今日は30人ほど集まる大宴会だったのですが、
途中で過酷な企画が待ちかまえていました。
各テーブルからランダムで1人が選ばれて、
主催者側が用意した40個くらいの質問のなかから、
これもランダムでいくつか質問が出され、
その場で答えなければいけないという余興です。
1人につき3~4問聞かれるのですが、
前半は本人のプライバシーに関する質問、
後半はミョーに学問的な、シュールな質問です。
1人めの方は唐突かつ奇抜な質問にとても的確にうまい答えをしていたので、
みんなから、お前はサクラかとか、
質問をあらかじめ知っていて就業時間中にずっと答えを考えていたんだろう、
などと囃されていました。
まあそれくらいみごとな回答だったわけです。
これはツラい余興だなあ、ゼッタイに当てられたくないなあと思っていた矢先、
2番めの回答者として指名されてしまいました。
うわっオレかよ、とビビりながら、
それによって1人めの方がサクラや仕込みでなかったことが判明します。
最初はプライベートな質問ですが、
それにしても急に 「あなたの得意なことは何ですか?」 なんて聞かれると困ります。
30人の視線が集まっていますから、皆さんを待たせるわけにもいかず、
その場で頭をフル回転させて、何とか切り抜けました。
今なら、ブログにこれまで書いてきたことのなかから、
ああ、あれもあるし、これもあったなあといろいろと思い出し、
あの話をすればよかったと若干後悔するところがないわけでもありませんが、
その場で素早く答えるというのは本当に難しいものです。
授業で学生たちにフレーリーゲーム (これについてはそのうちご紹介します) とかを課して、
「面接なんかのときのためにも頭の瞬発力を鍛えておかなきゃいけないぞ」
なんて言っている私へのしっぺ返しがこんなところでやってきたということなのでしょう。
しかし、この程度のプライベートな質問でビビっている場合ではありません。
次のシュールな質問のほうが難関です。
司会の女性の先生からにこやかにこんなことを聞かれました。
「太陽と月は実際の大きさは全然ちがうのに、
なぜ地球からは同じくらいの大きさに見えるんだと思いますか?」
なんじゃ、その質問は?
こんな大勢の前でこんな質問に答えてみせることにどんな意味があるんだ?
と頭の一方では思いながらも、
え? え? どう答えればこの場をうまく切り抜けられるんだろうと、
頭の半分は高速回転しています。
皆さんならこんな質問を突然投げかけられたらなんと答えますか?
さあ、少し時間をあげますからちゃんと考えてみてください。
私の苦しみを皆さんも少しは味わってください。
飲み会の場ですからまともに答えても誰も笑ってくれませんよ。
ちゃんと自分なりの答えを考えた人だけ、
スクロールして続きを読むことを許可いたします。
答えは考えましたか?
まだの人はスクロールしちゃダメですよ。
私はやはり一瞬沈黙してしまいました。
私にとっては一瞬でしたが、本当のところはどれくらい間があったのでしょうか。
とにかくこんなに自分の頭を高速で機能させたことはないというくらい考えたあげく、
次のように答えました。
「太陽と月が同じ大きさに見えるのは、
人間にとって昼と夜が同じくらい大事だからです。」
うーん、みごとな答えだ。
我ながら、今から振り返ってみても、よくこんないい答えが思いついたもんだと感心します。
皆さんからも拍手喝采を頂戴しました。
悪のりした私は 「夜はとっても大事なんです」 と付け加えて、
マイケル・ジャクソンの腰のフリ (手を股間のあたりにかざしてクイッと腰を上下動させるやつ)
をマネしてみました。
こちらはあまりうまくいきませんでしたが、
まあとにかく、なんとかその場を切り抜けることができました。
皆さんが考えた答えはどんなものだったでしょうか?
ぜひコメント欄に書き込んでください。
途中で過酷な企画が待ちかまえていました。
各テーブルからランダムで1人が選ばれて、
主催者側が用意した40個くらいの質問のなかから、
これもランダムでいくつか質問が出され、
その場で答えなければいけないという余興です。
1人につき3~4問聞かれるのですが、
前半は本人のプライバシーに関する質問、
後半はミョーに学問的な、シュールな質問です。
1人めの方は唐突かつ奇抜な質問にとても的確にうまい答えをしていたので、
みんなから、お前はサクラかとか、
質問をあらかじめ知っていて就業時間中にずっと答えを考えていたんだろう、
などと囃されていました。
まあそれくらいみごとな回答だったわけです。
これはツラい余興だなあ、ゼッタイに当てられたくないなあと思っていた矢先、
2番めの回答者として指名されてしまいました。
うわっオレかよ、とビビりながら、
それによって1人めの方がサクラや仕込みでなかったことが判明します。
最初はプライベートな質問ですが、
それにしても急に 「あなたの得意なことは何ですか?」 なんて聞かれると困ります。
30人の視線が集まっていますから、皆さんを待たせるわけにもいかず、
その場で頭をフル回転させて、何とか切り抜けました。
今なら、ブログにこれまで書いてきたことのなかから、
ああ、あれもあるし、これもあったなあといろいろと思い出し、
あの話をすればよかったと若干後悔するところがないわけでもありませんが、
その場で素早く答えるというのは本当に難しいものです。
授業で学生たちにフレーリーゲーム (これについてはそのうちご紹介します) とかを課して、
「面接なんかのときのためにも頭の瞬発力を鍛えておかなきゃいけないぞ」
なんて言っている私へのしっぺ返しがこんなところでやってきたということなのでしょう。
しかし、この程度のプライベートな質問でビビっている場合ではありません。
次のシュールな質問のほうが難関です。
司会の女性の先生からにこやかにこんなことを聞かれました。
「太陽と月は実際の大きさは全然ちがうのに、
なぜ地球からは同じくらいの大きさに見えるんだと思いますか?」
なんじゃ、その質問は?
こんな大勢の前でこんな質問に答えてみせることにどんな意味があるんだ?
と頭の一方では思いながらも、
え? え? どう答えればこの場をうまく切り抜けられるんだろうと、
頭の半分は高速回転しています。
皆さんならこんな質問を突然投げかけられたらなんと答えますか?
さあ、少し時間をあげますからちゃんと考えてみてください。
私の苦しみを皆さんも少しは味わってください。
飲み会の場ですからまともに答えても誰も笑ってくれませんよ。
ちゃんと自分なりの答えを考えた人だけ、
スクロールして続きを読むことを許可いたします。
答えは考えましたか?
まだの人はスクロールしちゃダメですよ。
私はやはり一瞬沈黙してしまいました。
私にとっては一瞬でしたが、本当のところはどれくらい間があったのでしょうか。
とにかくこんなに自分の頭を高速で機能させたことはないというくらい考えたあげく、
次のように答えました。
「太陽と月が同じ大きさに見えるのは、
人間にとって昼と夜が同じくらい大事だからです。」
うーん、みごとな答えだ。
我ながら、今から振り返ってみても、よくこんないい答えが思いついたもんだと感心します。
皆さんからも拍手喝采を頂戴しました。
悪のりした私は 「夜はとっても大事なんです」 と付け加えて、
マイケル・ジャクソンの腰のフリ (手を股間のあたりにかざしてクイッと腰を上下動させるやつ)
をマネしてみました。
こちらはあまりうまくいきませんでしたが、
まあとにかく、なんとかその場を切り抜けることができました。
皆さんが考えた答えはどんなものだったでしょうか?
ぜひコメント欄に書き込んでください。
「人間にとって、太陽も月も同じように大切だから」
ひねりがなくてイマイチですよね。
想像力の欠如を反省します。
ところで、
もしその場にいたら、
発想の転換ができなくて
真面目に
「距離が違うから」
とか答えてしまうんじゃないかと
背筋が寒くなりました。
日々勉強です。
理系の先生たちもいる中で、そんな話をしても意味ないよなあと何とかこらえました。
それにしても未だにあの質問ゲームの意図がわかりません。
主催者の方々は出席者になにを期待していたのでしょうか?
案の定、私のあとに指名された何人かはうまく答えられず、しどろもどろになっていました。
これはまさに圧迫面接の手法ですね。
これが採用試験なら、最初の方か私が採用されていたことと思います。
でもこんな試験にどんな意味があるんだろう?
その答の一つが「神様が日食と月食を人類に見せるため」です。
日食や月食は古代の人には…現代の文明人には…、これも質問になるかも知れません。神と言っても太陽と月と地球の神の阿吽の呼吸です。
〔ノート〕
太陽の視直径:0.009152~0.009463ラジアン
月の視直径: 0.008542~0.009599ラジアン
月の最小 < 太陽 < 月の最大、で皆既日食も金環日食も起こる
天岩戸神話は日食神話、冬至神話(太陽の死と再生)と解釈される
距離と大きさのバランスが、本当にたまたま偶然に同じぐらいの大きさに見えるぐらいだったから、
ということになるんですよね。
神様がいるのだとしたら粋なことをするもんだと思いますが、
たぶんいないだろうと思っていますので、
偶然ってスゴイとしか言いようがないですね。
ご存知だと思いますが、月と地球は少しずつ離れ続けています。この月と地球の距離の変化が生物の進化に影響したという説もあり、もし月が無ければ生物の進化は違っていたとも言われています。
科学はこれからも色々な謎を明らかにして行くでしょうが、自然科学にも理性にも本質的な限界があるように思っています。その時代の理性の外にあるものを偶然とか運とか神と称してきたのではないでしょうか。
ところで問題の質問は「同じくらいの大きさに見える」を事実と仮定した問いですが、視直径であればそう。でも、人の眼には地平線近くの太陽や月は大きく見えますよね。人間の感覚だと大きさが変わるので「「同じ」って?」になります。
事実と感覚と認識と観察に絡んだ問いに思えます。
「自然科学にも理性にも本質的な限界がある」ということ、
「その時代の理性の外にあるものを偶然とか運とか神と称してきたのではないか」ということに、
全面的に賛同いたします。
カントもまさにそのように考え、神というものを考えざるをえないのは、
人間の理性にとって必然的であると考えていました。
神を持ち出したくなってしまう問題はいくらでもあります。
例えば今回の件で言うならば、
地球には月が1つしかないということも、大事な偶然のうちの一構成要素だと思います。
月が2つも3つもあって、それぞれの大きさが違っていたりしたら、
ある月では皆既日食や金環日食が起こるのに、
別の月ではそれが起こらないということになり、
皆既日食や金環日食の偶然性がもっと意識に上りやすかったろうと思います。
しかし、たまたま月が1個しかなくて、
しかもその月がたまたまあの大きさと距離だったために、
たまたま太陽と同じくらいの大きさに見えるだけだということが、
私たちには捉えにくくなっているのではないでしょうか。
なぜそうなのか、本当に「理性の外の僥倖」としか言いようがないですね。
フレーリーゲームの出典が見つかった由も拝見しました。
おめでとうございます。