常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

四月尽

2020年04月30日 | 日記
四月尽という語には行く春を惜しむ気分がこもっている。しかし今年の春は、行くのが惜しいような春の気分ではない。花たちは、人の世界とは無関係に咲いて、散っていくが、コロナのせいで花に浸っている間もなく過ぎていく。少しさびしい気がする。畑のそばのリンゴ畑でリンゴの花が咲いた。

四月逝く百花騒然たる中に 相馬 遷子

遷子の句も、百花にかわってコロナを入れたいような気がする。ホームセンターでは、畑に植える野菜苗が出そろった。八十八夜の別れ霜ももうすぐ。畑で過ごす時間もながくなる。

ウォーキングによる体力の向上だが、スマートウォッチの心拍数で色んなことが分かってきた。運動強度の問題である。千歳山は460mほどの小さな里山だが、運動強度は3から4ほどをマークする。体力の向上に大きな効果が期待できる。一方、悠創の丘へのウォーキングでは、通常の歩き方では2台の強度で、体力は維持程度である。ところが、インターバル速歩を取り入れてからは、強度は3ほどに上がった。最大酸素摂取量は34㎖まで上がってきた。これは60歳代の体力ではやや良のレベルである。スマートウォッチの数字に一喜一憂するわけではないが励みになっている。2月から始めたウォーキングの総歩数が100万歩に今日到達する予定だ。
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新緑

2020年04月29日 | 登山
一週間ぶりに千歳山に行った。目に飛び込んできたのは、鮮やかな新緑だ。所々に、ヤマツツジが咲いている。ヤマザクラは散り、季節は足踏みをすることなく移ろいを見せている。山道を歩く人も少なく、小学生を連れた若い人と時折り行違う。山仲間一人と懐かしい顔を合わせ、しばし近況の話をかわした。

目には青葉山ほととぎす初鰹 芭蕉

視覚、聴覚、味覚と人間の五感に感じる初夏を詠んだ芭蕉の句だ。この季節の新緑は目にやさしく感じる。パソコンやスマホで酷使している目は、新緑を遠目に見ることで癒される。

詩吟の吟題に「青葉の笛」がある。平家の御曹司敦盛が秘蔵した笛である。弘法大師が唐に渡ったとき、青龍寺の竹を採って自ら作った笛と伝えられている。笛になってから不思議なことに青葉が生えてきたいう伝説がある。帰朝して、大師はこの笛を嵯峨天皇に献上した。天皇はこの笛に青葉の笛と名付けて珍重したが、後に平家に譲られ、敦盛が秘蔵することになった。

一の谷の合戦で、熊谷直実は沖に漂う敦盛を見つけたが、あまりの年少に助けようとしたが、敦盛はこれを断り海に散って行った。この時敦盛がこの笛を携えていた。
松口月城の漢詩も海上で吹かれた笛の音を詠み、この合戦の悲劇は明治の小学校唱歌にもなった。
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石楠花

2020年04月28日 | 日記
いつもの年であれば、高山で見る石楠花を散歩道のお宅の庭で見ている。高山ではもっと夏らしくなって、急坂を汗をぬぐって出会う花だ。息をきらして、足の疲れを感じながら、この花に癒されるのだが、散歩の途中で思いがけず出会うとうれしくなる。コロナの感染が始まったころは、山登りは関係なくできるものと思っていた。感染が広まるにつれ、山登りにも自粛の波が押し寄せている。八ヶ岳の山小屋も秋までの長期休業が発表された。コロナの終息が見えないなかで、山登りもできなくなったいる。

コロナでこれほど医療機関に疲弊が見えているいま、山での遭難や怪我などをして救急や医療の手をわずらわせることは厳に慎まないといけない。里山を静かに歩いて体力の維持するくらいがせいぜいであろう。ヤマップで提案していたが、自粛期間に山道具の手入れや洗濯にじっくり時間をかけて行うといいのかも知れない。日本中が仕事さへ十分にできないときに、自分の楽しみのことばかり思うのは、我ままというものだろう。山の本を読み、筋力アップの室内トレーニングなど考えればなすべきことはたくさんある。

石楠花やひゞきを異に滝ふたつ 橋本 冬樹
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診察日

2020年04月27日 | 日記
今日は月に一度の診察の日。血液の検査と投薬はずっと続けている。高血圧と血糖値、いわゆる成人病が、重くならないように診てもらっている。この地でもコロナの感染経路不明の陽性者が出て、かかりつけの医院でも院内感染の防止体制が敷かれていた。受付のカウンターには、透明のシート越しでやり取りができるようになっており、額のところで計る検温計で体温がチェックされる。風邪の症状の人は、診察時間で分けられていて、通常の診察者と重ならないようになっている。

先生、来る患者さんが感染した人かどうか分からないので、大変ですねとというと、「まあ、ここではキャバクラ以外は感染が出ていないからね」「先生、危ないところへ出入りしては駄目ですよ」「うんよく言われるけど、行っていないよ」と笑い話になった。こんな話題になるのは、まだ危険性を身近に感じる状態ではないということかも知れない。日ごろは来院の人は少ない医院だが、連休を前にして、新しい診察の体制のためか少し混んだ診察日であった。

医院の帰りに、ハナモモが咲いたのを見た。桜が散って、それを待っていたようにみごとに咲いた。中国から渡来したが、江戸時代に花を観賞するために品種改良が行われた。温暖地では桜より早く咲き、3月3日の桃の節句に飾られる花として珍重された。
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暮らしの彩り

2020年04月26日 | 日記
友人たちの顔を見なくなってしばらくの時間が経つ。ある人は庭に咲いた椿の枝を届けてくれた。玄関先に彩りがそえられて、暮らしがぱっと明るくなったような気がする。尾花沢の親戚から採れたての野菜が届く。さっと茹でただけで、春の香りが口中に広がる。ピンポンとドアのチャイムがなるので出て見ると、友人がケイキを焼いたので食べてと届けてくれる。国中で外出自粛という事態だが、近くで気を配ってくれる人たちに元気づけられる。

昨日、久しぶりの好天に畑仕事に出かける。一冬の雑草を取り除いて、畑の耕しが終了した。地主のご主人が耕運機で耕してくれる。この連休に行う、野菜の播種と苗を植える準備が整った。鍬やスコップを持った作業はかなり疲れる。足には筋肉がついているが、普段あまり使わない腕や手の筋肉が悲鳴をあげている。こんな時期だらからこそ、しっかりと野菜づくりに時間を使う。土をいじることで、心の安らぎが得られる。

買い物は自分の担当にし、ウォーキングをかねて徒歩ですませる。少し離れたびっくり市やモーズもスッカリ馴れて近く感じる。3分の速歩と3分のゆっくり歩き、つい最近始めたインターバル速歩が、歩く持久力を増やしてくれるのを実感している。2度ほど速歩でもう売り場についてしまう。店先にあるアルコールで手指の洗浄、支払いはカードやペイペイの電子決済。店内はあまり見て回らずに、必要なもの買うとすぐに店を出る。それにしても、週末はスーパーに来る人は多く感じる。

春惜しむ一日や土にまみれけり 島村 元
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