日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

延長戦の死闘はもう見られないのか

2017-09-30 06:00:00 | 編集手帳

9月21日 編集手帳

 

 球場を包んだ高揚を伝えて今も色あせない。
『最高試合』という阿久悠さんの詩がある。
〈君らの熱闘の翌日から
 甲子園の季節は秋になった〉

高校野球を愛した作詞家をして最高と言わしめた試合は、
1979年夏の全国大会3回戦である。
箕島が延長に入って2度離されながらも、
本塁打で追いつき、引き分け再試合寸前の十八回に星稜を破った。
〈熱く長い夏の夜
 人々の胸に不可能がないことを教え
 君らは勝った〉
と詩はたたえる。

球史を彩る延長戦の死闘はもう見られないのだろうか。
来春の選抜大会でタイブレイク制が導入される。
延長十三回から、
あらかじめ走者を置いて攻撃を始め、
決着を早める制度である。

選手の負担を軽減し、
故障を防ぐのが目的らしい。
確かに一人が気力で連投を重ねる時代ではない。
選手の将来を守る意味は大きいが、
ときに〈不可能がないこと〉を教え得る高校野球の姿が変わっていくのは少々さみしい。

第100回を迎える来夏の全国大会でも採用されるという。
効果を検証し、
健康管理策の議論をつづけてほしい。
色あせぬ最高試合の系譜が連なるよう祈りつつ。



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東南アジアで奮闘!日系ビール企業

2017-09-29 06:00:00 | 報道/ニュース

9月5日 キャッチ!


毎年7%前後の経済成長を続けるミャンマー。
最大都市ヤンゴンの飲食店では毎晩仕事帰りの人などがビールを楽しむ。
この国の人にとってビールを最も身近なお酒である。
人気は現地最大手ミャンマーブルワリーのビールである。
国内シェアは約80%と他社を圧倒している。
(客)
「毎日ミャンマービールを飲んでいます。
 飲みやすく苦さも程よいです。」
「このビールは味がすごく良くて
 香りも気にいっています。」
この会社を2年前に約700億円で買収したのが日本のキリンホールディングス。
経済成長によるビール市場の拡大と圧倒的なシェアに目をつけた。
この5年で売り上げは2倍以上増加。
需要の拡大に供給が追い付かないなか
工場の生産能力を来年までに40%増やす計画である。
しかし圧倒的なシェアを誇るこの会社も悩みを抱えている。
国外から流入し
正規品の7割程度の安値で流通する“違法ビール”の存在である。
こうしたビールはタイなど陸続きの国境から持ち込まれている。
ミャンマーではビールの輸入自体が禁止されているが
国外からの違法な持ち込みが後を絶たない。
生活用品と同様に小舟に積み込まれ対岸に運び込まれるタイ産のビール。
対岸はミャンマーの少数民族が住む地域で
政府の管理は及ばないという。
違法ビールは正規の市場シェアに換算すると推定で30%相当。
会社の利益を大きく圧迫しかねないだけに
会社側は政府に取締りの強化を働きかけている。
(キリンホールディングス ミャンマーブルワリー 南方健志社長)
「違法ビジネスは少数民族の権益にもなっているようだ。
 地方政府も問題とわかっていながら対策を打つのが難しい。
 時間をかけながらやっていくしかない。」
この10年で生産量が3倍に拡大し世界9位のビールしj功に成長したベトナム。
この市場に6年前に参入したのがサッポロホールディングスである。
ホーチミン近郊に50億円余で工場を建設し現地生産を開始。
高級ビールとして売り出した。
しかし2割ほど安い一般のビールと比較すると売り上げは伸び悩んでいる。
(客)
「いつも飲んでいるのはサイゴンビールかタイガービール。
 味もいいし値段もそれほど高くないから。」
さらに競合に対抗しようとするあまり取引先に支払う販売費などが膨らみ
サッポロのベトナム事業は赤字が続いている。
そこで去年から事態の打開に向けて戦略を変更。
地道に販路を広げブランドの浸透を図ることにした。
精鋭の営業部隊が人気レストランなど
イメージの向上につながる店の新規開拓に特化し1日20軒を目標に訪問を繰り返す。
この日訪れたレストランが主に扱うのは競合他社のビール。
自社のビールは置いてもらっているがまだメニューには商品名が載っていない。
商談ではブランドの歴史や品質を繰り返しアピールし
メニューに載せてもらえるよう交渉する。
(営業担当者)
「わが社の商品が載ったメニューのサンプルと会社のパンフレットをお渡しします。」
こうした営業努力の結果
ベトナム事業の赤字額は今年2年連続で縮小する見通しだという。
(サッポロ ベトナム 正脇幹生社長)
「ちゃんとブランドを育て
 サッポロを喜んで飲んでもらえるお客さんを増やす。
 長い目で見た形の営業活動を続けていきたい。」



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皇室ウエディングを振り返る

2017-09-28 06:45:00 | 報道/ニュース

9月3日 おはよう日本



初めて民間から皇室に入られた美智子さま。
ドレスはクリスチャン・ディオール。
和装での結婚式が一般的だった当時
ウエディングドレスへ憧れや夢を託す文化も広がっていった。
時代は平成。
皇太子妃となられた雅子さま。
ドレスは森英恵さんのデザインで
バラをイメージした襟飾りが華やかだった。
そして女性たちの目をくぎ付けにしたのは光り輝くティアラ。
美智子さまが身に着けられたものを受け継がれた。
新たなプリンセスの誕生を祝った。
これをきっかけに
女性たちも“自分たちも輝きたい”と結婚式にティアラをつけることが大流行した。
そして眞子さまの母親の紀子さま。
眞子さまと同じく学生時代から交際を重ねて結婚された。
(当時の秋篠宮殿下)
「話をしていて楽しい人。
 そういう人なんですね。」
ドレスは着物を羽織ったような独特のデザイン。
担当したのは日本人で初めてありでファッションショーを開いた中村乃武夫さんだった。
長年皇室を取材してきたジャーナリストの渡邊みどりさんは
当時中村さんのインタビューを担当。
ドレスのデザインについて聞いた。
(皇室ジャーナリスト 渡邊みどりさん)
「今まで“紀子ちゃん”と呼ばれていた方が
 これからは妃殿下におなりになって
 “羽が生えてふわっと飛んでいくようなそういうドレスが作れたらな”
 そういうイメージを持って取り組まれたようだ。
 普通のローブデコルテ(夜会服)にはないような独特な打ち合わせ。
 ステキでかわいいなと思ったし
 平成の皇室というものの最初のそれがスタートいう感じがした。」
眞子さまと同じく一般の方と結婚し皇室を離れたのが叔母の黒田清子さんである。
眞子さまは小さいころから清子さんを“ねぇね”と慕い
将来に向けた相談をされることもあったという。
清子さんが晴れの日に選んだのはシンプルなどレスだった。
親しい友人によると
清子さん自身が子どものころから憧れたアニメのヒロインのドレスによく似たデザインだという。
シンプルさは披露宴にもよくあらわれていた。
形にとらわれないものにしたいという強い希望から
お色直しもケーキカットもなかった。
清子さんの結婚には平成の皇室のあり方がよくあらわれていたと
専門家は指摘する。
(皇室の歴史に詳しい神戸女学院大学 河西秀哉准教授)
「私たちと
 まさに国民と同じ目線
 同じ立ち位置にいる結婚式としてやられている。
 もうひとつは今の天皇家のあり方みたいな形だと思うが
 しきたりにとらわれて“こうじゃなきゃいけない”というのではなく
 自分たちで考え自分たちで行動する。
 そういう形で清子さんがご自分の意志を表現されたところに大きな意味があった。」
眞子さまの結婚の準備については
「基本的には我々に近しい存在として
 特に今回の場合もご結婚が恋愛結婚だということが伝えられていて
 本当に私たちと近い形になるんじゃないかというふうには考えられる。」




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売り上げ好調 客の心つかむ秘策は?

2017-09-27 06:00:00 | 経済フロントライン

9月2日 経済フロントライン


通常の青果店の数倍の1か月に約450万円を売り上げる店がある。
こだわるのは野菜の味。
産地がいくつもある中で今が一番食べごろだというものを並べ
店員はていねいに説明してくれる。
(客)
「週に2~3回は来ますね。」
「おいしい野菜を食べたいと思うときはこちらを利用します。」
野菜はすべて店員が味見し
場合によっては店に置かないことがある。
こうした青果店を10店舗運営しているベンチャー企業。
店先でチェックした野菜の味の評価はここに集められ生産者に送られる。
以前入荷したものとは味が少し変わっていたスイカ。
収穫のタイミングや運送の仕方などに問題はなかったのか生産者と話し合う。
(アグリゲート バイヤー 松根拓乃さん)
「収穫の前後で雨が降ったりすると急激に味が落ちるとか
 傷みやすくなるとかよくあること。
 どこを改善すればより良くなるかという話を日々やっている。」
代表取締役の左近克憲さんは福岡の出身である。
東京と福岡の野菜に大きな違いを感じた左近さんは
味の違いにこだわる青果店を始めればニーズがあるはずだと考えた。
そのねらいは的中。
売れなかった野菜も弁当の具材にして利用し売り上げを伸ばしている。
(アグリゲート 代表取締役 左近克憲さん)
「おいしい野菜や果物を食べたいニーズは都市ではものすごく高まっていると思う。
 本当に野菜の味がしっかりしておいしいものを届け続けられるか
 それを解決していけば商機だと思う。」
売り上げが前年同期比で4割増えたという精肉店もある。
カフェ風のスタイリッシュな内装だが和牛専門の店である。
店員はまず客の好みや作る料理を聞き出し
どの肉がいいか
40種類ほどの部位の中から提案する。
もともと外資系の証券マンだったオーナーの上野望さん。
ワインや野菜のソムリエのように
繊細な味を伝える人がいれば新たなニーズをつかめるはずだと考えた。
(TOKYO COWBOY オーナー 上野望さん)
「スーパーで陳列されている肉を見て
 一般の人は目利きは出来ない。
 和牛をきちんとした形で消費者にわかる仕組みで販売できれば
まだまだビジネスチャンスはある。」
肉の新しい販売方法を考え出した。
常連のお客さんがこの日利用したのは
“ミートキープ”と呼ばれるサービス。
客がブロック肉をまとめて購入。
食べる分だけをカットし
残りは店が温度や湿度を正確に管理できる冷蔵庫で保管してくれる。
真空パックで保管すれば約1か月キープが可能である。
時間の経過とともに食感や香りなど肉の微妙な変化を楽しめるという。
(常連客)
「味がわかってるじゃないですか。
 1度食べた肉だから。
 自分の都合で自分の肉を食べられるというのが
 自分の家の冷蔵庫みたいにここを遣えるからいい。」
野菜の味に徹底的にこだわる青果店。
客の好みにとことん合わせる精肉店。
外からの視点が新たな消費者のニーズをつかみ始めている。



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業績好調!個性派スーパー  

2017-09-26 06:00:00 | 経済フロントライン

9月2日 経済フロントライン


香川県を中心に20店舗を展開するスーパー。
打ちっぱなしのコンクリートの売り場に色とりどりの魚が並ぶ。
発泡スチロールのケースはそのままにまるで魚市場のようである。
プロの料理人も続々と買い付けにやって来る。
魚目当てに集まった客が野菜や肉など他の商品も買っていく。
売り上げはここ10年で3倍以上に増えた。
社長の木村宏雄さん。
成功の秘訣は売り場の担当者に大きな権限を与えていることだと言う。
(新鮮市場きむら 社長 木村宏雄さん)
「もう好きなように買って
 好きなように売価をつけてくれ。
 それが良かったのかな。」
4月からこの売り場をまかされている鮮魚部門チームの安富圭一さん(32)。
朝3時に安富さんは自ら魚市場に仕入れに行く。
そこには同じスーパーのトラックがズラリ。
各店舗から担当者が仕入れに集まってくるのである。
通常スーパーの魚は
競りに参加した仲卸から仕入れの責任者が一括して購入し
お店に振り分けるのが一般的だという。
一方安富さんのスーパーでは各店舗の担当者がそれぞれ競りに参加。
仕入れを行う。
この朝安富さんが買い付けた魚は約50種類。
なかでも目玉商品にしたいと考えたのがさんま。
売値を決めるのも安富さん。
店によって値段や品揃えも変わってくる。
「きょうはさんま6ケースぐらいいきますね。
 1匹売値で198円で売ろうかなと。
 売上高の1日の目標は80万から100万円ぐらい。」
各店舗の魚の売上高は担当者の間で共有され
評価にもつながる。
競い合うことでモチベーションが上がり
魚を目利きする力も鍛えられると言う。
(鮮魚部門チーフ 安富圭一さん)
「どこよりも新鮮なものを先に手に入れて売るというところだけは絶対に負けない。」
(新鮮市場きむら 社長 木村宏雄さん)
「このやり方はたぶん大手さんはまねが出来ない。
 鮮魚に関してはどこのスーパーとあたっても負けない。」
安売りはしない方針で売り上げを伸ばしているスーパーもある。
栃木県内で展開するスーパー。
無農薬で育てた野菜が安心・安全を売りにしている。
たとえばナス。
無農薬で肥料も使わずに栽培した。
1袋200円と少し割高だがすぐ売り切れる人気商品である。
(客)
「ここに来ると良いものがあって安心。
 安心素材なのかな。」
「やっぱりものが安心して買えるから来る。」
実はこの店は以前は品数を増やし安さを売りにする戦略を取ってきた。
しかし近くの強豪相手に客を取られ赤字が続く。
(三舛屋 会長 沓掛健一さん)
「本当に厳しいときには前年比1割2割というレベルで落ちた。」
改善のきっかけとなってのはある経営者との出会いだった。
自らもスーパーを経営し客の心をつかむノウハウを教えている
福島屋会長の福島徹さん。
“安さではなく客にとっての価値は何かをしっかり考えて欲しい”と伝えてきた。
(福島屋会長 福島徹さん)
「その商品がお客にとってどういう風に役立つんだろうか。
 自分たちでちゃんと考えよう。
 そんな企業風土を少しずつつけていこう。」
この店では福島産の教えをもとに
安全・安心を大切にしたい店づくりを目指すことにした。
品揃えを変えるとともに
地域の農家との提携。
田んぼ1枚分の米をすべて買い取る契約をし
農薬や肥料を使わずに栽培してもらっている。
(三舛屋 開帳 沓掛健一さん)
「これ美味しいんですよとお伝えして
 売り場でおすすめできるようになった。
 本当に自信をもってというのが一番変わったところ。」



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中国で広がる“次世代”コンビニ

2017-09-25 06:00:00 | 報道/ニュース

9月2日 おはよう日本

中国南部の大都市 広州。
町のシンボル広州タワーの下にできた一風変わったコンビニ。
いまこの無人のコンビニが人気を集めている。
パネルに表示された商品を選びスマートフォンで読み込むだけで購入することができる。
商品を機械が自動で温め店内で食べることもできる。
スマホで支払いが完了するとあっという間に商品が提供される。
さらに食事が終わるとテーブルの掃除も全自動である。
物珍しさと便利さが受けて人気を集めている。
(客)
「未来はこういう買い物の仕方が広がるでしょう。」
中国の都市部で今年に入って出店が相次ぐ無人コンビニ。
今ではベンチャーを中心に10数社が参入し
全体の売り上げは今年日本円で6,500億円
2020年には10倍以上に成長すると予想されている。
(CM)
「あなたが今まで訪れたカフェで一番賢いお店です。」
最新技術を駆使した店も登場。
顔認証を利用し支払いはもちろん1人1人の待ち時間まで一括管理している。
3番 待ち時間2分
9番 待ち時間6分
無人コンビニが広がる背景には経済成長にともなう人件費や店舗の賃料の上昇がある。
都市部の民間企業の人件費は5年で1,7倍に。
人件費の削減が見込め
狭い面積でも運営できる無人コンビニに期待が高まっている。
無人コンビニにビジネスチャンスを見出す若者もいる。
王牧牧さんは仲間と起業し
今年6月に初めての店を出した。
(無人コンビニ経営者 王牧牧さん)
「無人コンビニの潜在能力は非常に大きいです。
 新しい技術で人々の生活に変化をもたらしたいです。」
王さんの店の売りは会計が簡単なこと。
客はまず入り口にスマホをかざして入店。
店内の商品にはタグが付いている。
買いたい商品をもって支払いスペースに立つとタグの情報が自動で読み取られる。
スマホで支払いが完了すればドアが開く仕組みである。
(客)
「すごく斬新です。
 試しに来てみたのですが会計が早くていいですね。」
しかし1号店ゆえの課題も浮き彫りに。
「あれ?反応しない。
 なんでだろう。」
スマホが反応しないためドアが開かず客が店から出られなくなてしまった。
さらに自慢のシステム自体にも問題が発生。
「後ろに人が立つとその人の分も計算されてしまいます。」
後ろの客との距離が近いとその人の商品まで読み取られてしまうことがわかった。
王さんはさっそく同僚たちと解決策を話し合う。
「支払いスペースが問題ね。」
「外に移せば広くなるし
 支払いスペースと区別できるわ。」
改良を重ねる王さん。
シェアをめぐる競争がし烈さを増すなか
新たな店を開く準備を急いだ。
目標は3か月で100店舗の全国展開である。
そして9月1日
待ちに待った2号店がオープンした。
課題だった支払いスペースも完成。
今後は出られない時などのため緊急ボタンも設置する予定である。
(無人コンビニ経営者 王牧牧さん)
「やっと開店できてうれしいです。
 多くの都市で無人コンビニが見られる日が来ると信じています。」


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震災を乗り越え 復興銘茶

2017-09-24 06:15:00 | 報道/ニュース

9月2日 おはよう日本


今年5月に運行が始まった東日本を走る豪華寝台列車トランスイート四季島。
ここで採用されたのが玄米茶である。
(トランスイート四季島 岩崎均総料理長)
「おいしいですね。
 何種類か飲ませていただきまして
 飲んだ瞬間に『列車で使いましょう』と即答してしまいました。
 雑味のないクリアな味
 一番打たれた。」
玄米茶を作ったのは
塩釜市で80年以上にわたって続くお茶屋の老舗「矢部園」3代目
矢部亨さんである。
茶葉に氷とミネラルウォーターを入れる“氷水仕立て”と呼ばれる淹れ方で
強い香りと深い味を引き出す。
(茶を製造・販売 矢部亨さん)
「この氷水で出すとカフェインが出ない。
 カフェインは味の表記でいうと“苦み”。
 苦みが出ないということはうまみの輪郭が際立つ。」
矢部さんの祖父の代から店を構えてきた塩釜は
東日本大震災で津波による大きな被害を受けた。
矢部さんの店は天井まで浸水。
お茶の道具や大切な茶葉もすべて流されてしまった。
震災が起きたあの日
矢部さんは東京でお茶の専門家「茶匠」の試験を受けていた。
しかし香り高いお茶を入れられる資格を手にしたその日から店は休業。
その期間は4か月間に及んだ。
自分の代で店をたたむことも頭をよぎったが
再建に向けてエネルギーになったのも“地元を復活させたい”という思いだった。
(矢部亨さん)
「お店もどこもなくて寄るところもなくて
 仮設住宅にずっといなければいけない。
 だからちょっとでも
 “ほっとできるわよね ずいぶんがんばって 矢部園さんうれしい” 
 “ここに明かりがともっていると落ち着くわね”
 というような気持ちになってもらえればうれしい。」
矢部さんは冷たい氷水で高い香りと深い味を引き出すため
茶葉と玄米にこだわった。
矢部さんは
年に1度最も良いタイミングで摘んだお茶の葉のうち
わずかしかとれない先端のみを使う。
玄米も味や香りが濃いという東松島産の“かぐや姫”を使う。
矢部さんのこだわりを支えたのは
同じく被災しながらも質の高い原料を供給し続けた生産農家だった。
玄米を収めている木村正明さん。
震災の津波でほとんどの田んぼが塩害の被害にあった。
震災前は3人いた生産農家は震災後には木村さんただ1人となったが
矢部さんから玄米の香り高さを評価されたことが復活の1つの原動力となった。
(玄米を生産 木村正明さん)
「生産者冥利に尽きるというか
 それが仕事でいけるのであれば歯を食いしばってできるとこまでやろうかと。
 言葉では説明できないエネルギー
 生きる
 足を踏み出す力強さに魅入られて
 私もあとをついて行くような感じ。」
震災を乗り越えて復活した矢部さんのお茶。
「伊達茶」と名付けられこの夏から一般販売が始まった。
(客)
「すごく複雑な味
 甘みと
 いい意味でスカッとした苦み。」
その完成披露会。
生産農家の木村さんも招かれ喜びを分かち合った。
(茶を製造・販売 矢部亨さん)
「風評もあってなかなかお茶が売れにくかった。
 そこを乗り越え
 農家が命を懸けて作っているお茶
 われわれも伝えるに値するものだなと。
 全国から“お願いだから売ってください”というお茶になってほしい。












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北への“ブーメラン効果”

2017-09-23 06:00:00 | 編集手帳

9月16日 編集手帳

 

 太古の昔、
空は地につきそうなほど低く、
人は天地の間を這(は)って進んだ。
老いた首長が池の中の棒を拾って考える。
この棒で空を押し上げれば、
人は立ち上がれるようになり、
みんなが幸せになれる、と。

望んだ通りに地を這う人はいなくなった。
曲がってしまった棒を首長が投げ放つと、
その手に戻ってきた。
オーストラリアの先住民に伝わるブーメランの由来という(『スロースポーツに夢中!』岩波書店)。

それは狩猟やスポーツの道具になったが、
人々に何一つ恩恵をもたらさない飛び道具もある。
またしても弾道ミサイルが日本の上空を飛んだ。
国連安全保障理事会が追加制裁決議を採択した直後の愚行である。

世界の安全を脅かす行為には制裁という“ブーメラン効果”を及ぼす。
国際社会の意思が届かない相手に対し、
水も漏らさぬ制裁の履行で、
その効果を肌身に感じさせねばなるまい。

美しい話を語り継いできた人々には失礼ながら、
ブーメランの伝説を北朝鮮にあてはめてみる。
もとの棒はミサイル開発に要した資金であり、
技術だろう。
独裁者に首長の心あらば困窮する幾人もが救われように。


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韓国で愛犬ブーム “柴犬”人気広がる

2017-09-22 06:00:00 | 報道/ニュース

8月31日 キャッチ!


{シバナラ」という柴犬愛好家たちの集まり。
5年前に作られ
今ではメンバーが2万5千人いる。
「ナラ」は韓国語で「国」の意味。
つまり「柴犬の国」というわけで柴犬に対する強い思いがうかがえる。
柴犬はここ1年ほどで急激に韓国で人気が高まった。
きっかけはSNS。
柴犬を特集した日本のテレビ番組などの映像がアップされ
みるみる広がった。
韓国で飼われている柴犬は3年前は約1,300匹だったのが
現在は2倍以上の約3,000匹まで増えた。
(「シバナラ」メンバー)
「とにかく可愛いんです。
 忠誠心や自立心も強く
 普通の犬とは違うんですよ。」
「散歩をしているとまわりの人が集まって可愛がってくれます。」
韓国で柴犬が人気となっている理由は都会の住宅事情もあるようだ。
もともと韓国では犬を飼うときは珍島犬(チンドケン)という朝鮮半島原産の犬が一般的で
不審者を威嚇する番犬としても飼われてきた。
ところが体と吠える声の大きさが現代の住宅事情にマッチしなくなってきたのである。
ソウルを筆頭に都市部への人口集中が進んでいるため
庭のないアパートに住む人が圧倒的に多くなっている。
珍島犬の大きな鳴き声は近隣に大きな迷惑となる。
そこで珍島犬とうりふたつな柴犬に注目が集まった。
珍島犬より一回り小さく性格もおとなしめだとして
アパートで飼う人にはぴったりという評判が広がったのである。
(「シバナラ」代表 チェ・イファンさん)
「柴犬は珍島犬と同じ“シュピッツ北方犬”という系統なんです。
 ですから珍島犬ととても良く似ている。
 街なかでは『それ珍島犬の赤ちゃんですよね』と勘違いする人も少なくない。」
ここ数年「シバナラ」のメンバーはその数を急速に増やしている。
しかしほとんどの人は柴犬を飼うのは初めて。
それだけに飼い主同士でこうして定期的に集まり
エサや散歩の仕方などについて情報交換するのが大事だという。
「シバナラ」のメンバーの1人で韓国南部出身のキム・デウォンさん。
子どもの頃はやはり実家の庭で珍島犬を飼っていたと言う。
しかし就職活動のためソウルに上京しひとりでアパート暮らしを始めると
普段の生活にもの足りなさを感じ始めた。
そんなデウォンさんの頭の中をよぎったのは
実家で珍島犬と暮らしていた楽しい思い出である。
今は兄と一緒に暮らすデウォンさん。
アパートで飼いやすい犬を調べたところ柴犬のことを知った。
柴犬がkぢたことで2人の生活に潤いができたという。
(「シバナラ」メンバー キム・デウォンさん)
「ソウルに上京した時には本当にさみしかった。
 そのあと兄が来てくれて
 またこのコたちと暮らすことで安心しました。
 このコたちは僕にとってかけがえのない家族のような存在なんです。」
名前は「錦」と「カナ姫」。
故郷である日本の名前をつけてあげたかったと言う。
日本原産の純粋な柴犬であるという点も誇りである。
(「シバナラ」メンバー キム・デウォンさん)
「僕が柴犬を飼っているということを知って
 家に遊びに来る友だちもいるし
 散歩に出ると知らない人が
 柴犬の性格やどれぐらいの値段で買えるのか聞いてくる人もいる。」
(「シバナラ」代表 チェ・イファンさん)
「いったん柴犬の魅力にハマってしまうと他の種類の犬は目に入らなくなるんです。」
核家族から生み出した韓国の柴犬ブームはまだまだ続きそうである。




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中国 ロボコンで育成!“未来のエンジニア”

2017-09-21 06:00:00 | 報道/ニュース

8月30日 国際報道2017


“アジアのシリコンバレー”と呼ばれる中国深圳で開かれた大会。
参加したのは各地の予選を勝ち抜いた大学32チームである。
(参加者)
「何度も徹夜して準備してきました。」
中国ではロボット産業が急成長。
ドローンで世界シェア7割を占める企業も誕生している。
一方で高度な技術を持ったエンジニアは不足し
育成が急務となっている。
試合で学生が使うのは自らが設計した5種類のロボット。
取り付けたカメラの映像を頼りに相手チームを攻撃する。
球を打ち
相手のポイントがなくなれば勝ちである。
求められるのは今後のロボット開発に欠かせない実用的な能力である。
ドローンは数メートル以上離れた相手のロボットの上空まで飛行し球を投下。
正確な飛行技術が必要である。
地上のロボットは箱をつかんで台の上にのせる細かい運搬技術を競う。
さらに戦車のようなロボットも。
人工知能を搭載し数字の順に球を当てる高度なプログラミングが求められる。
優勝した学生は賞金として日本円にして330万円を獲得。
大会からは大手ロボット企業で活躍するエンジニアが生まれている。
(優勝したチームの学生)
「コンテストで実際に戦ってみて
 ロボットを安定して運用する重要性を学ぶことができました。」
(主催したドローンメーカー 徐華濱副総裁)
「産業が発展していくなかで
 新たな技術を開発し実用化する必要がある。
 テクノロジーを学ぶ学生たちが力を発揮できる舞台を提供していきたい。」
中国各地で繰り広げられる白熱した戦い。
技術者育成の取り組みが熱を帯びている。


 

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夏を彩るあめ細工 旭山動物園

2017-09-20 06:00:00 | 報道/ニュース

8月30日 おはよう日本


生き生きとした動物の展示で人気の旭山動物園。
多くの観光客が訪れる。
観光客を楽しませてくれるのは動物ばかりではない。
動物園の片隅にできた人垣。
見つめる先にあるのは昔なつかしいあめ細工である。
本州と違って気温や湿度が低くさわやかな北海道ではあめ細工を作る環境が整っている。
子どもの頃を懐かしんでたくさんの大人も足を止める。
作っているのは旭川市のあめ細工職人 小笠原豊さん(53)。
子どもたちが多く集まる夏の動物園で毎年屋台をかまえ
あめ細工を作っている。
フクロウ ペンギン キリン サル アザラシ
小笠原さんが作るのは主に動物園の動物たち。
古き良き日本の文化を大切に残したいと
15年前タクシー運転手を辞めてあめ細工職人の道を選んだ。
(あめ細工職人 小笠原豊さん)
「昭和の時代が好き
 雰囲気が好き
 昔ながらのものをそのまま残したい。」
小笠原さんは朝6時に起きて仕込みをする。
朝一番でチェックするのは気象情報。
(小笠原豊さん)
「気温によって“あめ”の固まり方のスピードが違うんです。」
素材のあめを煮込んで溶かす。
あめに含まれる水分量を変え
その日の天気によって固まるスピードを調整するためである。
気温が高い日は温度を上げて水分を飛ばし固まりやすくする。
(小笠原豊さん)
「あめ細工を作るよりも仕込みの方が難しいかも。
 1度違うだけで全然違うあめになる。
 そこはすごい難しいとこ。」
専用の容器に入れられたあめの温度は70度ほど。
あめは取り出して外気にさらされると30秒ほどで固まり始める。
1つのあめ細工を作るのに2~3分が勝負である。
最近はちょっと変わったリクエストにも応える。
自宅で飼っているペットなどの依頼である。
(観光客)
「柴犬を家で飼っていて
 柴犬が好きだから。」
小笠原さんはまずあめに色を付ける。
写真を見ただけの小笠原さんですが
すばやく柴犬の特徴を表現していく。
小笠原さんが子どもの頃にあめ細工に受けた感動は
いまの子どもたちも同じである。
(小笠原豊さん)
「今も昭和の時代も変わらず
 子どもたちはいつも癒しになるようないい顔してくれる。
 それがよくてやめられない。」



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ノッティングヒル“追悼のカーニバル”

2017-09-19 06:00:00 | 報道/ニュース

8月28日 国際報道2017

8月
ロンドンで開かれた世界最大のストリート・フェスティバル
ノっティングヒル・カーニバル。
今年は地域の人々にとって特別な思いを込めたイベントとなった。

さまざまな民族が暮らすロンドンを象徴する祭りノッティングヒル・カーニバル。
例年約100万人が参加し華やいだ雰囲気に包まれる。
カーニバルは1960年代にカリブ海などの移民を中心に
まだ人種差別が残る異国の地で地域の絆を深めようと始まった。
しかし街はいま重苦しい雰囲気に包まれている。
6月に会場の近くでタワー火災が起きたからである。
約80人が死亡したと見られているが
遺体の収容は終わっておらず
行方が分からないままの人も少なくない。
行政との会合では家を失った多くの人がいら立ちをあらわにした。
「いつまでホテルにいなければならないのか不安です。」
そんななか1人の女性が発言した。
被災者の支援を続けるクラリー・メンディさんである。
(支援団体 クラリー・メンディさん)
「地域の団結を示し
 犠牲者を悼みましょう。
 そして誇りに思える街にしましょう!」
カーニバルを“追悼の日”にしようと呼び掛けたのである。
カーニバルの当日
メンディさんはさまざまな宗教の指導者を招いて追悼式典を開いた。
追悼のために選ばれた曲は
サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」。
“困難を乗り越え前に進もう”という思いを共有するためである。
被災者たちはさまざまな思いを鳩にたくした。
(父親を亡くした遺族)
「みんな手をさしのべようとしてくれています。
 父もきっと喜んでいるでしょう。」
(支援団体 クラリー・メンディさん)
「心を動かされ癒される式典でした。
 まだ傷は残っていますが強いきずなできっと乗り越えられるでしょう。」
傷ついた街で行われたカーニバル。
再生への願いが込められていた。



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バイオリニスト 若林暢さん “魂の音色”

2017-09-18 05:45:00 | 報道/ニュース

8月28日 おはよう日本


協会に流れるバイオリンの音色。
しかしステージにはスピーカーだけ。
演奏する人の姿はない。
この演奏をしたのは若林暢さん(享年58)。
乳がんを患い
去年58歳でこの世を去った。
両親の介護
自らの癌との闘い。
波乱万丈の人生を生き抜いたバイオリニストである。
コンサートには若林さんと親交のあったさだまさしさんも駆け付けた。
(シンガーソングライター さだまさしさん)
「新進気鋭のバイオリニストがさまざまな苦労をしながら人生を生きて
 そういう人が残した音楽は必ず何か尊いものが残っていると信じている。」
生前著名になることはなかった若林さん。
しかし亡くなって1年が経った今
演奏を復刻したCDが発売されクラシック部門で1位を獲得。
無名の演奏家が亡くなった後に注目を集めるのは極めて異例だという。
「胸に語りかけてくる。
 すごくうっとりする音色。」
「大げさだけれど
 自分に魂があるとすればそれをつかまれて揺さぶりやまぬ感じ。」
なぜ若林さんの演奏が人々をひきつけるのか。

4歳からバイオリンを始めた若林暢さん。
東京藝術大学大学院を出てアメリカの名門ジュリアード音楽院で学んだ。
世界的なコンクールで優勝や入賞を果たし
多彩な音色とスケールの大きな演奏が海外で高い評価を得た。
若林さんのことを古くから知る東京藝術大学学長の澤和樹さん。
若林さんと同じ師匠のもとで学び
20年わたり演奏をともにしてきた。
専門家や演奏仲間から一目置かれる存在だった若林さん。
しかしオーケストラや音楽事務所に所属することなく
ただ作曲家の思いを深く読み取り演奏することを喜びにしていたという。
(東京藝術大学学長 澤和樹さん)
「名誉欲は感じたことがない。
 作曲家が目指したところを追求しようという
 演奏家としてすごく真摯な気持ちが源にあって
 それでいて彼女ならではの個性を感じさせる音作りをしていた。」 
“知る人ぞ知る名バイオリニスト”と言われた若林さん。
しかし彼女を待ち受けていたのは純粋に音楽だけに向き合える暮らしではなかった。
2度の離婚を経験し両親と3人で暮らしていた若林さん。
ところが母親は難病を患い車いす生活になり
父親は癌に倒れる。
若林さんの音楽仲間の橋本真知子さん。
「最愛の両輪を支えたい」と家庭内介護をする若林さんを間近で見てきた。
練習や演奏会が終わるとすぐ家に帰り
両親の食事や入浴の介助を続けるなど体を酷使し
腰を痛めたり指を腫らしたりすることもあったという。
(チェンバリスト 橋本麻智子さん)
「本当にきりがないほどの雑用と心配事が現実にあったと思う。
 その中であれだけちゃんとした演奏活動を並行してやっていくのは人間業では限界があるので
 本当にギリギリのところで何もかもやっていたと思う。」
10歳のころから若林さんに指示してきたバイオリニストの根来由実さん。
若林さんは弟子に自分の置かれた境遇をほとんど語らなかったが
心のうちを垣間見るような言葉を口にしていたという。
(バイオリニスト 根来由実さん)
「“音楽は悲しみから生まれた”というのは独り言のように言っていた。
 すごくつらいとき悲しいときに人間はばく大なエネルギーを生む。
 そうやって絞り出したものに本当の美しさがつまっていることがある。」
3年前さらに若林さん自身を病が襲う。
乳がんと診断された。
介護していた両親に病気のことは告げず手術を受けた。
(当時若林さんが綴った日記)
とにかく生きて弾かねば!!
しかし思いとは裏腹に
1年後癌は肝臓に転移。
余命3か月と宣告された。
それでも若林さんはバイオリンへの情熱を燃やし続けた。
去年2月
最後となる演奏に臨んだ。
友人の橋本さんが企画したチャリティーコンサートだった。
抗がん剤の副作用に苦しみ
医師からは「演奏は無理だ」と止められていた若林さん。
観客にもそして共演者にも病気のことはふせてステージに立った。
曲は若林さんが好きだった作曲家ブラームスの作品「ピアノ四重奏曲 第1番」。
(チェンバリスト 橋本麻智子さん)
「とても生き生きしていたし
 自分の命を紡いで紡いで到達する純度の高い演奏。
 ここに立つために大変なことを乗り越えてこのステージに立っているか。
 すべてを喜びに変えて輝いていることに尊さを感じた。」
力強い最終楽章
最後の一音まで弾ききった。
コンサートの4か月後
平成28年6月8日 若林さんは静かに息を引きとった。
全身全霊でバイオリンと生きた若林暢さん。
その演奏が聴く人の心を動かすのは
哀しみも喜びもすべてが音楽に込められているからなのかもしれない。

若林さんは若手の育成にも熱心に取り組んでいた。
そうした思いを受け継いだ音楽仲間たちがいま「若林暢音楽財団」を運営し
若手音楽家の育成や
地方の子どもたちにクラシックを届ける活動を始めている。
CDの売り上げの一部はこうした財団の活動に使われる。




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東京のためにか、 知事のためにか 忠誠心の行方

2017-09-17 06:15:00 | 編集手帳

9月7日 編集手帳

 

 若い大名には何事も人に劣った記憶がない。
幼年時代からそうだった。
破魔弓、
蹴鞠(けまり)…。
習字の筆をとれば右筆の老人が膝頭をたたいて称賛した。
菊池寛の小説『忠直卿行状記』である。

〈家老たちは、
 今までにその幼主の意志を、
 絶対のものにする癖が付いていた〉。
一緒にしては反発が出ようか。
都民ファーストの会にとって、
都議選後初の本格的な論戦の舞台となった都議会臨時会が閉会した。

知事への礼賛一色だった。
そんな感想を聞く。
「政治家としての柔軟性を発揮した」「真に安心安全を守ることにつながった」。
市場移転問題を巡る知事の対応を、
この会派の議員は口々に称(たた)えた。

お追従と言っては失礼かもしれない。
知事は民意の信任を得た東京の舵(かじ)取り役である。
議員も都民に選ばれて今の立場にある。
若君と臣下の関係と本来同じであるはずもない。

「会社に対する忠誠心と社長に対する忠誠心とは違って然(しか)るべき」とは、
作家の城山三郎さんの言葉である(『静かに 健やかに 遠くまで』)。
東京のためにか、
知事のためにか。
20日には定例会が始まる。
忠誠心の行方が改めて問われよう。


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クラウドファンディング ②マーケティングに活用

2017-09-16 06:00:00 | 経済フロントライン

8月26日 経済フロントライン


クラウドファンディングをマーケティングに活用し
開発された製品がある。
ソニーが開発したスマートウォッチ。
バンド部分にスマートフォンの着信通知や電子マネーの機能を入れ
ヒット商品となった。
この製品は入社間もない若手社員がチームのリーダーとなって開発を進めた。
(ソニー 新規事業創出部 Wena事業室 統括課長)
「腕時計として長年培ってきた完成された価値と
 スマートウォッチの便利さと両方兼ね備えた商品を作りたいと思って。」
会社ではこうした製品が実際に市場で受け入れられるのかを確認するために
自社でクラウドファンディングの仕組みを作り活用している。
社員の提案の中から有望なものをクラウドファンディングに掲載。
目標金額が集まればニーズがあると判断し製品化に乗り出す。
一方で目標を達成しなければ製品化は行わない。
これにより製品開発を効率よく進めていこうというのである。
スマートウォッチは目標の10倍もの金額を集め開発が決まった。
(ソニー 新規事業創出部 Wena事業室 統括課長)
「クラウドファンディングをやると
 お金を払った人のデータを得ることができる。
 それがないとこういう商品を事業化するのはなかなか難しい。」
クラウドファンディングを通じてマーケティングを行うことで
これまで5つの製品の開発に成功した。
(ソニー 新規事業創出部 First Fiight プロジェクトマネージャー)
「お客様が欲しいと言っているような商品を常に作りたいと思っているので
 実際に共感してくれたお客様の声を大事にして
 次の商品を開発していきたい。」
クラウドファンディングには大きな宣伝効果があるとして活用する動きも出ている。
8月に福井市内のキャンプ場を福井銀行とクラウドファンディングの運営会社の担当者が訪れた。
キャンプ場を運営する地元企業は温泉施設を作りたいと考えている。
そこで銀行がクラウドファンディングを運営する会社を紹介し
資金調達を促そうというのである。
(福井銀行 大野支店長 角井康夫さん)
「海岸に近いので雪の量が少ないので冬も使えるのが1つの強み。」
本来は融資をするはずの銀行がなぜクラウドファンディングを勧めるのか。
実はネットを通じて投資を募れば全国にこのキャンプ場の魅力を発信でき
銀行が融資しただけでは得られない集客が見込めるという。
(クラウドファンディング運営会社 READYFOR マネージャー 田島沙也加さん)
「みんなの力で作った所だというような場所になれば
 長く続いて皆さんが愛してくれる場所になるので
 クラウドファンディング成功させましょう。」
(福井銀行 大野支店長 角井康夫さん)
「福井県の中小企業の方は非常にいいコンセプトを持っていても
 それをどう宣伝していくか
 苦手な企業が多いのではないか。
 全国からお金を集められる
 加えて全国に宣伝も一緒にできることが魅力というか大事なところ。」
これまでにこの銀行がクラウドファンディングを紹介した企業は14社。
事業が拡大すれば銀行からも融資をしていきたいと考えている。
(福井銀行 ちゃえる戦略チーム チームリーダー 宮越啓さん)
「1つの成功が必ず次につながっていくでので
 今度は大規模な資金調達とかプロジェクトに変質していくことになる。
 そこは銀行の役割だと思っているので。」
(クラウドファンディング運営会社 READYFOR CEO 樋浦直樹さん)
「今年に入って加速していて40を超える金融機関と提携しています。
 今も話をしているところが2桁ぐらいあるので
 これからも増えていく形になる。」


 

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