世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

デュ・バリー伯爵夫人の肖像

2016-08-31 04:18:14 | 霧の風景


ジャン・バティスト・グルーズ、18世紀フランス、ロココ、新古典主義。

これはマリー・アントワネットよりも哀れな女である。自分より良いものになりたいがために、人から盗んだ美貌を武器にしてたくさんの男と寝、あらゆるあがきをし、フランス王ルイ15世の公妾にまでなったが、最後は断頭台の露と消えた。デュ・バリーの肖像画と言えばヴィジェ・ルブランのものが知られているが、女流が描いたその絵は美的に描きすぎている。男が描いたこの絵のほうが、女の正体をえぐるように見せている。退廃的で自堕落な瞳の奥に、権勢と我欲の泥沼に溺れて腐った人間の心が見える。崩れ果てた人間の姿というものだ。女が腐るとこんなものになるという例である。






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デイヴィッド・ヒュームの肖像

2016-08-30 04:20:32 | 霧の風景


アラン・ラムジー、18世紀スコットランド、ロココ。

これはスコットランド出身の哲学者の肖像である。かなりあくの強い顔をしている。自分が賢いということに酔うているようだ。ここでは偽物の人間の心理というものを追いかける。偽物の人間というのは、傲慢に陥りやすい。それは、外面の形成に比して、内面が勉強不足である場合が多いからだ。偽物は他人から盗んできた自分の顔を見て、自分が一足飛びに良いものになったと喜び、それを鼻にかけて傲慢に陥るのである。そして程度の低いことを大威張りでやり、周囲に大きな迷惑をかけるというやつが多い。自分本来の顔ならば、こういう傲慢には陥りにくい。自分の勉強の段階にふさわしい顔になり、それなりの控えめなことをするからだ。
ヒュームは偽物の学者だ。それなりの業績を残しているが、それらはすべて自分でやったものではない。バックの霊界にいるものが、様々な操作をして何とかしたのだ。本人の仕事なら、こんな自慢げな顔になるはずがない。
自分でやったことではないから、こういう馬鹿面になるのである。






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大きな森

2016-08-29 04:31:27 | 霧の風景


マックス・エルンスト、20世紀ドイツ、ダダ、シュルレアリスム。

これは自然界の凍結である。森は人間を拒否するという意思表明である。もう無条件に与えることはしない。欲しければ愛を支払いなさい。何も盗んではならない。勝手に持っていけば、それは大きな罪となって人間にのしかかるだろう。画家は森に恐怖を感じていたのかもしれない。それは森が、自分の罪を知っているからだ。エルンストは盗みで作った嘘の画家だった。その真実に対する拒否反応が、どこかに働いたのであろう。






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アダム

2016-08-28 04:15:05 | 霧の風景


ルーカス・クラナハ(父)、16世紀ドイツ、北方ルネサンス。

これが原罪の真犯人だ。林檎を持って涼しい顔をしているがね、蛇をけしかけてイヴをそそのかし、悪いことをさせたのはこいつだ。今まで何度も言ってきたことだが、ここではっきりさせておこう。男はそういうことをしたのだよ。女をもっと簡単に手に入れるために、裏から操作して女に馬鹿なことをさせ、女を馬鹿にしてしまったのだ。そのほうが簡単にセックスができるからだ。これが人間の最も卑劣な罪だ。男が女を罠にはめて、セックスを無理強いしたのである。






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マーティン・ルーサー・キング

2016-08-27 04:16:29 | 霧の風景


ベン・シャーン、20世紀アメリカ、社会写実主義。

天使の肖像画を見つけた。彼は誠実そのものという天使である。黒人の運命のために人生を賭して戦った。その人格は際立って美しい。常に上を見て行動し発言する彼の姿が、力強く描かれている。画家の目にはこのように彼が見えていたのだろう。これを見れば人間の心は高揚する。天使の姿を描くということはよいことである。






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聖バルバラ

2016-08-26 04:14:37 | 霧の風景


ヤン・ファン・エイク、15世紀ネーデルラント、北方ルネサンス。

聖バルバラは塔に閉じ込められた処女だ。永遠に出てくるなと呪いをかけられた。なぜなら美しい彼女が外に出てくれば、外の世界にいる偽物の美女の正体がばれるからだ。本物の美女は永遠に出てきてはならない。なぜなら美女が馬鹿でなければ、男は悪いことができないからだ。だが美女は塔の中で勉強をしているうちに、天使の翼が生えてきた。そしてその翼で塔を出て、草原に降り立った。その美しさを見た地上の人間たちは驚き、一斉に彼女を殺そうとした。あまりにも美しく、良いことばかりをする女が一人いるだけで、人間の世界はすべて駄目になってしまうからだ。だがどんな人間の攻撃も、彼女を殺すことはできなかった。彼女は神の前に正しい美しさを全うして死んだ。ただそれだけで、世界中の女が駄目になり、男が駄目になった。
人間はやっとわかったのだ。すべては女を嘘にしてしまったから、できていたことなのだと。






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猫の習作

2016-08-25 04:17:05 | 霧の風景


シュザンヌ・ヴァラドン、20世紀フランス、後期印象派、女流。

休憩だ。猫でも見よう。
猫をうまく描ける画家は少ない。形は美しく描くことはできても、目を描くことができないのだ。人間は、人間を描くことはかなりできるが、猫やほかの動物を描くことは、非常に難しいのだよ。彼らはまったく別の存在だからだ。だがこの絵はかなり見ることができる。たぶん画家の愛猫なのだろう。モデルを愛しているということが絵をよく見せている。人間は猫を愛している。猫も人間を愛してくれる。その愛は人間の生きる苦しみを和らげてくれる。猫がいるというだけで、生きていけるという人間すらいる。
そんな猫への愛を描いたこの絵は、形のとらえ方も色あいもよい。画家の鋭い感覚を感じさせる絵である。この才能に生涯主婦だけをやらせてしまったら、男の罪が大きくなるよ。






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洗濯女

2016-08-24 04:12:18 | 霧の風景


アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック、19世紀フランス、後期印象派。

この絵のモデルはシュザンヌ・ヴァラドンである。気の強そうな性格がポーズに出ている。洗濯などやらされるのは嫌だと言っているようだ。ヴァラドンは後に画家としても成功した。私生児として生んだ子供も画家として成功した。かなりの才と力がある女性だったのだ。だが女というものは、必ず男の言いつけを守って洗濯などもしなければならない。それはときに女性を苦しめる。自分はもっと高いことができるのに、男はそれをなかなかさせてくれないのだ。このように、女性を家事労働に閉じ込めてきたツケは、いつか必ず男に返ってゆく。男もまた、自分の力を認められず、家事労働に専念しなければならないという苦しみを味わわねばならないのだ。自分にして欲しくないことはやってはならないということを、男はまた思い知ることだろう。






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影の中に座る原始人

2016-08-23 04:17:49 | 霧の風景


オディロン・ルドン、19世紀フランス、象徴主義。

これが人間の弱い心の正体である。まだ未熟な弱い心が影に隠れている。人間世界を馬鹿にして、外に出ようとしないので、まだ何も勉強できていない。外にいる者たちはいろんな経験を積んで上に進んでいくが、まだ自分は原始的段階なのだ。その自分が恥ずかしくてまた外に出られない。こういう寂しい原始人が、人間の馬鹿の正体なのである。






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アテネのタイモン

2016-08-22 04:14:14 | 霧の風景


トマ・クチュール、19世紀フランス、アカデミズム。

シェイクスピアの戯曲をテーマとした絵である。裕福なタイモンは友人たちに豪勢に金を振りまいていた。太っ腹な彼のふるまいを期待した人間が、たくさん彼の周りに集まってきた。だが、彼が財産を失い負債者となってみると、誰も彼を助けるものはいなかった。そういう仕打ちを受けたタイモンは、やがて友人たちとアテネに憎悪の言葉を浴びせ、ついには人類そのものに憎悪をぶつけて、人間社会を去り、城外の洞窟に逃れて一人住むようになる。どんな人間の愛情も友情も、彼の心を戻すことはできなかった。タイモンはやがて人間社会に背を向けたまま孤独に死ぬ。
人間は、人間の世界で一度つらい目に会うと、もう二度とあんな思いはいやだと言って人間を馬鹿にする。そのままなかなか帰ってこない。人間が本当に人間らしく生きるためには、愛の世界に戻ってこなくてはならないのだが、馬鹿は一度味わった苦しみを忘れられずに、なかなか心を戻すことができないのだ。痛みを味わうのがいやなばかりに、永遠の痛みに落ちて行く。それがタイモンの道だ。その先には何もない。憎悪とは所詮激しい愛への渇望だからだ。それは、愛に背を向け続けている限り、永遠に愛を得られないという、どん詰まりの洞窟なのである。






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