雲南、見たり聞いたり感じたり

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語学留学でセブに行く57 シティーツアー⑥  タクシーの正しい乗り方?

2020-09-26 14:39:55 | Weblog
写真上はアヤラモールのタクシー乗り場で乗り込んだタクシー。黄色い線の部分にはそれぞれのタクシー会社の車体番号が4桁で表示されている。(個人が特定される可能性があるので、タクシーの乗務員の名誉のために私が削除するためにあえて黄色で消させていただきました。)

【油断ならないタクシー】
夕食後、センター内のタクシー乗り場は長蛇の列でした。直前のスコール(土砂降り)もあるのでしょう。
 仕方がない、と並んでいると、列とは関係のないセンターの敷地の外から

「こちらのタクシーならすぐだよ」

という呼び込みが次々と聞こえてきます。
 その誘いに乗ると、例の口コミサイトのひどい目にあうのだ、とひたすら無視していました。

あれほどの長蛇の列だと思っていたのですが、意外と正規の列も早く順番は回ってきそうです。フィリピンの人は一台に大家族でぎゅうぎゅうに乗り込むことが多い上、タクシーが次々と来るからです。

 安心なことにセンターの人がちゃんと客が乗り込むときにタクシーのナンバーと乗務員のチェックしていました。とはいえ、ここは外国。念のために乗り込む直前に車体を写メっておきました。

走り出してしばらくすると、グリーさんが

「メータ、メータ」

と鋭い語気で運転手に伝えました。

あ、料金を表示するはずのタクシーメーターが動いていない!

 グリーさんが必死に要求しても、運転手さんには声が届いていないかのようにハンドルから指一本動かす気配がありません。
 そこで私が、やさしいけど、よく通る(つもりの)声で

「あなたの車、写真に撮ったよ!(I already take a picture of your number.) メーター、プリーズ!」

といいながら、スマホを上に掲げてみました。

すると、ようやくメーターを動かし始めました。

写メっておいてよかった!

次にグリーさんがしたのが、仲の良いファンさんのiPoneを使っての位置情報のチェック。
もちろん、メーターの動きにも鋭い目線を合わせ続けます。

「うん、大丈夫。大回りしてないわ」

と言いながらも戦闘態勢を解くことはありません。

グリーさんが太鼓判を押した「セブは安全」は、ここまでしてはじめて得られるものなのでした。愉快な人と知り合いになれてよかった!

こうして無事に宿舎に到着。他の生徒たちも三々五々、無事に帰ってきたのでした。
(シティツアーの回、おわり)
※次回はフィリピンのタクシー事情についてです。
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語学留学でセブに行く56 シティーツアー⑤ アヤラセンター

2020-09-20 18:07:34 | Weblog

シティーツアーで立ち寄った道教寺院。セブのビバリーヒルズと呼ばれる高級住宅街が点在するセブ島北西部の丘の上に立つ。1972年に華僑の寄進により建てられた。広くて清潔。一望できる景色がなにより美しい。

シティツアーの最終目的地のアヤラセンター。

アヤラセンターの庭が広すぎて、入口付近には確かに人がいっぱいなのだが、まるで人がいないような景色に見える。

【自立が求められる解散場所】
さらに、市内の山頂にある中国人の手によるえらく立派な道教寺院や市内が一望できるという別の山頂へと向かった後、最後にショッピングモールのアヤラセンターで解散しました。

日本であれば学校主催の行事が学校出発なら学校到着で解散しそうなものですが、学校から車で40分は離れた海をへだてた別の島で降ろされてしまうという現実
(アヤラセンターはセブ本島。学校はセブ島の隣にあるマクタン島。いずれも大きくはセブ島、と認識されています。セブ国際飛行場があるのはマクタン島です)

しかも公共の交通機関が発達していないところで、はじめてセブ島めぐりをする人向けのツアーでこのおおらかさ。

 一人では不安が募ります。スケジュールはあらかじめ張り出されていたので、みな、この瞬間を目指して、友達になろうとしていたツアーでもあったのでした。

 このアヤラセンター。六本木ヒルズの3倍はあろうという巨大な敷地に人があふれかえっていました。
(体感ではそう感じたのですが、あとで調べると、アヤラセンターは60ヘクタールありました。六本木ヒルズが11ヘクタールなので、ほぼ6倍でした。)

警備員が荷物チェックと身体検査を行ってから入場するのが日本とは違いますが、中のお店はファイテンやミズノといったおなじみのお店がけっこうありました。

もちろんフィリピン独自の雑貨やファストフード店などもピカピカのモールの中に納まっています。ガイドブックではここに約600の店に150以上のレストランがあるとのこと。

よく手入れされた森を囲むように4階建てのテラス型建物がまるで平屋に見えるかのようにつながっている巨大な空間には驚きました。

巨大モールをうろうろしていると、こんなに広いのに足が疲れたころにはファストフードの飲み物コーナーに、見た顔の生徒たちがほどよく集まってくるのは広さの必然のようです。結局、生徒4人でメキシコ、フィリピン料理などたくさんあるお店の中で悩んだ末にフィリピンレストランでシェアして夕食を取り、いよいよ語学学校の宿舎まで帰ることになりました。

人数的にちょうどいいとタクシーに乗ることに。
さんざん、ネットでセブのタクシーでひどい目にあった話を読んでいたので、

「帰りのタクシーは慎重に行かなきゃ」

とちょっとビクビクしていると、セブに何度も来ているという手練れの韓国の女性グリーさんが

「何? セブは安全よ。緊張してるの? 大丈夫よ」

と、どーんと構えています。彼女に任せれば安心だと、後についていくことにしました。
(つづく)
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語学留学でセブに行く55 シティーツアー④ サンペドロ要塞

2020-09-13 09:09:14 | Weblog
サンペドロ要塞の外壁
サンペドロ要塞の内部は緑の庭園

サンペドロ要塞の入口の壁にさりげなくはめこまれていたオルメカ人の石像。

【サンペドロ要塞】
次に行ったのが教会から500メートルほどの距離にあるサンペドロ要塞です。この辺りは公園化されていて、同じ区画の中を10分ほど歩くだけなのでお隣のようなもの。とはいえ、日中の日差しは痛いほどなので帽子は必須です。

この要塞はスペイン人レガスピの指示のもと、1565年より建設を開始したもの。現在のものは1738年までに完成された三角形をした堅固な石組みで、それぞれの角に大砲が据えられていました。日本の函館の五稜郭(こちらは星形五角形)と似た雰囲気のものです。石が分厚いので要塞の中はことのほか涼しい。入口にはメキシコの遺跡でよく見られたオルメカの石像がちょこんと飾られていました。

セブはスペイン人がメキシコからの交易ルートの拠点として築いたものなので、この石像があるのは偶然ではないのです。アカプルコはもともとオルメカ人の土地でした。

メキシコのアカプルコにも似た雰囲気の要塞(こちらはまさに星形五角形)を見ました。スペイン人が建てたもので、オランダやイギリスの海賊から守るためでした。(建設後の1615年、オランダによって城壁は破られ、アカプルコの町は侵攻されます。)

セブに建設されたのは、アカプルコより半世紀前。これはフィリピンでも最古、最小の要塞です。

その後、占領する人が変わるたびに、ここはその性格を変えていきます。1898年からのアメリカ占領下では兵舎として、1937年から41年まではセブの人々のための学校として、1945年までは日本軍の捕虜収容所として使われていました。
戦後もアメリカ軍の収容所、市の施設、そして市民も集える動物園となって、現在は緑豊かな中庭を持つ博物館となっています。

あまりの暑さにへばっていたため、分厚い石造りの内部の涼しさと緑陰に癒されました。よく手入れされたネコや清潔なトイレにほっとしました。
(つづく)
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