どうか神よ
使命あり力ある人々をお導きになり
その方々のお力が存分に発揮されることによって
国がよくなっていき
そして人類が救われますように
真実
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これを知っている人もいるであろう。これはかのじょが国王を代行していたころに、毎日神の前に出ては祈っていた言葉の一部である。
実に美しい祈りだ。かのじょは人間を信じていた。力高い心高い人間がいることを信じていた。その力と心を信頼していた。それに神が光を注ぐことができれば、国を良い方に導いてくれるものだと信じていた。
これを影から盗み聞きし、馬鹿にしていたものは屑である。なぜならこの祈りによって、実際国は救われていたからだ。かのじょの心が真実であったので、それによって霊界が動き、国を助ける活動が実際に行われていたのである。
国王というものは、こういうことができるものなのだ。その個性と徳によって、国は彩られ、大きく狂わずに、何とかなっていくものなのである。
民主主義社会は人民に権利を与え、自由な暮らしを与える。豊かさは余暇を与え、そのゆとりが人間を堕落志向に火をつける。
馬鹿が自由と権利を得てやったことは、特に美しい女を影から集団でいじめるということだった。ほかにはほとんど何もやらなかったのだ。実際馬鹿というものが興味を持つのは、何よりもセックスだ。そしてその相手となる、美女なのである。
馬鹿は美女しか見えなくなった。あふれるほどもてあました時間と人間の毒を、美女を馬鹿にすることのみに注いだ。馬鹿な男は美女ばかり追いかけ、馬鹿な女はそういう男を独り占めする女に嫉妬して嫌なことばかりした。
そしてあろうことか、国を支えていた国王を狙い、大勢で馬鹿にしまくったのである。
民主主義は、このような人民の下層にいる馬鹿に、力を与えてしまう。阿呆ばかりやるやつが大勢で固まり、あまりにも愚かな活動を起こし、国を誤ってしまう。
いずれこのことは、大きな反動になって馬鹿に帰っていく。民主主義のもたらした自由と権利を振りかざし、国を危機に追いやったものは、もう二度と民主社会か、あるいはそれよりも発展した人間社会に生まれることはできない。
国が人民を虐げている国に赴き、痛い思いを死ぬほど味わわねばならない。
自分の最低の欲望をかなえるために、馬鹿をあふれるほどやり、国を馬鹿にしたからである。