井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

私の好きな日本人

2016年08月22日 | 健康美容

為末大氏が、スポーツ紙に以下を述べられています。

 

日本選手はなぜ謝るのか/為末大

http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160820-00000083-nksports-spo

 抜粋

現役時代にはあまり気がつかなかったが、引退してからミックスゾーンにメディア側として立って、あらためて感じたのは日本選手のインタビューの特異さだ。成績が悪かった時のアメリカ選手が、自分なりの敗戦理由と次の目標を語るのに比べ、涙を流しながら「期待に応えられずに申し訳なかった」と謝罪し続ける選手を見ていて胸が苦しかった。

 

  日本の選手のインタビューは似通っていると言われるが、私はその一端に、この謝罪の要求というのがあるのではないかと思う。負けた原因を分析したら言い訳と批判され、純粋な感覚を表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。選手にとっては競技をすることが一番大事だから、変なことで社会から反感を買いたくない。結局、一番問題が起きにくい謝罪一辺倒の受け答えになっていく。

 

                  抜粋ここまで

 

テレビで拝見する為末氏の談話は感じがよく、また五輪を体験した
経験者の言葉だし、また一つの正論ではあるので・・・・・

反論ではないのです。

ただ私の「好み」として、涙を浮かべ謝罪する日本人の魂を
嫌いではありません。

欧米の選手のように、「私」を主語に「分析」をとうとうと語られるより
万感の思いを込めた「すみません」が好きです。

日本人の稀有な特性の一つが、全体の中の一つの細胞として存在する
自分、という感性を持っていることかと思われます。

先の戦争では負けましたが、軍としての強さはダントツではないのかな、と
思ったりもするのです(戦争肯定論者ではありません。集団の中の一員という
自覚の有無を考えています)

豪雨で電車が止まった時の、整然たる静かな列や、災害時の静粛と
秩序正しさも、全体の中の一人が自分であるという感性があるから
だと思われます。

「私」より「私たち」という主語が先行するときも多いようです。

五輪も、国を背中に日の丸胸に、というメンタリティも嫌いではありません。
サッカーでゴールを決め「自分がヒーロー!」と叫んで、グラウンドを走り回った
韓国系の選手に違和感を覚えました。

もっともこれは、彼の先輩に当たるテレビ局の人にたまたま聞いたら
彼が「お前、ヒーローになれよ」と激励したから、彼は
それに答えたまでのことのようでした。事情を知れば、可愛いと
思ったのでしたが。

話が逸れましたが、皆の期待に添えなかった、すまない、と泣くそんな日本人が私は好きです。


5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本の「道」 (風鈴)
2016-08-22 10:38:33
朝顔も咲いてすぐしおれてしまうような朝ですが先生の記事にすくっと背筋を伸ばさせていただきました。

銀メダルをとったのにとても申し訳無さそうな柔道の選手がいて「あらら、銅メダルの人に悪いんじゃないかな?」と思いましたが同時に心のなかにある種の「安心感」を感じました。

「走る哲学者」の異名を持つ為末大さんはとても穏やかな口調で物静か、知性に富む方ですがおっしゃることはなかなか過激で引っ掛かることも多いので私の中では「姜尚中」氏と同じカテゴリーです。
しかし
彼の意見にホッとしているアスリートは多いと思います。

柔道は前の東京五輪以降随分「スポーツ化」されました。蒼い柔道着を見ると複雑な気持ちになります。たしか「待て」とか「一本」とかそういういう用語も英語化されそうだったのを日本が押しとどめたということがあったような。。「柔道」から日本色を除去したい外国勢力は今でも存在するのでしょうね。

負けても勝っても乱れた衣を整えてから一礼して終わる柔道はほかのスポーツにはない「道」があります。そして
日本には多くの「道」があり武士ならずともその「道」に殉じることに「美しさ」を感じてきました。

災害時に見られる市民意識の高さはそういう「美しさ」のなかに自分が帰属することの喜びを日本人が知っているからだと思います。

そんな日本の国柄を誇るためにも柔道選手たちの
「すいません」という言葉をありがたく受け止め、感謝いしたいと思います。

紫の花の人へ (くるみ)
2016-08-22 14:26:33
緊急
明日2016年8月23日、雅子様、上田市、信濃絹糸ご視察。ご攘夷はほぼ決定と考えられます。
Unknown (武蔵の国の人)
2016-08-22 22:30:00
誰か教えていただきたいのですが、戦闘で負ける事、戦争で負けるの違いはあるのでしょうか?

ベトナム戦争で米軍は戦闘で勝って、戦争で負けました。

ドイツ軍は独ソ戦で戦闘で勝って、戦争に負けました。
武蔵・日ぐらし・紫の国の人へ (くるみ)
2016-08-23 01:02:31
枯れ葉材を大量にまき散らした(米軍が)あの悲惨。
ベトちゃんドクちゃんのシャム双生児と密接な関わりを強く示唆されています。多くのベトナム市民を悲劇に追い込み
(つまり米軍はサイゴンで戦闘に勝ったのですが)結果的にベトナムを西側にはできなかった。つまり戦争にかけなかったのぽです。
独ソ線は何年勃発の戦いでしょうかそれが明記されていないと、わたくしには、薄識ゆえにお答できません。申し訳もありません。

それから、
関係ないですけれど
マレー半島で戦中に、一人詠んだ私の父(名前は一歩)の一首
  
   海とほく 黴て(かびて)届きし そこばくの(すこしばかりの) 
   故国の金ㇱ(ゴールデン・バット)火も点けず すふ



金鵄(きんし)とは・・・これをろんずるのは釈迦に説法っですね。

戦死者を何人もみてきましたが、末期の言葉は「天皇万歳」ではなく、「か あ さ ん・・・     !」
Unknown (武蔵の国の人)
2016-08-23 01:57:47
くるみさん

第二次大戦の独ソ戦です。

1941年から1945年までの戦いです。

単に損害比率でみると、ドイツとソ連では諸説ありますが、
ドイツが死傷者900万に対してソ連軍が二千万でした。