常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋の風

2020年08月25日 | 奥のほそ道
残暑は厳しいが、朝方は風が凛として、秋を思わせる。散歩の途次のコスモスは、こんな寒暖のなかで咲く本数を増やしていく。元禄2年の7月、芭蕉の奥の細道の旅は、金沢に至っている。この年の夏の暑さも、ことのほか厳しかったようだ。酒田から北陸への道中は、暑さに耐える旅であったとも言えそうだ。

あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風

芭蕉はこの句に前書きして「北海の磯づたひ、まさごはこがれて火のごとく、水は涌いて湯よりもあつし。旅懐心をいたましむ。秋の空いくかに成ぬともおぼえず」この旅の暑さは、今年の夏の終りに似ている気がする。

金沢で芭蕉を出迎えた門人の人たちの顔にも、残暑にやつれがあらわれていた。同じやつれで弱っていた芭蕉が、この挨拶の句で、やっと秋風が吹くと見舞ったと考えられる。


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紅花

2020年07月09日 | 奥のほそ道
雨あがりに戸外に出ると、終りに近づいている紅花が咲いていた。『おくのほそ道』
の旅で、尾花沢で芭蕉が出会った花である。牡丹とかユリ、華やかな花に比べると花より、この花から採れる紅粉や紅花油などの原料として見る。紅粉はこの花の部分を摘むので、末摘花とも呼ばれ、源氏物語にも登場する。

まゆはきを俤にして紅粉の花 芭蕉

まゆはきをかんじすると眉掃き。顔に白粉をつけたあとの眉をはらう刷毛のことで、その形が紅花を連想するところから、芭蕉のこんな句が生まれた。芭蕉は尾花沢で鈴木清風を訪ねているが、清風はこの地方特産の紅花を商う豪商であった。尾花沢で芭蕉が見たものは、蚕飼いであった。

芭蕉が尾花沢に着いたのは、元禄2年の5月17日(新暦では7月3日)である。清風宅に21日と23日に泊るが、その他の日は、近くにある養泉寺で、風通しがよく、北に開ける景色のよさで旅の疲れを癒すもてなしを受けた。尾花沢で10泊でその間、2つの歌仙の興行が行われ、「すずしさの巻」、「おきふしの巻」の2巻が残されている。
紅花や養蚕という収入の道があったため、俳諧をたしなむ俳人が多数いた。
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一年の計

2019年01月02日 | 奥のほそ道

朝方濃霧、日が高くなるにつれて青空が

広がった。元旦は雲が厚く、初日の出も

見ることができなかったが、今日になっ

て西の山々が朝日に輝いた。この年の門

出にふさわしい景観である。       

元日は田毎の日こそ恋しけれ 芭蕉    

芭蕉の元禄2年の歳旦吟である。前年の

姥捨の田毎の里で見た仲秋の名月は、こ

の地の棚田に美しく映し出されていた。

杜国を伴った更科紀行で、姥捨て伝説の

地で見た名月は、芭蕉の新しい句境を開

いた。耕地の少ない山地で、働けなくな

った老人を無駄喰いする者としてして山

に捨ててくる習俗は、この田毎の棚田の

里にも伝わっていた。姥捨山の上に出る

煌々と輝く月を見、ここに捨てられて独

り泣く詠んだ句は

俤やうばひとりなく月の友 芭蕉    

芭蕉の元禄2年の歳旦吟には、その年の

新しい旅の決意が秘められている。月に

替わって、自然の中で日の出も見たいと

の思いを吐露したものだが、旅に生きが

いを求め、古びゆく己の生命に新しい息

吹きをもたらすものと感じていた。新し

い旅、それは奥深い未知の地みちのく、

奥のほそ道の旅である。  

私にとっての一年の計は、今持っている

体力の維持であり、継続する中での発見

である。成すべきことを変えていくほど

に時間は残されていない。見過ごしてき

た価値を注意深く見つけ出す、そのこと

に新しい喜びを見つけていきたい。

 

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