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コロナで出荷激減 ウニの新たな販路は

2020-07-31 07:04:48 | 報道/ニュース

7月7日 NHK「おはよう日本」


ウニが特産の岩手県洋野町。
新型コロナウィルスの影響で飲食店向けの出荷が減り
生産現場はかつてない危機に直面している。
飲食店の需要回復が見込めないなか
どうウニを消費者に届けるか
模索が続いている。

ウニの産地として知られる洋野町。
十数キロにわたって続く浅瀬の岩盤。
ここに人工的に溝が掘られている。
沖合から流れ着く海藻が溝にたまることなどから
ウニが育ちやすく
通称「うに牧場」を呼ばれている。
この「うに牧場」で育ったウニは
実入りがよく
甘さが際立つ最高級品として知られている。
地元で取れたウニの加工や卸売りなどを手掛ける会社
ひろの屋の代表取締役。
新型コロナウィルスの感染拡大で飲食店などからの需要が激減するなか
ネット通販に活路を見出した。
「関東圏のみならず
 全国津々浦々
 ご注文いただいている状況ですね。」
生きたままの状態で販売する斬新さも受け
一般の消費者からの注文が殺到。
売り切れが相次ぎ
6月中旬までのウニの売り上げは8,700万円にのぼった。
ただそれでも元の販売計画の1億2,000万円には遠く及ばない。
このままウニが取り切れないと
来年以降
“磯焼け”という現象が起きると心配されている。
磯焼けが起きている海底はほとんど海藻が見られない。
ウニが海藻を食べつくしてしまったのである。
こうしたエサのない海で育つと実入りが悪くなってしまう。
(ひろの屋 代表取締役)
「とり尽くしてしまった方が
 持続可能なウニの生産という形になるのではと思う。」
そこで代表取締役は
手ごたえを得たネット通販をさらに強化しようとしている。
ウニの旬に合わせて動画を制作。
自社のネット通販サイトに掲載した。
海中に潜ってウニを取る様子や
新鮮なまま加工する生産現場を紹介。
自宅にあるハサミなどを使って簡単にウニの殻をむく方法も撮影した。
(ひろの屋 代表取締役)
「一般の消費者にダイレクトに
 我々の地域のメッセージ・ストーリーをしっかりと伝えていくことで
 ビジネスのあり方は確実に変わっていくだろう。」
さらに
小売りにも販路を拡大。
これまでは出荷してこなかった首都圏などのスーパーにも出荷している。
新たに開発した30gの小瓶。
これによって低価格で売ることができる。
岩手県などで約30店舗展開するスーパーでは1,000円以下で販売。
大きな利益は見込めないが
出荷量を増やすことが狙いである。
今年5月以降に開拓した新しい販路は40件以上にのぼっている。
代表取締役は
今 町にあるイベントを提案している。
中止になってしまった2万人以上が訪れる町の一大イベント
ウニまつりのオンラインでの開催である。
新型コロナウィルスの影響が続くなか
個人の顧客と
どうつながりを深めていくことができるのか
模索が続いている。
(ひろの屋 代表取締役)
「1つのビジネスのラインだけを守っていくやり方では
 コロナのような状況になった時に立ち行かなくなる。
 “洋野町のウニを食べたい”というファンをどんどん作っていける仕組みを
 われわれ地域レベルで作ることができる時代。
 新たなビジネスの展開を
 さらに進めていきたい。」


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日本で暮らす外国人 再入国拒否 募る不安

2020-07-30 07:00:00 | 報道/ニュース

7月6日 NHKBS1「国際報道2020」


新型コロナウィルスの感染拡大はこんなところにも影を落としている。
水際対策として
7月6日現在
129の国と地域から外国人の入国を拒否している日本。
政府は今後
感染状況が落ち着いている一部の国や地域からの
出張者や駐在員
それに技能実習生といった
“ビジネス上必要な人材”とする人たちについては往来を認める方針である。
まず6月に日本からベトナムへの臨時便の運航が始まった。
その一方で
日本を生きる場所に選んだ留学生や
長年働いてきた外国人たちの再入国は認めていない。
日本に住む外国人は
2019年末 293万人と過去最高を更新したが
事情があって一度出国した人は日本に戻れないまま
先行きが見えない状況が続いている。

スロバキア出身のマツーリコヴァさん(27)。
6年前 日本政府が授業料などを負担する国費留学生として来日。
国立お茶の水大学を卒業し
今は大学院生として環境政策を研究している。
いま一時帰国したスロバキアから日本に再入国できない状態が4か月間続いている。
(スロバキア出身の留学生 マツーリコヴァさん)
「自分の中では夢にも思わなかった。
 なかなか終わりも見えないし結構厳しい。」
マツーリコヴァさんは入院する父親の世話をするため
再入国に必要な手続きをしたうえで
今年3月スロバキアに帰国した。
ところがその1か月後の4月3日
日本政府は新型コロナウィルスの水際対策として
外国人の入国を拒否する対象国を大幅に拡大。
スロバキアも含まれていた。
その結果
親族の葬儀など
出国に人道上配慮すべき事情がないかぎり
日本への再入国が原則認められなくなった。
マツーリコヴァさんは日本の法務省に再三にわたり事情を訴えたが
“父親は生きていて人道上配慮すべき事情には該当しない”との回答だった。
(マツーリコヴァさん)
「親が持病を持っていても
 持病が重いかどうかは専門家とか医者でなく
 日本まで行って
 入管の人が空港で決めるので
 再入国できるかとてもリスキーだと言われた。
 今後の予定
 例えば労働者だったり学生だったり
 いつ入国できるか
 どういう条件で入国できるかというのをはっきりしてほしい。」
5月 マツーリコヴァさんが通う大学院でオンラインによる授業が始まった。
日本との時差は7時間。
受講するのは簡単ではない。
1限目が始まるのはスロバキアの午前2時。
受講をあきらめた科目もあった。
経済的な負担も大きくなっている。
スロバキアにいても日本の家賃や携帯電話の料金など月に6万円を支払い続けなければならない。
また日本の国民保険に入っているためスロバキアでは健康保険に加入できず
病気やけがをした場合 
高額な医療費を請求されることになる。
アニメが好きで日本語を学び
念願だった留学を実現したマツーリコヴァさん。
日本で研究者になりたいと考えていたが
今回の経験で
その夢を断念したという。
(マツーリコヴァさん)
「もう1回同じ状況になったら本当に我慢できないので
 卒業してからスロバキアに戻る予定です。
 留学生を軽く見ているっていうか
 “どうせ日本にずっと残らないだろうな”
 “別に日本に帰らなくてもいいんじゃない”
 って思っているのかもしれないけど
 日本の将来としても
 働いている人材が失われることもあるかと思います。」

日本で長年働き暮らしてきた外国人にも再入国の壁は立ちはだかる。
再開された富山市内の水泳教室。
「今日からプール始まったんだけど
 いつもこの時間にいたダンコーチは今はヨーロッパのセルビアにいて
 帰ってこれなくなったので
 どの曜日もダンコーチはいません。」
「ダンコーチ」と呼ばれているのはセルビア出身のスロボダンさん(48)。
この水泳教室で6年前からコーチを務めている。
(スロボダンさんの同僚)
「ダンコーチはここでは一番指導本数も多くて
 ダンコーチの本数をカバーするのにとても困っています。」
スロボダンさんは去年12月
高齢の両親の介護のため一時的にセルビアに帰国した後
日本に戻れなくなった。
今も水泳教室の子どもたちのことが気になって仕方がないという。
(セルビア出身 スロボダンさん)
「私はまだセルビア人だけど
 ハートの半分は日本だから
 日本のこと好きなのに
 日本で好きな仕事があるのに
 今は帰れない。
 おこる気持ちはないけど“すごく残念”という気持ち。」
スロボダンさんは水球の世界的な強豪セルビアでプロ選手として活躍。
17年前
富山県の誘いを受け
高校生を指導するため来日した。
特殊な分野での技能を持つ外国人に与えられる“技能”という在留資格を取得し
ビザを更新しながら日本で暮らしてきた。
地元の水球クラブでも指導し
オリンピックの日本代表になった選手も育てた。
税金も納め
日本を祖国のように愛していたスロボダンさん。
家族同然の仲間もでき
永住を考えていたという。
(スロボダンさん)
「私は日本で仕事だけやっている外国人ではないです。
 セルビアよりも友だち・知り合い
 好きな人も日本にいるから
 日本がマイホームだと思っています。
 17年経ってもまだまだ楽しいから
 帰りたいなって。」




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小池都知事再選

2020-07-29 07:00:00 | 編集手帳

7月5日 読売新聞「編集手帳」


 かつて覇権を競った米ソの指導者、
ケネディとフルシチョフは年齢が20歳以上も違った。
その2人が登場する小話を立川談志さんがはなしのマクラに使ったことがある。

「ケネディだかフルシチョフだかが、
 体力で優劣を決めようてえんでマラソンをした。
 当然、
 若いからケネディが勝った。
 翌日のソ連機関紙がこう書いたそうだ。
 同志フルシチョフは健闘の末2位に食い込んだが、
 ケネディはビリから2番目であったと」

勝利が当然視されたという点では東京都知事選も同じだろう。
現職の小池百合子氏が再選を決めた。

コロナ対策が主な争点となった。
有権者にすれば誰に命を預けるかの選択である。
折しも東京では投票日に向け感染者が増え緊迫の度を強めた。
陣頭指揮を執る姿が連日報道される現職に対し、
新人は不利だったろう。
五輪、
市場移転、
子育て対策…
この危機のなか1期目の信任への論戦が十分できたかと問えば、
それも心もとない。

小池さんにはビリから何番目か、
という謙虚さで再選を受け止めていただきたい。
4年前とは打って変わり、
祝福や歓喜の声が響かない静かな開票日となった。

 

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レジ袋めぐり課題も

2020-07-28 07:00:43 | 報道/ニュース

7月3日 NHKBS1「国際報道2020」


日本では7月1日からレジ袋の有料化が義務付けられたが
世界では日本に先立ってレジ袋有料化の取り組みが進んでいる。
12年前にいち早く有料化に踏み切ったのは中国。
タイでは今年1月からレジ袋の無料配布をやめる取り組みを始めている。
ただ それぞれに課題も持ち上がっている。

北京のスーパー。
レジの横には“袋は有料”と表示されている。
中国でレジ袋が有料化されたのは2008年。
当時レジ袋のポイ捨てが深刻化。
「白色汚染」と呼ばれ大きな問題となった。
そこで中国政府は
レジ袋代を徴収することを店側に義務付けたのである。
ところがレジ袋の有料化から10年余
この制度がうまく機能していないという指摘も出ている。
有料であることを示すポスターを掲示している店では
「袋は無料?」
「お金はいらないよ。」
果物店でも
「袋は?」
「1枚目はサービスだよ。」
商店の多くがレジ袋を無料で提供しているのである。
北京の環境団体のメンバー 孫さん。
孫さんのグループは2年前
中国全土の約1,000店を調査。
その結果
レジ袋代を徴収していたのはわずか17%にとどまっていることが分かった。
(北京の環境団体 孫さん)
「店どうしは競争関係にあり
 他店がレジ袋を無料で提供するのに
 無料にしなければ顧客を奪われるかもしれない。
 大手には管理や処罰も行われているが
 小さい店には管理が行き届いていない。」
さらに
有料化がレジ袋使用の歯止めになっていないことも分かってきた。
Q.レジ袋にお金を少し払うのはどうか?
「そんなに気にしない。」
「袋を持っていなければ買うし
 それがいくらかなんて気にしない。」
レジ袋は日本円で2~6円ほど。
経済成長に伴って所得が増える一方で
レジ袋の価格はほとんど据え置かれたままで
消費者が負担を感じなくなっているのである。
環境団体は
レジ袋の価格設定を上げる必要があると訴えている。
(北京の環境団体 孫さん)
「レジ袋を1枚1人民元(約15円程度)にすれば
 消費者も考えざるを得なくなり
 有料化の効果も高まるだろう。」

タイでは今年1月
大手スーパーなどが政府の呼びかけに応じて
レジ袋の無料提供をやめたばかり。
マイバッグが定着してきたが
新型コロナウィルスの感染拡大によって
再びプラスチック製品の使用が増える傾向にある。
新型コロナウィルスの影響によって増えたのが料理の配達やテイクアウトのサービスである。
持ち帰り用の袋やスープを入れる袋にプラスチックが使われている。
料理は1品ずつ
タレもそれぞれ袋に入れて提供しているレストラン。
多くのプラスチック製品が必要になる。
(飲食店オーナー)
「プラスチック製品を使わないのは難しい。
 他の方法は思いつかない。」
感染拡大をきっかけに増えるプラスチックごみをなんとか減らせないか。
タイ政府と企業などがリサイクルのプロジェクトに乗り出した。
デパートなどにプラスチックの回収箱を設置している。
(利用者)
「デリバリーの料理をたくさん頼み
 プラスチックを使うのに気がとがめていたので
 リサイクルしたいと思った。」
将来的には
プラスチックを細かい粒状に加工して製品化し
リサイクルを定着させたいという。
(タイ ワラウッド天然資源・環境相)
「大事なのは国民の決意。
 もう少しの努力で
 適切なリサイクルの仕組みができる。」
これをきっかけにリサイクル意識が向上するのか
注目されている。



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人通りの絶えたさびしい街の景色をもう忘れた?

2020-07-27 07:00:00 | 編集手帳

7月3日 読売新聞「編集手帳」


 閑古鳥はカッコウの古名で、
鳴き声がさびしく聞こえるためその名がついた。
<うき我をさびしがらせよかんこ鳥>と芭蕉も詠んでいる。
憂鬱(ゆううつ)な私をもっとさびしがらせよ、
とはどんな心境だろう。
教科書的な解釈とは異なる感想を、
詩人の谷川俊太郎さんが随筆に書いている。
芭蕉はカッコウの声に救いを求めたのかもしれないと。
古語「さびし」が<もとの活気ある、
望ましい状態を求める気持ちでいる意>を含むためという。
(「聞きなれた歌」)

もとの活気に戻ろうと踏み出したところに、
ショックなニュースだろう。
東京の日ごとの感染者数が100人を超えた。

感染が拡大しつつある。
小池百合子知事が記者会見で語気を強めた言葉を拾うと、
20代、
30代、
夜の街、
パーティー、
接待を伴う…
若い世代を中心に行動を慎めば、
まだ局面を変えられるということだろう。
飲んで騒いで飛沫(ひまつ)を交換する前に、
人通りの絶えたさびしい街の景色を思い出してもらいたい。

きまじめに自粛要請に従った人は隅々に及び、
小さな居酒屋のご主人などが泣く泣く閑古鳥の声を聞いたのはつい最近のことである。
もう忘れた?

 

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揺れる香港 市民の思いは

2020-07-26 07:14:34 | 報道/ニュース

7月1日 NHKBS1「国際報道2020」


イギリスから中国に返還されて以来
一国二制度のもと高度な自治を保ってきた香港は
歴史的な転換点に立たされている。
香港はどうなるのか。
民主派のリーダー
香港の憲法にあたる香港基本法の作成にあたった弁護士
金融都市香港のビジネスマン。
揺れる香港を見つめる三者三様の思いは。

香港国家安全維持法を歓迎するひとがいる。
席与善さん(64)は貿易会社の社長。
(貿易会社 社長 席与善さん)
「デモの影響で多くの店は閉められ
 正常なビジネスができなくなっている。
 今回の国家安全維持法は必要だと思う。」
席さんは上海出身。
幼少期に文化大革命(1966-76)を経験し
一族は財産を没収された。
その後 香港に渡り
政治とは距離を置きながら生きてきた。
(席さん)
「政治について発言しないように教育されました。」
中国本土と香港に拠点を持つ席さんにとって
本土との関係は死活問題である。
席さんだけでなく香港の多くの経営者は
“デモによる混乱が経済を脅かしている”と考えている。
実際 今年3月に発表された国際競争力を示す指標で
ニューヨーク ロンドンに次ぐ3位だった香港は6位に転落した。
去年から続くデモが影響したとみられる。
(席さん)
「市民の生活の安定が何より重要だ。
 香港が国際的な金融センターでなくなったら損失は計り知れない。」
一方 香港国家安全維持法は“香港のあり方を根底から覆すものだ”と批判するひとがいる。
「香港の民主の父」と呼ばれる李柱銘さん(82)。
(弁護士 李柱銘さん)
「今回中国政府は北京で香港の法律を作った。
 これは全く“香港基本法”に違反している。
 一国二制度に対する裏切りだ。」
香港の憲法にあたる香港基本法。
返還前に作られたもので
社会主義を掲げる中国本土と一線を画し
香港の高度な自治を50年間約束している。
李さんは草案を作る委員会の香港側の代表の1人だった。
李さんは当時
“中国共産党は改革開放による経済成長を狙っていたため
 香港の政治への関心は強くなかった”と指摘する。
( 李さん)
「香港をまるごと中国に返還すれば香港は不安に陥り
 外国の投資家も撤退することになる。
 鄧小平氏はそれを望まなかった。」
返還当時の97年
香港は中国本土と比べて圧倒的な経済力を誇っていた。
中国は
香港が西側諸国との経済的な窓口となることを期待していたのである。
(当時 鄧小平氏)
「早く経済を発展させよ。
 中国は何千年も貧乏だった。
 今こそチャンスだ。」
その後 中国は“政界の工場”として急速に経済発展を遂げる。
そして習近平指導部が誕生。
香港への統制を強める。
2014年
中国政府は白書を発表し
返還以来初めて
香港に対して“全面的な統治権を持つ”と表現した。
(李さん)
「我々にとって驚く内容だった。
 白書について間違いだとはっきり伝えたが
 イギリスを含め各国政府は問題無いと言った。」
この年 市民の抗議活動に揺れた香港。
宗主国だったイギリスは現地の状況について
“民主主義へ前進している”と評価。
国際社会も中国の変化を問題視しなかった。
そして去年
香港で市民による抗議活動が拡大。
中国は直接 香港での法の制定に踏み切ったのである。
(李さん)
「長い歳月を香港で暮らし
 すべて香港が良くなるために考えてきたはずだった。
 中国政府が基本法違反だと言える人は誰もいない。
 全員が中国政府にひざまずいている状態だ。」
こうしたなか
今回の法律が施行されてもなお
危険を顧みず抗議活動を続けようという人がいる。
中国メディアから名指しで非難を受けた民主派リーダーの李卓人さん(63)である。
(民主派 リーダー 李卓人さん)
「我々が信じてきた民主主義の放棄を迫られている。
 放棄しなければ逮捕され刑罰は免れないだろう。」
覚悟を持って活動を続ける李卓人さん。
きっかけは31年前のあの事件である。
1989年6月4日
中国北京で民主化を求める学生らの運動が武力で鎮圧され
多くの死傷者がでた天安門事件。
李さんはその事件の現場にいた。
しかしその記憶さえ中国本土では語ることを禁じられている。
自由に民主主義を訴える社会を作りたい。
事件後 香港に逃れた李卓人さんは
天安門事件の記念館を設立。
事件発生の6月4日には毎年追悼集会を開催し
歴史を継承してきた。
(李さん)
「天安門事件から30年間
 私は見てきた。
 中国共産党は市民を民主運動に参加させず
 締めつけることで民主主義を消すのだ。」
6月 李さんのもとに裁判所からの出廷命令が届いた。
今年 追悼集会を開催したことが違法だと指摘されたのである。
それでも抵抗の意思は揺るがない。
(李さん)
「香港の民主と自由を何十年も堅持してきた。
 これを続けるのが信念だ。
 必ず香港市民とともに闘い続ける。」
 
 

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悲しみを共感する優しい人たち

2020-07-25 07:03:30 | 編集手帳

7月1日 読売新聞「編集手帳」


詩人の川崎洋さんは17歳の次女から詩作を頼まれたことがある。
半年のうちに両親を相次いで亡くした友だちに贈りたいからと。

悩んだすえ一緒に悲しむしかないと腹をくくり、
書いた。
一節を引く。
<一日を我慢して 
 二日目を我慢してください
 それが三日になり一か月になり
 やがて一年になります
 そして五年がたちます
 そのとき
 きっと今とはちがいます
 ですから
 今を我慢してください>
(『ことばの力』岩波ジュニア新書)

新型ウイルスによる死者が世界で50万人を超えた。
日本でも900人以上が亡くなっている。

膨大な数の遺族がいつか悲しみがちがってくる日に向け、
苦しくも歩み出している。
高齢者を中心に死者が膨らんだ春先、
女子高校生がわがことのように悼み、
「お年寄りのために私ができるのはマスクを忘れないでいることです」と話すのをテレビで見た。
川崎さんの娘さんしかり。
世の中には、
他者の悲しみへの共感というものを教えてくれる優しい人がいる。

太平洋の向こうの国々ではマスクをしない大統領が2人ばかりいて、
話題になっている。
優しい人にはあまり見えない。

 

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ベルギー 人種差別の背景

2020-07-24 07:16:23 | 報道/ニュース

6月30日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


アメリカで黒人男性が白人の警察官に押さえつけられて死亡した事件をきっかけに
ヨーロッパでも人種差別への抗議が広がっている。
ベルギーでは植民地時代の国王の銅像を撤去するよう求める声が強まっている。

6月 コンゴ民主共和国出身のアーティストが投稿した動画。
ベルギーに住む黒人が受けてきた差別を詳細に語っていると反響を呼んでいる。
(アーティスト セシル・ジュンガさん)
「なぜ私がベルギー国民か疑うの?
 なぜ国に帰れと言うの?
 貧しくないとだめ?
 無知に見える?
 今こそ植民地の過去と向き合い教訓を得なければなりません。」
ヨーロッパ列強が相次いでアフリカを植民地化していた19世紀後半。
ベルギー国王レオポルド2世(1835-1909)は
他の国が進出していなかった当時のコンゴの支配を始めた。
現地の人たちを酷使して鉄道などのインフラを整備。
さらに天然ゴムなどの生産にも駆り出し
ノルマに達しない場合などには非人道的な罰を与えたと言われている。
ベルギーではアメリカで黒人男性が死亡した事件以降
レオポルド2世の銅像の撤去を求める声が強まり
ペンキをかけられるなどの事態が相次いでいる。
また首都ブリュッセルでは差別の撤廃を求める大規模なデモも行われた。
デモを呼びかけたラカマさん。
今から37年前 5歳の時に
動乱後も混乱が続くコンゴを逃れて両親とともにベルギーに渡ってきた。
両親は“明るい未来は祖国ではなくここにある”と希望を抱いていたが
ラカマさんを待っていたのは厳しい現実だった。
(差別撤廃を訴える団体代表 ラカマさん)
「学校ではいつも“なんでお前は黒いんだ”と奇異の目で見られました。
 黒人だというだけで自動的に差別されるのです。」
こうした経験から
ラカマさんは差別の撤廃を求める活動を続けている。
しかし銅像を破壊したりする過激な動きには慎重な立場である。
残すことで得られる教訓もあるという。
(ラカマさん)
「レオポルド2世は祖国を侮辱し
 人々を奴隷にして自由と尊厳を奪いました。
 犯罪を犯した国王を目にすることができ
 あらゆる世代の教育にもなるのです。」
ラカマさんが差別をなくすために最も大切だと考えているのは
公園の像を撤去することではなく
子どもたちに教育を施すことである。
6年前から
地域の子どもたちを集めたり
学校に赴いたりしながら
植民地の歴史などを教えている。
これまでのような白人から見た歴史だけではなく
黒人から見た歴史も知り
議論することが
差別の撤廃や融和につながると考えている。
(ラカマさん)
「教育は破壊よりも有益です。
 子どもたちは思考を変え
 互いに向き合い未来を築くでしょう。」


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将棋界の天才少年の一手

2020-07-23 07:00:57 | 報道/ニュース

6月30日 読売新聞「編集手帳」


 手元の将棋の指南書に、
金と銀の使い方が格言風に書いてある。
<攻めは銀、
 受けは金>
<金は引く手に好手あり>
などなど。

要するに金はゴールキーパーのように王のそばを離れずに守り、
攻めに用いるのは素人将棋の典型であるらしい。
ところが藤井聡太七段(17)は盤のほぼ中央に金を打ち込み、
勝機を呼び込んだ。
現役最強といわれる渡辺明三冠を下した棋聖戦第2局で、
将棋界の歴史を変える一手が誕生したと騒がれている。

師匠の杉本昌隆八段の感想がユーモアの中に衝撃をにじませる。
金が暴走したかに見えたとき「師匠の顔がみたい」と思ったとか。

形勢を随時判定するAIも疑問を示していたという。
人工知能が人間を押しのけて活躍する時代に、
それを超えてみせたことが痛快でもある。
五番勝負で2勝し、
史上最年少の八大タイトル獲得に手をかけたのもつかの間、
あすは王位戦に向かう。
史上最年長で初タイトルを得た苦労人、
木村一基王位(47)が相手となる。

木村王位は粘り強く守る棋風で知られ、
「受け師」の異名をとる。
攻めの天才少年と中年の星。
どんな人間くさい勝負になるだろう。

 

 

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主役として舞台に立つならば・・・

2020-07-22 07:00:00 | 編集手帳

6月25日 読売新聞「編集手帳」


シェークスピアの劇は格調高いセリフが演者の口から次々に飛び出す。
そこにユーモアを仕込んだジョークがイギリスにある。

観劇を終えた客が同伴者に感想をつぶやく。
「どんな物語かと思ったら、
 ことわざばっかりじゃないか」。
シェークスピアが人間の深部をのぞいてつむいだ言葉が、
後にことわざや格言となったのを知らないのである。
教養がないのは客なので共感を抱けるが、
舞台の中心に立つ主役だとしたらどうだろう。

米国のボルトン前大統領補佐官が回顧録で、
「驚くほど政権運営や外交のための知識に乏しい」と暴露した。
トランプ大統領である。

「フィンランドはロシアの一部か」
「イギリスは核保有国なのか」と外交の席などで質問することがあった。
史上初の米朝首脳会談しかり。
分断の歴史や非核化の重要性への理解に乏しく、
自身のアピールを最優先にしていたという。
米朝交渉に一瞬、
光を見たのを思い出す。
拉致問題が一気に進むのではと。

「この世は舞台、
 人はみな役者」
(シェークスピア名言集より)。
教養や心根はともかく、
せめて常軌を逸しない大統領を演じてほしかった。

 

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感染拡大で再び脚光 ロシア 別荘「ダ―チャ」

2020-07-21 07:47:04 | 報道/ニュース

6月24日 NHKBS1「国際報道2020」


新型コロナウィルスの感染者が世界で3番目に多いロシアで
格好の避難場所として注目されているところがある。
郊外にある別荘「ダ―チャ」である。
ロシア語で「与えられたもの」が語源と言われる「ダ―チャ」。
ソビエト時代 
当局が都市部の住民に家庭菜園用の土地を無償で支給した。
特にソビエト崩壊前後の90年代
厳しい経済状況のなか商店から食料が消えた時には
自給自足の場としてダ―チャが生活を支えた。
その後 経済が成長するにつれて豊かになると
人々はダ―チャを手放したが
新型コロナウィルスの感染拡大をきっかけに再び脚光を浴びている。

街の喧騒から離れ
緑に囲まれた一軒家。
現在ロシア各地で売りに出されている「ダ―チャ」である。
感染の拡大が止まらない都市部を逃れ自然の中で暮らしたいと
購入や賃貸を希望する人が急増している。
野菜や果物の栽培など
都会で味わうことができないゆったりとした時間を楽しむことができる。
(不動産会社 アナリスト)
「多くの人が他人との接触を避けたがっています。
 ことしダ―チャの需要が高まり
 より注目されるようになっています。」
その人気は
ダ―チャが生活の一部となっていたソビエト時代を知らない若い世代にも広がっている。
モスクワから400キロ離れたトベリ州にあるダ―チャ。
モスクワの大学生 ニキーチナさん。
感染が深刻になり始めた今年3月
友人のダ―チャで居候を始めた。
ここでは大学のリモート授業を受けることも可能である。
高速のネット回線も整備されていることから
モスクワと変わらない快適な生活ができるという。
(ニキーチナさん)
「今は遠隔で仕事も勉強もできます。
 ダ―チャはストレス予防にもなり
 最適な環境です。」
自宅のあるモスクワから50キロ離れた中古のダ―チャを購入したシェル―ヒナさん(34)。
(シェル―ヒナさん)
「夫と話し
 いま買うべきだと即決しました。
 子どもと一日中 外で過ごせるのはすばらしいと思ったからです。」
モスクワでは感染の拡大で近所の公園が使用禁止になり
子どもたちは家に閉じこもっていたが
ここへ来ると外で自由に遊べるようになった。
将来はここに家を建てて移り住むことを考えている。
(シェル―ヒナさん)
「大都会モスクワではストレスを感じることが多いですが
 ダ―チャに来て自由に歩けるようになると
 細かい問題も気にならなくなりました。
 子どもたちは走り回り
 散歩もできて幸せな生活です。」
withコロナの時代。
その魅力があらためて見直されるロシアのダ―チャ。
感染を避けて自然と触れ合うことが
人々の新たな日常として定着しつつある。


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香港 急増 “脱出”を選ぶ人たち

2020-07-20 07:01:47 | 報道/ニュース

6月23日 NHKBS1「国際報道2020」


マレーシア北部のペナン島。
香港の人たちの引退後の移住先として人気だったが
ここにきて現役世代の移住も増えている。
去年 妻とともに移住したチャウさん(50)。
チャウさんは移住した後も香港のニュースを欠かさずチェック。
若者たちの抗議活動の行方を常に気にかけてきた。
(チャウさん)
「学生は自分の将来のために言いたいことも言えないのか。」
中国政府が進める「香港国家安全維持法」が制定されれば
一国二制度は崩壊し香港の自由は完全に失われると感じている。
(チャウさん)
「あす香港で何が起こるのかさえ誰にも分からず
 今の状況は非常に危険です。
 このままでは取り返しのつかないことになるし
 私たちにできることは何もありません。」
チャウさんは香港で飲食店や食品卸の会社を20年ほど経営してきた。
今でも自分の飲食店のロゴの絵を部屋に飾るほど
香港への愛着は深いという。
それでも“中国の影響力が増し続ける香港に未来はない“と
移住を決意したのである。
(チャウさん)
「いまの香港に安心感は全くありません。
 かつての香港にはもっと活気があり
 多くのチャンスがあって
 やりたいことは何でもできました。
 もう私が知っている香港ではないので帰りたいとは思いません。」
(妻 ジェシカさん)
「かつての香港は中華圏と西洋の文化がうまく融合していましたが
 今はもうその雰囲気はありません。」
マレーシアへの移住を希望する人のビザの申請を代行する会社では
いま香港の人たちからの依頼が相次いでいる。
去年の申請件数は少なくても2,000件。
一昨年の10倍にものぼっている。
10年間の長期滞在ビザの取得には
日本円で約2,500万円の住宅購入などが条件となっているため
申請するのは比較的裕福な人たちに限られている。
(ビザ申請代行業者)
「マレーシアの食習慣は香港とほぼ同じで
 生活に慣れるのは簡単です。
 香港の人は
 次の世代が良い未来を築けるなら
 香港から離れてもよいと考えています。」
生まれ故郷に見切りをつけ
マレーシアで新たな1歩を踏み出したチャウさん。
この場所で日本食の店を開こうと考えている。
新型コロナウィルスの影響で探せなかった店舗もようやく見つかり
今年秋の開業を目指している。
異国の地で新たな人生を築き上げていく覚悟である。
(チャウさん)
「マレーシアで生計を立てられるようになれば十分です。
 何かできることがあれば
 心のよりどころになります。」

(台湾 蔡英文総統)
「台湾は香港の人々へ必要な人道的支援を提供し続けます。」
政権をあげて受け入れを強化しようとしている台湾。
台湾当局によると
仕事や留学などを理由に香港から台湾にわたってきた人は
去年 約5,800人。
一昨年より40%以上増えている。
7月には香港から移住する人専用の相談窓口を設置。
仕事に就くための手続きの相談や
生活費の補助などを行うほか
香港に拠点を置く企業の移転を支援するとしている。
(台湾 蔡英文総統)
「去年の抗議デモ以降
 自由と民主主義を追い求める香港の人々の粘り強さを
 多くの台湾の人々が目にし
 共感している。」
さらに香港出身者が香港を脱出してきた人を支える動きも出ている。
今年4月にオープンした飲食店。
連日多くの人でにぎわっている。
店の名前は「保護傘」。
香港出身の経営者が“香港の人たちを守る傘になりたい”と名付けた。
従業員のほとんどが香港から来た人である。
長期滞在に必要な資格が得られるように
働く場所を提供しているのである。
店内では香港での抗議デモの様子が流れ
デモの詳細を伝える本なども売られている。
壁一面にはデモの写真とともに応援メッセージが。
抗議活動に共感する台湾の人たちも数多く書き込んでいる。
“香港に栄光あれ”
“香港人頑張れ”
台湾の同じ自由を香港にも
という思いがあるからである。
店に来ていた香港出身者は香港の状況をどう見ているのか話してくれた。
(去年 香港から移住)
「デモに参加したこともありますが
 だんだん希望がなくなっていきました。」
(香港からの長期滞在者)
「香港の状況はもっと悪化するんじゃないかとすごく心配です。」
台湾当局は
香港で抗議活動に参加し安全が脅かされている人たちの支援に力を入れる
としている。
(台湾 大陸委員会)
「香港の人たちの自由と民主を求める決意を指示します。
 台湾に来た香港の人には必要なサービスや支援を提供します。」

マレーシアや台湾の他
カナダやヨーロッパも人気がある。
日本への移住を紹介するセミナーも開かれている。
移住の他に
イギリス政府が発行する“BNQ(海外のイギリス国民)“と呼ばれるパスポートにも関心が集まっている。
これは1997年以前のイギリスの植民地時代に生まれた香港の人が取得できるもので
いざという時の保険として持っておきたいと考える申請者が急増している。
ただ移住には相応の資金が必要であるし
異なる環境で一から生活を成り立たせる覚悟も必要で
多くの人にとってはハードルが高いのも実情である。
香港選出の全人代委員は
「中国返還時も不安がって移住者した人は沢山いたが
 今は戻ってきて香港で自由に活動している。
 移住したいならすればいい。」
と話していた。
その一方で
香港の国際金融センターとしての地位を支える人たちが相次いで香港を去る事態は
香港政府も中国政府も決して望んではいないはずで
だからこそ取り締まりの対象となるのはごく少数だと強調している。
ただ中国が香港を直接コントロールできるようにするこの法律の存在自体が
香港のビジネスをビジネスを支える人たちにとって大きな不安を生むのは確かである。
ある金融アナリストは
「長期的に見て
 この法律が香港の経済に影響を及ぼすことになるだろう」と話していた。
法律が今後どのように運用されるのか
香港の将来を大きく左右すると言える。

 

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「負けへんで!」 笑いに変える術

2020-07-19 07:01:01 | 編集手帳

6月22日 読売新聞「編集手帳」


こてこて、
は江戸時代の浄瑠璃にもみられる古い言葉である。
<濃厚でくどいさま。
 そのものの特徴を濃厚に持っているさま。
 ――の関西人>
(大辞林)

今春、
大阪の繁華街で見たポスターに、
その4文字が浮かんだ。
熱々の鉄板、
コテを両手に店員さんがお好み焼きを焼いている。
写真に添えて一言
「負けへんで 
 絶対ひっくり返したるっ」。
コロナ禍に伴う臨時休業の告知だった。

幾つかのお店がそれぞれに知恵を絞り、
作ったそうだ。
「負けへんで!
 完敗させて乾杯やー!」。
苦しい時にこそ、
とひねり出されたこてこてのギャグにほっと一息ついた人もいただろう。
大阪人のユーモアを改めて思う。

少しずつ日常が戻る中、
波にのまれ消えていく店がある。
大正9年創業、
フグ料理の老舗は、
秋にのれんを下ろすのだという。
店先につるした巨大なフグ提灯(ちょうちん)が名物だった。
ほんの半年ほど前まで、
通天閣を背景にパチパチ写真を撮る外国人でにぎわっていた。

風景の寂しい移り変わりを、
これから度々目にするかもしれない。
けれど、
何事も笑いに変える術(すべ)を学びたい。
名物提灯の行方も目下考え中らしい。

 

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人形町2丁目 人形町今半 高島屋 日本橋店

2020-07-18 17:47:33 | グルメ

 

 
        (食べログより)

 

 

日本橋駅から186m

 http://www.imahan.com/guide/meat.html

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プロ野球開幕

2020-07-18 07:00:00 | 編集手帳

6月20日 読売新聞「編集手帳」


 ラジオが家になく、
近所の上級生に野球放送を聴かせてもらっていた。
だが部屋に上げてくれず、
窓枠にしがみついて聴いた。
雨の日には傘をさして…
詩人の清水哲男さん(82)の述懐である。

しかしそんな扱いを受けても、
ふしぎとみじめな気持ちにならなかったという。
やはり相当の野球放送好きだったからにちがいないと、
かつての本紙への寄稿で少年時代を振り返っている。

自分が何をしているかさえ忘れて夢中で白球を追った耳に、
テレビ時代が訪れると、
目が加わったのは言うまでもない。
プロ野球が3か月遅れで開幕した。

先の寄稿とは別の文章だが、
「ポエムズ」という詩人の草野球チームまで率いた清水さんに今思い出すと胸に響く一言がある。
草野球はよく雨降りに泣かされる。
でもこれもよいところで、
思えば敗戦直後からの野球少年はいつだって雨に泣き、
ボールやグラブ不足にも泣いていたという。
で、
自然に思ったのは
「泣くことも、
 また野球のうち」

球音が途絶えた時期への思いはファンも選手も同じだろう。
涙をはらうようにきのう、
各球団のエースが今シーズンの第1球を投じた。

 

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