読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

森村誠一の『闇の処刑人』

2022年06月12日 | 読書

◇『闇の処刑人

   著者:森村誠一 2006.7 中央公論新社 刊 (中公文庫)

 

 江戸時代後期、処刑請負人あるいは必殺仕事人の事件控である。TV化もされた
らしいが私は観ていない。
 主人公は主君に理不尽にも切腹を命じられ、上使を斬り脱藩した浪人松葉刑部。
腕を見込まれて仕官を勧められたりするが、掟にがんじがらめの武士より自由気
ままに仕事を選べるいまの刺客
 仕事は賭場の主徳松の仲介で回ってくる。必ずしも依頼人の素性や依頼の事情
を聞いて請け負うか否かを決めているわけではない。警察用語でいうところのマ
ル対の素性を聞いて不審事情を推測することもあるが、処刑相手が必ずしも罪び
ととは限らない。善悪が逆の場合もあるのである。そこが小説の素材になるので
ある。
<闇の意地

 極端な例は依頼人と処刑対象者双方から処刑依頼が出た事案。奇妙な事例なの
で背景を調べざるを得なくなった。世嗣を巡る藩内の権力争いと分かった。国元
家老と江戸家老の争いである。
徳松と刑部は二人の請負仕事をコケにされた仕返しに国元家老に身代金五百両を
払わせる。
<無念腹異聞>
 切腹の介錯を依頼されることもある。
 某藩から切腹介錯人の依頼があった。謝礼は二十両。悪くない仕事で刑部はこ
れを受ける。
 しかし切腹の段に至り切腹人の藤崎長十郎から「この切腹は無念腹(処刑人似
たする不服の表明)でござる」と告げられる。見事十字腹を切った藤崎の介錯は
終えたものの釈然としない刑部は徳松に藤崎の切腹の裏事情を探らせる。
 徳松の調べによると、どうやら家老の酒井右京が家臣の藤崎の許婚者に横恋慕
し、主君の命を騙り藩主の
側女として上がるよう命じたが、藤崎はこれを拒み上
意をもって切腹を命じられたのが真相らしい。兵部は謝礼の二十両をもって香典
として藤崎長十郎の妹を訪ねる。妹はこれに三十両を加えて、兄の仇を打っても
らいたいという。
 刑部は妾宅に通う右京を襲い切腹を強いる。金や仕官をもって命乞いをする右
京の首を刎ね「ご介錯、滞りなく終えてござる」と嘯く。
<未熟な葬列>
 子供がマル対というのはあまりない。今度の徳松の口入れした対象は幸之助と
いう子供。原因は子供のいじめである。
 子供相手は気が進まないが、依頼人料は手付十両、成功報酬が二十両である。
 いじめの極めが葬式ごっこだった。頭の良い平太という子を悪ガキの大将幸之
助が手下を使って「即身成仏」だなどと言って平太を生き埋めにする。さすがに
途中で止めたが埋められっ子は父に訴えて迷惑をかけるわけにはいかないという
気持ちと屈辱のため首を縊って死んだ。

 平太の父親喜八は土地の地上げ屋の脅しに遭っており、その一味に幸之助の親
の金兵衛がいて、後ろには小田切道場という用心棒集団がいることが分かった。
喜八の土地を狙っているのは若狭屋という豪商。小商人の喜八は金を工面し幸之
助の仕置きを依頼してきたのである。
 刑部と徳松は一計を案じ若狭屋の傭兵小田切道場の主をおびき出す。

<外道の債務>
    またもが子供を切って欲しいと
いう依頼が入った。しかも依頼人は幕府大御番
頭矢島治太夫でターゲットは将軍家宣のお部屋様お清の方が産んだ第二子鍋松君
という。
 当代将軍家宣の正室は近衛関白太政大臣の姫であるが子がない。家宣が甲府宰
相だったころ奉公に上がったお清が見染められ男子を出産した。これが第一子の
竹松君。第二子の鍋松君は将来のお家騒動を恐れるお側用人真部詮房の進言でお
清の兄勝田帯刀の養子に出された。
 依頼料は刑部に300両。徳松の斡旋料を入れたら500両になる。これまで
にない始末料である。
 それにしても鍋松君をお清の方の養父である矢島治太夫がなぜ殺そうとするの
か。

 そんな中徳松が「また新たな頼みが入りやした」と言ってきた。しかも大奥が
らみで今度も矢島治太夫が依頼人ということでさっぱり分からない。基本女と子
供はやらない主義の刑部もこの奇怪な依頼案件の背景に興味が出て、徳松に調べ
させる。
 大奥では、お清の方と張り合っている側室に、先の側用人柳澤吉保を後ろ盾に
するお須磨の方というお部屋さまがいて、大五郎という男子を産んだ。大五郎は
後嗣の第2順位である。竹松君の次を狙うと鍋松君が邪魔になる。さては矢島の
名を騙って柳澤が依頼を出したのではないか。
 大奥ではお清の方と真部はかねてより深い仲で、竹松君は真部の子ではないか
と噂されているという。さては五百両で将軍家を乗っ取ろうとしているのかと刑
部は義憤を憶える。

    刑部は西の丸にいる竹松君はともかく鍋松が危ないと踏んで勝田帯刀家を監視
していると案の定鍋松を
狙う一味が帯刀を襲った。槍の使い手であった帯刀も手
古摺る相手だったが、刑部の助勢で何とか撃退する。曲者の一人に見覚えがあっ
て松の廊下事件の吉良家再興を願う残うことができた。
 当時浅野家の処遇で新井白石と間部は浅野家を許すことにしていたが、荻生徂
徠と柳澤は厳罰を主張した。この間部、柳澤の対立が尾を引いているとなると
刑部らの手に負えない。そこで刑部は浅野家にあって後詰めとして討ち入りから
外れていた毛利小平太、高田軍兵衛に声をかけて応援を頼んだ。
 
 桂昌院墓参の後芝居見物を楽しんだお須磨の方と大五郎は暴漢(吉良家の遺臣)
に襲われる。あらかじめ襲撃を予想していた刑部らは無事に鍋松、大五郎のみを
守ることができた。 
 しかしこの件で請負料は入らなかった。
 事件の後間もなく竹松君と大五郎が相次いではしかで命を
落とし、鍋松が西の
丸に移ることになった。
 その後在位三年で家宣は亡くなり鍋松君は将軍職を継ぎ名を家継と改めた。

他に<看板守り人>、<妖猫譜>
                         <以上この項終わり>


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 家庭菜園のトマト栽培2022<3> | トップ | 辻村深月の『琥珀の夏』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事