【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

答えは問いに含まれている

2020-09-18 07:00:28 | Weblog

 高校の時ある教師が「優れた問題には、すでに解答が含まれている」と教えてくれました。もちろん解答そのものが書かれているわけではありませんが、教師が解答として何を求めているか、問題文を注意深く読めばわかる、という意味でした。もちろん「以下の文章を英訳せよ」とかの問題文には“解答”は含まれていませんが、それはその問題が“優れていない”だけのことでしょう。ともかくそれ以来私は「問題」だけではなくて「問題文」にも注目する人生を送ってきています。

【ただいま読書中】『問いこそが答えだ! ──正しく問う力が仕事と人生の視界を開く』ハル・グレガーセン 著、 黒輪篤嗣 訳、 光文社、2020年、2000円(税別)

 革新的な企業のCEOなどに広くインタビューを行うことで著者は「適切な問い」について考察を深めました。「優れた問い」とは「答えを求めるもの」ではなくて(そもそも著者にとって「答え」は「最終目標」ではなくて「途中経過」に過ぎないそうです)、固定観念に挑戦し回りの人間を巻き込んで新しい方向に進み始める「触媒」なのだそうです。
 ただし「単に問えば良い」わけではありません。軍隊では「上官に問う兵士」は嫌われるでしょう。軍隊に限らず、がちがちの階層社会では問いは嫌われます。「他人よりエラい自分」が好きな人は他人を問い詰めるだけでそこから新しいものは生まれません。また「自分が知らない」ことを知られたくない人(あるいは「自分が知らないこと」を知らない人)は適切な問いを発することはできないでしょう。
 ちょっと怖い事実の指摘もあります。小学校は「生徒の問いを拒む場」だ、と。映画や小説ではそれは日本の小学校で、アメリカではもっと子供たちが生き生きと発言しているように見えるのですが、現実はアメリカでも「質問」は教師がするものだったようです。私が小学校の時、5〜6年の担当教師は生徒が挙手をするとき「質問!」か「意見!」かを宣言しながら手を挙げろ、と指導してくれました。これ、面白かったですねえ。自分が何を考えているのか、何を求めているのか、常に意識させられましたから。
 権力闘争の場では「問い」は「武器」となります。「問う側」が攻め、「答える側」が受け、すると攻める方が明らかに有利です。相手が答えられない質問をすれば勝利なのですから。すると受ける側は回答を拒否して引き分けに持ち込もうとします。つまり「生産的な問い」は「存在価値」を失うのです(「攻撃的な質問」「曖昧な答弁」「はぐらかすなという抗議」がセットになる、と著者は述べます)。そして、このような「問いが封じられた職場」では、上司の命令がいかに変なものであっても確認の問いが不在のまま事態は進行し、時に悲劇が起きることになります(たとえば医師や機長の判断ミスによる命令がそのまま実行され、事故になる)。さらに「攻撃的な問い」があまりに多い社会に生きていると「問いそのものが人間関係や社会秩序に悪いもの」という刷り込みが生じ、人は問うこと(とくに現状に批判的な質問をすること)に臆病になってしまいます。つまり「権力(問いを封じたい姿勢)」は「問いのプロセス」を腐敗させてしまうのです。そうか、「権力は腐敗する」は「問いのプロセスの腐敗」という意味だったんですね。