まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

谷岡先生の教育哲学 (その3)

2012-03-24 16:50:54 | 教育のエチカ
風邪をひいてしまったみたいです。
論文の締切に追われていてちゃんとろくに寝ていなかったのと、
にもかかわらずの連夜の送別会攻撃でだいぶ弱っていたのでしょう。
昨晩まではあんなに元気に飲み回っていたのに、
今朝になって急にやられてしまいました。
ひどく喉が痛いですが、インフルエンザとかではないことを祈ります。

さて、谷岡先生シリーズの第1回目で彼の名ゼリフを紹介しましたが、
実は谷岡先生のセリフはあれで終わりではなく、続きがあるのでした。
それを全部引用してみましょう。

「ぼくはね、やる気のない生徒にやる気を出させるほどやる気のある教師じゃないんだよ。
 でも生徒は大事なお客様だから、生徒の夢や希望をかなえるための努力や協力はしてやりたい。
 その結果、ぼくは3年間 「もじゃもじゃ組曲」 やら
 「おなら体操」 なんかの指導に尽力してしまったんです。
 だから、ぼくの教師としてのポリシーから言えば、
 野田君がいやがるなら江藤君には渡したくない。
 でも最近何かが変わってきた気がするんだ、野田君。
 本人は気づいてないかもしれないけど、何かが。
 それ見てみたいんだよね、一個人として。」

谷岡先生、ただ者じゃありません。
昨日言ったように、たんなる 「オチ専」 でもやる気のないダメ先生でもなく、
実はものすごく優れた教育者なのです。
まず驚かされるのは、谷岡先生は生徒のことを 「大事なお客様」 と呼んでいます。
したがって彼は、世のいわゆる大学教授たちのように、
学生のことなんかそっちのけで自分の研究にのみ没頭しているような人ではありません。
「生徒の夢や希望をかなえるための努力や協力はしてやりたい」 とまで言っています。
教育学部の頃から人間発達文化学類となった現在に至るまで、
教師になりたいとか、あるいは何の職業でもいいですが何かになりたいといった学生たちの夢の、
手助けをしてあげたいと考えていたり、実際にそのための授業を実践している教員が、
うちにどれくらいいるでしょうか。
私も含めて多くの大学教員は次のように言うでしょう。

「大学は就職のための予備校や専門学校ではない。
 大学は学問の場であって、学問を通して学生たちを鍛えるのが大学である。
 教師になりたいとか公務員になりたいとか、就職に関することは学生本人の問題である。」

これはある種、正論だと私は思っています。
しかし、そこには谷岡先生のような学生のニーズに対する温かい眼差しはありません。
そう考えると、谷岡先生って現代の日本の大学の中でも最左翼の、
きわめて珍しい教育熱心な教師だと言えるではありませんか。
やる気ないどころか、むしろものすごくやる気に溢れていると言ってもいいくらいです。

だとすると、谷岡先生はなぜ自分のことを 「やる気のない教師」 だなどと卑下したのでしょうか?
実はこのマンガやドラマのなかで 「やる気」 というのは、
もうちょっと限定された文脈で使われています。
「その1」 で私が書いたような皮相なレベルで 「やる気」 のあるなしは捉えられていないのです。
そのためには先ほどのセリフの後半部分を読み解いていく必要があります。
やっと一番言いたかった話にたどりつきそうですが、もうハアハア状態ですので、
続きは明日、風邪から回復していたら書くことにいたしましょう。


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