世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

月をかむ魚

2008-04-30 13:43:56 | こものの部屋

A4サイズのクリアファイルを買い、小品帳というのをこしらえてみました。

不思議なタイトルですが、特に意味はありません。月とお魚が好きなので、描いてみました。あまり深くものは考えず、ただおもしろそうなものをという感じで、気楽にやってみようと思います。

レース編みのモチーフのように、いろんな図を、小さなサイズで描きためてみたいと思います。

楽しいので、アイデアが次々頭からこぼれてきます。気持ちだけが先走って消耗しないように注意しなくては。




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モッコウバラ

2008-04-29 09:59:24 | 花や木

昨日は、参観日でしたので、午後から小学校に行ってきました。早めについたので、授業が始まるまでに、学校の周りの花を探検しました。写真は、その折に見つけた、モッコウバラです。

とても大きな木で、すばらしく美しかったので、何枚も写真を撮りました。うれしかったので、丁寧にお辞儀をして御礼を言いました。なんだかそこに、品のよいお姫様がいるような気がして、これはきちんと挨拶しなければと思ったのです。

わたしのつたない礼儀に、バラは少し驚いたように、喜んでくれました。まるで、行儀のいい子供の一生懸命にやっていることに、目を細めてくれているかのようでした。

モッコウバラは、きちんとした礼儀正しい人間が好きなようです。

バラは、真実と理想を尊ぶ花ですが、今の時代は、それが激しく侮辱されているので、みなとても苦しそうな顔で咲いています。こんな時代に、理想を叫べば、どんなことをされるかわからないからです。だからバラは今、極限まで自分を殺し、ほとんど形のみで咲いているものが多い。この季節、たくさんのバラが咲きますが、心底美しいと感じるバラに出会えることはほとんどない。人間も、バラに出会っても、うれしいと感じられない。

人間に、気高いこと、美しいことを教えてくれるバラが、形だけの抜け殻のように咲いている。それそのものが、この世界の真実を、叫んでいる。

でも、モッコウバラだけは、出会うとほっとします。それは、モッコウバラが、どんなに苦しくとも、努力だけは続けましょうという花だからです。小さなことでいいから、正しいことを、きちんと、こつこつとやっていきましょう。時に、努力がすべて水の泡になるようなことになっても、くじけずに、いつかしらきっと、美しい実に出会えることを信じて、がんばっていきましょう。

モッコウバラは、正しいことのために、小さなことを大事にして、目立たぬところでこつこつとがんばっている人が好きなのです。そんな人が、本当に世界をよくするからです。

あまりものはいわないし、目立つことは嫌いだけれど、そばにいると、ほっとする。モッコウバラはそんな花です。


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おさかなのたわし

2008-04-28 09:08:50 | こものの部屋

今日は、小物です。海のものをテーマにして作ってみました。お魚とたこさんとくらげさん。花モチーフのたわしは、テーブル珊瑚のつもりです。

いっぱいつくったので、昨日は、よく果物やお花をおすそ分けしてくれる、お隣の奥さんに、少し分けてあげました。まじめないい人です。なしをくれるときは、そのままじゃなくて、きちんとむいて切って分けてくれるんですよ。なかなかお返しができなくて、気に病んでいたのですが、やっとお返しすることができました。

アクリル毛糸が切れたので、たわし作りはいったん終わり、レース糸を買って、ベストを編み始めました。減らし目や増し目が難しくて、苦労しています。できあがったら、また紹介したいと思います。

切り絵は、しばらくの間、A4サイズ以下の小品ばかり作ることにしました。大きな作品を切る気力が足りなくなってきたからです。簡単な絵ですけど、紙を切るときは、相当に集中力が要るのです。

切り絵の小品は、小物に分類して、こっちで紹介することにしますね。


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ツバキ

2008-04-27 17:52:39 | 花や木

調子が悪いので、今日は2度目の更新です。

今わたしの頭の中は、いろんな知識や情報が、嵐のように暴れまわっているという感じです。整理しようとしても追いつかず、横になって眠ろうとしても、疲れるばかりなので、少し情報を外に放出して、気持ちを整えようというところです。

画像は、ヤブツバキです。美しい花ですが、人間はなんだか、いやだと感じるでしょう。見つけても、あまりうれしくはないという感じ。それはなぜかというと、ツバキは、花の中では、一番人間に近い情感を持っているからです。ほら、なんとなくわかりませんか。

ツバキは、今、人間が相当にいやなことばかりするので、人間がとても苦しくてたまらないのです。ツバキが一番、人間が痛いと、深刻な叫びをあげているのです。その叫びは、いやな男性に拒絶反応を示す女性の情感に似ています。

神話に、魔力を持つツバキの木で作った武器で、敵をやっつけたという話がありますが、それは昔の人が、このツバキの木の性質をわかっていたからでしょう。ツバキほど、いやな人間に拒絶反応を示す木はないからです。

ほかにも、女性が、カメリアといって、ツバキの花に似たコサージュで胸を飾るのも、おそらく、花の性質と無関係ではありません。要するにそれは、「いやな男はよってこないで」という意味なのです。

ツバキという名のシャンプーが売れているのも、かなり、意味深ですね。つまりは、多くの女性が、「男なんて大嫌い」と、思っているってことでしょうか。

ツバキは、女性の身を守る魔よけの花といっていいかもしれません。いやな男性がくるときは、さりげなくカメリアをつけたり、目立つところにツバキを飾ってみてはどうでしょう。白やピンクの園芸品種より、赤いヤブツバキがいちばんいいですよ。

男性は、女性がいるところに、ツバキを見つけたら、ちょっと注意してくださいね。なにかいやなことをしたのかも。

ツバキは、マツよりもツゲよりも、パンチのきく魔よけです。それが門の脇にでも生えていたら、とても入っていく気になれません。ただし、パンチが効きすぎて、時々住んでいる人まで、いやになってしまうので、気をつけてね。


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カタバミ

2008-04-27 08:18:27 | 花や木

昨夜は、ひさしぶりによく眠りました。だいぶ疲れが出ていたんですが、今朝は比較的きもちがすっきりしています。

花の写真を撮ったり、レース糸を買いに行ったり、とにかく自分をなんとかするためのことは、いろいろやりました。でもやっぱりいちばん効いたのは、爆睡ですね。よほどたまりこんでたんでしょう。

まっすぐに美しく生きることを主目的として、こつこつとやっていると、それを邪魔するものが、たくさんやってきます。ただ小市民的に、まじめにやっているだけでも、それがいやだといってよってくるものが、たくさん来るのです。

混沌の風の吹きすさぶこの世界では、美しいものをすべて汚染し破壊したいと思う、深く傷ついた獣がたくさん棲んでいる。それが、自己存在の痛みに気がつき始めて、あらゆる混沌の呪いを吐き出し始めている。

自分の真の苦しさを、初めて知ったからです。

自閉の籠の中で、わたしはずっとそういうものから自分を守ってきたのですけど、最近は特にひどい。ものすごくひどい。彼らは、まだ、わたしが馬鹿にならないのが、悔しくてならないというのです。

痛すぎること、苦しすぎることは、あるのですが、わたしはなんとか、もっています。愛を見失うくらいなら、死んだほうがましだからです。

画像は、近所の公園で撮った、カタバミです。とってもきれいでしょう。今年のカタバミは、ことのほかかわいく、美しく咲いてくれている。それは彼女たちが、傷ついたタンポポのかわりをしてくれているからです。

普段のカタバミは、もっとそっけなく、人間を冷たく離れてみています。いやなことやばかなことをする人間が多いからです。だから人間の方も、どんなにかわいい花でも、ふんと横を向いて通り過ぎるのです。カタバミによっていきたいと思う人は、まれです。なんとなく、わかるでしょ。

でも今年は、毎年、手放しで人間を「いい」と言ってくれるタンポポが、苦しくてたまらない。だから、同じ黄色い花であるカタバミが、できるだけ背を伸ばして、かわいらしく咲いてくれているのです。

もちろんカタバミは、タンポポのように明るく、真っ正直に言えないから、いつもよりはずっと注意深く、人間を見ている、て感じなのですけど。それだけでもとても美しく感じるのは、カタバミが、深い愛の気持ちでそれをやってくれているからです。人間が苦しいというよりも、タンポポが苦しんでいることが、たまらないのでしょう。

だれにたのまれたわけでもない。苦しんでいたものがいたから、やらずにいられなかった。意地も誇りもスタイルも、粉々になるほど、愛はすべてのものを、行動にかきたてる。

花は、それを、長いこと長いこと、やっている。なぜ咲くのか。なぜ咲くのか。なぜ咲くのか。愛しているから。愛しているから。すべてを、愛しているから。

道端の小さな花の中にさえ、その永遠の鈴が鳴り響いている。ここは愛の世界。愛が鳴り響いている。

わたしはここに、永遠に住んでいたい。


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大根と飛行機雲

2008-04-26 07:05:18 | 有為のしらべ

なんだか眠れずに、朝早くから起きて、ブログを書いています。論語でもやろうかと本を開いてみましたが、ちょっと気分がそっちに向かわないので、やめました。

昨日は心身ともに調子がすぐれず、ずっとたわしばかり編んでいました。おかげでたくさん編めてしまった。こんな風に、泥の上を転がるように気分が重い日は、自分の感情活動を冬眠状態ぎりぎりまで低め、すべてを神様に任せるような感じで、手先だけを使う仕事をやると、なんとかしのげます。

苦しいときは、そんなに長く続くわけではない。胸も頭も、鉛で固められたように重かったのですが、目を覚ましてみると、それもだいぶ引いていました。

画像は、大根の花と、飛行機雲。これも、神様のわたしへのことば。まっすぐなやつよ。大根のように、不器用でまじめなやつよ。おまえを愛しているぞ。

苦しいときは、この神様のことばを思い出す。神様は、決してわたしを見捨てない。だからわたしも、わたしを見捨てない。どんなに苦しいことがあっても、乗り越えられる自分を信じて、前に進む。神様があきらめないから、わたしもあきらめない。高すぎる壁も、大きすぎる課題も、できるのだ、で、やってみる。やりつづける。ずっとやる。それで、なんとかするんだ。

無理強いだろうがごり押しだろうが、やりたいことは、やってみるんだ。馬鹿でも、ほんとうの自分が、やりたいということをやらないのは、愚かのきわみだから。

できるんだ。

と、いうことで、超低空飛行状態を、なんとかしのいでやってます。たわしを編むのもそろそろ飽きてきたから、またレース糸を買いに行こうかな。それとも、絵を描こうか。

新しいことをはじめる計画を、頭の中で練るだけでも、けっこう楽しいものですが。あ、マツバウンランの写真を撮りに行くのを忘れてる。

花の写真を撮ることが、いちばんいいかなあ。外に出たほうが、気持ちが晴れるでしょう。

ところで、ご近所のお庭の花ばかりめぐっていると、ときどきね、花がそのおうちの人のことを教えてくれるんですよ。このうちの人は、いい人だよ、でもね、とても悩んでいるよ、とか、このうちの人は、長いこと苦しかったけれど、最近ようやく楽になってきたよ、とか。花は邪気がないので、なんでも教えてくれるんです。聞かなくても、みんなわかる。

花のことばがわかるようになると、人間、うそはまったくつけなくなりますね。うそつきさんは、大変なことになりますよ。

ちなみに、花は、男性より、女性の方が好きです。なぜなら、女性は、あまりいばらないから。花の世話をよくしてくれるから。花は、人間にはわからないところで、ずっといいことをしてがんばってくれているのですけど、そういう人は女性に多いから。

やさしい女性のいるおうちの花は、みな美しいです。そして、美しいことをやっています。ほんとうにそうなんですよ。

今日は、少し遠出して、花の写真を撮りに行ってみましょうか。神様のことばも、新しいのが見つかるかもしれない。



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りんごのたわし

2008-04-25 09:12:17 | こものの部屋

新しいカテゴリをつくっちゃいました。病中の慰めに、編み物だとか切り紙の小物などを作ってきたのが、たまってきたので♪ これからときどき紹介していきたいと思います。

アクリル毛糸を買って、エコたわしをたくさん編みました。調子が悪くて、気分が不安定なときなどに、編むと、気持ちが落ち着きます。20分ほどでひとつできるので、手軽な達成感が心地よく気持ちを慰めてくれます。いっぱいできたら、ともだちにも分けてあげようと考えるのも、楽しい。

赤いりんごと青いりんごのたわしを編んで、お雛様のようにならべてみました。編んではみたものの、かわいくって、とてもたわしには使えそうもありません。しばらく玄関にでも飾っておきましょうか。

アクリルたわしを使うと、食器がとてもきれいになるので、食器洗いも楽しいです。パソコンの周りのほこり掃除にも便利で、机がとてもきれいになりました。

神経症というのかな。少しでも何か平常でないことが起こると、心臓が苦しくなったり、頭が痛くなったり、おなかが痛くなったりしてしまうのです。苦しいことをなんとかのりきるために、いろんな小さな楽しみを見つけたり創ったりするのが、今の仕事のようなものかしら。

家事もほとんどできないので、子供たちに頼りっぱなしです。

でも、つらいとか苦しいとか考えると、物事は悪いほうにばかりいくので、できるだけ楽しむことにしています。病気だからこそできる面白いことは、なんでもやってみましょう。

テーマは、簡単で、楽で、すぐにできて、それでいて、とってもいいもの。いろんなことを、やってみたいと思います。


コメント (2)
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文化の崩壊

2008-04-24 10:22:34 | 有為のしらべ

昨日は、お話会に、子供の誕生日、家庭訪問と、行事が目白押しでした。なので、ぐったりと疲れました。でも、横になっても眠れず、またアクリル毛糸を取り出して、たわしをちまちま編んだりしました。人間、疲れすぎると、かえって眠れないんですね。

子供の誕生日には、新しい図鑑とゲームソフトを買いました。ちょっと不満そうでしたが、本はうれしそうに読んでいました。おもちゃは、ロボットだとか恐竜だとか、もう家に山ほどあるので、買いに行く気にもならなかったのです。いろんな新製品がいっぱい出ているんですけど、同じようなものが、ちょっとずつ変わりながら出てきてるなという感じで、もういいなって思うのです。

文化は、退廃を通り越して、崩壊しているという感じです。スーパーにいって、子供の服を買いに行ったときも、もういやになるくらい、変なものしかないの。こんなの、子供には着せたくないというのばかりなんです。Tシャツにもトレーナーにも、どぎつい模様がしみついていて、きらきらしたガラス玉や鋲なんかが、いやみなほどくっついている。色は、目に刺さるほど、痛い。

おとなし目、地味目なのをようやく何枚か探して、間に合ったという感じ。それでも、子供が着てると、なんだかうるさいなと感じてしまうんです。よけいなものがくっつきすぎてると思う。

最近の人は、そんなに飾らなくてもきれいだという人がたくさんいますよ。結婚式などに呼ばれたとき、よく思うんですが、女の子は、もうあんな派手なドレスや内掛けを着たら、ちょっと苦しいなって。教育や文化が進んで、女の子の内面が育ってきているので、服やアクセサリーで飾らなくても、それそのものできれいだという人がいっぱいいるんですよ。

品のいいスーツを着て、胸に花でもつけたら、それで十分だと思うんです。パールのネックレスはもういらないな。指輪もね。お化粧も最低限でいいと思う。

顔とか、スタイルとかじゃなくて、自分で自分をやっているよっていう、美しい自信が光っている。そんな人はもう、余計な飾りは邪魔なだけなんですよ。
笑顔だけでぱっと光る。

たくさん飾りをつけたり、必要以上に見栄えにこだわるのは、まだ子供のときか、自分に自信がなくて、自分があまり好きじゃないっていう人。要するに、今の服の流行は、もっぱらそういう人たちをターゲットにしたものだっていうか、そういう人たちがつくっているんでしょうね。

わたしも、自分の服は、できるだけシンプルなものを買ってます。早くこの流行が終わらんかな。それを着てると、みんなが馬鹿みたいに見えるんです。

ジブリ映画も、新作ができるんだそうですけど、今言いたいのは、もうやめなさいってことです。最高傑作は、ナウシカですね。ラピュタからはもう崩壊の兆しが見え始めている。

それはたぶん、そのころから、ミヤザキがタカハタをいじめ始めたからでしょう。ナウシカには、タエコ(おもひでぽろぽろ)のきつさりりしさが備わっているけれど、シータ以後にはそれがないかうすい。だから、キキやジーナなどには、男のずるさを隠したいかがわしさがにおう。

タカハタには、そういうミヤザキの欠点を補う力があったと思うのですけど、それを殺したから、とうとうコケてしまったんでしょう。

ジブリアニメの最大の功績は、人間の魂が最悪のことになっていた時代に、上質のものを提供し続けたことです。それで、あまりに苦しかった時代をながらえた人がたくさんいるのです。ジブリだけが、みんなのためにまじめにやってくれるんだと。

苦しいこともいっぱいあったけれど、なんとか今まで、命脈は保った、というのが、現状ではないでしょうか。それほどにみな、苦しんでいた時代だったのです。何もかも、馬鹿みたいにつらかった。

でももう、それもそろそろ終わる。今までと同じことの繰り返しでなく、また新しいことをやりはじめてほしい、というのが一ファンの願いなのですが。

力のある人は、タダでは終わらん人が多いので、また驚かしてくれないかな? ってとこなんですが。



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神様との話し方

2008-04-23 09:33:23 | 有為のしらべ

先日、お山にいって見つけた、カンサイタンポポです。いっぱい咲いていて、とてもうれしかった。まだ少し、苦しさが残っていますけれど、だいぶ元気になってくれました。きっと、たくさんの、花のことばがわかる人が、やさしいことをしてくれたんでしょう。

こんなふうに、顔を見れば、だいたい花や木の言いたいことがわかります。話をすることもできます。子供にはちょっと難しいけれど、ほんのちょっとこつをつかめば、ほとんどの人ができます。

心を開いていけば、山や海とだって、話をすることができるんですよ。今日は、そういう話の中でも、とっておきの、神様との話し方を、お教えしましょう♪ これも、相当簡単なんですよ。ちょっと訓練がいりますが、普通に、まじめに生きている人なら、だれにでもできることです。超能力なんて、要らないんですよ。

まず、知っておかねばならないのは、神様というのは、星よりも大きくて、赤ちゃんよりも純真で、こわいくらい美しいということ。そして、人間のことをとても愛していて、どんなことでもしてくれる、お父さんやお母さんみたいな方だということ。何よりも、みんなの幸せが、神様の一番の願いだということ。

これがわかっていて、人間の方から、素直に心親しんでいけば、あるふとした印象的な出来事や、現象などから、神様のわたしたちへの、深い愛のことばを感じることがあるのです。

たとえばこれは、わたしの場合。

あるとき、夕空に月がかかっていて、その下を、まっすぐな飛行機雲がかかっていたことがあったのです。わたしはそのとき、心にはっと感じるものがあったのです。そしてなんだかとても、うれしくて、胸が温かくなったのです。それが、神様の言葉だったからです。

神様は、わたしにこう呼びかけてくれたのです。「月のようにかげでまじめに働く、まっすぐなものよ」。

わたしは、本当にそういうものだったからです。そのときは、周りの人は誰もそれを知らなかったけれど、神様だけはご存知だったのです。

どんなにがんばっても、だれにも本当のことをわかってもらえないということばかりのころでした。でも、神様は、わかっていてくださったのです。

そのことがあってから、苦しいときに空を見上げると、まっすぐな飛行機雲がかかっているということが多くなりました。神様がわたしに呼びかけてくださっているのです。

こんなふうに、神様は、わたしたちの周りに、ごく当たり前にあるものを使って、常に呼びかけてくださっているのです。「愛しているぞ、いつも見ているぞ」と。

わたしたちが感性の窓を磨き、まっすぐな心でとびこんでいけば、それはすぐにわかるのです。

それはたとえば、背中を暖めてくれる窓からの日差しであったり、例年よりとりわけきれいに咲いてくれたサクラであったり、気配を感じて振り向いたときに、ふと目があった美しいはとであったりするのです。

心にずんと響く印象的な出来事があったとき、愛をヒントに暗号を読み解いていけば、神様のおっしゃりたいことがわかりますよ。それは、苦しいときであればあるほど、はっきりとわかりますよ。神様は、人間が苦しんでいるときが、一番苦しいからです。そして、どんなにか、なんとかしようとしてくださるからです。

訓練をつんでいけば、指の先ほどに動く小さな風のそよぎの中にすらも、やさしい神様がいらっしゃることがわかります。

苦しいことがあるとき、人間は生きるのがいやになって殻に閉じこもって腐ってしまうことがよくありますが、そんなときは、少し気分を変えて、周りを見回して、神様の言葉を捜してみてください。恐れずに、自分の心の、一番痛いところをみつめていてくれる、神様の深いまなざしを、探ってみてください。

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レース編み

2008-04-22 14:53:10 | こものの部屋

今年初めて挑戦した、レース編みの成果です。ショールと、ブックカバーと、コサージュと、ヘアゴム。初めての割には上出来でしょう。色は、うす茶色というより、ベージュかな。かなり満足のいく出来なんですが、悩みは、ちょっとかわいらしすぎて、わたしにはあまり似合わないってこと。ショールとブックカバーはなんとかなるとして、あとの二つは、だれか似合う人にあげたほうがいいかも。

だれか、似合うかわいい人がいたら、プレゼントしたいと思います。

レース針にもなれてきたので、少し休んだら、今度はちょっと難しめのにも挑戦してみるつもりです。これがまた、わたしには絶対似合いそうもない、とってもかわいいチュニック風のベスト。でも、わたしに似合いそうなのは、ちょっと簡単そうでいやなのです。やるのなら、やっぱりきれいで、やりがいがありそうなのがいいですね。

だれか、レース編みの服の似合う、かわいい友達はいないかな。

さて、昨日今日は、末っ子の誕生日のための買い物で、疲れました。おもちゃ屋さんにいっても、最近はあまり面白いのがないので、電気屋さんと本屋さんと文具屋さんと古書店をめぐりました。あとケーキ屋さんも。

それで今は、ぐったりです。ということで、今からわたしは、おひるねです。

おやすみなさい。

ああでも、買い物からの帰り、マツバウンランのいっぱい咲いた茂みを見つけたので、今から写真を撮りにいきたい気もするな。そのときは、カメラを持っていなかったのです。

どうしようと迷いつつも、もうひとりのわたしが、早く寝ろというので、寝ます。

明日は、ショールをつけて、出かけよう…


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