友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

2学期が始まった

2017年09月03日 18時04分55秒 | Weblog

 2学期が始まったのは1日。今日は3日で日曜日だから、始業式が行われただけでまだ授業は始まっていない。夏休みの宿題も、始業式に提出できなくても、「忘れました」と言ってこの3日間でやることもできる。小2の孫娘はかなり早い段階で、「宿題終わったよ」と言っていたし、「絵日記のため」に家族で大阪のユニバーサルスタジオへ出かけたようだが、どんな絵日記を仕上げたのだろう。

 長女はカミさんにラインで、「学校大好き、友達大好き、元気そのもの」と孫娘の様子を伝えてきている。学校が大好きなのは長女ゆずりだ。誰とでもすぐ仲良しになるところも長女と似ている。長女は仲間外れになりそうな子の面倒をみたり、おせっかいなほどの世話焼きは昔も今も変わらない。子どもの頃から成長していない私と違い、社会的な地位にある大人としての自覚を強く持っている。

 私たちの子どもの頃は、戦争直後の復興へと向かっていた時代で、新しい価値観と戦前の価値観とが入り乱れていた。教師の中にも「予科練崩れ」を自称していた人もいたし、新しい教育に情熱を燃やす人もいた。景気がよくなっていくように見えたが、同時にストライキも行われていた。私の家の南にトヨタの重役の家があり、ある日、道路が赤旗を掲げ、労働歌を歌う大勢の人たちに占拠された。私が初めてストライキを見た時だった。

 大学に入っても、私の在校中は1度もストライキはなかった。民青の人たちが自治会の役員を続けていたが、2年の時、反民青で執行部を占めたことがある。役員だった私は「全校ストライキを」のチラシを作ったが実現しなかった。大学4年の時は1年近く東京で働いていたが、大学封鎖のようなストライキはなかった。大学の前には大きな看板が置かれていたが、激しいのは言葉だけだった。

 私は小学校の時に1度、登校できなかったが、中学、高校と自分の活躍の場が広がり、朝早くから登校するくらい学校が好きになっていた。小2の孫娘はこれから一回りも二回りも大きくなっていくだろう。「人に優しく」なってくれれば何も言うことはない。

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