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ベテラン記者が語る 予見された香港の危機

2020-09-16 07:00:00 | 報道/ニュース

8月27日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


香港では
6月に国家安全維持法が施工され
民主派の活動の締め付けがいっそう強まっている。
こうした事態を早くから予見してきたジャーナリストがいる。
李怡(りい)さん(84)。
60年以上にわたって香港を分析してきた李さんは
香港の今をどう見ているのか。

香港国家安全維持法が施行されて2か月。
民主派の活動家や新聞の創業者が次々と逮捕されるなど
新たな法律による取り締まりが行われている。
(周庭氏)
「国家安全維持法は
 まさに政治的な弾圧をするためのものではないか。」
この法律が適用され逮捕されたのは21人。
警察は
それぞれ外国勢力と結託して国家に危害を加えたり
国歌の分裂を主張したりした疑いがあるなどとしている。
この法律を痛烈に批判してきた李怡さん(84)。
香港情勢を長年分析し
今も新聞に連載を持つジャーナリストである。
6月末に施行された法律の問題点は
「どんな行為が罪とされるのか明確ではないことだ」と指摘する。
(ジャーナリスト 李怡さん)
「法治社会を信じられるのは法律がもとになっているからです。
 しかし中国のような社会では
 “あいつを捕まえろ”という権力者の思い付きが実行されてしまうため
 予測できません。」
李さんは1936年中国南部広州で生まれ
12歳の時 家族とともに香港に移り住んだ。
当時 周囲には共産党へのあこがれがあったという。
(李怡さん)
「理想がありました。
 皆 社会主義は国を救うと信じていました。」
1970年 33才で雑誌を創刊し
香港を統治していたイギリスなど西側社会の政治思想を批判。
雑誌は中国国内でも人気を集めた。
しかし9年後 中国の官僚の仕事ぶりを批判した記事をきっかけに
中国への持ち込みが禁じられてしまった。
自由にものが言えないことに対して疑問を抱くようになった李さん。
個人の自由を重んじる自由主義の社会と
国家が優先される中国とは
埋められない価値観の差があると強く感じるようになったのである。
(李怡さん)
「多様な意見を受け入れることは
 彼らにとって容認できることではありませんでした。
 中国では個人の自由と権利は国家の利益を侵害できないとされています。
 しかし自由主義の社会では
 国家権力の側が個人の利益を損なうことはできないと考えられているのです。」
そして迎えた1997年
香港の中国への返還。
李さんは当時 その後の香港に危機が訪れると予見した。
前年に発表した本の中では次のように指摘している。
返還の後は
完全に共産党の言いなりの愛国者を主体とする香港人が
この地を治めることになる
「一国二制度」が実現され保障されるかは共産党しだいだ
香港人が発言できるとしても
その余地は0,5%くらいだろう
去年6月以降 大規模なデモに揺れた香港。
李さんが20年ほど前に懸念した危機は現実のものとなり
香港政府による民主化運動への締め付けはこれまでになく強まった。
一方で李さんは
これに抵抗する若者たちの姿に大きな衝撃を受けたという。
(李怡さん)
「抗争は無意味で
 強権と闘うなんてあり得ないことです。
 若者たちが立法会に突入するなんて予想外でした。」
その驚きを今年5月に出版した本に綴った李さん。
逮捕やけがも恐れず権力に対抗しようという若者たちには
自分たちの世代にはなかった
“自由を守りたい”という強い意識があると分析している。
自由と法治はイギリス統治がもたらしたものだ
香港人が勝ち取る必要もない空気のように自然な存在で
誰も貴重なものだとは認識していなかった
しかし今
香港はすでに権威主義の手の中にある
不幸にもこの時代に生まれた香港人には
闘うことしか選択肢はないのだ
これはこの時代の宿命なのだ
(李怡さん)
「もし自分たちが頑張らなければ次の世代はどうなるのか。
 世界はもっと悲惨になるのか。
 彼らは将来に対する責任感を持っているのです。」
しかし一時100万人以上が参加した抗議活動は
今 数人が集まっただけで取り締まりの対象となる。
さらに民主派がデモと同じく抗議の手段として望みをかけていた立法会選挙は
新型コロナウィルスの感染拡大防止を口実に1年間の延期となった。
(香港 林鄭月娥行政長官)
「選挙の延期は市民の安全を守るためだ。」
抑え込まれる若者たちの声。
しかし人々の心の中に反発の気持ちが消えたわけではないと
李さんは強調する。
それなれば抗議活動の出口はあるのか?
(李怡さん)
「私にも出口は見えません。
 それでも香港人の犯行の意思を世界に知らせる必要があるのです。」
この先の香港にどんな変化が待ち受けているのか。
李さんは若者たちとともに
その行く末を見届けるつもりである。



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青い目の人形が語りかけること

2020-09-15 07:03:17 | 報道/ニュース

8月27日 NHK「おはよう日本」


今から94年前に
アメリカの宣教師から日米友好の証として贈られた「青い目の人形」。
福島県の小学校に残されていたことが分かった。
終戦から75年の今
人形は私たちに何を語りかけるのか。

校長室の片隅に置かれてきた1体の人形。
瞼は欠け
足にはガムテープがぐるぐる巻きにされている。
「昭和2年にアメリカ人形使節として
 日本の各小学校に贈られた。」
福島県桑折町の伊達崎小学校に今年赴任してきた大木校長。
この人形が気になり調べたところ
「青い目の人形」だとわかった。
青い目の人形。
昭和2年 アメリカ人宣教師の
シドニー・ルイス・ギューリック(1860~1945)博士から
日本各地の学校に約1万2千体が贈られた。
友好の証だった人形は
太平洋戦争中 “敵国の象徴”と虐げられ
いま残るのは全国にわずか340体余である。
あの人形はどのように残されたのか。
開戦前の昭和16年4月に伊達崎小学校に入学した大槻さん(87)。
「♪青い目をしたお人形は
  アメリカ生まれのセルロイド♪
 友だちと歌ったりしていた。」
歌を歌い人形に親しんだ日常を
戦争が一変させたという。
Q.アメリカの歌を歌ったりしたら?
(大槻さん)
「連行される。」
戦時中 伊達崎小学校では戦死者の葬儀を行われていた。
その時読まれた弔辞には
“宿敵米英 聖戦に参加”といった言葉が。
教育の場である学校は“戦意高揚”の舞台に変わってしまったのである。
そのとき人形はどうなったのか。
(大槻さん)
「人形は校長室の2階に置いてあったの。」
校長室の上にあったのは昭和天皇の写真や教育勅語などをしまってあった奉安室。
安易に立ち入ることができない部屋だった。
(大槻さん)
「アメリカのものだったのであまり大げさに見れなかったのでは。」
誰が人形をしまったのか。
今も分かっていない。
しかし大木校長は
残そうとした事実が重要だと考えている。
(伊達崎小学校 大木校長)
「なぜこの人形を壊さなければならないのか。
 素朴にそういう気持ちを持ったのでは。」
大木校長は7月
子どもたちに特別授業を行なった。
(大木校長)
「“壊せ”
 “焼いてしまえ”
 “毎日されしていじめろ”
 君たちがその時代に生きていたらどうしますか。」
(生徒)
「壊しちゃうかもしれない。」
(大木校長)
「伊達崎小学校の青い目の人形を守った人は
 どんな気持ちだったのだろう。
 書いてみてください。」
(生徒)
「青い目の人形が歴史になることを願って守っていた。」
「戦争が終わってほしいと願いを込めて残した。」
授業を前にある人物から手紙が届いた。
人形を贈ったギューリック博士の孫 ギューリック3世である。
“日本に贈ったその時の人形があると知り
 私たちはとてもうれしい
 皆さんとどうか楽しく過ごすことを心から願っています”
(大木校長)
「分からないということを基にしながら
 子どもたちとそこを想像しながら
 できる限り掘り下げていく。
 そういう中で戦争について理解が深まっていくことが大事と思う。」
残された青い目の人形。
戦争を知らない私たちにこれからも語りかける。

 

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観光名所 “水木しげるロード”に切り札

2020-09-14 07:00:13 | 報道/ニュース

8月27日 NHK「おはよう日本」


「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家 水木しげるさんのふるさと
鳥取県境港市。
市内の観光名所 水木しげるロードは新型コロナウィルスの影響で訪れる観光客が大幅に落ち込んでいる。
その苦境を乗り越えるための切り札にいま期待が集まっている。

鳥取県を代表する観光名所 水木しげるロード。
夜になると妖怪の影絵が姿を現す。
鬼太郎・猫娘・ねずみ男など季節ごとに様々な絵が楽しめる。
テーマは“夜の屋外ミュージアム”。
無料で楽しめるスポットとして県内外の人々を魅了している。
しかしここにも新型コロナウィルスの感染拡大が影を落とす。
ロード沿いの店舗も一時ほとんどが臨時休業。
地域のイベントも中止になった。
(商店街のスタッフ)
「こんなに長い間
 しかも店全体が閉めるようなことは初めての経験。
 県外への移動自粛ということも言われていましたので
 その中でお客さんに来てもらうようなイベントはできなかった。」
こうした中 ロードに新たな影絵が登場した。
それが “動く妖怪影絵”。
投影機が360度動きロードに妖怪を縦横無尽に映し出す。
お披露目されたのは2つのデザインである。
1つは
突然現れた魔女にさらわれるねずみ男。
そして
“のびあがり”という妖怪の終われる鬼太郎。
どちらも水木しげるさんの原作を再現している。
(境港市民)
「本物のアニメ見ているみたいで楽しかった。」
「びっくりしました。
 こんなに力を入れて頑張っているとは。
 人を誘って遊びに来る場所にもなったなと思います。」
今回の動く影絵。
地元の境港市は
水木しげるロードのリニューアルに合わせて6年以上前から計画を進めてきた。
このプロジェクトの設計責任者 灘さん。
自在に動く妖怪を再現できる機械を探し回った結果
海外で作られたプロジェクターにたどりついた。
プロジェクターには複数の絵柄をセットしておけば次々に影絵を映し出すことができる。
(境港市建設部 灘さん)
「ムービングプロジェクターという名前になっているんですけど
 室内ではこういう機材を使った
 結婚式場・イベント会場で活用された例はある。
 屋外でこういうものを使うという例はほぼ無かった。」
雨や雪の中でも動かせるよう専用のカバーを装着。
多くの人が集まる水木しげる記念館の前に設置し
外壁をスクリーンとして使う
新たなアトラクションとして観光客呼び込む戦略である。
地元の期待が高まる“動く妖怪影絵”。
灘さんは
影絵のデザインを増やしながら
新型コロナウィルス終息後に全国から客を呼び込む切り札にしたいと考えている。
(境港市建設部 灘さん)
「影絵とか光の照明をする観光地はあると思うんですけど
 ほかには絶対まねができない
 オンリーワンということを常に思って計画をしてきたので
 一過性のものではなく
 ここに根付いた演出として進化していってもらいたいし
 ここに来たら影を見たいねと
 思っていただけたら幸い。」

 

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技能実習生のサポート役に 秘訣は“教えてもらう”

2020-09-13 07:00:00 | 報道/ニュース

8月26日 NHKBS1「国際報道2020」


群馬県のキャベツ農家で働く宮田さん。
宮田さんは青年海外協力隊としてアフリカのガーナで活動。
ただ新型コロナウィルスの影響で今年3月
任期の途中での帰国を余儀なくされた。
宮田さんはいま海外での経験を生かして
共に働く外国人技能実習生のサポートに取り組んでいる。

800軒余の農家がある群馬県嬬恋村。
村ではいま100人余の外国人技能実習生が働いてる。
1年半前ラオスから来日したプンナックさん(34)。
家族を祖国に残し
日本の農業技術を学んでいる。
(プンナックさん)
「だいぶ仕事に慣れたね。
 目をつぶってもできる。」
まだ日本語での会話がままならないため
家族との電話が唯一 心が安らぐ時間だという。
Q.来日してホームシックになりましたか?
(プンナックさん)
「今でもホームシックですよ。」
いまプンナックさんの心の支えとなっているのが宮田さん(25)である。
青年海外協力隊員として赴任していたガーナでは小中学校の教員として活動していた。
言葉が通じない中でも関係を築いてきた経験を生かし
プンナックさんに寄り添っている。
「“買い物行きますか”は何だっけ?」
「ヤークパイ・スーパーボー?」
「そうだ ヤークパイ・スーパーボー?だ。
 ボーが最後 質問か。」
(宮田さん)
「日々の生活の中に
 外国人でもわかってくれる人がいるんだなっていう存在になれたらうれしい。」
新型コロナの影響で約200人の実習生が来日できなくなった嬬恋村。
人手不足を解消するために
宮田さんを含め11人の隊員が働いている。
彼らと農家をつないだのは地元のNPOである。
理事長の矢島さん。
協力隊員が途上国で培ったスキルがあれば
労働力としてだけでなく実習生のサポート役としても活躍できると考えた。
(自然塾寺子屋 理事長 矢島さん)
「日本に来ているマイノリティーの立場である人たちの気持ちを
 すごく分かり合えるのは協力隊だろうなと思った。」
自身もガーナでさみしさを感じたことがあるという宮田さん。
意識しているのが
“教える”のではなく
相手の言葉や文化を“教えてもらう”ことである。
この日はラオスで流行っている歌を教えてもらおうと
プンナックさんともう1人の実習生のもとを訪ねた。
♪ 君さえ僕を愛してくれれば
  水牛の番をして 耕うん機に乗せてあげるよ ♪
「楽しい 楽しい。」
さらに宮田さんが大切にしているのが
相手の立場を尊重することである。
農業経験のない宮田さんはことあるごとにプンナックさんにアドバイスを求める。
「これ 下はダメ 土がある。」
「まっすぐ?」
「まっすぐじゃない。」
「まっすぐじゃないの?」
「うん いいね 上手上手。」
これまでは教えられることばかりだったプンナックさん。
宮田さんという後輩ができたことで仕事への意欲が増したという。
(ラオスからの技能実習生 プンナックさん)
「お手本にならなければと思います。
 1年も前から働いているので
 教えてあげながら自分も成長しないといけない。」
「カムチョップ!(乾杯)」
「食うか!食うか!」
プンナックさんを受け入れている佐藤さん。
宮田さんの存在が何より彼らの支えになっていると感じている。
(受け入れ農家 佐藤さん)
「楽しそうだなっているのは思いますね。
 トータルですごく雰囲気が良くて
 僕としては助かっています。」
(宮田さん)
「こっちもやっぱり学ぶことが本当に日々あるので
 伝えるとか
 一緒に学んでいく姿勢はいつまでも忘れてはいけないと
 彼らと接していて思う。」


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松戸市高塚新田  創作料理 一幸 東松戸店

2020-09-12 19:00:00 | グルメ

 

 

 

 
        (食べログより)

 

東松戸駅から772m


 http://www.ichiko-susi.com/

 

 

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秋の味覚サンマが遠ざかる

2020-09-11 07:00:00 | 編集手帳

8月25日 読売新聞「編集手帳」


昭和の半ば頃までだろうか。
ドカッと大きなアルマイト製の弁当箱が珍しくなかった。
建設現場で汗を流して働く人たちに愛されたのが通称「ドカベン」。

漫画家の水島新司さんが明訓高校の強打の捕手・山田太郎に持たせたことで、
誰が名付けたかわからない弁当箱の呼び方が今に残るふしぎがある。
太郎のドカベンはふだん梅干し1個の日の丸弁当だが、
たまに貧しい家庭ながらの豪華版があった。
サンマの「一匹のせ」である。

サンマがかつて安魚の代表であったことは言わずもがなだろう。
漢字では秋刀魚。
きのうの夕刊(東京版)を読んで、
秋の味覚が生活のはるか向こうに遠ざかる気がした。

北海道厚岸町の初セリで1キロ1万1000円の最高値がついたという。
サンマは大きいもので約200グラム。
とすれば1匹のお値段は? 
わりと簡単な暗算なのに、
くらくらしてくる。
サンマは去年、
歴史的不漁に見舞われた。
残念ながら今年もそれが続くと見込まれ、
各地の漁港からため息が漏れる。

太郎の「一匹のせ」弁当が庶民から離れた豪華弁当になるかと思うと、
いささかせつない。
昭和の残像が粉々である。

 

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アフリカ 感染100万人超 注目される日本の支援

2020-09-10 07:00:59 | 報道/ニュース

8月24日 NHKBS1「国際報道2020」


アフリカでもっとも感染者が多いのが南アフリカで
60万人を超えている。
アフリカ全体で100万人を超えた感染者について
WHOは実際にはもっと多いという見方を示している。
WHOはアフリカにおけるぜい弱性に繰り返し言及している。
その1つが検査体制のぜい弱性である。
感染者数がアフリカで最も多い南アフリカは検査を積極的にしているが
それでも大統領は演説で
「把握しきれていない感染者がいる」と指摘している。
アフリカで最も医療水準が高い南アフリカでもそうであるから
他の国でも把握できていない感染者が大勢いるとみられている。
もう1つが感染対策のぜい弱性である。
アフリカでは住宅が密集し社会的距離を取ることが難しい地区に暮らしている人も多く
そうした地区では水道の整備も進んでいない。
水道がなく
人々は手を洗うには給水車の水や雨水に頼るしかないという。
こうした課題に対して日本が協力している取り組みもある。
長年 地道に行なってきた支援が検査や感染対策で注目されている。

西アフリカにあるガーナ。
人口約3,000万人。
首都アクラに
新型コロナウィルスの検査で中心的な役割を担っている研究所がある。
野口記念医学研究所である。
黄熱病の研究でこの地を訪れ
1928年に亡くなった細菌学者の野口英世。
この研究所はその業績を記念して約40年前に設立され
日本の協力で運営されてきた。
ここでは120人の職員が
JICA(国際協力機構)の支援などで導入した検査機をフル稼働させて検査を行なっている。
ウィルスの研究者で日本でも研究経験があるポクさん。
仲間とともにこれまで30万件以上の検査を行なってきた。
国内でこれまで行われた検査の約8割にあたり
感染実態の把握に貢献している。
(野口記念医学研究所 ポクさん)
「ガーナでの検査体制の最前線に立てるのは光栄なことです。
 この厳しい時期に人々と国を助けられるなんて
 人生に二度とない特別な機会です。」
日本の支援を発展させて衛生環境を改善している国もある。
世界で最も貧しい国の1つであるコンゴ民主共和国。
人口のおよそ半数が自宅などに“手を洗う設備がない”と言われている。
そんななか今年5月に登場したのが自動手洗い装置である。
蛇口に手をかざすと水やせっけん水が自動で出る仕組みである。
センサーに顔を近づけると体温を測定できる。
「どこの触らずに体温まで測れるなんて
 すばらしいです。」
装置を開発したのは首都キンシャサにある職業訓練学校である。
日本人の専門家から学んだコンゴ人の教師たちが
溶接や自動制御などの技術を教えている。
装置を開発した教師の1人 チバンベさん。
学んだ技術を生かして地域に貢献する方法はないかと考えた。
(職業訓練学校教師 チバンベさん)
「JICAの人から学んだ知識で電子回路を組み
 センサー付きの手洗い装置を作ることができた。
 この装置を作れて誇りに思う。」
スーパーマーケットや病院などに設置されているこの装置。
今後さらに90台以上設置される計画である。
(JICA コンゴ民主共和国事務所 所長)
「コンゴの人たちが自分たちの発意で自分たちの問題を解決し
 尽力している姿を見ること
 まじめで熱心な人たちと一緒に働けることは
 大きな喜びです。」
アフリカではぜい弱な状況に立ち向かう人たちが大勢いて
支援するのは同じ国際社会の仲間として当然のことだが
日本の存在感を高めることにもつながっている。
(JICAガーナ事務所 次長)
「いまガーナで“ノグチ”と聞いて
 この研究所を知らない人は1人もいないくらいに非常に有名になったので
 日本人としては誇らしく思います。」



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“失ったものを数えるな” 見直されるパラの精神

2020-09-09 07:05:17 | 報道/ニュース

8月24日 NHK「おはよう日本」


新型コロナウィルスの感染拡大で
一部に東京パラリンピック開催を危ぶむ声があがるなか
見直されている言葉がある。
“失ったものを数えるな
 残されたものを最大限に生かせ”
「パラリンピックの父」と呼ばれるドイツ人の医師
グッドマン博士(1899~1980)の言葉である。
気軽に食事に行けなくなったり旅行ができなくなったりと
多くの人たちがさまざまな制約に直面している今
日本で開かれるパラリンピックの価値とは何なのか。

陸上走り幅跳び 視覚障害のクラスの高田千明選手(35)。
去年の世界選手権で日本記録を更新。
東京パラリンピック代表に内定した。
(高田千明選手)
「シュッと浮かぶ
 体のふわっとした感覚ときもちがとてもいい。
 目が見えてないというのが
 自分の中でなくなる瞬間。」
病気で目が全く見えない高田選手。
来年の大会に向けて不安を感じているのが接触による感染のリスクである。
練習道具を用意するのも両方の手で触って確認。
コーチが隣で走ったり
助走の方向を修正したり。
どうしても直接 人やものと触れることは避けられない。
(高田千明選手)
「2m以上離れなさいというのは不可能に近い。
 今後 大会はどうなっていくのか
 練習はできるのか できないのか。
 不安がいっぱい。」
そんな中パラリンピックを開く意味はどこにあるのか。
人生を変える力がそこにはあると
訴える人がいる。
星義輝さん(72)である。
72才になった今でも車いすテニスに打ち込む星さんは
56年前 
1964年の東京パラリンピックを会場で観戦し
人生が大きく動いた。
障害者がスポーツをすることはほとんどなかった当時の日本。
生き生きとスポーツを楽しむ海外選手を見て衝撃を受けたという。
(星義輝さん)
「我々はそんなことなかったから
 憧れましたよね かっこいいなって。」
その後スポーツにのめり込んでいった星さん。
車いすバスケットボールと陸上でパラリンピック4大会に出場し
金メダルも獲得した。
その原動力となったのは“パラリンピックの精神”を表すあの言葉だった。
(星義輝さん)
「グッドマンの
 “失ったものを数えるんじゃない
  残されているもの
  自分の得意とするものを生かすように”
 あるものをとにかく最大限に生かそう。
 やっぱり支えですよね。」
パラリンピックで社会をよりよく変えられる。
そう考えているのが建築士の吉田紗栄子さん(77)である。
自宅の冷蔵庫に貼っているのはグッドマン博士の言葉。
“失ったものを数えるな
 残されたものを最大限に生かせ”
(吉田紗栄子さん)
「人生のどの場面でもこの言葉は響いてきていた。」
前回の東京パラリンピックに吉田さんはボランティアとして参加した。
選手村に設置されたスロープや手すりなど
当時の日本では珍しかったバリアフリーの設備を驚きを覚えたという。
(吉田紗栄子さん)
「障害があっても建物がちゃんとしていれば
 何の不自由もなく暮らせることが分かった。
 それを仕事にしようと思った。」
吉田さんはその後建築士となり
日本のバリアフリー建築の先駆者として
半世紀以上にわたって住宅の設計に携わってきた。
車いすを置くスペースを設けた玄関。
テラスと部屋との段差をなくしたフラットな設計。
吉田さんが手がけたバリアフリーの住宅は100軒を超える。
(吉田紗栄子さん)
「すべてのことが東京パラリンピックが基準になって
 法律とか施策とか
 いろいろなことが整備されてここまできて
 将来はバリアフリーは当たり前
 バリアフリーという言葉がなくなればいいと私は思っている。」
2回目の東京オリンピックを前に
世界が新型コロナウィルスの脅威にさらされている今こそ
東京パラリンピックの精神が必要とされていると感じている。
(吉田紗栄子さん)
「今回 コロナで失ったものってものすごくたくさんあるけれど
 それが戻るとか
 なくなっちゃったとか嘆くのではなく
 じゃあどうする
 今ある資源でどうすればいいのか
 もう1回考える。
 2020年があったからここまでいい世界になりましたと
 ぜひ言ってほしい。」
パラリンピックには人生そして社会を変える力がある。
そう信じて練習を続ける高田選手。
“残されたものを最大限に生かす”
その自らの姿を通じて
子どもたちにパラリンピックの持つ力を感じてもらいたいと考えている。
(高田千明選手)
「目が見えない状態でも
 音を聞いて全力で走って跳びます。
 千明さんは走り幅跳びで新国立競技場で跳びます。」
「コロナっていう目で見えない
 匂いもしない
 怖いものがあったとしても
 目標がなくなっているわけではないので
 あきらめずに何でも続けて
 やり続けることの大事さを診てもらいたい。」



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天竜浜名湖鉄道 キラリと光る取り組みで集客を

2020-09-08 07:00:00 | 報道/ニュース

8月24日 NHK「おはよう日本」

天竜浜名湖鉄道。
静岡県の西部
掛川市と湖西市のあいだ約68kmを結ぶこの路線は
地域の人たちの足として親しまれ
鉄道ファンにも人気がある。
ところが今年は新型コロナウィルスの影響で利用する人が激減。
そこで鉄道会社ではキラリと光るユニークな取り組みを始めた。

浜松市にある天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅に朝早くから並んだ多くの人。
その行列の先には御朱印帳ならぬ鉄印帳。
全国のローカル鉄道のスタンプが押せる台紙が連なっている。
(購入した人)
「うれしいです。」
「感動です。
 7月から売り出していると聞いて
 ネットで調べたけど全然なくて。」
鉄印帳は
新型コロナウィルスの影響で利用客が減少しているローカル鉄道を盛り上げようと
鉄道会社などの団体が7月から販売開始。
鉄道ファンの間で話題になっている。
天浜線でも追加で用意した30部が即完売。
Q.何時ぐらいに着いた?
「6時前。」
天浜線で特に人気なのが
師範の腕を持つ社長の書である。
(訪れた人)
「社長に書いてもらいたいなと思って
 朝早く出てきた。」
「一緒に写真撮ってもらっていいですか?」
こうしたファンとのふれあいもローカル線ならではの魅力である。
前身の国鉄二俣線の全線開業から今年80年を迎えた天浜線。
ローカル鉄道として地域の人たちの足となりさまざまなイベントも開いてきた。
しかし今年は大規模なイベントができていない。
利用客数は県内でも感染者が増え始めた4月は去年の4割にとどまった。
鉄印帳の他にはレアな商品も。
純金のフリー切符。
開業80年にあやかって値段は80万円。
3年間乗り放題で桐箱入りである。
イベントの中止が余儀なくされたため社員のアイデアで作られた。
そして鉄道好きにはたまらない こんなものも。
80周年を記念して作られた缶詰の中に入っているのは線路の石である。
整備の際 本来は捨てるはずだった枕木の周りにまかれていた石を缶詰にした。
天浜線では石の他にも
昔の切符や車両の部品を缶詰にして売り出したいとしている。
多くの人に天浜線に親しんでほしい。
社員一丸となって取り組んでいる。
(天竜浜名湖鉄道 長谷川社長)
「この鉄道を守っていく。
 地域にとっては大切な公共交通機関だと思う。
 こういった中でも他県からわざわざ買ってもらうこともあり
 本当にありがたい。
 本当は声を大にして“天浜線に遊びに来てください”といいたい。
 今はなかなかそれが言えない状況。
 世の中が元気になったら
 ぜひ天浜線を楽しみに見に来てほしい。」
キラリと光る天浜線の取り組み。
新しい生活様式が求められるなかでも
地域のために走り続ける。

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藤井聡太二冠のこれから続く道

2020-09-07 07:00:00 | 報道/ニュース

8月22日 読売新聞「編集手帳」


「サザエさん」のお父さん、
磯野波平さんはああ見えて現役の会社員である。
たまに背広を着て家から出かけたりするのに会社での肩書を聞いた覚えがない。

まず家族の物語に関係しないことが大きいと思われる。
原作の漫画や過去に放送されたアニメをくまなく見れば、
どこかで紹介されているのかもしれないが、
知るだに忘れそうである。

将棋界にも忘れて差し支えない肩書が生じることがある。
八段、
九段といった呼称は冠を抱くかぎりそれを付けて呼ばれることはない。
藤井聡太二冠(18)の段位なしで呼ばれる道はどこまで続くだろう。

二冠目の「王位」を手中にし、
八段昇段の最年少記録を打ち立てた。
だからといって、
藤井八段とは先の事情で呼ばれない。
長く段位で呼ばれなかった棋士といえば羽生善治さんがいる。
タイトルを保持した期間は連続27年を超え、
それに並ぶか追い越すかと藤井二冠に期待がわくのも、
若さから未来をみれば自然なことだろう。

ただ当欄で2回も藤井二冠と記しながら、
一抹のさみしさを覚える。
記者会見の初々しい受け答えなどを見ていると、
藤井くんと呼びたくなる。



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自治体公式SNS “感染への不安” 漫画発信の思い

2020-09-06 07:00:26 | 報道/ニュース

8月21日 NHK「おはよう日本」


もし自分が地域や職場で最初に新型コロナウィルスに感染したら・・・。
そんな不安を漫画で表現した
新潟県内のある自治体の公式フェイスブックがネット上で話題になっている。

新型コロナウィルスに対する市民の不安を描いた漫画
「安心して感染したい」。
見附市の公式フェイスブックに掲載された。
狭い町で噂になるから1人目の感染者にだけは絶対になりたくないわ~
周りから陰口叩かれてこの町に住めなくなる
感染したって分かったらこの町ん中ですぐに村八分にされんぞ~
感染なんかしたら「あの人!」って後ろ指さされちゃう
架空の市民4人が1人目の感染者になることを恐れている。
そして詐欺に登場するのは作者本人。
噂するのも
村八分にするのも
後ろ指さすのも
陰口をたたくのも
ウイルスじゃない
この「ひと」なんだよなぁ
ウィルスが怖いのではなく感染者を恐れる人が怖いのだ
というコメントで漫画は締めくくられている。
漫画を描いたのは見附市に住むイラストレーターの村上徹さん。
(イラストレーター 村上徹さん)
「多分唯一言えるのは
 みんな臆病というか
 みんな怖い。
 みんな震えて思考が止まっている人もいれば
 とりあえず攻撃しないと居ても立っても居られない人もいるだろうし
 でもひとくくりにすると『怖い人てをあげて』と言うとみんなあげる。
 そこが共感を得られたところではないか。」
コメント欄には
“モヤモヤを言葉にしてもらえて感激”
などと共感する思いが多く寄せられた。
閲覧数は2週間で24万件にものぼった。
漫画を描くきっかけは道の駅での市民とのふれあいだった。
村上さんは駅長として週に1~2回道案内などをするなかで
市民と交わした会話に着想を得た。
(イラストレーター 村上徹さん)
「まさに一番最初の漫画に出てくる人は特定ではないが
 実際ここで聞いた話ばかり。
 『このまちで一番最初の感染者にはなりたくない』
 『何とかしてくれ 駅長さん』
 『そうだよね』って相槌を打って。」
市民の声に共感をしながらも
本当にこれでいいのだろうかと思い始めた村上さん。
そんな心の葛藤を打ち消すために漫画を描き始めたという。
(イラストレーター 村上徹さん)
「前半の4人を描いたところで
 『みんな怖い』というところにたどりついて
 みんな怖いのに
 なんで感染した人をそんなに責めるんだろう?
 みんな被害者で
 今回の新型コロナで窮屈な思いをして
 毎日不安でつらいのに
 なんでいじめるんだろう。
 すごく滑稽な話ですが
 みんな怖がっていて
 同じ怖がっているんだったら
 みんなで手をつないだ方が早いというところで
 最後のコマが生まれたというのがある。」
フェイスブックに漫画を掲載した見附市。
この日村上さんたちは次の作品について話し合った。
「例えばお前が一番最初に新型コロナに感染したんじゃないか。
 自然に感染したことに対して心配できる話
 会話している風景を描いてみたい。
 本来心配してくれるのが普通だから
 それをあえてビジュアルで見せる。」
市内で感染者が相次いで見つかった後の状況を想定し
あたたかい市民同士のやり取りを描いてもらおうということになった。
ウィルスへの恐怖はぬぐえなくても
誹謗中傷への恐怖は取り除ける。
差別や偏見のない未来を信じて
村上さんは漫画で表現し続ける。
(イラストレーター 村上徹さん)
「一番最初に感染したくないと思っていて
 僕がなりましたというときに
 『かわいそう』って言ってもらいたい。
 安心して感染したいのではなく
 感染しても安心して暮らしたい。
 見附で感染しても安心して治療に専念できるって。」

見附市では8月19日感染者が初めて確認されたが
市民は冷静に受け止めているということで
村上さんは
「漫画をきっかけに考えてくれた人が多いのではないか」と話している。
この村上さんの漫画は新作も含めて市のフェイスブックで公開されている。


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中国 お先に有料化したけれど・・・

2020-09-05 07:02:17 | 報道/ニュース

8月20日 NHK「おはよう日本」


中国ではレジ袋有料化は12年前から始まっている。
しかし今プラスチックごみをめぐって新たな課題も浮き彫りになっている。
北京市内のスーパー。
レジの横には“袋は有料”の表示が。
2008年の有料化から1年後中国政府は
レジ袋の消費量が70%近く減ったと発表した。
しかし今
“レジ袋は一律有料”と表示しながら実際には守らない店も。
「袋は無料?」
「お金はいらないよ。」
「袋は?」
「1枚目はサービスだよ。」
北京の環境団体が中国全土の1,000近い店を調査したところ
レジ袋代を取っている店はわずか17%にとどまっていた。
(環境団体)
「店同士は競争関係にあり
 他店がレジ袋を無料で提供するのに
 無料にしなければ顧客を奪われるかもしれない。
 大手には管理や処罰も行われているが
 小さい店には管理は行き届いていない。
 ルールを把握していない店も多い。」
さらに消費者が袋代に負担を感じなくなったことも課題となっている。
経済成長が続き所得が上がったが
レジ袋の値段は12年前とほとんど同じ。
日本円で2~6円程度に据え置かれている。
「レジ袋にお金を払うのは気にしない?」
「ぜんぜん気にしない。」
「袋を持っていなければ買うし
 それがいくらかなんて気にしません。」
さらに今プラスチックごみをめぐって新たな課題も。
急成長が続く宅配アプリの利用で
配達される食事の多くにプラスチック製の容器が使われているのである。
ラーメンの宅配では麺・具・スープが別々の容器に入れられている。
麺を伸びないようにする工夫がごみの増加につながっているのである。
宅配アプリで使われる容器は
3年前の時点で1日当たり6,000万個。
積み上げるとエベレスト339個分の高さになるという試算もある。
新型コロナウィルスの影響で宅配のニーズが高まっていることから
事態はより深刻になっているとみられている。
(環境団体)
「感染拡大で外食が難しくなり
 オフィスで宅配を取るしかなくなった。
 プラスチックの袋や容器を使うようになり大変な消費です。
 政府も企業も消費者も対応し続けなければなりません。」



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被爆前の広島 よみがえった町並み

2020-09-04 09:51:36 | 報道/ニュース

8月20日 NHK「おはよう日本」


終戦から75年。
戦争の記憶をどう伝えていくのか。
この大きな壁に広島の高校生たちが最新技術を使って挑んだ。

店がぎっしり連なった商店街。
75年前 原爆が投下される前の広島の爆心地近くの町並みである。
原爆ドーム。
空を見上げるとB29の姿が。
原爆が投下された直後
あたりが真っ暗になり一瞬で炎に包まれた様子を再現している。
CGを制作したのは広島県立福山工業高校の生徒たちである。
指導する長谷川先生は
「普通の暮らしが失われた現実を理解することで
 平和の大切さを感じてもらいたい」と
11年前このプロジェクトを始めた。
(福山工業高校 長谷川先生)
「大勢の方がなくなっていったんだという
 ひとつひとつのプロセスそれから生活
 そういうものを生徒たちが感じ取ったうえで
 作品作りをしてもらいたい。」
4年前にはVR(バーチャルリアリティー)の技術を導入した。
約1,5kmの範囲で再現した被爆前後の町並みを散策することができる。
まず町並みのCGを制作するため
再現する建物や風景に関連した資料を探し出す。
そして航空写真や設計図など複数の資料から建物の形を割り出し
空間を作り上げるのである。
プロジェクトへの参加が平和について考えるきっかけになったと考える3年生がいる。
もともと興味があったVRの制作を通じて
身近に感じられなかった原爆の被害について真剣に考えるようになったという。
大切にしているのは被爆者の生の声である。
「被爆者の方々が手記として残されているものを
 僕たちがまとめたもの。
 大体400人分くらい。」
“火と煙の竜巻がビルの中を通り抜けた“
“太陽はなく周囲はすっかり火の海”
被爆直後の様子を理解しようと
ありのままの惨状を語った証言を読み込む。
さらに町並みを忠実に再現するため
被爆者からも直接 話を聞き取った。
(福山工業高校 3年生)
「こんなことがあったんだ恐ろしい場所だったとしっかり理解しないと
 僕たちが作るものが空虚なものになってしまうので
 しっかりと自分なりの考えを持つという意味でもこの作業は重要。」
再現した町並みはVRの技術を使って被爆者にも体験してもらう。
爆心地近くに住んでいた森富さん(90)。
生徒たちが参考にした昔の風景画を描いた。
「赤いポストのところ こっち側だったと思う。」
「あ 逆ですか。」
「色がもうちょっと ああいう明るい色ではなかった。
 くすんだえんじ色。」
守富さんの指摘で
郵便局に設置されたポストの位置や壁の色を修正した。
こうして完成した当時の町並み。
広島市元安橋から原爆ドームを眺めた風景。
川幅や護岸の高さも当時のままである。
呉服店の看板や書体の文字も可能な限り忠実に再現したという。
VRには現在の町並みの写真を組み込み
比較できるよう工夫されている。
(福山工業高校3年生)
「ぼくたちが大事にしたいのは市民目線・暮らしていた人目線で
 当時こんな町並みがあったんだということを
 しっかりと見ていただきたい。」
「被爆者の方々から伝えてもらったその戦争の当時の恐ろしさや様子を
 今度は僕たちが御のVRとかを用いて伝える側になっていく。
 今後の未来に生かしていく。」

生徒たちが作ったVRは国内外で広く公開されている。
長谷川先生は
「被爆前の広島の町をVRで体験してもらい
 人々の日常があった戦争の現実や
 平和の尊さを考えてほしい」と話している。


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漫画でよみがえる戦時下の日本

2020-09-03 07:04:34 | 報道/ニュース

8月17日 NHK「おはよう日本」


戦後の日記文学として今も読み継がれている「戦中派不戦日記」。
作家の山田風太郎が医学生だった昭和20年に書いた日記である。
その人気を原作にして漫画化したものが「風太郎不戦日記」。
青年誌で現在も連載中である。
この漫画は戦時下を生きた若者の姿が漫画で分かりやすく描かれていて
戦争を知らない世代に反響が広がっている。

漫画化に挑んだのは少女漫画家の勝田文さん。
これまでは恋愛をテーマにした少女漫画を20年以上描いてきたため
戦時中の漫画を描いて欲しいという依頼に戸惑ったという。
(漫画家 勝田文さん)
「今まで描いてきたものはつらくて悲しい世の中。
 せめて漫画くらいは楽しいものをという思いで漫画を描いてきたので
 今回のテーマは戸惑いもあった。」
勝田さんは少女漫画で若者の繊細な心の動きを表現してきた。
日記を読んでみて
戦時下の若者が不安を背負って生きる姿は今に重なる部分があると感じたという。
(漫画家 勝田文さん)
「ここ数年感じていた世の中の不安な雰囲気が
 当時の雰囲気とあまり変わらないと思った。
 ずっと感じていたことがあったので
 それなら描けるかもしれない。」
主人公の山田風太郎(23)青年は病気を理由に召集を見送られ
戦地へ赴くことはなかった。
医学生として過ごした日常を日記に綴っていた。
戦況が悪化するなか日々激しさを増す空爆。
風太郎は爆撃を浴び続ける東京の空も日記に書き残している。
空に
オーロラのような
金の砂のような
幾千億の花火が
傘を開いて降りていく
地獄の風景だ
原作の日記を漫画化しようと企画した編集者の岩間さん。
戦時下を生きる若者が葛藤を抱えて生きる姿の共感し
その魅力を引き出せる勝田さんだからこそオファーしたという。
(講談社 担当編集者 岩間さん)
「人間の魅力をすごく伝えてきた漫画家なので
 戦争ものだからといって
 モノクロの世界でシリアスに描くということではなくて
 コミカルな部分を描ける漫画家というと
 勝田文さんがすぐ浮かんだ。」
主人公の風太郎を深く知りたい。
勝田さんがこだわったのは風太郎が生きた昭和20年を再現することだった。
たとえば昭和20年当時の新宿駅は当時の写真から。
風太郎が通っていた東京医学専門学校(昭和初期)も。
さらには風邪を引いた風太郎が使う体温計まで
当時の資料をもとに描いている。
資料収集のために編集者の岩間さんは全国各地を飛び回った。
何度も足を運んだ場所の1つ 昭和館。
戦中・戦後の暮らしを伝える資料が約25万点所蔵されている。
学芸員の杉本さんは
「風太郎不戦日記」がリアリティに徹底的にこだわった漫画だと知り
協力を惜しまなかった。
原作の日記にあった“フランス映画「格子なき牢獄」を見る“という記述。
これを漫画にするために資料で確認をしたいと相談があった。
(昭和館 学芸員 杉本さん)
「いろいろな新聞の情報の中から
 「昭和史の証言」という本が出ている。
 この中の昭和44年の項目の中で
 「格子なき牢獄」について記事が書かれている。」
このフランス映画は戦前に検閲を受けていたことや
主演女優の父親が親ナチス政権の要職についていたことから
戦時中の日本でも上映できたことが分かった。
現在発売されている最新号で
勝田さんは原作にはない風太郎の心情を描いた。
敗戦を知った風太郎の絶望を見開きのカラーページで表現。
描かれていたのは
赤いヒマワリとうなだれる風太郎。
勝田さんは
どうしても敗戦を受け入れることができない風太郎の心を描いたのである。
(漫画家 勝田文さん)
「風太郎青年にとって敗戦はものすごくショックな出来事で
 本当に悲しい出来事だったと思う。
 今まで信じていたものが全部消えてしまった。
 悲しかったと思う。
 あとは読んでいただいた方に何かを感じてもらえれば。」

この漫画には10代から80代まで幅広い読者から数多くの感想が寄せられている。
“絵になることで庶民の暮らしがよりリアルに感じられる”(50代男性)
“苦手なこの時代のことをこの作品を通して知っていきたい”(28歳女性)
“教科書には絶対に出てこない戦争の姿は
 漫画にならなければ永遠に知らなかった”(55歳男性) 


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夏に想う風景

2020-09-02 07:00:00 | 編集手帳

8月16日 読売新聞「編集手帳」


タビ(旅)の語源は案外分からぬものらしい。
諸説ある中で、
心惹かれるのは、
西郷信綱さんが残した指摘である。
没後10年余になる古代文学の碩学(せきがく)は、
タビのタは「田」に通じると説いた。

古代の農民は家を離れ、
山あいの水田の小屋で寝ることがあった。
これをタブセと言う。
ひとり地べたに伏すタブセの経験と関連しつつ、
タビの語は生まれ、
ゆえに「草枕」が旅の枕詞になったのだろうというのである。
(『日本の古代語を探る』)

瑞穂の国で営まれてきた労役と重ねて、
旅の一語をかみしめたくなる。
どこか寂しく切実で、
陰影深い語感は例えば「旅行」と言い換えた途端に失われる。

「トラベル」はさらに軽い。
軌道修正を重ねた政府の観光支援策となると、
トラブルめいてくる。
Go Toが妙手か“誤答”かはさておき、
帰省を控え、
遠く家郷を思った人もあろう。

当欄も同様で、
眼裏(まなうら)に浮かぶのは、
まだ水田も多かった往時の風景である。
びゆく雲の落とす影のやうに、
 田の面(も)を過ぎる、
 昔の巨人の姿――〉
(中原中也「少年時」より)。
日本の夏は過ぎし日を偲(しの)ぶ、
心の旅の季節でもある。

 

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