世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ちびがいるから帰ってきた

2013-01-08 07:05:39 | 有為のしらべ

みなさん、おはようございます。てんこです。
おひさしぶりです。というのかな。
今までわたしは、「彼」に頭を占領されて、心の奥に封じ込められ、半分向こうの世界に行っていました。ですから、これまで発表した一群の詩「試練の天使」は、わたしではなく、「彼」の著作です。もちろんこれは、わたしの肉体の機能と大脳の中の情報や、わたしの学んだ技術等を使って書かれたものですが、それを動かして様々な活動をした主体は、わたしとは異なります。ですから、現実の世界の常識では、わたしが書いたということになるのですが、厳密にはそうとは言えません。これをいつか、何らかのことで、出版物として発表する機会があるとしたら、そこに著者の名前として、わたしの筆名がいれられるでしょうけれども、中身は完全にわたしの表現力を越えた「彼」が書いたものです。

彼は自由自在だ。みごとにやってくれました。感嘆します。
わたしは、彼の後ろに守られて、彼の仕事を見ていましたが、痛快さとともに、なつかしさを感じていました。定かには彼のことを思い出せませんでしたが、ああ、この人を知っていると、感じていました。

わたしがわたしに帰ってきた日、わたしの家の裏口を、ちびが訪れてきました。わたしには、ちびという、夫に内緒で餌をやっている、一匹の虎猫がいます。
ちびの顔を見たとき、ああ、わたしにはまだ、ちびがいると感じました。ちびの世話をしてやらねば。こうして、わたしをたよってきてくれる猫がいるということは幸せです。ちびがいるから、帰ってきたんだな。



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くすのき

2012-10-07 12:46:41 | 有為のしらべ

今日、犬の散歩をしていたら、友達のくすのきが、とうとう伐られてしまっているのを、見た。きれいだった緑の樹冠がなくなって、丸坊主になっていた。

ひとつ、発見したこと。人は、悲しいことに出会うと、何かが固まって、感情が動かなくなってしまうことがあるのだと、言うこと。

ずっと、あそこにいてくれて、一緒に生きてくれるのだと、思いこんでいたものだから。あの木が、なくなってしまうことなんて、ほんとは思ってはいなかったものだから。

初めて、あの光景をみたとき、なぜだかわたしは平静で、まるで他人事のように、ああ、いってしまうのか。いいよ、いってしまっても。ありがとう、と、落ち着き払って、あの木にあいさつしたのだ。とくに悲しみを感じることなんて、なかった。だけれど。

犬の散歩を終えて、カメラを持って外に出て、花の写真など撮っていたら、しんみりと、静かに悲しみがあふれ出てきて、それが石のように胸をふさいでしまった。頭から冷たく、何かがかぶってきて、わたしは人形みたいに動けなくなって、涙が出てきた。

蝶々が二匹、まるでわたしをなぐさめるように、頭の上を通っていった。露草が、日に透けて、静かに笑ってくれた。竹やぶの笹が、風に踊って、何かをわたしに語ってくれた。

仕方のないことなんだよねえ。わかってる。木は、人間を恨むことなんてしないよ。愛しているから。わかっているから。

でも、木が一本、いなくなっただけで、この世界から、愛が一つ、消えたのだ。それはとても微妙で、繊細で、ひなたに浮かんで見える、ホコリ一つの重さもないような、変化だけれど。

一番つらかったとき、一番助けてくれた、美しい木だった。愛してる。本当に愛してる。
ありがとうと、いうことばも、陳腐になるほど、苦しくて、言える言葉がない。

どうすればいい。どういえばいい。

ありがとう。



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美しい心

2012-08-30 07:11:55 | 有為のしらべ

もうすぐ、夏休みも終わりですね。

これは、末っ子四男坊の夏休みの宿題です。「美しい心」みごとなできなので、冷蔵庫に飾ってくれました。ああ、わたしはこれを見て、ほんとうにいいなあと思って、あ、いいねえ、と言いました。

え?一画足らない?やっぱりそう思うでしょうね。でもね、わたしは、この「美しい心」に、本当に美しい心を感じたので、そんなの、どうでもいいと思ったのです。だって、この「美しい心」は、ほんものの「美しい心」だったからです。本当にきれいなんです。「美しい心」が、真実のことばになって書かれていることのほうが、一画足らないことよりずっと大切だと感じたのです。この作品は、本当に、「美しい心」なんです。

でも人はやっぱり、一画足りないっていうだろうなあ、とも、思いました。きっと心が、見えないから。そしてやっぱり、思った通り、夫が末っ子に、一画足らないことを教えたらしく、冷蔵庫に飾られていた「美しい心」は、いつの間にかなくなり、四つに折られて、捨てられてしまいました。残念だな。仕方ないことだとは、思っていますけれどね。

でもこうして、写真に残しているから、いいでしょう。捨てられてしまった美しい心、ちゃんとここにあるから。大人になって末っ子がこれを見たら、どう思うかな。本当に、美しい心が見えたっていう、この母の気持ちを、わかってくれるかな。

きっと今は、誰にもわかってもらえない。いえ、もしかしたらわかる人、いるでしょうか。この字の中に住んでいる、ほんとうの美しい心。見える人、いるでしょうか。



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フローライト

2012-08-28 07:13:08 | 有為のしらべ

フローライト、蛍石(ほたるいし)です。「月の世の物語」では、日照界の若者や役人さんたちは、なぜか蛍石のカードを持っていることになっています。なぜ蛍石なのか。わかりません。書いているときに、一番先に頭の中に浮かんだのが、たまたま蛍石だったのです。物語の中では、蛍石の薄いカードをぴんと指ではじくと、それは薄いキーボードになって、様々な情報の記録や呼び出しや、不思議な魔法などにも使われることになっています。どういう構造になっているのかは、当然、わかりません。魔法ですから。

パワーストーンとして蛍石が持つ意味は、子どものように自在で純真な心の働きを高めてくれることだそうです。脳を活性化させ、記憶力を高めるので、受験生のお守りとしてもお勧めだとか。受験が一つの人生の岐路だとすれば、地球生命としての人類を導いている日照界の人が持っていても、不思議ではないですかな。

実は、サンストーン(日長石、にっちょうせき)というのもあるんですけど。なぜかそっちには頭が行かなかったのです。ムーンストーンにサンストーンだと、単純すぎるからかな。

写真は使えないので、絵に描いてみましたが、色は、透明なのから、緑、紫、絵のように縞模様をなすものなどいろいろあるそうです。硬度が弱いので、こんな風にアクセサリーに加工されるのは珍しいのだそうですが。

写真でフローライトの石を見ていると、それだけで、何かきれいなものがこちらの心に流れ込んでくるような気がしますよ。見たい人は、ぜひ検索して見てみてください。

モデルは、クランペルパピータ(ミモザ)です。まだ十四歳の娼婦。白い服を着て、明るい金髪に、青い澄んだ目をしている。まるで地上に難しい勉強をしにきた、天使みたいだ。彼女は、十四歳で、大人の仕事をしているけれど、心はまだ自在で純真な子どもなのだ。だから、遠いミモザの星に、いっぺんに飛んでいくこともできる。蛍石のブローチがよく似合う。

石の話はこれでおしまいです。パワーストーンの効果などが、どこまで本当なのか、わたしにはわからないけれど、一度だけ感じたことのある、あのアメジストの清らかな香りのことを思い出すと、確かに、石には見えない何かの力があるような気がします。

でも真実は、多分、まだ人間の力では捕まえられない、もっと高い所にあるように思います。

愛は、人間が考えているよりもずっと、清らかで美しいものです。



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ムーンストーン

2012-08-27 07:11:44 | 有為のしらべ

ムーンストーン(月長石、げっちょうせき)です。一応絵に描いてみたのですが、難しいな。本当はもっときれいに透き通った、かすかに灰味を帯びた、白い石です。本当にお月さまみたい。

月の世の月は、信じられないけど、表層はほとんど月長石でできています。と言っても、地球上の月長石とは少々違いますけどね。

で、一応某HPで、月長石の効果などを調べてみるのですが、まあ、心に受けた深い傷を癒してくれたり、名前の通り、月のエネルギーを受容したりするそうです。また月は女性と深く関係があり、女性性を高めてくれたり、女性を助けてくれたりするそうですよ。

月長石に触れたことは一度もないので、その感触はわからないけど、もし持つことができたら、昨日の紫水晶のように、不思議な香りがするかもしれません。きっと紫水晶とは違う、きれいな愛の香りなのだろうな。見ていると、澄んだきれいな気持ちになってきます。

写真もリンクも貼れないので、見たいと思う人は検索してみてください。

モデルはマダム・ヴィオラです。きっとこんな人は、この世には絶対いないだろうな、という女性です。彼女も昔は、ミラやミモザたちと同じ仕事をしていましたが、頭がよくて、お金をためるのが上手だったので、自分の店を持つことができたのです。女の子たちに、仕事はきちんとやらせるけれど、大切なところで、女の子たちの気持ちのために、大切なことはやってくれる。

女性たちを助けてくれると言うのが本当なら、本当に悲しい女性たちの元に、たくさん月長石が届くといいと思う。

ところで、わたしもいろいろなパワーストーンのHP見てみたのですけど、中には胡散臭そうなところもあったので、皆さんも気をつけてくださいね。



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アイオライト

2012-08-26 06:47:41 | 有為のしらべ

アイオライトは和名を菫青石、きんせいせき、と読みます。「月の世の物語」によく出て来ますが、色と名前が好きなので、何となくお話に使ってしまうのです。

パワーストーンとか、よく言いますけれど。石にはよく、ヒーリング効果とか、いろいろ、人の人生を導く効果とかあると、言われます。中には鉱物霊というものがいて、それが人によいことをしてくれるという人もいます。

パワーストーンを扱うHPなど見てみると、いろんな石があって、それぞれの効果が書いてあります。それって一体、どうしてわかるのか、出典はどこにあるのか、まるでわからないのですが、どのHPにも自信たっぷりに石の効用を書いてある。どこまで信じていいのかはわかりませんが、わたしも石に関しては、少し不思議な経験をしたことがあります。

以前、三男坊の誕生日プレゼントに、紫水晶の原石をプレゼントしたことがあるのですが、それからしばらくすると、三男坊の体から、何か、紫水晶の香り?みたいなものを感じたことがあるのです。それは清浄で、とても気持ちのいい香りです。ほんとなんですよ。その香りのせいで、三男坊は本当にきれいな感じがするのです。きれいといっても、姿が美しいとかハンサムだという感じじゃなくて、本当に清らかだという感じなのです。だから、へえ、パワーストーンって、ほんとなのかな?とその時思ったのですが。

ちなみにあるパワーストーンのHPによると、アメジスト(紫水晶)は「真実の愛を守る石」だそうです。そうだなあ。よくわからないけれど、あのとき感じた、紫水晶の香りは、もっときれいな意味を持っているような気がします。真実の愛という言葉はよいけれど、人間がかるがると口でいうだけの「真実の愛」じゃない。

で、表題のアイオライト(菫青石)ですが、そのHPによると、自分を本当の自分へと導く石なのだそうです。なんとまあ。物語のテーマにぴったりだ。こんな魔法みたいな偶然もあるのだな。

写真を借用するわけにはいかなかったので、一応絵で、アイオライトのペンダントを描いてみました。モデルは、美しい黒髪のミラさんです。きれいな人だな。ほんとうによく似合う。

どんな石か知りたい人は、各自で検索してください。



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さいはひ

2009-04-23 08:23:05 | 有為のしらべ
血のごとき紅き珠の
潮に浸りしを恨みて
それを打ち捨てむとするか
若き燕の子よ

卵とおもひて生みたる
いらくさのたねの
その刺の巣に満ちぬうちに
さいはひはとはにつづくものにあらず
とはにつくるものなりといふ
ちさき虫の声をきけ




詩の力がだんだんと戻ってきました。今日は気分もいいです。
足もとのいらいらもなく、室内ウォーキングもそうやりたいと思わない。眠りの時間にそう変わりはありませんが、そう不快を感じない。慣れもあるでしょうが、なんかこう、気持が静かで、ちょっと幸福というかんじです。

上の詩は、最近見聞したことを元にして、ちょっと想像を広げて書いてみたものです。まだまだだけど、スランプを抜ける光は見えてきたかな。

画像は、先日の散策の折に出会った蛾です。けっこうきれいでしょう。ネットの図鑑で調べてみても、何と言う蛾かはわからなかったのですが、外に出るとたまにこういう出会いがあるからうれしいですね。

詩の意味は、ちょっとしたことでくじけて大事なものを捨てるなよ。どんな苦しいことがあったって頑張って生きていくのが幸せだよ、ていうことなんですけどね、結局は。それを美しい言葉でおりあげるのが詩人の仕事なわけで。

ちうことで、私は今、だいぶ幸福です。そりゃあつらいことはありますが、それをのりこえようとがんばっている自分がいる。こいつだけはどんなにがんばってもかわらないっていう自分がいる。つらいことはあるけれど、そこを何とかしながら生き得て、自分の人生ってもんをつくっていくのが幸せなんだ。

そんなこんなで、今わたしは、山をひとつ越えた気分です。








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定点観測

2008-10-06 08:07:30 | 有為のしらべ


病人生活が長く続いています。毎日を生き急ぐのに忙しく、じっくり自分と話すことはなかったのですが、ここにいたって、ようやく自分の状況がわかってきています。

わたしはどうやら、仮の主座に全面的に自分を預けて、奥の主座でずっとそれを観測しているという状況らしいです。

これは、わたしの魂を守るための、ひとつの方法であるらしい。やっていること、ことば、絵など、今やっていることすべてが、本来の私と、かなり違っている。とくに絵が、おもしろいほど、目に見えて違います。さてさて。

普通なら、こういう状況は、自分として苦しいと感じることが多いもの。やっていること、できる作品が、かなり自分らしくない。それはけっこうつらい。わたしはもっと、やさしいはずだ。こんなふうに、きつくないはずだ。それがいらだちになり、生きることが苦しくなることもある。

しかし、こういう状況を見て、味わって、何かをやってみよう、と考えることは、実にわたしらしい。馬鹿みたいですが、わたしはどういう危機的状況も、こんな感じで乗り越えてきた。(ここで注釈しますが、危機的状況、と書くのは実にわたしらしくない。わたしなら、困難なこと、というだろう。)

尋常ではない状況も、おもしろがってみる。そこから学べることを探ってみる。それをやってみよう、ということで、そこをしのぐ。これは実にわたしらしい。

それで、今撮っている写真や、絵を見て、どんなふうに、違和感があるかとか、どこが痛いかとか、そういうのを、書いてみようかと思います。

今日の写真はそれぞれ、仮の主座、で撮った写真です。似たような虫の写真ですけど、なんだか全然違う、という感じもするでしょう。近所の空き地で撮ったツバメシジミ。よく撮るんですけど、昔の写真と比べてみると、ずいぶんと、強い感じがする。わたしはもっと、やさしくて、あまくて、子供っぽい感じがします。でもこれは、きつい。美しいけれど、痛い。まるで冷たい熱線をひめているように、チョウチョが光っている。



これも実にきれいです。ツバメシジミの裏側の模様が、ほんとうに、まっしろだ。でも、真っ白じゃない。清らかなほど真っ白なのに、真っ白じゃない何かが見える。これはすごい。わかるかな。

わたしだったら、白いけれど、中に見える白くないものが、ずっと小さい。という感じに写る。わたしが弱くて、小さいので、チョウチョが、秘めている白くないものを、決してわたしには見せようとしないからです。

こんな写真、とてもわたしには撮れない。仮の主座の仕事です。おもしろいな。

わたしは今、自分の自己統制力を少し甘くして、自分の奥に座り、他者的な影響に対する防衛をかなり弱めている、という状況のようです。それで、自分らしくないことはしない、という立派な防壁に、かなり大きな門戸を作っている。そこから入ってくる人に、かなりな権利を渡している。そんな感じです。もちろん、権利を渡す人は、選びますが。

こういう風変わりな状況を、自分というもののすばらしい可能性を見る、ということに変換して、楽しんでみる。異変を、苦しがらずに、おもしろがる。そして自分の新しい力として加える。そういう風にもっていけるのは、わたしだ。

こんなふうにして、この状況の、乗り越えてみよう、という試みです。わたしらしくない状況にも、絶対にわたしらしいということをやってみながら、工夫をしながら、乗り越える。おもしろがる。

これは、相当に苦しいかな。でもできるだろう、で、やってみるのが、わたしだ。

おもしろいですね。

 

 


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これなんでしょう

2008-10-03 08:00:08 | 有為のしらべ

シュールな画像ですが、さてこれはなんでしょう? 実は、先日まで、パネルシアターの原画を制作していたのですが、その過程でできた、消しゴムのかすの塊です。いやあ、いっぱい描いたんだな。描く前には真新しかった消しゴムが、描き終える頃には半分になっていました。

机の上でまとめてみると、すごくいっぱいあるので捨てられなくなってしまって、今もまだあります。なんだか、こういうのって、ありますね。どんなものでも、立派な感じになると、いいものに見えるっていう。たとえば、子供の耳掃除で出てきた、大物の耳アカなんぞ、しばらく捨てられなくて、つい、「こんな大きなのでてきたよ!」なんて、ほかの人に見せてしまったり。

なんでも、いい感じにすると、おもしろいなってことです。消しゴムのかすくんは、しばらくの間、わたしの机の上でオブジェになってくれそうですよ。

これが、楽しむこつってこと。おもしろいなって思うこと。馬鹿に、しないこと。それで何かしてみるってこと。

たとえばね、なんでもいいんですが、長いことやってきた仕事が、まるごと、ばかみたいなことになってしまって、失敗したってことがあるとするでしょう。がんばってやってきたこと、すべてが、水の泡になって消えてしまったってことあるでしょう。やってもやっても、なんにもならなかったってこと、あるでしょう。

普通の人は、そこで落胆して、人生も自分もすべて捨ててしまって、慰めにもならぬことをして、苦しいだけの残りの人生て感じに生きるのですけど。そんなふうに、自分の人生を捨てると、大変なのは、周りの人ですから、やめましょう。自分の人生を、捨てないように、自分で工夫しましょう。それで、楽しんでみましょう。

消しゴムのかすは、もう消しゴムには戻れない。でも、全部、馬鹿なわけじゃない。消しゴムは、鉛筆で描いたものを消して消して、やってきたことがある。その中で、何かいいものがあるはずだ。使えるものがあるはずだ。それは何だろう。自分は、まるっきり馬鹿なもんじゃないだろう。

そうすると、やっている過程で味わってきた、自分の実感というものが、出てくるのです。そこを、なんとかしてみる。何かをやる、何かをできる、自分というものを、なんとかしてみる。

やれることを今、とにかく考えてみる。家にいるだけじゃだめだ。外に出てみよう。風景の中で、心ひかれるものは何かと考えてみよう。自分というやつは、何が好きなのか。花や虫に心ひかれるか。水の中の魚に心ひかれるか。空に流れる雲が好きか。そういう自分とずっと話をしてみる。

水の中の魚が好きで、ずっと見てしまうなら、それはなぜかと自分に尋ねよう。なぜ魚が好きなのか。それは、水の中を泳いでいるのが、気持よさそうだと感じるからだ。それを見るのが好きなのは、きっと自分が安らぎたいと考えているからだ。なぜ安らぎたいのだろう。それは、全然心が安らいだことがなかったからだ。自分の魂は、ずっときついことを意地になってがんばってきて、とんでもなく疲れているんだ。

そういう風に、自分と話をしてみる。そうすると、いろんなことが、変わってくる。そういうふうに何かをしてみたら、それを馬鹿なことと捨てずに、いいことにしてみるのです。

感じたことで、詩を書いてみよう。絵を描いてみよう。写真を撮ってみよう。雑文を書いてみよう。やりたいと感じることがあったら、まずやってみよう。下手だなとか、馬鹿だなとか考える癖がでてきたら、あっちにいけといって、相手にしないようにする。自分が、自分をしているから、いいんだと、自分に言う。そうやって、自分を、少しずつ、なんとかしていくんだ。

愛してみましょう。自分を。そして、まじめに、やってみましょう。

馬鹿なことをした。いっぱいした。でもそんな自分を、まったく馬鹿なんだっていって、捨ててしまっては、いやなことになるばかり。馬鹿だけど、おれは、こんなおれを、絶対に捨てないよ。なんとかしてみる、で、やってみたら、だんだんと、いいことになっていくのです。そういうことです。

簡単なんですよ。愛すればいいのです。やってみましょう。好きな自分を。その前に、自分と、ゆっくり、話をしてみましょう。

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ウエルカムボード

2008-09-29 18:21:45 | 有為のしらべ

今日は、何回も更新します。前回のでやめようと思っていたのですが、読んでるうちに、ちょっと重苦しいなと思ったので、少し軽いことでも書いて、読む人のお気持ちを慰めようかと考えました。ネタはいまんとこ何もないんですけど。

今日は、肌寒い日でしたので、久しぶりに長袖を出してきました。いつまでも、夏の日差しが去らないなと思っていると、急に秋がやってきます。

パソコンをいじっていない時間は、ずっと、方眼編みをやっています。それに飽きたら、ボランティアのための絵を描いたりしています。新作のパネルシアターのための、原画なのですけど。そっちのほうは、ぼちぼちです。方眼編みが楽しいので、どうしても気持ちがレース針をとってしまうのです。

もう少し秋が深まって、紅葉が楽しめる頃になりましたら、いつもよりちょっと遠出して、見に行ってみたいですね。いつもと違った写真を撮ってみたい。ここ何年か、箱庭のように小さな、知っている山や野原ばかりの写真でしたので。先日、ちょっと遠い所にいって、田んぼの実りや彼岸花を撮ってきたのが、楽しかったのです。車で一時間も走ると、風景も花もみんな違うのです。チョウチョも、近所では絶対に出会わないのに出会えるのです。

このツユクサは、近くの野原で撮ったもの。近所の花々は、いつもわたしのことを見てくれているので、病気のことなどとても心配してくれるのです。ですから、みんな、深いまなざしで、わたしを見てくれる。でも、少し遠くへ行って、同じツユクサを撮ってみると、あまりよくは知らないので、それなりに見てくれるのです。それが、少し、快い。

近くの花の顔を見ると、よほど自分は苦しいんだなって感じてしまうもので。自分ではよくわからないけれど、はたからみたら、よほど大変に見えるんだなって。だから、ほんの少し突き放してみてくれる花が、ありがたい。

遠くにいって、とおくのきれいな空気を吸ってきたいな。ときどきでいいから、車で走ってみましょう。

ところで、小さな狭い部屋に、とじこもっているとね、おもしろいことも、わかるようになりますよ。不思議なことがあるのです。

ものにも、思いがあるってこと。これはほんと。

図書室で働いている友達に頼まれて、ウエルカムボードの制作を、この前までしていたのです。そのボードができたのですけどね。できた当初は、文字がはっきり見えなかったりして、気に入らなかったのです。でも、しばらく壁に飾っていると、不思議に、文字がくっきりと浮かんできたのです。何も触っていないのに、作ってすぐのときと、雰囲気が全然違うのですよ。とてもきれいに見えるのです。

なんでかな?と考えていたら、ボードがゆっくりと答えてくれるんですよ。君の気持ちがかわいかったので、うつくしくなったんだよと。つくるものが、いい子だと、ものが、いのちをよぶんだよ。そしてね、生き始めるんだよ。

そんなこと、よくあるんだよ。やさしい気持ちで作ったものは、かみさまが、大事にしてくれるんだ。それで、そっと、命をくれるんだよ。

いのちはね、いろんなところにあるよ。さがしてごらん。いつも、きみをあいしているよ。

一日、部屋に閉じこもっていると、いろんなことが、わかるようになってきます。おもしろいですよ。


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