常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

小春日和

2021年10月31日 | 日記
陽ざしが届く秋晴れは心地よい。笑い話に、年寄りの教養というのがある。今日、用事があるで教養。今日行くとこがあるが教育。今日は選挙で、投票所の学校は、行くとこがある人たちで賑わった。朝夕は冷えこんで来て、鍋料理が恋しくなる。夜、妻に頼むのは、魚の粗を使った鍋だ。寒になると、日本海の鱈が旬になる。この粗をこちらでは「どんがら」というが、庄内のどんがら汁は値段もいい高級鍋で、わざわざ内陸から車で、酒田までこの鍋を食べに行く人もいる。鱈が出る前には、鰤や鮭のかまが鮮魚店で安く手に入る。野菜と一緒に食べるので、安くてうまくて、手軽だ。高齢者にはもってこいの夕食である。

昔の房総の旅では、金目鯛の粗汁が記憶に残っている。油の浮いた汁に、鯛の赤い色が美しく、味も最高であった。先日新庄に行ったが、こちらの名物は馬肉である。これをすき焼きのように鍋にすると、肉の色が赤いのので桜鍋と言い、この鍋を好む人もいる。その筋肉に内臓が入ったのを、「ガッキ」と呼ぶらしいが、山の仲間のMさんの大好物だ。肉やで煮込んだものが売っていて、酒のつまみに最高と話していた。鰹の胃や腸を刻んで塩漬けにした塩辛がある。酒盗と言って、これもつまみに適している。あまりの美味しさに酒が進んで、その味で飲む酒が忘れられずに盗みを働いたものもいたらしい。

粗は食べる人が少ないのか、鮮魚店では、片隅に置いて安く売っている。最近ではスーパーでもアラをパックにして売るようになった。安くてうまいというのがだんだん知れ渡ってきたのかも知れない。
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もみじ公園

2021年10月30日 | 日記

紅葉が平地でもかなり目立ちはじめた。高山では自分だけが紅葉を楽しんでいるので、きのう妻を連れて名所のもみじ公園に行ってきた。見ごろまであと一週間というところか。結婚式の前撮りに臨むカップル、七五三の着物を着こんだ男の子など、晴れがましい姿の人たちが、紅葉を背景に記念写真の撮影が行われていた。平地では、楓の紅葉が美しい。その美しさを見せるのは、春の花と同じで刹那である。その時に出会えてはじめて本当の美しさを知る。

紅葉の色きはまりて風を絶つ 中川宋淵

紅葉の美しさは、昼と夜の温度差が大きな条件となる。夜の気温が高いと昼のうちに葉に蓄えた澱粉が呼吸などのために使われてしまうからだ。葉にたまった澱粉や糖は葉から茎への移動が止まると、低温によって分解されアントシアニンという色素が合成されて赤くなる。今日は昼に日がそそぎ、夜に気温が低くくなる変化は、楓などの紅葉の発色にもってこいの条件ということができる。


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菊花

2021年10月29日 | 

先日、天童道の駅で菊花展の準備中であった。手塩にかけて咲かせた菊が競い、優秀な菊に市長賞などが贈られるにであろう。上山城では菊花展に加えて、菊人形も作られていたが、コロナのせいかこの催はなくなったそうだ。近い所では南陽の菊祭り、二本松の菊人形などが、人を集めるイベントになっている。

そもそも歌舞伎の役者が衣装に菊花をつけたことが初めらしいが、東京千駄木の団子坂の菊人形が始まりであった。役者に似せた面をつけ、衣装はすべて菊花。漱石の『三四郎』小屋掛けした舞台に、曽我の討ち入り場面で、十郎、五郎の兄弟の人形が飾られていた。三四郎と美根子が、この小屋で菊人形を見るシーンが出ている。こんな時代から、菊づくりの趣向は全国に広がり、色々な場所で見ることができる。コロナの感染も落ち着きを見せ、この秋は菊を観賞する菊花展が盛況を見せるのであろうか。

有る程の菊投げ入れよ棺の中 漱石

将来を嘱望された女性文人大塚楠緒子が35歳の若さで亡くなったことへの哀悼の句である。「投げ入れ入れよ」命令形を入れることで、その無念さを表現している。漱石は楠緒子の才能を惜しむと同時に、この女性に淡い恋心を抱いていたという噂話も流されていた。
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金山町薬師山

2021年10月27日 | 登山
薬師山は標高437m、杉の町金山町の里山である。朝からの霧が山頂を隠し、紅葉の景色も霧のなかであった。近くの公民館に車を置き、徒歩で15分ほどの車道を登山口に向かうと、杉の木にが聳える薬師山が見えてきた。杉は丁寧に枝打ちされて、見事に真直ぐに伸びている。地形の関係であるのか、雨が多く湿度が高いために杉の生育に適している。杉の植林が始まったのは、明治の後期であるが、すでに江戸時代、ここを治めていた戸沢氏が藩の財政を支えるために山林に手を入れ、苗木を植えることを奨励したことが、今日に繋がっている。

以前山友会で大美輪地区にある杉林を見たことがある。享保年間に植えられたもので樹齢300年を超える大杉が100本以上があり、何人もが手をつないで、幹回りを計った。樹高60m、直径150の大杉は見事というほかはない。町では、市内の景観にも気を配っている。白壁に地元の杉材を使った住宅の建設を奨励し、街に入ると、どっしりとした重厚な建物が市内を埋め、金山町ならではの景観となっている。
落葉で埋まった細い山道にお気づきだろうか。赤い鳥居をくぐると、すぐに急登となる。高度を上げると次第に霧が深くなる。霧のなかに見える赤や黄色の木々の葉は、霞んで幻想的な風景だ。だが、この雰囲気をスマホのカメラで出すのは難しい。撮影を諦め、登りに集中する。山形でいえば千歳山ほどの高さのため、いかに急登でも一歩一歩道を踏みしめれば、50分ほど頂上である。途中、危険を防ぐためのロープがあるが、経年ですり切れた部分もあり、かえって危ない思いがする。登りの苦労より、霧に濡れた木の葉や根や粘土が滑り安く、転倒に要注意だ。下りを登りとほぼ同じ時間をかけ全員無事下山。昼近くになって、山頂を残して、三山の紅葉が姿を現した。杉の町、金山の秋の風景である。山の向いの神社のある公園で弁当。本日の参加者11名、内男性3名。青空は見えなかったが秋らしい季節のいい山登りになった。
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断捨離

2021年10月26日 | 日記

秋風や棚に上げたる古かばん 漱石

先日久しぶりで娘の家に行って驚いたことがある。あれほど無用なものが溢れ、片付けるのも何から手をつければいいか、考えられなかった部屋がすっきりしている。生活に最低限のものしか置いてないのだ。物のない生活が快適であることを、饒舌に語る娘を見て正直驚かされた。勤めから疲れて帰ってきても、食べるものは手作りをしているという。こんな時代に生き抜いていくために、必要にせまられて生活の仕方を見直したらしい。

自分の身の周りはどうか。年を重ねて、不要なものがたまっている。断捨離、終活。その前に、晩年を元気に過ごす体力維持。考えて見れば、やることはたくさんある。片づけを一日延ばしにして、不要なもののなかに埋もれていく。年を重ねると、決断する力が弱くなり、不用品を運ぶ体力も失われていく。娘の変身に刺激を受けて、小さなことから始める。不要なものをまとめて、先ずゴミに出すことから。
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