井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

中国は昔の中国ならず 建国わずか66年の新興国だ

2015年04月14日 | 歴史・政治

さて今日も、いつか書くかも書かないかもしれない本のための
文体探し、今回は「ですます」をやめて「だ」と断定調で
書いてみる。

皆さん、どちらがよろしいか。ご意見を伺いたい。

 

もう日本人も気づいたほうがいいが、中国にも韓国にも、日本の

控えめの美徳など通用しない。

誠意など欠片も彼らとの外交には役に立たない、どころか有害ですらある。

日中友好や、日韓友好など永遠の画餅であることを、政府も国民も
思い知ったほうがいい。戦後70年かけて日本が学んだことは
それではなかったか。

中国も韓国も謙虚さも謝罪も相手の弱みと受け止め、かさにかかって
叩きに来る。
「池に落ちた犬は棒で叩け」という韓国のことわざの通りであり、
どだい日本人とは精神性を異にする二カ国である。

大中華と小中華であり、常に己を中心に世界が回っている。

これといった文化の厚みがない韓国はともかく、中国に関しては
日本人はまだしも敬意を抱いてはいないだろうか。
何しろ孔子孟子という偉大な思想家を輩出し、数ある漢詩に文学。そして「書」。

しかし・・・・

現在の中国人と、あの当時の偉大な文化を生み出した中国人は
同一人種であろうか?

中国という国は相手が弱いと徹底的に略奪し、大量虐殺を厭わない国です。
ウィグル、内モンゴル、チベット、その他の周辺国の少数民族も
殺して、中国領土とした。

殺戮を伴う覇権主義国であり、環境問題では、地球への破壊者でもある。
核実験による放射能混じりの黄砂は、偏西風で日本に吹きつけられて来るが、
その後始末を黄砂対策として、日本にお金を出させて恥も感じないようである。

中国のテレビ祭で、私の書いた作品が2度ノミネートされたので、
一度は私も上海にご招待を頂いて出かけたが、あの早朝すら臭う大気。
そして、水の不衛生さ。日本の原宿を思わせる、洒落た町並みの
路の底から辺りに漂うのは、下水の悪臭である。

見かけの隆盛ぶりが、私の目にはスタジオセットの張りぼてに見えた。

環境問題には水不足もあり、とりわけ中国東部が水飢饉を迎えそうだ。
だから、中国資本が日本の水資源を買い漁りに現れていることに
私は危機感を抱いているが、政府はどうも無策のようで、はらはらしている。
売った土地も山も川も、二度と戻りはしないのだが。

黄河には土砂が堆積を増し、川底が上がり水がかつてのように潤沢に
流れず、いっぽう揚子江は氾濫。いずれも、樹木の乱伐採によるものという。
氾濫の揚子江も、水が干上がりつつある黄河も、中国人の自然への
意識の低さから来る人災であろう。

氾濫と枯渇と、二極で自然が荒廃を示し始めている中国。

チグリス・ユーフラテスの時代から、河こそは、水こそは文明の象徴であるのに、
枯らしつつある中国。

かつての漢詩の世界はどこに行った? あの自然を賛嘆し、美しさに吐息を漏らす
感性は? その口から詩が花咲き、歌が小鳥のように飛び立ったあの中国人たちは、
いずこに消えた?

思えば、中国人が豊かな美意識を所有していた時代は、中国が日本と同じ
農耕民族であった時代ではなかろうか。自然を敬い共生する感性は
日本では八百万の神道を形成したが、中国は三国時代の戦乱期に、
農耕の民であった漢民族を滅ぼしてしまったのだ。

すなわち、その時に孔子や老子などの思想も、芸術的感性も
絶えたのではなかろうか。後漢末期のことである。騎馬民族が
農耕民族をほぼ皆殺しに、後釜に座ったのでは、という説。

日本人のいまだ根強い中国への尊敬は、もはや錯覚なのかもしれないと
私は思う。それまでの精神の高みを思う時、今の中国の民度と言っては
失礼だが、どうにも納得出来ないのである。

秦や漢時代のいわゆる漢民族は紀元二世紀で消滅したのではなかろうかと、
私は思うのだ。餓死や戦乱、相次ぐ虐殺。一民族のほとんどが消え果てることも
あり得るのではないか。
現代の中国が行っている他民族への残虐を鑑みるに、あり得ないことではないと
私は思う。漢民族の滅びとともに、彼らの精神性も芸術的感性も息絶えた。

日本が侵略されるということは、結局はそういうことなのだが、日々の暮らしが
回っている間、日本人はそのてのことには鈍感であるようだ。海の要塞に
守られていい性格が育まれたが、外交上は無警戒で極めて、極めて
お人好しで、いっそ幼稚なほどである。

紀元184年の「黄巾の乱」から三国時代まで大陸は戦乱の阿鼻叫喚。豊かな大地は荒れ果て、作物は枯れ、途方も無い数の人々が飢餓で亡くなっています。

三国時代の混乱を収める随の文帝の登場まで、中国は400年間にわたり
荒れに荒れ、人は死んでいき、記憶に誤りがなければ広大な大陸で息を
していた人間はわずか、500万人程度だったと思います。

日本人が仰ぎ見る文化は、騎馬民族に取って代わられ、現在の中国には継承されていません。そして、あの文化大革命がトドメで、中国は中国自身の手でそれまで命脈を
何とか保っていた過去の文化を圧殺してしまいました。

現在の中国人は、日本の教科書の漢文を見て驚嘆します。
彼らは読めなくなっているのです。
中国文化は実は、日本人が継承している、というお話でした。

・・・・・と、ふと気づけば「ですます」になっていました。

どちらが、いいですか?

それはともかく、漢詩も論語も現代の中国人には通じません。

現在の状況を見るにつけ、私は菅原道真の英断を思わざるを得ないのです。
道真は当時代の黄巣の乱の野蛮さを見て取り、交わりを断った、つまり
遣唐使の派遣を取りやめたのです。

現在、中国には二階俊博氏がご機嫌伺いに訪れ、また恒例の河野洋平氏の
中国訪問があり、今度は沖縄県知事の翁長氏を伴うようで、頭の痛いことです。
単なる尻尾振りならまだしも、朝貢として何かを差し上げないか、その見返りで
利権を得ないかと、疑われても仕方のない動きではありましょう。

表面の華やかさと活気と裏腹に、水飢饉を目前に、自然を粗略にする国家の
末路は衰弱であろうと私は思っているのですが。餓えて喉を乾かした
民がどっと、日本目がけて押し寄せてくるような恐怖が私には、幾らかあります。

韓国には、舛添都知事がご機嫌伺いに訪れ、差し上げる気満々で、
右を見ても左を見ても、国売り人。

中国も、韓国も自国民を大量虐殺して来た国です。
済州島事件を逃れて、密入国で押し寄せた韓国の人々が住み着いたのが
大阪の某区です。

日本が、ご機嫌取りに伺うような二カ国ではないと、私などは思うのですが。
いかがでしょうか。中国は建国66年。韓国も似たり寄ったり。
神武天皇以来の男子一系で2675年間もなく3千年になんなんとする歴史を抱く日本は、
もっとどっしりと構えて欲しいと思うのです。

1949年、天安門にて中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東

韓国の独立は、1948年。日本の敗戦と共に自動的に手に入れた独立ですね。
李承晩が米国の承認を得て、独立宣言したのが1948年の8月13日なのですが、
韓国ではこれが、15日と書き改められています、というより改竄されています。

15日だと日本の終戦記念日なので、あたかも韓国が日本と戦って(と彼らの多くが、本気でそう思い込んでいます)独立を勝ち得たかのような、印象操作ですね。そして、自らの力でもない
独立を「光復節」と美称しているわけです。

いちいち日本の歴史と文化と、あちらを比べるのも野暮な幼稚なことではあるのですが、
事あるごとに比べて難癖をつけて来るのがあちらの二カ国なので、日本も
言い返さないと、言ったもの勝ちになってしまいますから。

中国はかつての中国ならず、韓国にいまだ歴史と文化無し、と今日はその結論です。
そんな結論を出したいと思っているわけでもなく、でも事実なんですよ。

「日本は中国の忘れ形見」という言葉があるようですが、中国の最も良き文化の継承は
今や日本にあるのかもしれません。

彼らは進化ではなく、退化の道を選んだ絶滅種に思えなくもないのです。