昨年2016年5月に開催された 「法政哲学会」 において、
「哲学カフェ@法政哲学会」 という企画を行いました。
元はというと2014年に高千穂大学で連続講演会があり、
その内容が2015年に講談社から出版されましたが、
(齋藤元紀編 『連続講義 現代日本の四つの危機 哲学からの挑戦』 講談社メチエ)
その中で哲学プラクティスについて論じていた私と梶谷真司さん、そして編者の齋藤さんの3名で、
法政哲学会においてシンポジウムか何かを開かなければならないということになり、
3人で相談の結果、フツーに提題者3名によるシンポジウムじゃあつまらないので、
せっかくだから法政哲学会の場で参加者全員で哲学カフェをやっちゃうことにしたのです。
テーマは 「市民とともに哲学するとは?」 とし、参加者50名近くで本当にやっちゃいました。
こんな感じでした。
無謀と言えば無謀な試みでしたが、けっこう面白かったですね。
一般の方々も若干混ざってはいましたが、そもそも 「法政哲学会」 ですから、
基本的には哲学の専門家や研究者ばかりの集まりです。
そういうところで 「哲学カフェ」 をテーマに哲学カフェをやったらどうなってしまうのか。
まったく読み切れないままにやってみたのですが、
フタを開けてみたら大成功だったと言っていいでしょう。
法政哲学会での発表は翌年発行の機関誌 『法政哲学』 に掲載されることになっているのですが、
せっかくこんな楽しい催し物をやっておいて、
機関誌にはそれぞれ3名の独立論文が載るというのではつまらないと思い、
当日は哲カフェの様子を録音しておいて、若い研究者にテープ起こしのバイトをお願いし、
対話の様子をダイレクトに雑誌に掲載したいということで、理事会にも了承を取っていました。
(3名が新たに論文を書かなくてすむという大きなメリットもありますし…)
というわけで今年発行の 『法政哲学』 にはあの時のテープ起こし原稿を投稿したのですが、
2時間近くのセッションをそのまま原稿化してみたらものすごい量になってしまって、
雑誌にすべてを載せることはできませんでした。
当日は最初に3人で哲学プラクティスについて自由な形で語り合い、
後半から参加者全員に加わっていただくという形で進めたのですが、
雑誌に掲載できたのはその前半部分の原稿だけでした。
それだけではつまらないので、雑誌論文の最後には、
「法政哲学会のウェブサイトに全文掲載する予定なのでそちらをご覧ください」
と付け加えておきました。
そのウェブページが雑誌刊行のタイミングよりもちょっと遅れてしまいましたが、
先ごろやっと公開されました。
法政哲学会のサイトのトップページの中に 「第36回大会」 というボタンがありますので、
そこをクリックすると36回大会のページに移動し、
その中の 「哲学カフェ」 というボタンの横に 「記録」 というボタンがありますので、
そこをクリックすると哲カフェのテープ起こし原稿のPDFファイルに行き着くという寸法です。
まあぜひ一度ご笑覧いただければと思います。
新たに論文を書かなくてすんだものの、テープから逐語的に起こされた原稿を、
そのまま掲載したのではいくら何でも読みにくいということで相当手を入れなければならず、
けっきょくかなりな労力を割くことになってしまいましたが、
それに見合った成果が得られたのではないでしょうか。
特に、「市民とともに哲学するとは?」 というテーマの立て方そのものについて、
参加者の皆さまからファシリテーター (特に私) がボコボコにされているところが圧巻です。
哲学カフェを主宰している人、これから哲学カフェを開いてみたいと思っている人、
そして哲学カフェに興味のある一般市民の方々、皆さまに読んでいただければと思います。
「哲学カフェ@法政哲学会」 という企画を行いました。
元はというと2014年に高千穂大学で連続講演会があり、
その内容が2015年に講談社から出版されましたが、
(齋藤元紀編 『連続講義 現代日本の四つの危機 哲学からの挑戦』 講談社メチエ)
その中で哲学プラクティスについて論じていた私と梶谷真司さん、そして編者の齋藤さんの3名で、
法政哲学会においてシンポジウムか何かを開かなければならないということになり、
3人で相談の結果、フツーに提題者3名によるシンポジウムじゃあつまらないので、
せっかくだから法政哲学会の場で参加者全員で哲学カフェをやっちゃうことにしたのです。
テーマは 「市民とともに哲学するとは?」 とし、参加者50名近くで本当にやっちゃいました。
こんな感じでした。
無謀と言えば無謀な試みでしたが、けっこう面白かったですね。
一般の方々も若干混ざってはいましたが、そもそも 「法政哲学会」 ですから、
基本的には哲学の専門家や研究者ばかりの集まりです。
そういうところで 「哲学カフェ」 をテーマに哲学カフェをやったらどうなってしまうのか。
まったく読み切れないままにやってみたのですが、
フタを開けてみたら大成功だったと言っていいでしょう。
法政哲学会での発表は翌年発行の機関誌 『法政哲学』 に掲載されることになっているのですが、
せっかくこんな楽しい催し物をやっておいて、
機関誌にはそれぞれ3名の独立論文が載るというのではつまらないと思い、
当日は哲カフェの様子を録音しておいて、若い研究者にテープ起こしのバイトをお願いし、
対話の様子をダイレクトに雑誌に掲載したいということで、理事会にも了承を取っていました。
(3名が新たに論文を書かなくてすむという大きなメリットもありますし…)
というわけで今年発行の 『法政哲学』 にはあの時のテープ起こし原稿を投稿したのですが、
2時間近くのセッションをそのまま原稿化してみたらものすごい量になってしまって、
雑誌にすべてを載せることはできませんでした。
当日は最初に3人で哲学プラクティスについて自由な形で語り合い、
後半から参加者全員に加わっていただくという形で進めたのですが、
雑誌に掲載できたのはその前半部分の原稿だけでした。
それだけではつまらないので、雑誌論文の最後には、
「法政哲学会のウェブサイトに全文掲載する予定なのでそちらをご覧ください」
と付け加えておきました。
そのウェブページが雑誌刊行のタイミングよりもちょっと遅れてしまいましたが、
先ごろやっと公開されました。
法政哲学会のサイトのトップページの中に 「第36回大会」 というボタンがありますので、
そこをクリックすると36回大会のページに移動し、
その中の 「哲学カフェ」 というボタンの横に 「記録」 というボタンがありますので、
そこをクリックすると哲カフェのテープ起こし原稿のPDFファイルに行き着くという寸法です。
まあぜひ一度ご笑覧いただければと思います。
新たに論文を書かなくてすんだものの、テープから逐語的に起こされた原稿を、
そのまま掲載したのではいくら何でも読みにくいということで相当手を入れなければならず、
けっきょくかなりな労力を割くことになってしまいましたが、
それに見合った成果が得られたのではないでしょうか。
特に、「市民とともに哲学するとは?」 というテーマの立て方そのものについて、
参加者の皆さまからファシリテーター (特に私) がボコボコにされているところが圧巻です。
哲学カフェを主宰している人、これから哲学カフェを開いてみたいと思っている人、
そして哲学カフェに興味のある一般市民の方々、皆さまに読んでいただければと思います。
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