常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

年越し

2022年12月30日 | 日記
家中のカレンダーを来年のものに代えた。机まわりにたまっていた不要な紙や本など片付ける。ゴミの袋に収納して、年明けにゴミステーションに出す。ベランダの硝子戸についた汚れを掃除。大掃除の真似事のようだが、身辺がすっきりした状態に年を越すのは気持ちがいい。年末に読んだ本、遠藤展子『父・藤沢周平との暮し』。この作家の日常生活が見えて、実に楽しい時間になった。

丸い卓袱台を囲む藤沢の朝食はほほ笑ましい。白いご飯に豆腐や野菜のみそ汁。納豆や生卵、そして漬物。自分が食べている食事と変わらない。一番の好物は、恐ろしいくらいしょっぱい塩鮭。ハタハタ。藤沢の子ども頃からの食生活は、生涯を通じてかわらなかったようだ。塩じゃけを好む風習は、こっちではまだまだ健在だ。親戚から、スイカや野菜を貰うので、お返しを考えた。色々聞いて見ると、このしょっぱい塩鮭が好物だという。魚の売り場をあたっても、なかなか思い通りのものがない。困ったときのネット。新潟は村上の塩鮭があった。親戚の小母さんも喜んでくれたらしい。

藤沢の晩年の闘病生活が書いてある。入院は東京・新宿の国立国際医療センターだ。自分の娘が入院して世話になった同じ病院だ。藤沢周平は大学時代、山形の学生寮で暮らしていたので親しみを覚えていたが、晩年の病院が新宿の国立であったことは何かの縁のようなものを感じる。病院で藤沢は、病院食を食べる場面がある。それを見ていた娘に言った藤沢の言葉。
「こんなに具合がわるいのに、必死になってご飯を食べているお父さんの姿を見て、おまえはいじましいと思うかもしれないけれど、それは違う。ご飯がたべられなくなったら、死んでしまうからね。だから一生懸命、食べているんだよ。」

年が明けると、どんな景色を見ることができるか。高齢になってからの景色は、見るだけでなくしっかりと目に焼きつけておかなければならない。一期一会、またこの次に見ようとしても見られない年代である。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数え日

2022年12月27日 | 日記
いよいよ年も押し詰まって来た。正月までの日を数えるのを、俳句の季語で数え日という。年賀状を送る習慣を卒業して5年ほどになるので、暮のストレスは随分なくなった。今年の暮は、知人から大根をたくさんいただいたので、好物のブリ大根やおろし納豆など楽しみが多い。今朝、妻の手伝いに大きな大根をおろした。手の力が弱ってきたのか、作業を終えるまでに腕が痛くなる。

数え日や磨れば香だちて陳生姜 飯田龍太

おろすには生姜などが手頃だ。この頃、新生姜がもてはやされいるなかで、陳(ひね)をわざわざ使っているのが面白い。新人じゃない、人生の労苦をくぐりぬけてきた老成の誇りのようなニュアンスである。カツオの刺身に、おろし生姜がうってつけだ。そこにはひねた生姜の香りと辛さの貫禄が似合う。

かっては、年末に祖先や知人の墓参りの習慣もあったらしい。芥川龍之介の「年末の一日」に友人と、夏目漱石の墓を詣でることが書いてある。墓に行く途中休み休み行く箱車を引く男がいた。墓に行く箱車と言えば、棺桶を引いたのであろう。芥川は、その箱車を後ろから押した。
「北風は長い坂の上から時々まっ直に吹き下して来た。墓地の樹木もその度にさあっと梢を鳴らした。僕はこう言う薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と闘うように一心に箱車を押しつづけて行った。」
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千歳山雪化粧

2022年12月26日 | 日記
降り続いた雪が上がって、青空が広がった朝、千歳山の雪景色が美しい。やっぱり、山形のランドマークは千歳山だと、改めて思う。ベランダから見えるのは西の山だが、こんな朝は非常階段の踊り場まで行って写真を撮る。見なれた山の景色が、雪化粧して目に飛び込んでくると、それだけで心が満たされる。

一袋猫もごまめの年用意 一茶

長谷川櫂の『日めくり四季のうた』の、12月26日に選ばれた句だ。ごまめはカタクチイワシの子を干して、飴をからめた佃煮である。田作りともいうが、ごまめが余りにも豊漁で、田に肥料としてまいたところ豊作になったので、こんな名になった。ごまめは正月のお節に欠かせないが、ごまめとこまめにかけてせっせと働くように願いを込めた食べ物になっている。

一茶の句は、このかけ言葉を猫に広げて、今年も小まめにネズミを捕るように、一袋好物のごまめを与えたものだ。一茶流のユーモアが面白い。大雪は来年の豊作を約するものとして、歓迎されてきた。ただ、昨今の世界中で降る異常な雪は、逆に人間には大きな害をもたらしている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メリイクリスマス

2022年12月25日 | 日記
昨日、霙のなかを買い物に出かけた。積もった雪が融けて、道が水浸しになった。履いたスニーカーを山靴に履き替えて出かけたが、固まった雪とその上に溢れる水だまりで、何とも歩きづらい。買い物袋も重い。クリスマスイブの買い物は、一夜だけの飲み物と食べ物でいっぱいだ。何故、日本人はクリスマスに買い物や、街に出かけるのだろうか。そんな疑問に答えてくれる読み物がある。太宰治『メリイクリスマス』だ。戦後、疎開先から東京に舞い戻った男と少女の話である。

空襲が激しくなった都会で暮らす、夫と別れた女とその娘。貴族の生活は、二間のアパート暮らしであるが、どこか垢ぬけている。部屋には男が好きな酒が
いつも置いてあった。娘へのつまらない土産を持参して、へべれけになるまで女のもとで酒に酔う男。東京へ舞い戻った男は、古本屋で偶然その娘に出会うことになる。「お母さんは元気?」男の問いかけに娘は「ええ」と答え、住んでいるアパートへ男を案内する。部屋の前で突然泣き出す娘。疎開先の広島でその女が空襲のため、亡くなったことを言い出せなかったのだ。

男は「行こう」と娘を屋台の鰻屋へ連れ出す。鰻を三人前。娘との間のカウンターに並べる。怪訝そうに問う屋台の鰻職人に、「ほら真中に座っている美人が見えないのかね」と男が冗談とも言えぬ言葉を吐く。ひとしきり酒を飲んだ男は、残った鰻を娘と半分分けにして食う。屋台の客が、通りがかかったアメリカ兵士に大声で叫んだ。「ハロー、メリイクリスマス」それを聞いたアメリカ兵は、とんでもないという顔をして首を振り大股で歩み去った。昭和22年の東京の闇市には、アメリカ文化に迎合する安っぽげなクリスマス礼賛があった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬至

2022年12月24日 | 日記
昨日、冬至。いつもなら、この日に冬至カボチャを炊いて食するのだが、つい失念して今朝慌ててカボチャを煮た。一緒に炊く小豆は、市販の茹でアズキにしたのだが、手頃のサイズは売り切れ。止む無く、大きいサイズを買った。正月には、餅に合せて食べてもよい。物の本によれば、「冬至にカボチャを食べれば中風にならぬ」というのは俗説とあった。だが、カボチャにはビタミンが豊富に入っている。黄色い野菜の特色だ。身体にいいことは分かり切っている。冬に、栄養豊かなカボチャを食べれば、病気にならない、というのは古い世代を生きた人たちの知恵である。俗説として退けるのはもったいない。

昨日は一日、雪に降られた。山形市の積雪は41㌢である。車の屋根は、雪がどっさりと積った。部屋にこもっていた人たちが出てきて雪払い。めったに顔を合わせない近隣だが、こんな日は久しぶりで言葉をかわす。41㌢と言っても、水分の多い雪である。駐車場の雪は、幸い短時間の作業で片付く。今朝になって空には青空見える。雪は降りぬ、降らずみ。雪降りの特徴で、こんな日が続くと、少しずつ積雪が増えていく。ひ孫にクリスマスのプレゼントに冬切る服を送った。それを着せた写真が届く。動画や写真で、ひ孫の姿が送られてくる。通信の進化は、確かに驚くほどだ。スマホさえ持てば、日々のやりとりは費用もかからない。スマホのカメラで鮮明な映像が見られる。二人暮らしの老人は、こんな画像に癒される。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする