むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

小島氏館(埼玉県)

2021年06月28日 | 陣屋・館
小島氏館おじましやかた
別名
構造
築城者小島氏
築城年代平安時代~鎌倉時代
指定史跡
場所埼玉県本庄市小島5丁目4−12 地図

武蔵武士と言われる武蔵七党のひとつ丹党に、小島郷を本拠地とした小島氏の祖で
小島重光の居館であったのではないかと推定されています。
現在土塁と空堀が北・南・西に残っています。
東側は利根川の崖地になっているため、初めから土塁がなかったと考えられています。


長松寺

長松寺を目指してやって来ました。


案内看板

少しばかりですが、この中に小島氏の居館あったことが記されています。



長松寺を囲むように断片的に残る土塁から
このお寺が館の中心であったと思われます。


石碑

何やら絵が描かれた石碑ですが、文字が読み取れなくて
どのような意味を持つ石碑か分かりません。
う~ん、気になる。


鐘楼

正面に回り込んでみると、破風の金の装飾が映えて綺麗です。


本堂

唐鈴山薬師院と称し、弘法大師空海を宗祖とする真言宗のお寺で
開山は祐海法印と伝わり、江戸時代初期の創建と思われます。



本堂の両脇にある大きな瓶に蓮があります。
そろそろ時期だよなあと思いながら近づいてみました。


めだか

すると、中にはめだかが泳いでいます。
この光景を見ているだけで、暑いながらも涼しげに感じます。


蓮の蕾

蓮の蕾…まだちょっと早かったようです。
来週あたりなら咲いているかな。


土塁(南西)

お寺の西側と北側に土塁が残っているようなので裏の方へ行ってみると
確かに土塁があります。


土塁(西)

西側は道路からも見えていたように、襟のような土塁が残っています。



今は竹林になっている北側にも、西の土塁が続いていたと考えられていますが
土塁は残っておらず平坦になっています。


土塁(北)

本堂の真裏には少し土塁が残っています。


堀(北)

土塁と空堀がセットで巡っていたので、残っている場所には土塁と堀と両方が残っています。


参道

竹林を抜けて、西の道路側に出て来ました。
歩道なのかと思いきや、目の前には朱色の鳥居が見えます。
ここって、確かお寺だったよね?


唐鈴神社

振り返ってみると、神社がありました‼
この道は歩道ではなく、唐鈴神社の参道でした。


堀(西)

参道からは空堀も良く見えます。



ここには虎口でもあったのでしょうか?
土塁と土塁の区切りがあるように見えます。


土塁(南西)

外側から見た南西の土塁です。


鳥居

ここから銀杏並木が続く唐鈴神社の参道だったんですね。
この神社には面白い伝説があり、群馬県の玉村町と深い関係があります。
862年(貞観観4年)群馬県玉村町の火雷神社の神官が祈祷を行っていると魔物が現れ
神鏡を奪おうとしたので那波八郎廣純が刀をとり、その首を切り落としました。
魔物の折れた角を投げた場所は「角渕」、切った手を捨てた場所が「上之手」という地名になって玉村町には残っています。
また、魔物の首を祭ったのがここ唐鈴神社との言い伝えがあるそうです。


この日は、娘の用事で近くまで送迎することになったので
用事が終わるまで近くの城館巡りをして時間を潰すことに。
宅地になっていれば遺構はほとんど失われていたことでしょう。
神社仏閣になっていれば多少遺構が残るもので、断片的ではありますが残っていて良かった。


令和3年6月27日登城


今回の参考書


P176参照

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