むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

能見城(山梨県)

2017年03月02日 | 百名城以外の城
能見城のうけんじょう
別名
構造山城
築城者武田勝頼
築城年代1581年(天正9年)
指定史跡
場所韮崎市穴山町 地図


新府城の北側の防御の為に築かれた城らしい。
遺構らしい遺構はあまり確認できない。



新府城へ向かう途中、目に飛び込んで来た「能見城跡」。
こんなに大きく掲げられていては見て見ぬままに帰るわけには行かず、立ち寄ってみました。

道はありますが結構荒れた砂利道です。乗用車はパンク注意です。


本郭

道の終点が山頂で駐車場はありません。


守屋一族発祥の地の碑

武田信玄の家臣守屋一族の発祥の地らしい。
高遠に守屋姓が多いのですが、ここから信玄に着いてきたのでしょうか。
守屋姓の同級生もいるのでちょっと親しみが沸きます。


長靖寺跡?

なにやら人が住んでいたのか?と思わせる廃墟には「長靖寺」という文字が。
昔はお寺でもあったのでしょうか。


石碑

馬という文字ははっきり読めるので馬頭観音か。
お寺の廃墟から守屋一族の碑の前までの数メートルが道のようになっていて
両脇に石垣として積まれていたっぽい石と石碑があります。


石碑

こちら側の碑にも馬の文字が読み取ることが出来ます。
他には石碑らしきものも、墓石らしきものも見当たりません。


石垣?

枯れ草の中に二段程の石垣のようなものが見えるのですが、崩れた形になっていて
石垣かどうかの判別が出来ないのだが、かつてお寺や建物が存在したであろうことから
何かに利用されていたのではないかと想像できる。


土塁?

よく見ると土塁のような高まりもありますがいまいち確信が持てません。

敷地としてはとても狭く、お城跡?という感じがします。
物見を造るか砦にするかしかないスペースのように思います。

ものの本には武田氏滅亡後、新府城に徳川家康が在城した際改修したと記されて
いるのですがそこまで手を入れたのかなあとちょっと疑問が残る規模に思えました。
何にせよ、あまり資料が無いので想像しまくるしかないのかな(^^;

ちょっと寄り道の城跡でした。。。。

平成29年2月18日登城


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