【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

アメリカ大統領の必読書

2017-02-20 07:12:51 | Weblog

 トランプさんって、アメリカ独立宣言や合衆国憲法をきちんと読んだことがあるのかな? もちろん面と向かってそう聞いたら「当たり前だ。読んでいる」と答える(そしてそんな質問をした人間を攻撃し始める)に決まってはいますが、文章の「言葉尻」ではなくてその「精神」をちゃんと体得しているのか、が気になります。

【ただいま読書中】『敗北を抱きしめて・増補版 ──第二次大戦後の日本人(下)』ジョン・ダワー 著、 三浦陽一・高杉忠明 訳、 岩波書店、2004年、2600円(税別)

 敗戦後の日本では「さまざまな民主主義」が試されました。GHQから見たら、恰好の実験場だったわけです。
 まず試されたのは「天皇制民主主義」。占領軍は「天皇の名で行われた戦争行為」と「天皇個人」を切り離し、自分たちが作り上げる新制民主主義国家の中心に天皇を据え付けようとしました。。そのためには、天皇個人に「戦争責任」が及んではいけません。そのため、GHQ、宮中の人間、保守派はよってたかって天皇を守ろうとしました。その努力は実りましたが、その結果「戦争責任」追及は焦点がぼやけてしまいます。
 このへんの描写で、著者の天皇に関する筆致はけっこうシビアです。「天皇を神聖視する」ベールが頭にかかっている日本人としては「そこまで言うか?」と思いますが、「天皇を裁判にかけろ」とか「退位させろ」という意見も当時はけっこう現実味を持って語られていたことを知ると、シビアに評価されるくらいは我慢しなければならないのか、とも思います。
 アメリカは明治憲法を問題視していました。そこで新しい憲法の草案がまず英語で書かれましたが、それは、君主制と民主主義と平和主義を結合させる、という前代未聞の試みでした。さらに、形式的には明治憲法の改正、という形を取らなければなりませんし、論拠としてポツダム宣言も用いなければなりません。さらに、日本人が自発的に憲法を改正する、という手続きを踏む必要もあります。幣原内閣は憲法問題調査委員会(通称:松本委員会)を設置しましたが、そこでは「明治憲法の改正」どころか「明治憲法は改正する必要はなし(解釈や運用が悪かっただけ)」という意見が出ていました。政府の外での憲法論議は本当に様々な主張が噴出していましたが、重要なのは「憲法に関する様々な見方がこの世に存在すること」を人々に知らしめたことかもしれません。
 松本委員会の素案は毎日新聞にスクープされ(部屋に入った記者が草案のバインダーを“拝借”して書き写したのです)、それを見たGHQは「日本政府には憲法を作成する能力はない」と判断、民政局が憲法を起草することにします。マッカーサーは「立憲君主制」「絶対平和主義」「封建制度の廃止」などの原則を部下に示してあとはまかせます。特に「天皇の護持」がトップにあげられていたのは、それを切り札にすれば日本の保守派も「少々左がかった憲法」でも受け入れるだろう、という読みからでした。マッカーサーの部下たちは、ボスが示した「抽象」を超特急で具象化します。無名の人間でも歴史に刻印を残せる、という高揚からでしょうか、アメリカ合衆国憲法にさえ存在しない「両性の本質的平等」も書き込まれました。
 外務大臣吉田茂(と側近の白州次郎)は、ホイットニー准将に松本案を一蹴されて驚愕します。そして、渡された「GHQの憲法草案」を読んでさらに愕然。驚きのあまりか、政府は閣僚に「草案」の日本語訳を2週間配布しませんでした。時間を稼いでいたら何か良いことが起きる、と期待していたのでしょう。しかしGHQはそんな甘えを許しません。そうそう、この審議の途中で、社会党の主張で「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」や教員連合からの主張で「義務教育を6年から9年に変更」などといった重要な変更も取り入れられました。さらに「草の根」からの主張により、憲法の記述は「口語体」で行われることになりました。これは本当に重要な変更で、GHQもその重要性には事前には気づいていませんでした。もう一つGHQが気づかなかったのはGHQが入れた「人種や国籍による差別を禁止する条項」の条文で「the poeple」を「国民」と訳した部分で、これによって旧植民地の在日外国人を平等に扱わないことに日本政府は成功しました(「国民」とは「あらゆる国籍の人々」のこと、とGHQには説明をしています)。
 GHQによる検閲と思想統制は、戦前の日本のものと相似形でした。ただ「民主主義」の名の下に行われただけ、罪が深いでしょう。結局これから日本人が学んだのは「沈黙と大勢順応こそが望ましい」という政治的な知恵で、占領軍が去った後もこの態度は続き、外国人はそれを「いかにも日本的な態度」と評することになります。
 そして東京裁判が始まります。「天皇は免罪」ということを正当化しつつ「侵略戦争の罪」を裁く、といういかにもトリッキーな裁判です。そのため「戦争犯罪」は焦点がぼけたものになってしまいました。
 1950年朝鮮戦争勃発。「平和憲法」を日本に押しつけたマッカーサーは、こんどは「再軍備」を押しつけます。「占領」は変質します。ドッジ・ラインによって押しつけられた安定恐慌は、朝鮮特需で吹き飛び、日本は「経済」と「科学」で生きることにします。これが「マッカーサーが日本に確立しようとした原則(平和と民主主義)」に対する日本からの返答でした。
 しかし「敗北を抱きしめている」態度は、結局いつかは「敗北を手放す」ことになってしまいません? 嫌でもそれに食らいついて咀嚼し我が身に同化させなければ、「敗北」から本当に何かを得ることはできないのではないか、と思えるのですが。