世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

センダン

2017-09-02 04:13:05 | 月夜の考古学・本館


なぜ幸せになれないんだろうと
思ってばかりいるのは
自分の幸せのことしか
考えていないからですよ

人は自分だけでは
幸せになれないのだから
まずは目を周りに広げて
もっとたくさんの幸せと
自分の幸せを
響き合わせてみるんです

鳥や虫や森や 世界や
振り向くとそばにいる誰かさん
もっともっとたくさんの人たち
そして神さまの幸せと
共にありたいと願うんですよ

最初は難しくても
少しずつやっていきなさい
我慢強くしていれば
そのうち何かが変わってゆく
体中から花咲くように喜びがあふれ出し
喉が割れそうなほど 熱い歌が響きだす
心の底が すっぽり抜けて
青空の中に落ちたと思ったら
目の前で神さまが笑っている

幸せはいつも
自分の中にあったのだと
そのとき初めてわかるんですよ



(2005年ごろ)






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神さまは

2017-09-01 04:13:31 | 月夜の考古学・本館

神さまは
白い小さな おさるの
姿をなさって
今も わたしの肩に
ちょこりと
お座りになっています

水晶の玉のような
まんまるな瞳が
風におびえる水面のように
うるんで ふるえて
わたしの耳元で
くりかえし おっしゃるのです

オマエハ ワタシヲ シンジルカ
オマエハ ワタシヲ シンジルカ

そのたびに わたしは
もちろんですとも
信じますとも と
何度でも もうしあげるのですが
神さまはよけいに
せつなそうになさって
涙をぽろぽろ流されて
またおたずねになるのです

オマエハ ワタシヲ アイスルカ
オマエハ ワタシヲ アイスルカ

わたしは たいそう
つらくなって
白いちいさな 神さまに
ほおずりせんばかりに
一生懸命 もうしあげます
もちろんですとも
もちろんですとも……

なんで そんなに
おたずねになるのか
それは この世に
神さまほど
何度も何度も うらぎられ
見捨てられて来られた方は
いらっしゃらないからです

わたしは
ちいさな おさるの
神さまを
そうっと 胸に抱き
ともしびのように ひそやかな
ぬくもりを
だいじに だいじに
さすります
そして ずっと
いっしょにいてくださいと
もうしあげます

そうしないと 神さまは
ちょうちょうのため息のように
今にも どこかへ
消えてしまいそうだから……



(2003年、詩集「種まく人」より)






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ためいきばかりを

2016-10-01 04:12:11 | 月夜の考古学・本館

わたしを かなしいと
いわないでください
むしろこれが
いちばんのしあわせと
おもっていたい

ちいさな すみれのといきに
みみをすます
かやつりぐさの はかない
たばのような
わたしをだいて

かれくさのおくの こおろぎのように
せなかから おとのおくから
あふれてくる
むおんの しおさい

わたしが かなしいと
すみれさえも めをふせるなら
どうしたら わらってくれるだろうと
ずっと かんがえてしまう

しあわせだと わらっているのは
わたしだけなのかい
ずっとめをふせているのかい
なにもしないで

きえていくためいきばかりを
そうやって いつまでも
きいているのかい




(年度不明、スケッチブックの表紙裏の落書きより)






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ささやき・2

2016-02-23 05:31:48 | 月夜の考古学・本館

子供じみたことを、おとなの知恵でやる馬鹿が、一番たちが悪いんだよ。

馬鹿が美人になると、なんも勉強しないで、馬鹿ばっかりやるんだよ。

なんもしねえで、えれえことはみんなやってもらって、
ほんで女と遊んでるだけって人生がつらいほどいいってさ、かっこいいってさ。
そんな時代だったんだよ。

くうねるあそぶってね。
結局は馬鹿だったってことさ。
何もしないで遊んでばかりいたら、なんにもなかったのよ。

アホはね、びじんを特権だと思ってるんだよ。
何してもいいんだ、わたしはきれいだからって。
あほか。

大事なことはね、みんなでやったってのが悪いってことだよ。
それが重い罪なの。
みんなでいじめて、ばかにしたってのが、すごくいやなことなの。
そんなこと、ずっとにんげんはやってきたんだよ。

よいもの、うつくしいもの、いっぱいあった。
みんな馬鹿にして、あほにした。
おれたちは神さまから、ちきゅうを盗んだんだ。
みんなおれたちのもんにして、いやなこといっぱいして、くずにした。
おれたちはあほだ。


(2008年ごろ、入院中のノートより)





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ささやき

2016-02-22 05:25:20 | 月夜の考古学・本館

なんでもええから、自分がすごい、にしたいんだよ、アホは。
でねえとつらいからさ、なんもできんからさ。
おうさまになって、なんでもみんなにやってもらえる、ええもんにしたいのよ、じぶんを。
だから、えばってばかりで、ひとをばかにするから、みんなにげるんだよ。

びょうきってのはね、なんでもね、アホがつくったんだよ。
そんなもんはね、なんとかできるもんなのよ。いてえやつは病気になんねえの。
ばっかみたいなことして、みんなを苦しめたやつが、病気になるんだよ。
ほんとはね。でも今は、アホがいやいやっていうもんだから、みんな、
自分の病気を人に押し付けてるよ。
イヤなやつはみんな、そんなのばっかしやってるんだよ。

アホで最後までのこったやつはねえ、えーえんにいないことになるって。
なあんにもやらないで、それがずっとなんだって。どこにいるのかもわからないって。
もしかしたら全部ないんじゃないかってことずっとやってるんだって。
ぜんぶいたいんだって。いやになるくらい、ぜんぶいたいんだって。

つっと逃げられたからって、ずっとやってやるって思ってるよ、あいつ。
みーんなおまえのせいにして、おまえをいじめてやるって思ってるよ。
わーるいのは男なのにさ。いやなことするから女が逃げるんだよ。
ほんでまた、いやなことして、嫌われるのさ。アホはもんだいなく、馬鹿だよ。
いたいくらい、すきだったら、もっとええことしろよ、ほんまに。

くらげになるんやと、おれら。ゆーれいくらげ、みたいなもんになるんやと。
ずっと、ふらふらふらふら、するだけなんやと。ほんで、いやなことになるんか、
いいやなことになるんかって、ずっと思いよるんやと。
ほんで、いつまでも、ほんなもんなんやと。
おれら、ずっと、そんなんになるんやと。



(2008年ごろ、入院中のノートより)




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スイセン

2016-02-07 05:48:14 | 月夜の考古学・本館

スイセン Narcissus tazetta var. chinensis

 ヒガンバナ科スイセン属。花言葉の「自己愛」はもちろん、水面に映った己が姿に恋をしたという、ナルキッソスの神話に基づくものです。
 神話は少年の傲慢さのツケを語りますが、しかし「自己愛」にはもっと多層で深い意味があるような気がします。「自己」をどのレベルの自己に設定するかで、意味が違ってくるように思うのです。
 さて、ある日私はこんな夢を見ました。人々が、樽の前でざんげをしているのです。自分は罪深く価値のないものだとその樽の前で告白をすると、人は、見えない斧によって自分の肉体を削ぎ取られ、半分になってしまうのです。わたしがじっとその様を見ていると、あるとき、二人の美しい女性が、一個のドングリを持って来て、その樽の上におくのです。小さなドングリは胸を反らし、ざんげをするどころか、大張り切りでこういうのです。
「私という存在は貴い。真実の自己はすばらしい!」
 とたんに、周りの人が大笑いを始めるのです。彼をつれてきた二人の女性でさえ、彼を指さして笑うんです。ドングリはいたたまれなくなり、樽の上を降りるのですが、地面に足がつくやいなや、彼の姿は白い服を着た天使に変わり、人々の間から去っていくのでした。
 目を覚ましたとき、私はなんとなく「天上天下唯我独尊」と言った釈迦誕生仏のことを思い出していました。
 己が利欲に関する排他的レベルに堕すとき、自己愛は愛という名をつけるのも苦しいものになりはてます。しかし、人生の試練の壁において、魂の飛躍をなしとげなければならないときには、他の誰でもなく、自分の力が必要です。その、本当の自分に対する強い信頼こそが、己を打ち破って人生を切り開いていく力なのです。
 自分を信じられない人間は、他の人間の価値に安易にすがろうとし、壁の前で自分を見失ってしまいがちです。孤独の苦い塩をなめて、本当の自己への信頼の元、真実の光を目指して壁にぶつかっていくものに、人生の真の意味が与えられるのです。
 本当の自分とは誰なのか。一度、深く自分と対話してみてはどうでしょうか。


(2005年4月、花詩集23号裏面エッセイ)




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2016-02-01 05:27:56 | 月夜の考古学・本館

愛を学ぶためには
それを失うことが一番なのだ
だから若者は
木に打ち付けられて死んだ
十字架は
伐り倒され滅びていく
森の予言でもあったのだ

冷酷な悪魔のように
神の愛の大きさが
かえって人を苦しめることがある
人間の小ささこそが
龍のように巨大な心の闇を生むものだから
驕慢の飾りが少しでも
自分を大きく見せるものなら
時にはどうしようもなく迷ってしまう
それが人間というもの

もの言わぬ森の愛を背負って
若者は滅びていく
その向こうには
光が潮のようにひいていく世界がある
彼はそれを指差して言う
さあ行こう
暗がりの時を乗り越え
その向こうでもう一度出会うために

たとえ最後の森が焼き尽くされても
世界はたった一つの種の叫びでよみがえる
必ず

光よ 再びあれ



(2003年ごろ)




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ハウ・トゥ・ラヴ

2016-01-21 05:23:44 | 月夜の考古学・本館

まず
あたまの蓋をぱかりとあけて
脳みそをとりだします
こわしたら 後でこまるので
細心の注意をもってやりましょう
とりだした脳みそは
特別の容器に入れて
コレハぷりんニアラズ
とでも書いておいて
冷蔵庫に入れておきます

そしてからっぽの頭のまま
裏庭に咲いた
小さな白バラに愛にいきます
日陰に置かれた小さな鉢に
植えられた細いバラの木
去年は花をつけなかったけれど
今年は小さいけれど美しい花を
一つだけ咲かせたんですよ

白バラの前に立ったら
ドキドキする心を落ち着けて
からっぽの頭の中を
(あなたが好き)
という気持ちで
いっぱいにしましょう
濃いミルクのような光が
頭にも胸にもおなかにも満ち満ちて
ほほ笑みが 熟した種のように
ぱちぱち弾けるような
幸せな気持ち そのものに
なっていくのです

そうして
しずかに 歌うのです
大きな声でなくてもいいの
ただ
真実以外の なにものも
ことばには 混じらないように

 うつくしい方 うつくしい方
 ちいさな白いバラよ
 かみさまが あなたに
 あなたの ものがたりに
 たくさんの おめぐみを
 そそいでくれますように

そうすると……

ホラ!!

風だと思う?
風のせいだと思う?

ちがう ちがうよ
バラは
うれしかったんだ
うれしかったんだよ……



(2002年ごろ、種野思束詩集「種まく人」より)





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アップル・ミント

2015-12-10 03:33:06 | 月夜の考古学・本館
 アップル・ミント Apple mint

シソ科ハッカ属の多年草。顔を近づけると、リンゴに似た甘い芳香を感じます。喫茶店などでアイスクリームを頼むと、よくてっぺんにアップルミントの葉っぱが飾られてます。香りもさながら、見るだけでも清涼感をくれる、美しい植物です。
 さてこの詩は、夫と一緒にあるお宅のエアコン掃除に行った時に、思い浮かびました。夫がお客様の家に見積もりに行っている間、私は外で、アップルミントが植えてある花壇の側にしゃがみこみ、しばらく草と話をしていたのです。
 あのアップルミントの茂みの中には、きっと目に見えない美しい魂が潜んでいたに違いありません。その甘くすがすがしい香りの中にいると、胸の中のもやもやがはれて、お日さまが照るように、素直な本当の自分の言葉が出てくるのです。
 長年夫婦をやっていると、いろいろなことがあります。記憶のガラクタの中を探れば、時々ムカデのような心の傷がうごめき出してきて、それがうずくようにささやくこともあるんです。(あのとき、あんなことを言ったよね。あんな仕打ちをしたよね。どれだけ傷ついたか、あなたにも思い知らせてやりたい……)ってね。でも、不思議に、本人を目の前にすると、言えない。
 なぜかなあ。けっこうひどいことを言われてきたから、一度くらいやりかえしてもいいはずなのに、できない。言おうとすると、胸の中で、だれかが急ブレーキをかけて、ダメ!ってとめられるような気がする。そのだれかに逆らう気になれない。逆らったら、自分の本当に大事なものを失うような気がするのです。(言えば言ったで、またケンカになるから、面倒くさいってこともありますが。)
 でも、ミントの茂みの側で、夫を待っているうちに、なんとなく、風に溶け込んだ清涼感が、古くなったニスを取り去るように、わたしの心の古い濁りを取り去ってくれたような気がしました。そして、もやもやの向こうに隠れていた。お互いの本当の姿が、くっきりと見えてきたのです。
 一緒にいるってことの幸せが、ふとリアルに迫ってきました。一人じゃなくて、だれかと共に生きるってこと。誰よりも近い所から、瞳をのぞきあえる、息づかいを感じられるってことが、何にも変えがたい幸せなのだと気付いたのです。
 日々の暮らしの中で心の中に重いものを持ってしまったら、ミントの側にいくこと。これはおすすめです。



(2004年8月、花詩集15号)





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神さま

2015-11-25 03:13:34 | 月夜の考古学・本館

神さま おしえてください
とおいところで
ちいさな子が泣いている
とてもとおくて
声も手も とどかない
そんなときは
どうすればいいですか

神さまは おっしゃいます
ためいきをつくまえに
目を閉じて 心の中に
青い真珠をつくりなさい
胸の底の悲しみの池に
手を濡らして
くるしいくるしいその子の
心に届けと言って
神のむねに投げなさい
きっとわたしが 届けてあげよう

なにもかも 心配ないから
みんな愛しているからと

きっと届けてあげよう



(年度不明。封筒に書いてあった走り書き)





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