常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

五月尽

2020年05月31日 | 日記
今日は5月最後の日。サヤエンドウが収穫の最盛期を迎えている。「サクランボが色づき始めると、エンドウは終わりだよ」と妻が言った。季節の野菜を長年見て、買っていた妻の言葉には納得させるものがある。山では緑が深まり、ヒメサユリの花盛りだ。気温が上がって季節が進むと、身の周りの全てのものが、すっかりと変わってしまう。蚊が出てきそうな気がして、寝室に蚊取り線香を準備した。

街行きて独活なつかしむ五月尽 加藤楸邨

真室川に独活を採りに行かなくなって10年ほどが経つ。沢中に萌え出る独活を見るだけで楽しかった。大きなリュックに入り切らないほど採ってきた。確かに独活の香り、ほろ苦さは、春を代表する味だ。しかし、ほどほどにあればよいので、それほどたくさん採ったところで、知人に分けるぐらいで、山菜汁を楽しんだあとは冷蔵庫で眠っていた。今年は、知人から2度ほどお裾分けをいただいた。生のままで味噌をつけて食べると、酒のつまみに最適だ。そんな楽しみも、思い出も5月とともに去って行く。

コロナ禍のなかで注目されたものに、ズームがある。在宅で仕事をこなしたり、学校の授業もオンラインでするためのアプリだ。パソコンでズームをダウンロードすると、すぐ個人ミーティングのページが開く。ここへ知人を招待して、会議や打ち合わせ、井戸端会議もできる。とりあえず、遠くに住む娘を招待してみた。分かったことは、持っているスマホの機種によっては、繋がらないないことだ。ラインのグループビデオの方が簡単に使えることが分かった。やはりスマホよりは、パソコン、タブレットの方が通信性能がいい。6月からは、新しい通信にチャレンジして、新しい生活様式を探ることにしたい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芍薬

2020年05月30日 | 
毎日のウォーキングに目の覚めるような花を見られるのは、この季節ならではのことである。芍薬、この花にも子どものころの思い出がつきまとう。我が家の貧弱な花壇の女王は夏の芍薬、秋のダリアであった。この花が咲くと、姉たちは切り花にして台所に飾った。思えば、花を飾るようなスペースなどない家であった。だが、この花があるだけで、室内はパッと明るくなった。

芍薬に紙魚うち払う窓の前 蕪村

芍薬甘草湯は足吊りの薬として医者から処方されている。山登りの仲間にもこの薬の世話になっている人も多い。芍薬の根には、薬用としての成分が含まれていて、名に薬がついているのも頷かれる。中国では根を煎じて飲み、強精剤として利用したらしい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日の移ろい

2020年05月29日 | 日記
長くブログを書いていると、え、今日は書くことがないなと思う日がある。だが、何かを書かねばという義務感のようなものにとらわれる。特に、誰かに書くことを約束しているわけでもない。書かないで、その日を過ごせばいいだけのことである。そんなとき、本棚の本を手に取って、何か書くことに参考になるもは無いかと、無意識のうちに探していることもある。

島尾敏雄に『日の移ろい』という日記形式の、小説がある。島尾はこの小説には、事件を書こうとはせず、登場人物も「私」のほかに「妻」と二人の子どもと一少女に限った。主人公は鬱自身ででもあったろうか、と後書きで述べている。病後の鬱状態のなかで、日常に起きるできごととその時の心のなかを書いている。

「妻のことばづかいが急にていねいになった。わざとらしいからなんだかそぐわない。あなたのところに来てあなたがくだけたことばづかいをしろとおっしゃるからそれを拳々服膺して来ましたら、こんなにきたないことばづかいになってしまいました。なかば本気でそう言うものだからおかしみが先にでてしまう。」

自分が書くブログも島尾のような書く姿勢が必要であるようにも思える。昨日、近所にできた歯科に受診した。コロナで家からあまり出ないようにしていたので、ツメモノが外れてしまって、3ヶ月もそのままにしていた。最近、その部分にアイスなどを食べると沁みたり、食べたものが挟まってしまうので気になっていた。案の定、そこの部分が大きな虫歯になっていた。口の中をじっくりと診てもらったら、3ヶ月も歯科から遠ざかっていたのは、大変まずいことであった。歯周病も進行中であるという。歯には年齢の割には丈夫だと自信のようなものを持っていたが、30分ほどの受診でその自信は見事に崩された。これから少し長く通院して、悪いところを治療し、今ある歯の現状維持に努力しなければならない。
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シロツメクサ

2020年05月28日 | 日記
よく行く散策路に親水公園というものがある。これは国交省が始めた事業で、街に流れる小さな川を埋め立て土管で流し、公園のなかに土管で流れる水を、コンクリートでデザインされた水路に流して、その脇に花や木を植えて水に親しみながら、散策を楽しいものしようとする新しい形式の公園である。近所にある大坊川親水公園はさ2㌔ほどのかっての川の形をしたもので、サラサラという水の音が聞こえ、四季の花が咲き、ムクドリなどが餌を探しにやってくる。何より、家族づれの人が数人来るていどなので、ウォーキングにはもってこい環境である。ただ、犬を連れた人が以外に多く、見なれない大きな犬に会うと少し怖い。

この公園は上り詰めると、国道13号に行きあたりそこで終わりになっている。そこには桜の木やマンサクの木があるが、木のしたにシロツメクサが植えられている。いま時期は丁度花が咲いて、何とも懐かしい光景が広がっている。私が生れた北海道では酪農家も多く、その飼料とするためにクローバー畑があった。ムラサキツメクサもシロツメクサもあった。子どものころ四つ葉のクローバーを見つけると、運が開けるという話があって、子どもたちは夢中で探したものだ。女の子たちは花を集めて、花冠やネックレスを作って遊んでいた。

クローバーの野やうきうきと衣の裾 柴田白葉女

親水公園は、少し勾配があり、道は川の形に曲がっていたりする。車も通らないので、夕方の散歩にちょうどいい。勢能先生のインターバル速歩も、2往復ぐらいで十分に可能だ。山の仲間で一万歩を歩く人が私を含めて3人いる。昨日会ったSさんも3月の筑波山以来、ずっと継続中であるという。万歩計で1万歩になるまで、家に帰らないと話していた。足の筋肉を鍛えることで成人病を予防することができる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青嵐

2020年05月27日 | 日記
ここのところ不安定な天候が続いている。真夏のような暑さから一転3月のような寒さ、雷、突風。夕焼けの空も、それを裏付けるように異様な赤と黒い雲である。今日は午後になって強めの風が吹いている。梅雨入りの前に吹く風には色々は種類がある。青嵐、薫風、あいの風、やませなど、今はあまり使われない懐かしい名である。

青嵐は、青葉のころに吹く清爽な風ではあるが、嵐がつくのでやや強い風である。英語にメイストームというのがあるが、今日の風はこの名がふさわしいような気がする。昭和29年5月10日、北海道を通過した低気圧で強風が吹き、153隻の漁船が海難に逢い、死者・行方不明402名という惨事が起きた。5月にはそれほど強い風というイメージはないが、低気圧の発達によっては決して油断してはならないことをこの惨事は示している。

この低気圧が通過してしまうと、その後を追うように寒気を伴う高気圧が張り出してくる。リラ冷えや新緑寒波と呼ばれるもので、時ならぬ寒さに驚く。今年の5月は、こんな気候のくりかえしている。

青嵐吹きぬけ思ひくいつがえる 加藤楸邨
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする