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アメリカ 移民政策めぐり自治体の対立激化

2018-06-30 07:00:00 | 報道/ニュース

5月31日 国際報道2018


アメリカ本土内に約1,100万人いると言われる不法移民。
トランプ政権は移民に厳しい姿勢で臨んでいるが
その一方で移民に寛容な政策をとる自治体もあって
対立している。
移民政策をめぐってトランプ政権と真っ向から対立しているのが西部カリフォルニア州である。
カリフォルニア州には全米の4分の1にあたる不法移民が住んでいるとされている。
もともと民主党の地盤でリベラル色が強く
不法移民の強制送還に協力しない「聖域都市」と呼ばれる自治体も数多く存在する。
そのカリフォルニア州では今年1月
不法移民に関する情報を共有しないなど
不法移民を取り締まる“連邦政府の移民当局には協力しない”とする州の法律が施行された。
これにトランプ政権は猛反発。
“州の権限を越えた憲法違反だ”としてカリフォルニア州を提訴するなど
対立は深まる一方である。
こうしたなか今カリフォルニア州では
移民に寛容な州の方針に歩調を合わせる自治体以外に
反発する自治体も出ていて
対立が激しくなっている。

カリフォルニア州北部のオークランド市。
今年2月市長がツイッターに投稿したあるメッセージが大きな波紋を呼んだ。
連邦政府の移民当局がオークランドを狙っている
24時間以内に摘発が始まる
市長が自ら連邦政府に取締り情報を流し
市内に住む移民たちに摘発から逃れるよう促したのである。
連邦政府の移民当局は当初1,000人以上の拘束を目指していたが
事前にに情報が漏れたことで
実際に拘束したのは200人余となった。
一躍渦中の人となった市長。
あくまでも正当性を主張している。
(オークランド市 リビー・シャーフ市長)
「地域住民の意向を尊重して起ち上がったことを後悔していません。
 正しいことをしただけです。」
不法移民に寛容なカリフォルニア州。
しかしその政策に反発する声も上がっている。
インターネットに投稿された映像。
今年の元日に州境の高速道路沿いに設置されたニセの標識にはこう書かれていた。
「聖域」の州
 銃犯罪者・不法移民・犯罪組織のみなさん
 ようこそ
移民に寛容な州の政策が犯罪者や不法移民を呼び寄せていると皮肉る内容である。
標識はすぐ撤去されたが映像はまたたく間に拡散した。
(ニセの標識を設置した男性)
「犯罪が増えているのに聖域だなんて
 カリフォルニア州知事はばかげている。
 そのことを多くの人に伝えたかった。」
しかしカリフォルニア州では州の移民政策に反旗を翻す自治体も現れた。
南部ロスアラミトス市。
高級住宅が立ち並び
世帯収入は全米の平均より3割ほど高い都市である。
ロスアラミトス市の議会では5月
“連邦政府の移民当局には協力しない”とする州の法律の適用を
受けられなくするかどうかを問う投票が行われた。
住民約100人が6時間にわたって意見を述べたが
“安全な町を守るため連邦政府の取締りに協力すべき”という意見が相次いだ。
「可決です。」
カリフォルニア州で初めて連邦政府の移民当局に協力する市となった。
(ロスアラミトス市 トロイ・エドガー市長)
「我々は移民当局に“ここに悪い奴がいるぞ”と教えたい。
 州の対応は明らかにやりすぎだ。」
州の政策を真っ向から否定したこの小さな市の提案は
周辺地域に波及し
10以上の自治体が
不法移民の取締りを強化するトランプ政権に同調する意向を表明。
こうした動きにトランプ大統領はツイッターにこう書き込んだ。
カリフォルニア州の革命だ
移民は地域に貢献する貴重な労働力か。
それとも犯罪を誘発する危険因子か。
トランプ政権と自治体の争いは終わりが見えない。



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トルクメニスタン 中国接近でロシア警戒

2018-06-29 07:00:00 | 報道/ニュース

5月31日 国際報道2018


かつてソビエトの一部だった中央アジアのトルクメニスタン。
トルクメニスタンでは5月
中国が推し進める「一帯一路」のルートに新たなターミナルを完成させた。
トルクメニスタンが中国との関係を強化する動きに対しロシアは警戒している。
旧ソビエトが崩壊した1991年。
トルクメニスタンをはじめ中央アジアの国々は次々と独立した。
トルクメニスタンはロシアの影響力を弱めようと永世中立を宣言。
その後2007年に就任したべルドイムハメドフ大統領は
中国との経済的な結びつきを強める。
経済のカギは世界4位の埋蔵量を誇る天然ガス。
2009年には中国とトルクメニスタンを結ぶパイプラインが開通。
中国への輸出は急激に伸び
今では輸出の85%を中国が占めている。
一方となりのカザフスタンでは最近 公用語の表記をキリル文字からローマ字に変えようとするなど
ロシア離れともいえる動きが見られ始めている。
ロシアにとっては中央アジアは旧ソビエト時代からの影響力を残したい地域で
こうした動きに神経をとがらせている。

広大な砂漠の中にあるトルクメニスタンの首都アシガバード。
日本の面積の約1,3倍の国土に約570万人が住んでいて
多くはイスラム教徒である。
まっすぐに伸びた道路に
点在する巨大な建物。
豊富な資源をもとにインフラが整備されている。
市民が街のあちこちで目にするのが大統領の肖像画である。
(トルクメニスタン べルドイムハメドフ大統領)
「中央アジアは今後 世界の中で重要な役割を担っていく。」
べルドイムハメドフ大統領は独裁色の強い政治体制をしいていて
言論は厳しく統制されている。
世界各国の報道の自由度に関するランキング(2018)では
180カ国中 下から3番目。
報道にはスーツ姿の政府関係者が常に立ち会い
案内する場所も決められている。
こうした政治体制をどう感じているのか。
市民に尋ねると肯定的な答えばかりが返ってくる。
(市民)
「私たちは大統領を信頼していて
 これからもいい暮らしができるでしょう。」
「政治家は道路や住宅などの整備をしてくれます。
 でも何よりも大統領が1番です。」
天然ガスの輸出による豊かな財政で
国民の住宅・学費・公共料金の一部が無料になっていることも背景にあると見られている。
今年3月トルクメニスタンでは5年に1度の議会選挙が行われた。
政府は海外メディアを招待し投票の様子を公開した。
ただ議会には実質的に野党が存在せず
選挙結果が大統領の政権基盤に影響を与えることはない。
こうした中べルドイムハメドフ大統領は中国への接近を図っている。
5月カスピ海に面した港に貨物ターミナルが完成。
盛大な式典が開かれた。
港に向かう沿道には何キロにも渡って動員されたとみられる住民が列を作っていた。
出席するべルドイムハメドフ大統領を歓迎するためである。
ターミナルは
カスピ海の対岸アゼルバイジャンなどに向けて荷物を輸送する新たなルートの拠点を目指している。
中国政府が目指す「一帯一路」の中継点の役割を担うことで
さらなる発展につながると考えている。
政府はこの港や鉄道を活用したルートの場合
ヨーロッパには15日で貨物を輸送でき
海路に比べて30日も短縮できると考えている。
(トルクメニスタン べルドイムハメドフ大統領)
「この港によって
 経済・貿易・投資においても多国間の相互のつながりが大幅に拡大される可能性が開かれるのです。」
式典に招かれた中国の代表団も大きな期待を寄せている。
(中国の元外交官)
「トルクメニスタンは一帯一路の発展において大変重要な役割を担っている国です。」
こうした動きに警戒感を抱くのがロシアである。
ロシアのネットニュースにはこんな見出しが・・・
“トルクメニスタンはガス大国か
 それとも中国の保護領か?”
さらにロシアの有力紙
“中国はどうやってロシアから中央アジアを奪おうとしているのか”
豊富な天然資源を頼りに発展を遂げてきたトルクメニスタン。
いまロシアからさらに距離を置いて
中国に接近する動きを強めている。




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98年前の空の大冒険 “ローマ東京間飛行”

2018-06-28 07:00:00 | 報道/ニュース

5月31日 おはよう日本


大正9年5月31日。
代々木公園の上空に現れたのは
ヨーロッパから初めて飛来した飛行機。
降り立ったのはイタリアの若きパイロットだった。
1万6,000kmもの距離を飛んできた命知らずの挑戦に日本中が熱狂した。
この飛行から100年。
今イタリアで
当時の飛行機の図面やパイロットが残した様々な資料が発掘され
空の旅の全貌が明らかになってきた。
(98年前の飛行を調査 道原聡さん)
「今の私たちが想像を絶するようないろいろな困難や冒険があった。」
当時代々木公園は旧日本軍の練兵場として利用されていた。
そこに降り立ったのがイタリアの飛行機ズヴァ。
パイロットと機関士の2人乗りで
翼が上下2枚の複葉機である。
胴体や骨組みは実は木製で
翼は布張りである。
この飛行機の出発はローマだった。
当時の飛行機は1度に飛べる距離が数百~1,000km。
トルコやインドなど約30か所を経由して109日間かけて東京へやって来た。
ヨーロッパから東京への初飛行を成し遂げたのは
イタリアの飛行士 アルトゥーロ・フェラリン中尉(1895-1941)。
ライト兄弟の初飛行からわずか17年目の快挙だった。


イタリアミラノ近郊の町ヴァレーゼ。
ここにフェラリンの長男カルロさん(83)が今も暮らしている。
(長男 カルロ・フェラリンさん)
「これは私と父の写真です。
 優しい人でした。
 いつもどこかに出かけていてほとんど会えませんでした。」
フェラリンは第一次世界大戦のさなかにイタリア空軍に入隊。
勇敢なパイロットとして知られていた。
戦争が終わると
飛行機乗りたちは世界各国への空路一番乗りを目指してしのぎをけずるようになった。
イタリアのパイロットたちが目指したのは
まだ見ぬ文化が広がる極東の国 日本だった。
当時25歳のフェラリンも日本への飛行に強い挑戦心をかきたてられた。
(長男 カルロ・フェラリンさん)
「父は冒険となれば命なんて二の次。
 危険を顧みない人でした。
 “日本にたどり着きたい”ということだけで
 そこに何があるかなんて想像すらしていなかったと思う。」
実はこの挑戦はイタリア空軍の撮影隊などによって映像や写真が残されていたことがわかった。
1920年2月 日本に向けて出発するフェラリンの映像。
当時の飛行機は地形を目印にして飛行したため今よりも低空を飛んでいた。
そのためフェラリンは上空から目にした様々な出来事を手記に記録している。
ローマを出発後 中東に向かったフェラリン。
今のイラク上空で目撃したのは
独立を目指して戦うアラブの兵士たちの姿だった。
砂漠では“銃撃されないように高く飛ぶように”と忠告されていた
飛行機からは煙が上がり
兵士の戦う姿がはっきり見えた
残念ながら戦争は各地で続いていた
次に待ち受けていたのは東南アジアの過酷な自然である。

バンコクから先は一面の森に覆われていて
今まで見たどこよりも未開の土地が広がっていた
もしエンジンが故障したら
それは即死ぬことを意味した
フェラリンの家に残されていた仲間の飛行機の写真。
ともに東京を目指した11機の飛行機は
さまざまな困難を前にほとんどが墜落していったのである。
ローマを出発してから108日目。
中国・朝鮮半島を経由して
いよいよ日本列島にさしかかった。
初めて目にした日本。
それは世界の大国に追いつこうと工業化への道を突き進む姿だった。
大坂に近づくと
やがて雲ではなく工業地帯が吐き出す黒いスモッグが立ちこめてきた
多くの煙突はあの“日の出ずる国”の長い歴史に
近代国家としての姿が加わろうとしていることを象徴しているようだった
そして5月30日 東京代々木。
20万人もの人に迎えられ
フェラリンは日本の地を踏んだ。
この快挙に皇室も祝賀行事を行うなど国をあげてフェラリンの成功をたたえた。
“イタリア万歳”と叫ぶ観衆から歓喜の花束が投げ入れられた
私の心は光り輝いていた
ついにイタリアの国旗を日本に掲げることができたのだ

勇気あるフェラリンの飛行をこんな人たちも見ていた。
戦後初の国産旅客機YS-11の設計に携わった 木村秀政。
16歳のときにこの現場にいて
“日本とヨーロッパの技術の差を痛感し空への思いを強くした“と語っている。
そしてもう1人
奄美の自然を独特のタッチで描く 日本画家 田中一村。
フェラリンが皇室から贈られた記念のアルバムの中に
当時11歳だった一村が贈った日本画があることがわかった。
いまイタリアでこの100年前の飛行を再現しようというプロジェクトが動き出している。
フェラリンが乗った飛行機の詳細な設計図も残っていた。
最新の技術を駆使して
当時の機体を現代によみがえらせようというのである。
さらにこの飛行機にエンジンを取り付け
実際にローマ―東京間を飛行させることも計画している。
(ズヴァの復元作業を担当 ジョルジョ・ボナートさん)
「東京で飛ぶのはすばらしい体験となるだろう。
 夢見ることができるなら必ず実現できる。
 そのことを若者たちにも伝えたい。」



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W杯 最期の大会にかける日本人初のプロ副審

2018-06-27 07:00:00 | 報道/ニュース

6月23日 おはよう日本


選手とは別にW杯を支える3人の日本人審判がいる。
このうちの1人
副審の相良亨さんは3大会連続の選出だが
今年国際審判を引退するため最後のW杯になる。

選手たちのスピーディなプレーを素早く判定し
主審をサポートする副審
相良亨さん。
平成21年に日本初のプロの副審となった第一人者。
これまでにJ1で200試合以上を担当してきた。
4年前のW杯ブラジル大会では
全世界が注目する開幕戦ブラジルvs.クロアチアを担当。
世界レベルの判定力で3大会連続で選ばれた。
(相良亨さん)
「試合が始まってしまうと集中して舞台の大きさは忘れてしまうが
 国歌斉唱の時のブラジル国民の期待の大きさと歌を歌う声の大きさで
 W杯の舞台の大きさを感じた。」 
相良さんが審判資格を取ったきっかけは
高校時代のサッカー部の監督で国際審判だった十河正博さん。
スター選手のプレーをさばく姿にあこがれたと言う。
十河さんにオフサイドの判定の正確さを認められ副審の道に進んだ。
(相良亨さん)
「“相良は副審が向いているから副審の方に進め”という強いご指導をいただいて
 進むべき道を案内してくれた人がいたのはありがたいと思う。
 オフサイドに関してはサポートも協力もないので
 まずオフサイドは間違えないように一生懸命やる。」
判定力を磨く努力は大会直前まで続く。
ロシアへの出発直前
大学のサッカー部の協力を得て
オフサイドを見極める反復練習を行った。
パスを出した瞬間に
攻撃側の選手が守備側の選手より前に出ているとオフサイド。
相良さんは3人の動きを同時に見極める。
その様子を映像に撮って確認する。
パスを出した瞬間
オフサイドとなるラインをひいてみると
守備側の選手のかかとのラインよりは前に出ていないことがわかる。
そのため相良さんはオフサイドとなる旗を上げていない。
ここまで細かい判断をできるのが世界基準のジャッジなのである。
この日の相良さんの判定はすべて正確だった。
(相良亨さん)
「オフサイドについては反復練習あるのみで
 100回やった人よりは200回
 200回やった人よりは1000回
 ロシアに行ってすぐテストやるので
 そこで大きく間違えると信頼を失う。
 ロシアに行く前にオフサイドテストをやりたかったので出来て良かった。」
41歳の相良さん。
若手に経験を積ませようと
今年で国際副審を引退する予定である。
W杯はロシア大会が最後になる。
世界で活躍する相良さんの指導で部員たちは審判に興味を持ち始めている。
(学生)
「W杯も出ている人なので正確でわかりやすかった。」
「実際タッチライン上で選手と言い合ったという話も聴けたので
 自分的にはとても楽しくできた。」
(相良亨さん)
「一生懸命教えて1人か2人審判やってみようかなという子が生まれればいい。
 生まれなくても選手には重要なことなので
 伝えていきながら審判をやろうかなという子を拾えればうれしい。」
鍛え上げた判定力で最高の大会を提供したい。
最後の大舞台に臨む相良さんの思いである。
(相良亨さん)
「終わったあとに審判のことをすっかり覚えていないというのがいい試合だと思う。
 褒められるためにやっているというよりは
 しっかり試合の印象だけが残るようにするのがいい審判だと思っている。
 どのチームをやるかわからないけど
 やったチームが気持ちよくできた
 お客さんも楽しくというのを作っていけたら。」

 

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トルコ世界遺産カッパドキア 気球とドローンの共存を

2018-06-26 07:00:00 | 報道/ニュース

5月30日 国際報道2018


長い年月が作り上げた自然の神秘
トルコの世界遺産カッパドキア。
観光のハイライトは気球に乗って上空から景色を眺めることである。
しかし近年その安全性に懸念が広がり
対策が急務となっている。

トルコ中部カッパドキア。
キノコのような形の岩に代表される
不思議な景観。
岩をくり抜いて作った住居や教会といった世界遺産が多くの観光客をひきつけている。
早朝から観光客を乗せた気球がゆっくりと舞い上がっていく。
青空から雄大な大地を見下ろすのがカッパドキア観光の醍醐味である。
(インドネシアからの観光客)
「楽しかったよ!」
(ブラジルからの観光客)
「いつまでも記憶に残る場所よ。
 結婚5周年で来たの。」
観光シーズンには毎日3,000人が気球に乗り
青空は飽和状態である。
こうしたなかカッパドキアでは
強風にあおられた気球が高圧電線に接触するなど
たびたび事故が起きている。
気球に熱を送り込んで高さを調整する以外には
風まかせ。
いかに安全を確保するかが大きな課題である。
そこで航空当局は安全管理センターを設置。
気象のデータや気球の操縦士からの情報を細かく分析したうえで
気球の飛行許可を出すようにした。
(担当者)
「今現在の状態としてはトルコ民間航空総局が“待機”するよう指示していますが
 天候が回復すれば“飛行可能”に変更になります。」
しかしいま新たなリスクが生じている。
それはドローン。
実はカッパドキアは近年
絶景を上空から撮影したいドローン愛好家たちのあこがれの地となっている。
ドローンを飛ばすには許可が必要だが
時には半月以上かかる。
そうしたなか許可を取らずに違法にドローンを飛ばす人も増え
気球と接触しそうになる事例が相次いでいる。
このままではいつか大事故が起きかねないと
起ちあがった人がいる。
リファット・ベンベニステさんである。
地元の大学で商業用ドローンの操縦資格を取得するコースを担当。
事故を防ぎたいという思いから
ドローンの安全な操縦方法などをていねいに教えている。
(カッパドキア大学ドローン・センター長 ベンベニステさん)
「カッパドキアにはドローンで撮影したい魅力的な場所が多くあります。
 ここの景色はそれにふさわしいものです。
 安全意識を持ってドローンを飛ばし
 カッパドキアを楽しんでほしいのです。」
いま取り組んでいるのは許可なしの飛行(海賊飛行)を防ぐ仕組み。
ベンベニステさんは航空当局を協力し
安全な場所であれば飛行許可を簡略化するシステムの開発を進めている。
天候やヘリコプターの飛行予定などから
飛行可能な地域を青色で
飛行禁止の地域を赤色で表示。
インターネットで公開しようというのである。
このシステムはまもなく実用化される見込みである。
(カッパドキア大学ドローン・センター長 ベンベニステさん)
「許可なしの海賊飛行が多いので
 それを防ぐには手続きを迅速にして
 場所によっては許可なしで飛ばすことができる新しい仕組みが必要なのです。」
鳥の目で雄大な大地を眺めたい。
ドローンと気球が共存できるかは
空の安全がしっかりと確保されるかにかかっている。




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順序が違わないか

2018-06-25 07:00:00 | 編集手帳

6月15日 編集手帳

 

 実家の団子屋に、
寅さんが旅先で知り合った人からメロンが届く。
冷蔵庫で冷やすうち食べ頃になる。
切り分けて座卓を囲み、
「お待ちどお」とスプーンをつけたそのとき…。

寅さんが帰ってくる。
さくらたちはあわてふためく。
お兄ちゃんを忘れていたと。
ましてメロンは寅さんあてに届いた品物でもある(『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』)

寅さんは順序が違うとばかりに怒るが、
きのうこの場面がふとよぎる出来事があった。
メロンの果肉にさじをつけるように見えるのは、
パワハラ問題で日本レスリング協会強化本部長を辞任した栄和人氏である。

いつ指導を再開したのか、
東京都内の競技会場に大学の監督として姿を現した。
朝一番に記者会見を開き、
「深くおわびする」と伊調馨選手とコーチへ謝罪した。
とはいえ、
どんなパワハラをしたかについては「覚えていない」。
誠実さが伝わらず、
公の場で指導者に復帰するついでに仕方なく記者に囲まれたかに見えなくもない。

伊調さんらへの直接の謝罪はまだしていないという。
寅さん風にいうと、
おそらくこうだろう。
おい待て、
順序が違わないか。



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結愛ちゃんはえらいよ

2018-06-24 07:00:00 | 編集手帳

6月7日 編集手帳

 

 フランスの詩人ランボーの『朝の思い』はこう始まる。
<夏の朝、
 四時、
 愛の睡気がなおも漂う木立の下。
 東天は吐き出だしている 
 楽しい夕べのかのかおり>
 中原中也訳

人が目を覚ましたとき、
おぼろげに思いだすのは前の夜の幸せな記憶なのかもしれない。
警視庁の調べでは、
その子の起床時間も朝の「4時」だったらしい。
東京都目黒区のアパートで今年3月、
虐待死した船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5歳)である。

父親の雄大被告(33)の指示で毎朝、
自分で目覚まし時計をかけて寝床から起きだし、
一人ひらがなの練習をしていたという。

<きょうよりかもっともっと 
 あしたはできるようにするから 
 もうおねがい 
 ゆるして 
 ゆるしてください 
 おねがいします 
 もうおなじことはしません 
 ゆるして>。
結愛ちゃんが大学ノートにしるした“朝の思い”である。
こんな切ない詩は見たことがない。
食事を十分に与えられず、
ときに顔を殴られ、
冷水をかけられ、
やがて衰弱して短い命を閉じた。

窓から朝の光がさし始めた頃、
けなげに一生懸命書いていたに違いない。
とってもえらい子だよ、
結愛ちゃん。


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イスラム教と男女平等 揺れるチュニジア

2018-06-23 07:00:00 | 報道/ニュース

5月30日 国際報道2018


2011年 中東各地に広がった「アラブの春」と呼ばれる民主化運動。
きっかけとなったのが北アフリカのチュニジアである。
混乱はあったものの
民主化は進み
“唯一の成功例”と言われてきた。
そうしたなかイスラム社会ではタブーとも言われてきた
遺産相続の男女間の不平等を是正しようという動きが強まり
波紋が広がっている。
チュニジアは1950年代から一夫多妻制が禁止され
女性の参政権も認められるなど
アラブ諸国の中で女性の地位向上が進んでいる国である。
「アラブの春」のあと2014年に定められた新しい憲法で男女平等が明文化された。
選挙では各政党は候補者を男女同数にすることが義務付けられている。
去年には女性がイスラム教徒ではない外国人と結婚することも認められ
家庭内でも夫の妻に対する暴力DVについて
より厳しい罰則が投入された。
そしていま焦点となっているのが遺産相続である。
イスラム教の聖典コーラン第3章第12節にこんな記述がある。
遺産は男児には女児の2人分と同額
つまり男女の兄妹の間では女性は男性の2分の1の額を受け取るとはっきりと書かれている。
このため議論の余地すらないと言われてきた。
しかしその遺産相続について男女平等にすべきだと議論が持ち上がっている。

人口のほとんどがイスラム教徒のチュニジア。
しかしアラブ諸国の中で
世俗的で
スカーフを被らない女性も多く見られる。
今年3月 首都チュニスで女性たちを中心にデモが行われた。
遺産相続は男女平等であるべきだと訴えた。
4月には公開討論会が開かれ
女性が経済的に自立するうえでも遺産相続の権利を平等にする改革が重要だと強調した。
(主催者)
「遺産相続の不平等は女性の貧困の一因です。
 相続の平等化は男女格差の解決に役立ちます。」
改革を主導しているのが世俗派のカイドセブシ大統領(91)である。
5月6日は女性の地位向上に尽力したブルギバ初代大統領の命日。
それに合わせて開かれた式典で
大統領は改革の実現に改めて意欲を示した。
(チュニジア カイドセブシ大統領)
「まもなく女性は男性と同じように遺産を相続をする。」
一方で
法律を改正しコーランとは異なる遺産相続の配分に変えることには
根強い反対意見がある。
イスラム法の相続の専門家であるザイトゥーナ大学のビンファラハ教授は
遺産が男性により多く分配されることには何の問題もないと言う。
コーランでは
男性に妻の扶養義務付けているほか
結婚の際に花嫁に持参金を渡す必要があるなど
男性だけに課した義務があり
全体では公平だと指摘する。
(ザイトゥーナ大学 ビンファラハ教授)
「記述は絶対で変えようがない。
 イスラムの相続制度は富の分配の神聖な指針です。
 遺産相続の規定は全体的に見るべきです。」
しかし遺産相続の平等化に期待を寄せる女性は少なくない。
ラシダ・ベンキラニさん(64)。
4年前に母親がなくなり最近兄妹の間で遺産分割の話が持ち上がったと言う。
小さな旅行会社を営むラシダさん。
32歳で離婚したあと女手ひとつで息子と娘の2人の子どもを育て上げた。
男性に頼らずにやって来たという自負がある。
遺産相続でなぜ男性と差をつけられるのか納得がいかない。
(ラシダさん)
「女性も男性と同じように働いているのに平等でないなんてことがありますか。」
ラシダさんは自分の財産は息子と娘に平等に分け与えたいと考えている。
しかし娘のナイラさんは全く違う意見を持っていた。
(ラシダさん)
「相続について分かっていないわね。」
(ナイラさん)
「なぜそんなことを?」
(ラシダさん)
「女性が自由になって男性より大きな責任を負うようになったのよ。」
(ナイラさん)
「イスラム教では遺産相続を平等にはできない。
 男性は多く受け取るべきよ。」
(ラシダさん)
「娘の考えに驚きました。
 私は次の世代のために遺産相続の平等を求めたいです。」
親子でも賛否が分かれる遺産相続をめぐる議論。
他のイスラム諸国でも関心が高く
エジプトでは討論番組で取り上げられた。
「コーランの解釈はさまざまです。
 遺産相続については解釈を変えられませんか?」
「記述は絶対で異論の余地はありません。」
イスラムの教えと男女平等の推進にどう折り合いをつけるのか。
イスラム諸国の社会それぞれが向き合っている。



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ものづくりニッポンの原動力 「高専」の学生たち

2018-06-22 07:00:00 | 報道/ニュース

5月30日 おはよう日本


中学卒業後の5年間
技術者をみっちり育てる高等専門学校 高専
全国に57校ある。
理論が中心の大学に対して
高専は実戦が重視。
電子回路も自ら組み立てるなど徹底して技能を身につけさせる。
この高専は世界に通用するものづくり大国の原動力となり
高度経済成長を支えてきた。
ITや先端技術を扱う優秀な人材が求められるいま
高専の学生は産業界にとって欠かせない存在になっている。
ところが企業の求めるだけの数を高専が送り出せていないのが現状である。
(国立高専機構 理事長)
「1人の卒業生に対して20~30社のオファー。
 卒業生が足りないのは分かっている。」
高専は50年以上前の1962年
製造の現場を支える人材が欲しいという産業界の要望に応えて
国が設立した。
高校でも大学でもない5年生の教育システムは世界的にも例がない。
優秀な人材の確保が企業の死活問題となっている今
産業界の声を受けて
高専は
海外で人材を育成するという新たな戦略に打って出ている。

5月3日
タイの学校に高専のコースが初めて開講した。
Kousen(高専)。
この春に中学校を卒業したばかりの40人が入学した。
(国立高専機構 理事長)
「一緒に働きましょう。
 みんなで頑張りましょう。」
5,000社を超える日系企業が進出するタイ。
外国企業との厳しい競争にさらされている。
各企業は新設された高専にいま熱いまなざしを向けている。
日系金属加工会社の従業員は
1,300人のタイ人に対して
日本人は18人。
システム開発や業務管理など
日本人社員の負担が大きいため
現場を任せられるタイの優秀な人材が求められている。
(金属加工会社 日本人社員)
「業務を管理する人材もタイ人に任せることができたらいい。」
一方 高専で学び日本を目指そうという学生が育っている国がある。
モンゴルでは4年前に高専が開講した。
工業化に取り組むなかで高専が初めて導入されたモンゴル。
現在 3校で700人が学んでいる。
日本と関係する仕事や研究につくことに備えて日本語の授業も行われている。
「このアイスクリームはおいしいですね。」
「そうですか。
 ダイエットはまたあしたからします。」
電気電子学科の学生ウランゼブさん。
この秋 最終学年の5年生になる。
日本の高専でも盛んなロボコンでプログラマーを務め
モンゴルロボコン大会ではチームのエースとして4位入賞を果たした。
エンジニアを夢見て大学よりも実践的な勉強ができると高専で学んできた。
(ウランゼブさん)
「高専で勉強すれば日本人と同じ技術が身に付くと思っています。
 高専は私たちの夢を実現してくれると信じています。」
5月14日に来年卒業を控えた学生を対象に就職に向けた説明会が開かれた。
集まったのは日本の中小企業の採用担当者。
国内で人材確保が難しくなるなか
モンゴルの高専生に狙いを定めている。
担当者はさっそくロボコンで優秀な成績を収めた学生に目をつけた。
「ロボコンでは自動でロボットを動かすプログラムを作っていました。
 その技術を仕事に生かせると思います。」
(採用担当者)
「私のしゃべっている内容はどのくらい分かりますか?」
「もうちょっと
 だいたいわかります。」
(ウランゼブさん)
「会社が受け入れてくれるのであれば
 卒業後日本で働きます。」
(製造会社社長)
「すぐに対応できる力があると感じました。
 一緒に働いてみたいという気持ちは当然あります。」


 

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特技をお金に!スキルシェア

2018-06-21 07:00:00 | 報道/ニュース

5月30日 おはよう日本


立体のパズルを5分以内にそろえる技=1時間1,000円。
赤ちゃんの寝かしつけの秘訣=8,000円。
さまざまな特技やスキルが売り買いされている。
フリーマーケットアプリを運営するメルカリが4月始めたスキルシェアのサービスである。
ちょっとし特技でも
欲しい人には価値がある。
両者をつなげれば大きな市場が生まれると考えた。
(メルカリ)
「自分では些細だと思っているスキルでも求めている方はたくさんいると思う。
 ハードルを下げることでたくさんのニーズを取り込んでいきたい。」
一方 高いスキルを持つ人を“プロ”として認定する動きも広がっている。
会員数70万人を突破しているスキルシェアサービス ココナラ。
提供者の技能などのレベルや実績などを会社が独自に審査し
合格者を“プロ”として認定する仕組みである。
スキルシェアを活用する企業が増えたことから
今年2月に導入した。
プロ認定を受けた男性(32)。
もともと家具メーカーのデザイナーだったが
会社の許可を得て副業としてスキルシェアのサービスに登録。
企業のロゴなどをデザインしていた。
一般の人が提供するスキルの価格は1件500円~。
プロの価格は3万円~。
今男性には5万円の仕事も舞い込むようになっている。
(男性)
「ばっちり稼いでいます。
 今月だと60万は超えてくる。」
スキルが認められ安定した収入が入るようになった男性。
会社を辞め独立するまでになった。
(男性)
「プロに認定してもらえることで
 大きな仕事
 単価の高い仕事が来るようになる。
 ニーズをつかんで依頼をこなしていきたい。」
(スキルシェア運営会社ココナラ 社長)
「出品する人も増えて
 いいクオリティーを出さないと売れないようになってきている。
 ハイクオリティー
 安心できるサービス
 提供できる人を増やしていきたい。」


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中国人の心をつかんだ動画

2018-06-20 07:00:00 | 報道/ニュース

5月29日 国際報道2018


中国のインターネットで配信され若者の間で大人気となっている動画。
再生回数は合わせて3億回以上。
去年 中国版ツイッターのウェイボーによって“影響力のある動画”にも選ばれた。
作っているのは中国に住むある日本人である。

ネット動画『私がここにいる理由』。
いま中国で人気を呼んでいる。
登場するのは中国で暮らす日本人である。
お笑いスターを目指して中国で学ぶ日本人留学生や
野球を通じて中国の人と交流する男性など
日本人の仕事や日常生活を紹介している。
週に1度配信され
これまでに約110本を制作した。
影響力の大きさが注目され
日本のアーティストが出演するほどになっている。
7人組で活動するGENERATIONSのメンバーも出演。
(GENERATIONS 片寄涼太さん)
「すごい見られてる。
 知ってるんだ。」
ステージとは違う気さくな表情を見せた。
「あなたきれいですね。」
「あなたもきれいですよ。」
「どこから来たの?」
「日本です。」
動画の監督を務め自らも出演する竹内亮さん(39)。
事務所のある軟禁で10人余のスタッフとともに動画を制作している。
竹内さんは8年前にテレビ番組の制作で中国を訪れた際
現地の人が日本のことをあまりに知らないことに驚いたと言う。
(竹内亮さん)
「今の日本のことを何も知らない。
 2010年なのに
 インターネットも普及しているのに
 全然知らないことに衝撃。
 僕が日本人だとわかると
 “お前日本人か?
 山口百恵は元気か?
 高倉健は今何を?”と。
 みんな聞いてくるわけです。」
今の日本を伝えられないかと考えた竹内さん。
中国に移り住み2年半前から動画を制作し配信を始めた。
これまで特に反響が大きかったのが
カレーの店を経営する嶋田孝治さん(70)を紹介した回である。
サラリーマンを定年後
嶋田さんは内陸部の武漢でカレーの店を開業。
言葉ができず知り合いもいなかった嶋田さんを支えたのは
近くにある市場などの人たちだったと言う。
「うちの店をよく使ってくれて感謝しています。
 中国で暮らすのは大変だろうけれど
 嶋田さんはいい人です。」
「うれしい。
 うれしい。
 覚えていて感謝の気持ちが伝わっているから。」
人々の優しさに涙する嶋田さん。
中国では“厳格で近寄りがたい”という日本人のイメージだったが
この動画を見た多くの人たちは
身近な存在だと感じ感動したと言う。
(竹内亮さん)
「基準はストーリー。
 人を感動させるストーリーを持っていること。
 中国語はできるけど笑いのツボは分からず笑わせることできない。
 だけど感動のツボは同じ。
 日本人の僕が感動したものは中国人も感動するんです。」
3月に開かれた竹内さんのファンとの交流会。
中国各地から約200人がつめかけた。
(参加者)
「どれだけ撮影しているんですか?」
(竹内亮さん)
「1つの番組で5時間ほど撮影しています。」
(参加者)
「彼の動画は飾らないのがいい。
 テレビ番組より真実味があります。」
「彼は政治とは別に一般市民の目線で見ている。
 彼の動画は日中友好の懸け橋です。」
竹内さんはこうした動画の配信を通じて
中国人に伝えようとするメッセージがある。
この日取材したのは広州でラーメン店を開いた26歳の男性。
19歳で中国に渡りラーメン店の経営を始めたが1度失敗した。
(ラーメン店店主)
「以前のことを思い出すと泣けてきます。
 当時は自信満々で座席を150席作りましたが
 お客さんは1日十数人でした。」
(動画ナレーション)
「大損した男性は中国人の妻と2人で広州の人に合う味を研究。
 今の店を開きました。
 今では2時間待ちの行列ができる人気店となっています。」
竹内さんはさまざまな日本人を紹介することで
競争の激しい中国社会を生きる若者に多様な価値観を伝えたいと考えている。
(竹内亮さん)
「番組を見て“元気をもらった”とよく言われるんです。
 “明日頑張んなきゃ”って。
 中国って受験勉強していい大学行っていい会社に入るていう
 その道しか無い。
 日本ならでは僕ならではの価値観を伝えるのが大事かなと。」
等身大の日本人の姿を中国の人たちに伝え続ける竹内さん。
動画を通じて“近くて遠い”と言われる日中両国の人たちを近づけようとしている。




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立教大学相撲部 女性主将が誕生!

2018-06-19 07:00:00 | 報道/ニュース

5月19日 おはよう日本


大学の相撲部に女性の主将が誕生した。
立教大学である。
日本相撲連盟によると
大学の男子体育会相撲部で女性が主将になるのはこれまで前例がないという。
その活躍が注目されている。

5月26日
立教大学相撲部で行われたOBとの交流会。
主将としてあいさつするのが奥村さん。
部の歴史で初めての女性主将である。
(立教大学相撲部主将 奥村百花さん)
「古き良き相撲部をつないでいけるよう頑張っていきますので
 よろしくお願いします。」
相撲部の部員はたったの4人。
団体戦に出るにも1人足りない。
しかもそのうち2人は1年生で1人は元空手部。
もう1人はドイツからの留学生である。
ともに相撲は未経験である。
奥村さんの仕事はこうした男性部員をまとめ上げること。
もともとは女子マネージャーをしてきたが
やる気を引き出す力が買われて4年生の男性部員とともに主将に抜擢された。
(立教大学相撲部主将 奥村さん)
「雰囲気づくりを大切にして
 いつも声かけしていこうと思います。」
100年の歴史がある立教大学相撲部。
かつては学生横綱を生み出した名門である。
平成4年に公開されヒットした映画「シコふんじゃった。」は
立教大学がモデル。
映画の中では
弱小相撲部を立て直すためにしろうとの学生や女性マネージャーが大活躍する。
創部100周年を迎える今年
坂田監督が奥村さんに期待するのは
映画と同じ快進撃である。
(立教大学相撲部監督 坂田直明さん)
「チームをうまく運営する
 マネージメントする
 そういう人材をリーダーにすれば一番いい。
 奥村さんはコミュニケーション能力が高いし
 人を巻き込む力を持っている。」
奥村さんの力が発揮されるのが
団体戦に出場する“助っ人”探しである。
この日訪れたのが柔道部。
「柔道部の2人を助っ人として願いしたい。」
奥村さんが主将になってから応援してくれる学生が増えていると言う。
「ありがとう♡」
女性である奥村さんがどうすれば男性部員をまとめていけるのか。
主将になって1か月
最初の壁が訪れた。
「新人戦の主役が遅刻
 “遅れてます”っていう連絡はきたんですけど。」
初めての対外試合である新人戦の当日
試合に出る1年生が集合時間に遅れてしまったのである。
実は奥村さんは怒るのが苦手。
「次から余裕もってきて。」
強く向き合えない。
その1年生は名誉挽回を誓って試合に臨むが
体格の大きい相手に圧倒されてしまった。
もう1人も初戦で敗退。
力の差は歴然だった。
「すごい悲しいです。
 “次は絶対勝とうね”
 “また頑張ろうね”と声をかけたい。」
優しさだけでは試合に勝てない。
監督からはこんな意見も。
(立教大学相撲部監督 坂田直明さん)
「奥村さんは本当に優しい人。
 リーダーとしてチームを引っ張っていくには
 時には厳しいことも言っていかないといけない。
 そういうところも乗り越えて
 ひとつ成長してほしい。」
試合から半月後
どうすれば自分なりのリーダーシップが発揮できるのか。
奥村さんは試行錯誤を続けていた。
「ミーティングを始めます。
 きょうは新人戦の試合を振り返っていきたい。」
見せているのは新人戦の動画。
「体格差がすごかったね。
 相手の当たりが良かったですね。」
「体格差を埋めるのはスピードだよ。」
「どういう風にまわり込めばいい?」
「俺だったら当たって
 立ち合いからまわし狙って
 いきなり出し投げ討つとか。 
 動き負けたら小さいほうは勝てないから。」
みんなの意見を聞きだした。
失敗を成長に結びつけていくためにまとめていくのが
奥村さんの考えるリーダーシップのあり方である。
さらに最近では自分でも土俵に立って相撲を取るようにしている。
「見ているだけじゃわからないことが見えてくる。」
一緒に稽古することで男性部員との距離を縮められないかと考えたのである。
土俵に立つことで相撲に対する理解がより深まったと言う。
そんな奥村さんを男性部員は
(立教大学相撲部主将 横田奏樹さん)
「選手にも意見してくれるようになったんで
 そういうところが良かったかな。」
知恵と工夫で相撲部を引っ張っていく奥村さん。
挑戦は続く。
(立教大学相撲部主将 奥村さん)
「たくさん相撲部が知られて
 たくさんの部員が入って
 みんなが勝ちへの姿勢を持つ強い相撲部を目指しています。」




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鮮度で勝負!沖縄の魚をアジアに

2018-06-18 07:00:00 | 報道/ニュース

5月28日 おはよう日本


沖縄県那覇市の魚市場。
赤や青など色鮮やかな魚が並ぶ。
沖縄で商社を経営する後藤さん(40)。
3年前にアジア輸出を目指し会社を起ち上げた。
(貿易会社社長 後藤さん)
「日本では沖縄の魚はどうしても南の魚というイメージがあると思うんですけど
 アジアでは沖縄の魚は刺身で食べられるので
 すごく好評。」
後藤さんがまず販路を求めたのは
経済成長著しいシンガポール。
市場には沖縄と同じ魚が並ぶが
沖縄より鮮度が劣ると言う。
そこに後藤さんは商機を見い出した。
現地のレストランに売り込みをした後藤さん。
仕入れを担当するルシャニ―さんを沖縄に招待し
魚の鮮度を保つ技術の高さを直に見てもらった。
(貿易会社社長 後藤さん)
「どんな人がどういう漁をしているのか
 とった魚はどういう“しめ方”をしているのか
 実際に魚に触れてもらい
 漁師らと話をしてもらって
 商談していくというのが多い。」
沖縄の技術の高さに驚いたルシャニ―さんは
後藤さんから魚を仕入れ始めた。
鮮度のいい沖縄の魚はたちまち評判になり
売り上げは4倍になったと言う。
(客)
「新鮮でおいしいです。」
(仕入れ担当者 ルシャニ―さん)
「地元以外から評判を聞いてやってくるお客さんもいて
 大繁盛です。」
後藤さんの会社は今ではタイや台湾なども含め年間10トン近く輸出している。
さらなる展開を目指し
この日は現地企業のコンサルタントにアドバイスを求めた。
(現地企業のコンサルタント)
「オンラインショップで販売したらどうですか?
 今の時代すべてソーシャルメディアです。
 安全性と品質の高さで売り出してはどうですか?」
後藤さんは
沖縄の魚の保存技術の高さを生かし
さらに売り上げを伸ばしていきたいと考えている。
(貿易会社社長 後藤さん)
「もう可能性しかないんじゃないですか?
 逆にもう。
 あれだけ色鮮やかな魚が取れますし。
 沖縄の価値をしっかりとわかっていただけるアジアの方々に
 こつこつと伝えていきたい。」



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国産ウイスキー争奪戦

2018-06-17 07:00:00 | 報道/ニュース

5月24日 おはよう日本


サントリーが
“白州12年”と“響17年”の販売を休止すると発表した。
ウイスキーの愛好家は
「日本産ウイスキーが飲みたいんですけど
 ないんです。
 なんやねんってのはありますね。」
「年数が上がると色も違う。
 それがなくなるのは飲んでるものにとってはつらい。」
仕入れ価格が2倍以上に高騰したことを受けて
ある店では
白州12年を1杯1,800円から3,000円に値上げした。
店側も仕入れ価格のこれほどの高騰は異常だと感じている。
「仕入れ価格はこの先下がることはない。
 上がっていくので
 日本のウイスキーを飲んでいる人には
 スコッチとかアイリッシュとか似てる味で
 まっとうな値段で出せるものに切り替えてもらっている。」
たとえば白州12年であれば原酒の樽で12年以上熟成させたものを使っているが
その原酒が足りない。
ウイスキーの販売量は
2006年はウイスキーの人気がなく需要の低迷が続いていた最中だった。
そのため将来の需要は大きくは期待できないだろうと
各メーカーとも原酒の生産量を減らしていた。
ところが2008年に大手メーカーがハイボールの販売に力を入れたことをきっかけに
需要が回復。
2014年には連続テレビ小説「マッサン」が始まった。
さらに国産の銘柄が世界的な賞を受賞したことも追い風となって
ウイスキーブームが拡大していく。
需要が大きく伸びたいま
熟成期間が10年以上の原酒が足りないことが表面化した。
この状況を受けて
熟成年数の長い国産ウイスキーの争奪戦が始まっている。

インターネットの通販サイトではいま
白州12年と響17年の価格が軒並み高騰している。
希望小売価格8,500円の白州12年は97,200円に。
12,000円の響17年も85,000円の値がついている。
価格高騰に目をつけて国産のウイスキーを買い込む動きが広がっている。
国産ウイスキーの買取に特に力を入れている金券ショップ。
販売休止というニュースを受けて
買い取り価格は
白州12年は12,500円から15,000円に。
響17年も19,000円が25,000円に引き上げた。
(金券ショップ 部長)
「年代物で希少性が高いもの
 終売になるものは低下を超える買い取りになっている。
 “金”とか“骨董”であるとか
 付加価値の高いものに移りつつある。
 “飲むもの”ではなく“取り引きされるもの”に変わりつつあるのかなと。」
こうした高値で集められた国産ウイスキー。
では誰が購入するのか。
香港で3年前に開かれたオークション。
「軽井沢」という銘柄の52年もの。
落札価格は約1,100万円。
日本の希少なウイスキーがさらに値上がりすると見込んで
中国本土や東南アジアから投資マネーが集まっているのである。
大阪市内にある年代物の酒を扱う専門店。
客は7割が中国人である。
高値に化ける日本産ウイスキーをかき集めようと
この数年バイヤーも次々来るようになっている。
この日も中国人バイヤーが商談に来ていた。
(中国人バイヤー)
「いま在庫多いですか?
 響17年。」
(店員)
「出ているぶんですべて 在庫が。」
(中国人バイヤー)
「いま私が全部注文したら困りますか?」
買い取った日本産ウイスキーを中国に送って転売するというこのバイヤー。
これまではジュエリーを中心に扱ってきたが
大きな利益が出ると聞いて
去年から日本産牛スキーの買い付けに乗り出したという。
(中国人バイヤー)
「ものがないからねだんがまた上がると思って
 今ある限り買います。
 値段も価値も上がってくるので。」
(古酒専門店“蔵王”)
「日本の方で何十本も1回に買って行く人はいない。
 希少性の高いボトルとか
 数本で110万円程度買い求めるお客様が多い。」
今年1月に香港で行われたオークションで“山崎”がとんでもない値段が付いた。
限定品でもともと1本100万円
それがなんと3,250万円。
サントリーによると
こうした需要の回復を受けて
その後原酒の生産量を増やしているということだが
現時点で販売再開の見通しは立っていないということである。




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水戸に集まる“刀剣女子”

2018-06-16 07:00:00 | 報道/ニュース

5月24日 おはよう日本


水戸の徳川ミュージアム。
開館前の午前9時。
たくさんの女性が列を作っている。
そのお目当てはここでしか見られない日本刀
その名も“燭台切 光忠(しょくだいぎりみつただ)”。
伊達政宗が所有していた刀で
家臣を斬った際に燭台ごと斬りおとしたことからその名前が付いたと言われている。
現在は水戸の徳川ミュージアムが所蔵しているこの刀
いまゲームの世界で注目を集め
女性たちのハートをわしづかみにしている。
名だたる刀をイケメン男子として育てるゲームで
3年前に発売され
スマホでも手軽に遊べることで人気に火が付いた。
ゲームのキャラクターは刀を擬人化したものである。
たとえばこの“燭台切 光忠”。
持ち主だった伊達政宗の見た目や性格を反映し
右目に眼帯をつけている。
“にっかり 青江(あおえ)”は
にっかりと笑った女の幽霊を斬ったという逸話が由来で
肩に白装束をまとったイケメンである。
全国各地の70本以上の日本の刀剣がイケメンキャラクターに変身している。
長年の刀剣の愛好家は
(刀の愛好家歴40年の男性)
「“刀剣乱舞”(ゲーム)自体あまり知らなかったのですが
 興味を持っていただいているのが我々にとってもうれしいことだと思っています。」
“燭台切 光忠”が展示されて2か月余で1万人以上の人が訪れた。
「神奈川県小田原市から来ました。」
「神奈川県茅ケ崎市から来ました。」
「群馬県高崎市から来ました。」
「栃木県から来ました。」
水戸を訪れる刀剣女子たちから“聖地”と呼ばれるカフェがある。
テーブルは多くの女性客でいっぱいである。
マスターが持ってきたのは“燭台切光忠 スペシャルブレンド”。
(客)
「黒に金というイメージと
 バラじゃなくてカーネーションっていうところが光忠っぽい。」
「映えますね。」
客の中にはこんな女性も。
「光忠さんに会うために着物を着てきました。」
大人だけではなく子どもの刀剣女子も夢中になっている。
ゲームがきっかけで歴史が好きになり成績も上がったという中学3年生。
「きっかけがなければそのまま一生歴史を好きにならず
 勉強することに意味を見い出せず
 ずっと底辺をさまよっていたはずなんで。」
中高年の男性の愛好家が多かった刀剣の世界。
ゲームをきっかけにファンのすそ野が広がっている。




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