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仙石線矢本~石巻間・気動車から眺めた車窓と石巻駅

2011-08-06 | 鉄道[東北]

先日「MAKIKYUのページ」では、先月4ヶ月ぶりに運転を再開し、現在仙石線矢本~石巻間で活躍するキハ110形気動車を取り上げましたが、今日はその列車内から眺めた車窓と、終点石巻駅の様子を取り上げたいと思います。

MAKIKYUは矢本駅で松島海岸駅からの代行バスから、矢本駅始発の気動車列車に乗り換えて石巻を目指したのですが、矢本駅周辺はかつて矢本町だったものの、現在は市町村合併で東松島市となっており、矢本はその中心駅になっています。


東松島市は東日本大震災関連のニュースなどで、名前が盛んに報じられており、津波による甚大な被害が発生した地域ですが、先月訪問した際の矢本駅前を見る限りでは、電車ではなく気動車や代行バスが発着する事を除くと、特に平時と変わりないのでは…と感じるものでした。
(被災地の中でも津波による家屋流失などが発生し、壊滅的な被害を受けた地域と、津波が押し寄せず何の変哲もない様に見受けられる地域が存在し、僅かな距離で様子が大きく変わってしまうのが、津波被災地の大きな特徴で、矢本駅前から徒歩で到達できる範囲でも、甚大な被害を蒙った地域が存在するはずです)

矢本駅から気動車に乗り込み、石巻を目指すと、その途中区間は海岸線からはやや離れた内陸を走り、津波による大規模な流失などの壊滅的被害を免れたために、4ヶ月で復旧できたのではと感じたものでした。
(それでも沿線では屋根にビニールシートを載せた家屋などが散見され、被災規模の差こそあれ、被災地である事には変わりないのですが…)

とはいえ軌道のバラストなどは一部が真新しいものとなっており、地震規模もそれなりに大きい事から、復旧に際しては軌道の補修などもある程度行われていると見受けられ、一部では徐行で通過する箇所も存在した程でした。


津波による流失こそ免れたものの、沿線でも各所で浸水被害が発生し、農地も海水の塩分をかぶって耕作ができなくなっているため、夏の盛りで普段なら車窓から田んぼが広がるはずの所でも、ひび割れた地面が姿を覗かせるている異様な光景も散見したものでした。

また仙石線は4ヶ月で復旧したとはいえ、変電所設備などに大きな被害を受けた事が、電車ではなく気動車による運転となった大きな要因ですが、変電所内部は列車からは見る事ができず、また架線や架線柱を見ただけでは、素人目には被害状況の大きさは推測できるものではありません。


変電所だけでなく信号設備も大きな被害を蒙っている様で、運転再開区間各所にある信号機は皆無灯火状態、おまけに白いテープで「×」を付けて不使用状態である事を示しているなど、見るからに異様な状況でした。


そのため現在は信号設備を使用せず、通票(タブレット)使用による代用閉塞となっている様で、この扱いは仙石線と共に石巻駅へ乗り入れる石巻線(鹿又~石巻間)も同様です。

仙石線矢本~石巻間は途中駅の交換設備を不使用とした併合閉塞とし、概ね1時間間隔の特別ダイヤで運転しており、1編成の車両がピストン運行する運転形態となっていますが、この影響で使用する線路が限られるため不使用状態が続き、表面に錆びの出ている軌道が幾つも見られる様も異様です。


そして終点の石巻駅に到着すると、現在は仙石線・石巻線共に1つのホームのみを限定使用しているため、何ヶ月も列車が入線せず、錆びの出たレールが何本も見られる状況です。


石巻線女川方面の列車が発着する4・5番ホームへの跨線橋も閉鎖され、駅構内には震災発生前は石巻駅でもありふれた存在だった仙石線用の205系電車が一編成留置されている姿も見られます。


この車両は震災発生時に石巻駅に停車中で、津波による浸水被害を受けた車両と思われ、被災状況がどの程度かは分かりませんが、流失被害などはなく現場解体こそ免れているものの、修理して運用に再起するのか否かも気になる所です。


駅構内にある電光表示を見ると、石巻線女川方面は代行バス輸送が続いている事もあり、列車の表示が出ておらず、残り2方向のみの表示となっていますが、仙石線は「矢本」表示が続き、「仙台・あおば通」の表示が再び見られる様になるまでどれだけの時間を要するのかも気になる所です。
(これが比較的最近まで「リレーつ○め」という列車を走らせていた会社ならば、代行バスと合わせて一体とみなし、「仙台・あおば通」の表示を出して「矢本駅でバスに接続」と案内しそうですが…)


石巻駅で改札を出て外に出ると、石巻駅周辺も津波による浸水被害は受けたものの、現在では路面なども綺麗に整備されており、駅舎自体も損壊などはないため、駅前を見ただけでは被災地へ来たと言う印象はありません。
(ただ駅から少し歩いて街中へ向かうと、家屋解体に伴って粉塵の舞う箇所もあり、1階部分が津波で流失した建物が数多く見受けられた他、交通信号も点灯せず警察官による誘導が行われている交差点が幾つもあるなど、被災状況は震災から4ヶ月を経た今日でも深刻です)

また駅舎脇には仙石線の名物列車「マンガッタンライナー」の案内もあり、仙台市内まで直通する仙石線列車が運転できない今日においても、特にその旨を記す事なく健在です。


現在鉄道(JR)で仙台から石巻を目指すとなると、代行バスを挟んだ仙石線利用、小牛田経由のどちらでも概ね2時間程度を要し、震災前は停車駅の多さもあって「遅い」と言われていた仙石線各駅停車ですら早いと感じてしまう程の状況です。
(MAKIKYUが先月石巻を訪問した際には、青春18きっぷを利用した事もあって往復JR利用(往路仙石線・復路小牛田経由)でしたが、他に仙台~石巻間ではミヤコーバスによる高速バス運行もあります。
運行時刻の制約があるものの、仙石線運休の影響もあって増便運行となっていますので、仙台方面からの石巻訪問には時間・運賃の両面で、現在は高速バスが最も至便です)

そのため被災地域の復興と共に、仙石線の鉄路が再び仙台市内と石巻間でつながり、石巻まで「マンガッタンライナー」をはじめとする「電車」が走る日を待ち望みたいものです。



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2 コメント

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Unknown (急行『千秋1号』)
2011-08-30 21:37:15
初めてコメントさせて頂きます。
記事の矢本駅ですが、3.11の津波襲来時は、矢本駅にも数十センチの波が押し寄せ、駅前の辺りも、ヘドロで覆われました。幸い仙石線の軌道が最後の砦となり、軌道から北側への浸水は免れたようです。
当日は野蒜駅で交換したばかりの、上下2本の列車が現場で停車。内上りの編成は瓦礫と化して、解体されました。下り編成は、僅かに高台で停車したため難を逃れましたが、石巻方、仙台方ともに軌道が無くなっている為、現在も現場に取り残されています。
高城町~矢本の区間は、ルートの変更も可能性があるそうです。
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はじめまして (MAKIKYU)
2011-09-01 23:23:59
急行『千秋1号』様はじめまして。

こちらの訪問時には、矢本駅では建物の損壊などが見られなかったため、さほどの被害は…と感じたものでしたが、石巻駅周辺などと同様に震災直後は大変な状況だったのですね。

また野蒜~陸前小野駅間に取り残された205系は、こちらも代行バスから姿を目撃していますが、鉄路の復旧は当分見込めない上に、道路からも離れた箇所で搬出も難しそうですので、津波被害は免れたとはいえ、今後の処遇が気になります。

あと仙石線のルート変更ですが、代行バスで通った際に見た野蒜周辺などは廃墟と化し、とても人が居住できる環境でない事を考えると、津波などの防災対策も兼ね、移設される公算は高いと個人的には見ていますが、どの様な形で復旧するにしても、早急な復旧見込みの発表が待たれる所ですね。
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