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漫画でよみがえる戦時下の日本

2020-09-03 07:04:34 | 報道/ニュース

8月17日 NHK「おはよう日本」


戦後の日記文学として今も読み継がれている「戦中派不戦日記」。
作家の山田風太郎が医学生だった昭和20年に書いた日記である。
その人気を原作にして漫画化したものが「風太郎不戦日記」。
青年誌で現在も連載中である。
この漫画は戦時下を生きた若者の姿が漫画で分かりやすく描かれていて
戦争を知らない世代に反響が広がっている。

漫画化に挑んだのは少女漫画家の勝田文さん。
これまでは恋愛をテーマにした少女漫画を20年以上描いてきたため
戦時中の漫画を描いて欲しいという依頼に戸惑ったという。
(漫画家 勝田文さん)
「今まで描いてきたものはつらくて悲しい世の中。
 せめて漫画くらいは楽しいものをという思いで漫画を描いてきたので
 今回のテーマは戸惑いもあった。」
勝田さんは少女漫画で若者の繊細な心の動きを表現してきた。
日記を読んでみて
戦時下の若者が不安を背負って生きる姿は今に重なる部分があると感じたという。
(漫画家 勝田文さん)
「ここ数年感じていた世の中の不安な雰囲気が
 当時の雰囲気とあまり変わらないと思った。
 ずっと感じていたことがあったので
 それなら描けるかもしれない。」
主人公の山田風太郎(23)青年は病気を理由に召集を見送られ
戦地へ赴くことはなかった。
医学生として過ごした日常を日記に綴っていた。
戦況が悪化するなか日々激しさを増す空爆。
風太郎は爆撃を浴び続ける東京の空も日記に書き残している。
空に
オーロラのような
金の砂のような
幾千億の花火が
傘を開いて降りていく
地獄の風景だ
原作の日記を漫画化しようと企画した編集者の岩間さん。
戦時下を生きる若者が葛藤を抱えて生きる姿の共感し
その魅力を引き出せる勝田さんだからこそオファーしたという。
(講談社 担当編集者 岩間さん)
「人間の魅力をすごく伝えてきた漫画家なので
 戦争ものだからといって
 モノクロの世界でシリアスに描くということではなくて
 コミカルな部分を描ける漫画家というと
 勝田文さんがすぐ浮かんだ。」
主人公の風太郎を深く知りたい。
勝田さんがこだわったのは風太郎が生きた昭和20年を再現することだった。
たとえば昭和20年当時の新宿駅は当時の写真から。
風太郎が通っていた東京医学専門学校(昭和初期)も。
さらには風邪を引いた風太郎が使う体温計まで
当時の資料をもとに描いている。
資料収集のために編集者の岩間さんは全国各地を飛び回った。
何度も足を運んだ場所の1つ 昭和館。
戦中・戦後の暮らしを伝える資料が約25万点所蔵されている。
学芸員の杉本さんは
「風太郎不戦日記」がリアリティに徹底的にこだわった漫画だと知り
協力を惜しまなかった。
原作の日記にあった“フランス映画「格子なき牢獄」を見る“という記述。
これを漫画にするために資料で確認をしたいと相談があった。
(昭和館 学芸員 杉本さん)
「いろいろな新聞の情報の中から
 「昭和史の証言」という本が出ている。
 この中の昭和44年の項目の中で
 「格子なき牢獄」について記事が書かれている。」
このフランス映画は戦前に検閲を受けていたことや
主演女優の父親が親ナチス政権の要職についていたことから
戦時中の日本でも上映できたことが分かった。
現在発売されている最新号で
勝田さんは原作にはない風太郎の心情を描いた。
敗戦を知った風太郎の絶望を見開きのカラーページで表現。
描かれていたのは
赤いヒマワリとうなだれる風太郎。
勝田さんは
どうしても敗戦を受け入れることができない風太郎の心を描いたのである。
(漫画家 勝田文さん)
「風太郎青年にとって敗戦はものすごくショックな出来事で
 本当に悲しい出来事だったと思う。
 今まで信じていたものが全部消えてしまった。
 悲しかったと思う。
 あとは読んでいただいた方に何かを感じてもらえれば。」

この漫画には10代から80代まで幅広い読者から数多くの感想が寄せられている。
“絵になることで庶民の暮らしがよりリアルに感じられる”(50代男性)
“苦手なこの時代のことをこの作品を通して知っていきたい”(28歳女性)
“教科書には絶対に出てこない戦争の姿は
 漫画にならなければ永遠に知らなかった”(55歳男性) 


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