切見世の連中が女郎を風呂屋に遣わし客を取っていたことが露見した。奉行所は
処分は吉原に任せるという。甚右衛門は主は磔刑、店は取り潰しを決める。花仍は
甚右衛門に外道の相貌を見て総身が竦む。亭主の目を見ることができなくなった。
鈴は長じて同業の大見世三浦屋の遠縁の健之助というさる武家の四男坊と一緒に
なった。
甚右衛門が心の臓を患い亡くなった。享年69歳。花仍は女将の座を鈴に譲り大女
将となった。健之助は二代目甚右衛門となる。
明暦の大火事で吉原が全焼した夜、鈴は女児を産んだ。奈緒と名付けた。
町奉行に呼びだされた甚右衛門が帰ってきた。話は「吉原の地を明け渡し本所か
浅草寺裏日本堤のどちらかに移れ」との驚天動地の言い渡し。
町内談合の場では大荒れになるが、二代目甚右衛門は場所は日本堤にして今の5
割増しの土地を用意して貰い、引っ越しの費用として1万両を貸し渡す条件を出そ
うではないかと談合をまとめる。そこに鈴がもう一つ条件をと付けてはと提案する。
商売敵の湯女風呂の取り潰しである。調子に乗った花仍は夜見世の復活も上乗せし
ようと提案する。
ところが万治元年、吉原はまたも火災に見舞われ焼け出された。敷地拡大、移転
費用1万両下付、湯女風呂場の禁止に加えて悲願の夜見世も許しが出た。大火のあ
と市中安寧のためには吉原夜見世も止む無しとの判断である。
とりあえず仮宿を作って商売見世を開いた新吉原は、お披露目に太夫を初め格子
女郎、局、女郎などをならべ幾筋かで市中を練り歩いた。百花繚乱、これを作者は
落花狼藉と表現したのであろうか。
(狼藉とは狼が草を藉いて寝た後の乱れた様から、散乱したさまをいう=広辞苑)
花仍は俳人の松尾芭蕉や、絵師の菱川吉兵衛(のちの菱川師宣)とも識り合った。
女将の座を奈緒に譲った鈴は大女将となった。奈緒が小吉という曾孫を産んで花
仍は今や大おばば様である。
生涯そばで何くれとなく面倒を見てくれた番頭の清五郎も昨秋先に逝った。
そんな孫らに看取られて、桜の並木が爛漫と咲く姿を夢見ながら花仍は逝った。
齢は70を超えていただろう。
東京の夜の社交場は次第に東京の中心に近い花街に移り、昭和31年の売春防止法
の施行によって遊郭吉原はついに300年の歴史の幕を閉じた。
(以上この項終わり)
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