【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

エネルギー

2017-01-12 07:05:24 | Weblog

 「エネルギー」って、「日本語」ではどう言えばいいんでしたっけ?

【ただいま読書中】『エネルギーの科学史』小山慶太 著、 河出書房新社、2012年、1300円(税別)

 「熱とは何か」という問いに対して、1724年オランダのブールハーヴェは「カロリック説」を唱えました。カロリック(燃素)という重さのない流体が流れ込むことで熱膨張がおきる/カロリックの密度が高いところから低いところに移動するのが熱伝導/摩擦でカロリックが絞り出されるのが摩擦熱、というなかなかエレガントな説です。ラヴォアジエは『化学原論』(1789年)で33種の元素の一つにカロリックを含めました。しかし1798年ランフォードは、砲身の中ぐり作業で摩擦が続くかぎり熱が発生する(=カロリックが無限にあるということになる)現象に注目し、「熱は運動である」と提唱します。しかし「分子や原子の運動」が言われるようになるのは19世紀後半、そのためランフォードも「運動の主体」は名指しできず、しばらくの間、二つの説は共存することになります(地動説と天動説もしばらく共存していたことを私は連想します)。
 異なる金属の接触で電流が生じてそれに吊された蛙の脚が痙攣することを発見したのはガルヴァーニでした。彼は「動物電気」を唱え、そこから『フランケンシュタイン』と「ヴォルタの電池」が生まれることになります。電池の研究から電気分解という技法が生まれます。さらに電気と磁気の間に関係があることがわかってモーターや発電機が開発され、さらに電磁気学と光学が融合して20世紀の通信革命をもたらすことになります。
 1895年レントゲンは偶然X線を発見しました。それを知ったベクレルは関連の実験をするつもりで偶然「ウラン鉱石が放射線を発生する能力(放射能)を持っていること」を発見してしまいました。電気の歴史でも「偶然の連鎖」がありましたが、ここでも「偶然」が連鎖しています。なお「放射能」はマリー・キュリーが提唱した言葉で、「半減期」という概念はキュリー夫妻の論文から始まっています。それまでの「エネルギー」は、基本的に人の目で確認できるものを扱おうとしていました。しかし20世紀からは原子核の内部という「目では絶対に見えない領域」に科学の手が入っていくのです。
 そういえば「原子論(物質は原子でできている)」が定着するようになったのも20世紀前半のことでしたね。
 反物質、ディラックの海、ヒッグス場、と話はどんどん進みます。「真空」は「空っぽ」だったはずなのに、粒子やらエネルギーやらが満ちている「場」になってしまいますが、かつて真空に「エーテル」が充満していた(と信じられていた)ことを覚えている私としては、「結局真空には何かがつまっているのね」と呟きたくなります。「自然は真空を嫌う」という有名な言葉がありますが、実は「人は真空を嫌う」のかもしれません。私も真空は好きではありません。何が詰まっているにしても、私は息ができませんから。