常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

沈丁花

2020年03月31日 | 

飯田の坂道に午後の陽ざしを受けてひともとの沈丁花が咲いていた。沈丁花はやはり暖かい陽ざしのなかで咲く。ものの本によれば、その香りは、丁子と沈香をあわせ持つことからこう呼ばれるらしい。沈香といってもどんな香りかもとより知るところではない。雨上がりの春の夕方には、傍を通るだけで花の香りが漂ってくる。中国名では、瑞香。何かいいことが起こる予兆としての香りなのだろうか。

庭石に花こぼしおり沈丁花 富安風生

三寒四温。目まぐるしい気温の変動である。関東に季節はずれの雪で、ここでは春の陽ざしが暖かい。何とも皮肉な気候である。コロナの感染は、さらに拡大の様相を見せている。
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筑波山

2020年03月30日 | 登山
筑波山の麓で生まれた詩人、横瀬夜雨は「雲のかからぬ山ぞなき」と詩に書いたが、麓では桜が満開となった3月29日、その頂上にこんなにも雪が積もるとは誰が想像したであろうか。筑波山は男体山(871m)と女体山(877m)の二つのピークを持った双耳峰である。最高峰は伊邪那美の神を祀り、この女神は雲を払い雨を止ませて、訪れる人にこの山や麓に広がる国々を見せる力を持つとされている。

しかし、わが会がここを訪れたとき、女神はその力を反対の方向、雪を降らせる方に力を用いた。そのために、麓では桜の美を堪能し、山頂では雪景色を心ゆくまで楽しませてくれた。
茨城県つくば市。山形からは東北中央道、磐越道、そして常磐道と高速に乗って300㌔ほどの距離にある。山行は一泊ののため、30日に阿武隈山地に途中下車、鎌倉岳(669m)で足馴らしをする。芽吹き前の静かな里山で、登山道も整備されて歩きやすい。スマートウォッチのトレーニング効果では3.6の数値を示す。階段や大きな石を越えるところもあり、4.3㌔の心地よい足馴らしであった。

宿は筑波山温泉ホテル。玄関前には手入れされた庭があり、折から桜が満開である。温泉に入って夕食。寛ぐころに、風雨が強くなる。部屋で全員そろってお天気祈願。朝になっても雨がつよく、御幸ヶ原登山道の歩行を断念、ケーブルで男体山を目指す。ケーブルには、我がチームのほか、家族連れひと家族のみ。ホテルでも泊り客は我々7名を含めて10数人であった。コロナ騒動と加えて昨日からの荒れ模様で人では極端に少ない。
御幸ヶ原コースを登れば、普通のペースで1時間30分である。ここをケーブルでわずか8分。一気に高度をかせぐ。ケーブルの入り口のあたりにマイクがあり、若い女性のガイドさんが乗った。マイクと録音での案内である。風は幾分弱まっているものの雪が降りしきっている。ケーブルを降りて、男体山の本殿まで、石畳の道も雪が積もっている。雪国の我々には、驚きもしないが、道にはわずかに足跡が一人分見えるだけである。

深田久弥は『日本百名山』の筑波山の項でこんな伝説を紹介している。御祖の神が方々の山の神を訪ねて廻ったとき、富士の神は物忌みを理由に断った。御祖は怒って、「今後お前のところは夏冬問わず雪や霜に閉じ込めてやるぞ」と言って去り、東の筑波山へ行った。そこの神は、歓迎して食事を出してもてなした。御祖の神は大いに喜び、「月日とともに幸あれ。この山は人々が集い登り、飲食も末永く捧げるであろう」と言って祝福した。以来、筑波山では歌垣の催しが行われ人々で賑わった。この伝説の通り、こんな雪の日であっても、この山の賑わいの様子は容易に想像できる。
男体山から女体山への尾根道は、平坦で山にも手入れされている。この道の脇にはカタクリの群落があるらしく、看板もたっている。それも雪に隠れて見えない。楽しみにしていた横瀬夜雨の詩碑も、雪で判別ができなくなっていた。ゆっくり歩いて20分、女体山山頂に着く。ここで全員集合して記念撮影。掛け声は、「コロナに負けるな」「おお」であった。そこから少し下って、ロープウエイ。6分でつつじヶ丘に着く。ここから迎場コースの山道を筑波山神社を目指して歩く。

一歩づつ高度を下げると、山道の雪も次第に少なくなり、分岐の手前から雪のない道になる。ヒノキや杉の大木が林立している。道も斜面も手入れが行き届いて、気持ちのいい山中である。足元が滑ることもなく、転倒する人もなく、順調に下った。祀られたイザナミノミコトの加護を得て楽しい山行となった。悪天候に不平を漏らす人もいない。麓の温泉街には、かっての賑わいの跡がたくさん残っている。あちこちにホテルが立ち並び、幻の香具師の口上が聞こえてくるような気がした。
「さあてお立合い。手前ここに取り出だしたるは陣中膏ガマの油。関東は筑波山の麓の四六ガマだ。一枚が二枚、二枚が四枚・・・名調子の口上がうちつづく。
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お才

2020年03月27日 | 登山
筑波山の山頂に横瀬夜雨の「お才」と題する詩を刻した詩碑がある。横瀬夜雨という詩人を知る人はもう少ないかもしれない。本名は虎寿といい、明治11年、筑波山麓の下妻の横根に生れた。幼児にくる病に冒され、生涯、病に苦しんだ。病の苦しみを忘れるためであったか、詩作に励み、「文庫」に民謡調の詩を投稿した。当時の流行した75調の新体詩が風靡する時代に、夜雨の民謡調は、一種独特の哀調があり、青年男女に人気があった。

お才は実在の少女で、横瀬家の手伝いとして住み込んでいた。越後の弥彦山の麓で生まれ、だまされて、夜雨の住む横根に流れていたのを、雇い入れることになった。お才は身体の不自由な虎寿に同情し、よく世話をした。虎寿も機転のきく少女に親しみ、故郷の父母へ思いを馳せるお才の心中を詩に書いた。

男女居てさえ筑波の山に
霧がかかれば寂しいものを
佐渡の小島の夕浪千鳥
弥彦の風や寒からむ
越後出てから常陸まで
泣きにはるばる来はせねど(中略)
お才あれ見よ越後の国の
雁が来たにとだまされて
弥彦山から見た筑波根を
今は麓で泣こうとは
心細さに出て山見れば
雲のかからぬ山はない

筑波山が弥彦から見えようとは到底思えないが、くる病に家にこもる詩人の心眼である。その想像力は、遠く三国峠をこえて、佐渡をみはるかす越後の国へと飛翔していた。筑波山の頂上のその詩碑が建っていることもまた奇遇である。明日から、阿武隈山地を経て、この筑波山へ足を延ばす。
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飛び梅伝説

2020年03月26日 | 日記
芸工大の裏山に、人目を引く紅梅がある。今年は、咲く時期も早く、昨日満開の花を見せていた。この梅の辺りには、フクジュソウやキクザキイチゲの群落もある。近くに見える屋根は、太宰府の観音寺の屋根を連想させる。菅原道真は藤原時平の讒言を受け、太宰府に左遷させられた。道真は、日頃愛でていた桜、梅、松に別れを惜しみ、梅の木に語りかけるように歌を詠んだ。

東風ふかばにほひをこせよ梅の花 
 あるじなしととて春なわすれそ 道真

桜の木は、主人が遠いところへ去ってしまうと知ってから、悲しみにうち沈み、葉を落として枯れてしまった。松と梅は主人を慕って空を飛んだ。道真が行った太宰を目指したのである。

松は飛び続けていたが、途中で力尽き、神戸市須磨の板宿の地に降り、そこで根付いた。一人梅だけが、主人のいる太宰府まで、一夜のうちに飛び降りたという。太宰府天満宮には、6000本もの梅の木が植えられているが、飛梅はご神木としていまも祀られている。

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登山の知識 血中乳酸

2020年03月25日 | 日記
低気圧が去って、青空がもどってきた。明日からは、春らしい陽気になるらしい。こんな空を目にしていると、戸外へ出たくなる気持ちがつよくなる。ウィルスが広がって人の多い観光地やコンサートなどは避けた方がよい。人の少ない山登りなどは、今の時期もっとの気を晴らしてくれる運動ということか。

山を登っていて少し登りが急になると、息が苦しくなってしまう人を見かける。高齢になると、この傾向がつよくなる。これには、血中乳酸が関係している。血液は元来pH7をやや上回る弱アルカリ性である。急な坂道を登るような激しい運動をすると、筋肉中のグリコーゲンが乳酸にまで分解されて血中に放出される。乳酸は酸であるので、血液の酸性度を高め、次第に筋肉の収縮を妨げるようになる。次第に身体を動かし難くする。

山歩きをしながら血中に乳酸がたまってくると、呼吸中枢が刺激され、息苦しくなり、頑張ろうとしても、脳は休めとか、ペースを落せという指令を出す。但し、増えた乳酸は30分ほど休むと半減し、1時間でもとにもどる性質のものである。また、激しい運動でなければ、乳酸がたまることもない。ゆっくり歩くことが、疲れにくい山歩きの必須条件である。

茫々と風吹く月の照る峰に一人息づくわがいのちなり 結城哀草果
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