雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

ドイツ編18 ベルリンにて イシュタル門へ2

2019-06-29 17:48:06 | Weblog
写真はバビロン遺跡の一部の行列道路の壁。ライオンの足はなめらかに動いているような錯覚に陥るほどの精巧さ。(ベルリン・ペルガモン博物館にて)。実際のイラクのバビロン遺跡ではイシュタル門、行列道路、空中庭園などが広がる壮麗な都市空間となっており、門の外には聖書の「バベルの塔」で有名な、本物のバビロンの塔の遺構がある。1990年当時、バビロンの街が新たに復元され、近くのバビロンの塔では発掘が進められていた。日中、50度近く、そこで発掘する人を信じられない思いで見ていたことを思い出す。すべてフセイン大統領の命令であった。

【木箱500箱に詰められて】
ペルガモン博物館のイシュタル門の説明板には

「1899年、ドイツの考古学者ロバート・コールドウェイがバビロンで青い釉薬のレンガを見つけたことから、当時、荒れ地となっていたその場所をバビロン遺跡であると確信し、その後18年かけて発掘。
 その中でネブカドネザル2世によって建てられたイシュタル門を発見した。オスマン帝国との交渉を経て、この、うわぐすりを塗られたレンガが1903年に初めてベルリンに到着。

 イラク古美術局と共有する形で1927年までに木箱500箱がベルリンに輸送された。それらのかけらをつなげ続けるという骨の折れる作業によって、全貌を知るに至った。失われたレンガの部分は、新しく作って代用した」(本文はドイツ語と英語)
と書かれていました。

復元技術が完璧すぎて、どこがレプリカか分からないほど重厚感にあふれています。また、10メートル以上も掘り下げて発掘されたレンガは、泥につかっていたために保存状態がよく、美しい釉薬の輝きもそのまま保存されています。

こうして1930年にペルガモン博物館が開館される際の目玉として、門は置かれました。自然光の入る空調の効いた完璧な環境の中で、その後もベルリンに設置され続けているのです。

【イスタンブールにも】
 ところでインターネットで「イシュタル門」といれ検索すると、イラクのバビロンとベルリンが上がります。当然、設置箇所はその2箇所だと思っていたら、トルコ好きの娘からイスタンブールにもイシュタル門があるとの情報を得ました。

「イスタンブール、イシュタル門」で検索すると、イシュタル門のうちの一部の青レンガの動物レリーフが展示されています。その展示物がなぜ、バビロンではなく、ベルリンでもなく、イスタンブールにあるのか? どこにも何の説明も書かれていないので、じっくりと考えてみました。
(つづく)

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ドイツ編17 ベルリンにて イシュタル門へ1

2019-06-21 15:02:54 | Weblog
写真はベルリンのイシュタル門。室内とは思えないほど巨大なため、全容写真を取り損ねてしまった!

【ペルガモン博物館へ】
ベルリンでは、ぜひとも見ておきたいものがありました。家人はベルリンの壁。私はイシュタル門。

1990年8月5日夕方、私はイラクのバビロン遺跡にいました。そこには青いレンガの壁にライオンやキリンのような動物のモニュメントが黄色く浮き上がった美しい門があり、その先には同じ素材の壁に囲まれた巨大な道路が直線的に伸びていました。

ちょうど一週間ほど前、TBSテレビ「世界・ふしぎ発見!」でリポーターの竹内海南江さんが手を真横に広げたまま後ずさりする独特のスタイルで「世界初、テレビが入りました」と解説していた門でした。白土と青空を背景にそびえる青い門がことのほか美しく、「いつか、行ってみたいなあ」と思ったものです。

そして直後に、一年以上前から計画していたヨーロッパ旅行へ。コツコツと貯めたお金で8月1日に成田発フランクフルト行きのイラク航空に乗りました。格安ツアーが選んだ飛行機です。その結果、8月2日にたまたまトランジットでバグダットに降りたちました。ほんの数時間のはずだったのですが、当時のフセイン大統領がクエート侵攻を開始し、それにともなって空港閉鎖を命じたために、その場にいた外国人は全員、ゲストと呼ばれる人質となり、結果として偶然にも見ることができた景色でした。

バビロン遺跡の青く分厚い壁を持つイシュタル門を抜け、そこから延々と続く青タイルと黄色い動物の壁を見ていると、現地の方が「本物はベルリンにある」と言いました。それは、その前に立ち寄ったバグダッドのネブカドネザル2世博物館でも何度もつぶやかれていた言葉でした。私の心には、呪いのように、宿題のようにその言葉が沈殿していったのです。

 本物のイシュタル門は東ベルリンの領域だったシュプレー川の中洲にあるペルガモン博物館の中にあります。イラクのバビロン遺跡のものはペンキで塗られたような、新しくて派手な色合いでした。浮き上がったキリンのような形の浮き彫りも、よく見ると、少し安っぽいような作りに感じられたのですが、本物はやはりすごい。色合いが自然で、より堂々として、たしかに威圧するような風格がありました。

 ここが博物館の中か、と思うほど、巨大にそびえる門は、高さ11.4メートル。その先の行列通りとよばれる大通りも現地の180メートルのうちの30メートルを再現したという大がかりなものです。壁から浮き上がるライオンのレリーフも本当にライオンが行進しているような足先の動きを感じるようななめらかさがあり、いつまで立っていても飽きることがありません。大きさもバビロンのものよりはるかに巨大です。
(つづく)

※お気づきの通り、内容がタイトルの雲南から離れて行ってしまっておりますが、しばらくは世界放浪となります。現地に行った際に役立つ情報を他のブログにない指摘を入れ込むようにはする予定です。
きまま旅をお楽しみいただければと思います。
※ご要望、ご指摘などございましたら、コメントなどにお寄せください。
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閑話休題・新刊「死体は誰のものか」-比較文化史の視点から

2019-06-15 12:12:17 | Weblog
今回はおすすめしたい本。

 私の通った高校に学区内にある牧場の宿舎で一晩語り明かす、ティーチインという行事がありました。一部屋8人くらいで議論するのですが、そこにふらりと主催者である生徒会副会長が入ってきました。彼は静かな部屋を見つけては議論の火を焚きつける役割なのです。

ささやいたお題は
「人の死体があったら大事件だよね。でも、ここにハエの死体があったら、どう思う?」

真夜中。外はあいにくのこぬか雨で、星もなし、月もなし。どこまでもまっくらな牧場が続くだけ。怖くなって静まりかえった後、彼のもくろみ通り議論が白熱したことを思い出します。

死体の話はデリケートです。日常に語ることは、まずありません。語るとしたら非日常。でも、いずれは誰にでも訪れる瞬間でもあります。ましてや今は日本はじまって以来の高齢化社会。その頻度は増していくでしょう。ここらで少し、この問題を考えてみたい方にはぴったりの本です。

【日本の死体観を相対化】
日本では路上の死体はすぐブル-シートで覆い、人の目に触れないようにして現場検証をします。死体は生々しく、隠すもの。ところがこれが世界の常識というわけでもないのです。

中国やフィリピンでは事故防止用ポスターには、事故車とともに死者も当たり前のように写っていました。キリスト教の教会ではご存じのようにキリストのはりつけの痛々しい身体が一番中央に飾られています。

チベットでは死体を鳥に食べさせる鳥葬や魚に食べさせる水葬が行われています。彼らは、死体を古着と同じように考えていて、古着が他の人に活用されるように、死体が鳥や魚の役に立って、生まれ変わりを信じているのです。つまり輪廻転生。

チベット人は死者となったものを語ることは忌むべき事とされ、チベットでは過ぎ去った歴史はあまり記録されないのですが、これは死体の考え方の違いかしら、など、私自身いろいろと納得したり、発見したりすることがありました。

中国で古来よりたびたび発生する、死体を武器に民衆が権力に立ち向かう「図頼」。中国の映画や本にたびたび理解しがたい、しかもその後急展開するような場面がでてきて分からなかったのですが、このことなんだと得心できました。

死体を深く考察することで、考え方の基本に立ちかえることができる一冊です。


上田 信著
『死体は誰のものか』-比較文化史の視点から ちくま新書 800円+税
好評発売中
●週刊朝日、週刊現代、週刊東洋経済の書評でも取り上げられました!
https://bookmeter.com/books/13668485も。
https://www.amazon.co.jp/dp/toc/4480072241/ref=dp_toc?_encoding=UTF8&n=465392
https://ddnavi.com/review/544192/a/
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ドイツ編16 ベルリンにて6 煙突エレベータ

2019-06-07 17:56:00 | Weblog
写真はベルリンのシャルロッテンブルク地区のコメルツ銀行前にて。ベルリンの象徴の熊.ベルリン国際映画祭の賞の名前はご存じのように金熊賞、銀熊賞・・。街中に熊のモニュメントは数々みたが、この銀行前はなぜか白熊と黒熊のキッス。白黒はっきり付けたい皮肉なのか?

【歴史あるエレベータ】
この歴史のせいなのか、不思議なものもチラホラ。

まず、ホテルのエレベータが非常に小さい。ホテルは大きいのに、階段もらせん状でゆったりとしているのに、エレベータは煙突の中か? と思えるほどです。

 銀色の金属製の前面がガラス張りのような、よく中が見える箱が降りてきたと思ったら、ガラスはなく、空洞。その階に到着したエレベータに乗ろうとすると、たいてい身体の大きな男性従業員が乗っており、一杯だよ、というジェスチャーをして降りていってしまうのでした。

上の階に従業員用の休憩室でもあるのかもしれません。

エレベータの前のその階に設置されたドアを開けると、その階にエレベータに内扉も何もない状態で即座に乗り込むことができるという貨物用のようなたたずまい。

オランダのホールンのホテルでも、日本では見かけないレベルの簡易なエレベータで仰天したのですが、それよりさらに簡易です。ホールンでは四人ぐらいで乗ることができ、さらに手動とはいえ内扉もあったのですから。

ベルリンのホテルのものは、乗り込むと前面以外が金属で囲まれ、入り口の横にボタンがついているだけの殺風景な箱。ただエレベータに入り、ドアをきっちり閉めないと、行きたい階のボタンを押すができません。こうして安全は確保されるようです。そしてそれは一人用。
製造年を見ると1960年代のものでした。西ベルリン時代を生き抜いたエレベータ。頑健にできているのか、さすがドイツ製。
 
また、大きく優雅に見えたバスタブも、実際に入ろうとすると、なぜか栓がない。つまりお湯がためられない。これは中国でも地方都市の宿泊施設でよくあることなのですが、まさかヨーロッパの、しかもかのベルリンの3つ星で。ベルリン、ただならぬ都市です。

こういうときは冷静にビニールを栓のところに当てて、しばらくそのまま手で押さえてお湯を溜め、水圧がビニールにしっかりとかかったところで手を放すと、ちゃんとお湯を張ることができます。お湯は出たので、これで気持ちのよいお風呂に入ることができました。

いろいろと不備の多い中国の地方都市を旅していると、お風呂の不備は当たり前ですが、エレベータはさすがに最新式でした。とくに日本製のエレベータは中国の不動産売買のチラシでは大きく書かれるほど重要な設備です。当然、最新ぴかぴかのものが多かった。

中国の開放政策は30年強。エレベータの普及も必然的に30年を超えることはほとんどありえません。一方、一方、ドイツでは1880年に世界初の電動式エレベータが開発され、ドイツのマンハイムに設置されたのですから、エレベータの歴史もすでに殿堂入りのレベルなのでしょう。
古い建物で今も活躍するご長寿エレベータを見るのも、北部ヨーロッパ旅行の楽しみといえるかもしれません。

(つづく)
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