常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

海を見る

2021年02月28日 | 登山
コロナ禍の生活が始まって1年以上が過ぎた。この先の見えないパンデミックは社会の隅々に、暗い影を落としている。なかでも一人暮らしの老人や、持病を抱えた人には、コロナへの恐怖や不安が増している。病院や老人施設で療養されている人々の不安は想像をこえたものがあるに違いない。こんな中で、イギリスで孤独担当大臣が設けられて話題になっている。

時代は遡るが、江戸の文化文政のころ老中田沼意次の時代があった。江戸では商人の財力が増え、贈賄がまかり通る奔放な時代である。滑稽本、狂歌、黄表紙など人々の笑いをとる文化が勢いを増した。一方で、農村に飢饉、街で大火、疫病、浅間山の大噴火など大きな災害が頻発した時代でもある。

世の中は色と酒とが敵なりどうぞ敵にめぐり会ひたい 蜀山人

こんな時代には、ことのほか「笑い」が重要である。笑いは人々の憂いを払い、悩みを吹き飛ばしてくれる。笑いがあれば、涙も止まり、悲嘆は勇気へと変えられていく。余裕が生まれ、悩みは杞憂に過ぎないものに思えてくる。コロナ禍の時代は、この江戸の文化文政の時代に匹敵する激動の時代だ。都会では孤独死が増え、松将来を悲観した若い世代の自殺者が増えている。テレビはどのチャンネルでもお笑い芸人のオンパレードである。

昨日、仲間と連れ立って遠刈田の青麻山に登った。凍てつく山道であったが、急坂を汗をかきながら登って見たもの、里山の先の集落と青い空と重なる青い海の地平線であった。登りながら交わす、仲間とのとりとめのない会話には、絶えず笑いが含まれている。この開放的な景色こそ、心の憂さを払ってくれる宝物である。

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白鷹山

2021年02月25日 | 登山
白鷹山の山頂に来ていつも感じるのは、虚空蔵菩薩を祀る神社のどっしりとした存在感である。途中の急坂を登ってきた疲れも、すぐに発散される。古びた木造の変哲もない建物であるが、何故か登頂してくる人の心を打つ。虚空蔵とは、無限の知恵と慈悲を持つ菩薩ということで、米沢藩の上杉鷹山が、この菩薩に厚い信仰を寄せ、寄進を行った神社である。思えば、鷹山公は、藩の中興の祖と言われ、養蚕などを興し、産地の開拓や藩の暮らし全般の見直しを行った。新芽を食べるウコギを生垣と植えることを推奨し、城下の堀では鯉を飼って、鯉の甘煮がこの地方の特産品ともなった。養蚕はやがて絹糸となり、米織もまた地域の経済を支える産物となった。虚空蔵菩薩の持つ無限の知恵は、鷹山を初めとする置賜の人々の魂の拠りどころと言ってよい。

登山口は自然少年の家に向かう大平口。ここの平地を過ぎて高圧線の鉄塔へ向かう。急なジグザクの道を鉄塔で一息つく。その上の尾根道は、時折り急坂が現れる。融け始めて、寒気で氷った雪の上に、昨日の新雪が20㌢ほど積っている。トレースは新雪で覆われいるが、ここがコースであることは、GPSで確認することなく分かる。アイゼンを履いただけで、カンジキを必要としない易しい雪道だ。やがてどっしりとした、ブナの大木が目前に現れる。自由に枝を広げ、他の木々を寄せ付けない。威風堂々とした古木である。看板に「大鷹ぶな」と掲げられている。ルビは「だいよう」とふられている。鷹山公の一字を貰って名付けられたか、新緑の季節の葉で覆われた姿を想像しただけでも、その大木はさらにその荘厳さは見事なものであることが分かる。
9時過ぎに登山口出て、ここまで約1時間。時折り雲が広がるものの、青空と陽ざしがいっぱいの絶好のコンディションである。
ブナ林を透かすようにして、頂上の杉木立が見えてきた。ここまで、見かけた人は下って来た単独行の男性が一人だけ。本日、行をともにしたメンバーは10名、内男性3名である。計画では先週であったが、悪天候でこの日に延期された。結果、この恵まれた雪景色は、いよいよ最後を飾るものなっていく。外輪の形状をなしている尾根道を行くと、最後の急登が見えてきた。
この写真から山頂の杉の大きさがわかる。山形市内からも、遠目に山頂の杉が確認できるが、山頂へ来てその大きさに圧倒される。枝打ちした杉を見なれていると、杉本来の樹形を忘れてしまう。かくもどっしりとして、山頂の虚空蔵尊を守っていると思うと、杉への愛着の念さえわき上がってくる。昼食は、神社の板敷きの上に腰かけさてもらって、デスタンスをとりながらとることになった。8名ほどの女性グループが、避難小屋の前に登ってきた。やはり、日に焼けた顔は、いかにも登山愛好家らしい雰囲気を漂わせている。

昼食が終わって早々に下山。いつも思うことだが、こんな急な坂を登ってきたのか。視線が先へ、遥か下の谷筋へと広がることによって、高所の恐怖をおぼえるのか。足をひっかけないように注意して下る。しかし、所要時間は半分以下だ。尾根に冷たい風が吹いてきた。青空とはおいえ、北風の厳しさを時間する。車を停めた駐車場まで、まっすぐに下る。ほぼ1時間少しで下山。全員が無事に帰還。すばらしい雪景色を堪能した一日であった。

峰越越えて雲はしきりに飛びゆけど
中空にしてあとかたもなし 結城哀草果
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山里の春

2021年02月23日 | 登山
山形の画家、原田敬造さんが亡くなって25年が経つ。知り合いで画家は少なく、親しくしてもらった人は、唯一原田さんであった。南一番町のアパートを借りて、制作に打ち込みむ傍ら、若い画学生の指導にもあたっていた。わが家の長女も絵を描くのが好きであったので、ここへ通って、デッサンの基本を教わっていた。亡くなられた年に、奥さんが生前に描いた絵を一冊の画集にされた。その時買ったものが、いまも書棚にある。

画集を開いてみると、ふるさとの自然や静物がテーマに選ばれたものが多い。中で目をひくのが、猫を描いた絵だ。題名に「安全地帯」と記されている。原田さんは、生前猫を可愛がっていたらしい。路上で車の被害にあった猫を見るのがいたたまれないらしく、画題の脇に「飛び出し注意と言ったって猫には通じない。なるべく道路には出ないように、安全地帯で行きて欲しい。」と画家の言葉が添えられている。外出の時は欠かさないベレー帽、太ぶち眼鏡が、いかにも画家のイメージをかもし出す優しい人柄であった。

画集の写真をオフィスレンズで撮った。このアプリは優れもので、油絵の質感がよく出ている。そういえば、原田さんの奥さんやその弟さんとも久しく会っていない。お互い生きていながら、年を重ねると少しづつ疎遠になっていく。画集を眺めながら、久しぶりで、会社勤めのころに思いを馳せた。

春の陽気から一転して、冬の寒さ。昨日より、気温さが10℃もある。妻の回復は、少しずつ薄皮がはがれていくように、手術前を取り戻している。気温の変化で風邪などひかないように注意。せめて室内は、温度を一定に保ちながら。
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春めく

2021年02月22日 | 日記
今日、気温が15℃まで上がった。午後からは、春の陽ざしが部屋いっぱいに入ってきた。逡巡していた春が、その歩みを速めている。散歩の道も乾いてすっかり歩きやすくなった。妻の回復と歩調を合わせるように、日常が戻りつつある。本のページも開く時間ができてきた。塩野七生のエッセイ『男たちへ』の辛辣な言葉に力がもらえる。

例えば、「男が上手に年をとるために」では、その戦術として、「優しくあること」をあげている。自分の可能性を信じている若者は、優しい筈はない。そんな若者は高慢で不遜であることが似つかわしいと述べ、人間には不可能なことがあると分かった年になって初めて自然に優しくなれるという。手術した妻に向きあっているいま、この言葉が痛いほど胸を打つ。人間が成熟するとは、こんな状態であるのであろう。

「不幸な男」の項では、原則や完璧であるこにとらわれいることをその原因にあげている。「原則に忠実に、理屈にさえ合っていれば自分の行為は正しく、それを変える必要を認めない男」、そんな男に不幸がおとずれる。対人関係において原則はさておいて、相手の気持ち慮ることを忘れてはならない、と説いている。

陽ざしが入りこんできた部屋にいて、こんな本を読む時間を持てることは、人生の幸せである。人生の時間は有限である。今の時間をいかに有効に使うか、それが今に自分に問われている。

手を洗いひをへて思ひぬ春めくと 相馬黄枝
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イワシ

2021年02月21日 | 日記
屋根の雪がなくなり、辺りは霞がたちこめ、春らしい朝の景色が広がっている。この春、なにかとイワシのニュースが報じられる。三宅島の海岸の砂浜に、600mもの幅で大量のイワシが打ち上げられた。このところ福島沖付近で、10年前の東日本大震災の余震とみられる地震が頻発しているが、海の変化で、イワシの群れが異常行動を起こしたものらしい。2月10日ごろには、愛知県の知多の豊浜海岸で、時ならイワシの大群が押し寄せ、これを釣ろうと、釣り人がおしかけた。小一時間で、600尾ものマイワシを釣りあげた人もあった。

わが家では、ほぼ毎朝、イワシの丸干し、メザシを食べる。最近は冷凍技術が進んで、生干しを冷凍して箱入りで市販している。以前のメザシのような塩気でなく、薄塩で美味だ。イワシには、オメガ3が豊富に含まれている。肉などの脂肪酸の濃度を薄める効果があり、成人病を癒す食材として取り入れている。さらによいことは、魚には精神エネルギーを増やし、やる気を起こしてくれる。

独り焼く目刺や切に打返し 篠原温亭

この句の時代は炭火に網をのせて焼いたであろう。孤独な老人の生きざまが伝わってくる。わが家では、ガスコンロのグリルで焼くが、少し目を離せば焼けすぎてしまう。焼け色を見ながら、こまめに魚を返す作業は、作者と同じだ。

イワシは日本人に親しまれた魚だが、この魚ほど豊漁と不漁の歴史をくりかえしてきた魚も珍しい。明治時代は20万トンから30万トンの漁獲量で低調であったが、大正から昭和になると増加に転じ、昭和7年には170万トンも大豊漁のピークを迎える。日本人が元気旺盛であった時代と、イワシの漁獲量は微妙に同じ曲線を描いているように見えなくもない。不漁が言われて久しいが、この春の大量のイワシの接岸は、豊漁時代へと転換していく兆しであろうか。
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