友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

来年も咲いてくれ、ヒガンバナ

2017年09月21日 17時31分13秒 | Weblog

  天皇、皇后両陛下は20日、埼玉県日高市の高麗(こま)神社を参拝された。毎年行っている私的旅行で、同市にある500万本といわれるヒガンバナの群生地巾着田曼珠沙華公園も訪れた」と毎日新聞が報じていた。高麗といえば朝鮮半島の国、その子孫を祀った神社である。日本の皇室そのものが、というか、日本の国を形成した支配層は朝鮮半島からの渡来者と言われているのだから、当然、日本と朝鮮は深くつながっている。

 埼玉県にもヒガンバナの群生地があったと初めて知った。最近、テレビとか雑誌でヒガンバナの群生地の見ることがあるが、「死人花」とか言われて嫌われてきた花がやっと世間に受け入れられるようになった。群生で咲くヒガンバナはとても美しい。地獄というよりも天国の趣がある。場所は言えないが、写真のように川面との組み合わせは実に穏やかで美しい。花そのものも妖艶で心惹かれる。

 「彼岸」の頃に、必ず花を咲かせるのに、「律儀な愛」の姿が連想されないのもきっと、その妖艶さのためだろう。美しすぎる女性は敬遠されるが、妖艶な女性を男たちは放っておかないのに。明るくってお茶目で愛想のいい女性を「ヒマワリ」みたいと言うが、「ヒガンバナ」みたいとは誰も言わない。色気のある女性を「ヒガンバナのよう」と褒めても、「私は女郎ではありません」と怒り出すだろう。

 天皇、皇后両陛下は、安倍首相が国連に出かけていたから高麗神社を参拝できたのだろうか。両陛下は戦争のない世界をお望みなのに、「北朝鮮には会話ではなく圧力を」と安倍首相は国連で演説していた。「圧力」の行き着く先が「不慮の事故」であったら、もう取り返しはつかない。「事故」に留まらまらずに「戦争」へ転がってしまう。ヒガンバナは何事もなければ必ず来年も咲く。絶えさせてはならない。

 

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