雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル40 憩いの食空間・ジラルド広場

2022-01-30 11:10:24 | Weblog

写真上はジラルド広場から見える地元の人気店「ア・シューパナ」。写真下はバカリャウコロッケを半分に切ったところ。店の皿は、1824年創業のポルトガル陶磁器メーカー「ビスタ・アレグル(VISTA ALEGRE)」社のもの。青い色彩が美しい。

※エヴォラが思った以上に長くなっております。じっくりと歩ける大きさなのでついつい・・・。あと数回で移動しますので、もうばらくお付き合いください。

【ジラルド広場の名店】
日本でも安くておいしい店を探すとき

①大通りから少し横丁に入る
②地元の人でにぎわう

といったポイントを見ますが、さらにKさん直伝のポルトガルのおいしい店の見分け方は2つあります。
  • テーブルの上に白い紙のテーブルクロスが載っている
  • 手書きのメニューもある
これらをすべて満たした店がジラルド広場の横丁にある「ア・シューパナ(A Choupana)」。地元の人がとてもいい表情で食事されているお店です。(あとで『地球の歩き方』を見たら「チューパナ」の名前で掲載されていました。)
10人も入ればいっぱいになる狭い店で、ウェイターは外国人とみるや当たり前のように英語で受け答えし、メニューも解説してくれます。
“今日のおすすめランチ”の「ソパ ダ パネーラ(SOPA DA PANELA)」直訳は鍋のスープ。パンを浸した豚がメインのバジル入りスープでした。野菜がいっぱい入っているのもうれしい。相変わらず一人前とはおもえない量でボリューム満点です。エヴォラではホテル以外の個人レストランでスープを頼むと、土鍋に入ったスープに、パンが入っているか、横のバスケットにパンがどっさりと置かれ、さらに平たい別皿にスープの具材を取り出して置かれていてあれ、何皿頼んだんだっけ? と悩みました。どうやら具材がどっさり入っているためと、品数を多く見せる工夫らしいです。



写真はソパ・ダ・パネーラ。



バカリャウ(タラを塩漬けして干したポルトガルの国民的食材)のコロッケは俵型で、バジルが練りこまれていて、塩味もほどよく、絶品。日本でコロッケといえば肉類ですが、なぜ魚類にポテトを合わせたコロッケが発達しなかったのかと不思議に思うほどの相性のよさでした。

 大勢だと、豊富なメニューを注文できてシェアしあえる楽しみがありますが、個人で動くと小さい店に入れるのがうれしい。
 背広姿で商談に打ち込む人、納得の表情でいただく杖を持ったご老人など、醸し出される地元感にどっぷりひたれるのも魅力です。スペインのマドリードとは違って、みなさん、声は響かせず、おとなしめ。周囲の音に気を使いあっている風情が、少し日本に似ているかな。
(つづく)
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スペインとポルトガル39 ジラルド広場は庶民の空間?

2022-01-22 16:08:01 | Weblog
写真はジラルド広場。焼き栗スタンドがいい匂いを漂わせているので、さっそく買い食い(リスボンでも焼き栗はよく見かけたのですが、団体行動時には買えなかった・・・)。

【広場をへそにして、できた二つの中心】
 エヴォラをへとへとになるまで歩きつくしたと思っていたのに、きままに歩くと別の街にきたみたいです。昨日歩いたエリアからほんの300メートル西にずれたところにはジラルド広場がありました。

 これぞ街の中心といった風情で、石のアーケードがぐるりと囲んでブティックが立ち並び、広場の真ん中には噴水施設もあり、人々が憩っています。
 中世のころは異端審問所の処刑が行われたり、闘牛が催されたり、市庁舎があったりした市民が集う表舞台でした。現在も街の観光案内所はこちらにあります。ここを中心にした道をたどると自然と街のくらしが目に入ってくるのです。

 昨日は大航海時代の歴史的史跡を(ここでご紹介した以外の史跡も含め)あらかた周ったのですが、ここを通ることはありませんでした。広くもない街で、じつにふしぎなことです。

 これって、と思い至ったのが両親の故郷グンマのこと。群馬県の県庁所在地・前橋市と県最大の人口を有する高崎市は、川をはさんだお隣の街。グンマ特有の県民性のせいでしょうか? 兄弟のようにいろいろとかぶって張り合ってしまうせいか、信じられないことに双方、気づかぬうちに行き会わなくていい構造が出来上がっていたのです。
 たとえば伊香保温泉に行く街道一つとっても前橋市民と高崎市民は平行した別の道を行っており、見る景色が違う。住んでいる人は自分の使う道しか通らないので意外と気づいていないのですが、前橋出身の友人ができてから高崎にゆかりの深い私は気づいて愕然としたのです。ケンカしないためなのか、意地のせいなのかはわかりませんが、本当の話です。つまりエヴォラもこういうこと?

 改めて地図をみると貴族の館のある広場とジラルド広場を直進でつなぐ道はなく、いずれも細いクランク道路など行きづらい形状の道でつながるのみ。意識しないとそれぞれの空間は行きづらいようになっています。ヨーロッパ中世の街ってどこもこうなのでしょうか?
ポルトガルの焼き栗は、天津甘栗と違っていて塩味がついている。アツアツの時はねっとりとしておいしい。冷めると素朴な木の実を食べている、という感覚。
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スペインとポルトガル38 エヴォラの元貴族の館に泊まる

2022-01-16 10:54:15 | Weblog
写真は現在、ポサーダとして利用されているロイオス修道院のすぐ脇を囲む城壁。「紀元前57年に共和制ローマ支配下に入って以降、エヴォラの街は2重の城壁を持った街として発展(ウィキペディア「エヴォラ」より)」したが、その内壁にあたる。高さ5メートル以上はあろうが、ロイオス修道院側からはテラス程度の高さである。どれほど高低差がある街かがわかるだろう。

【重いスーツケース】
 昼過ぎに元修道院を改装したポサーダから、お値段がリーズナブルな宿にお引越し(今までも旅代は完全自腹なのですが、団体から外れると旅程を自分で組み立てることができるので)。地図上では小道をたどれば徒歩5分くらい、直線距離で300メートルもない近場です。移動は楽勝でしょう。

 プチホテルのソラール・デ・モンファリムは『地球の歩き方』に
「16世紀に建てられた貴族の屋敷を改装し、1892年に創業。クラシックなサロン、おしゃれなインテリアの客室など、優雅な気分も味わえる。朝食もおいしい。」と絶賛されており、楽しみにしていました。

エヴォラ旧市街の道。城壁に沿って、扇状に道ができているので、まっすぐな道はほどんどない。

 ところがスーツケースをゴロゴロさせての移動のため、思った以上に曲がりくねった小道と急な石畳の上り下りに手こずりホテルは見えども近づけず。ネコが見つめるのみの静かな裏道を通って、やっと屋敷の門に到着。ほっとして門をくぐると50段はあろうかという急な階段が立ちふさがっていました。

「貴族は高台を好むのだった・・・。」

すでに力尽き、自分の力だけでは運べない、と娘と荷物を門前に残し、身一つで階段を上がってフロントへ。

 まだチェックインには早いのか内部は暗く、フロントに人影はありません。
「すみませーん」
 とつぶやきながら奥に回ると、若い女性が本を読んでいました。さっそく
「今日、宿泊予約を入れたものです。荷物は今、下にあります。」
 と声をかけると、亜麻色の髪をした真面目そうな女性は、目を上げてしばし観察。そして静かに
「では受付をするので、上がってきてください」
 と無情の一言を発したのでした。

 仕方なく、腰をかばいながらようやく荷物をあげて、暗い食堂の片隅でチェックイン。すぐに部屋に案内されましたが、これまた平坦な道のりではなく、曲がりくねった廊下と段差と階段のオンパレード。しかも狭い。そしてさも当然のように彼女は先導するのみ。貴族の館は従者がいてこその住まいで、宿の人が協力的ではないと、なかなか厳しいのだと痛感。
 屋敷の角部屋につくと、建付けの悪い古い木の扉を大きな鉄の鍵でガチャガチャと回し開けて、すぐに宿の人は去っていっていきました。

 部屋は、さすがの眺望で、室内はこざっぱり。ちょっとおしゃれな風呂も洗面台もついていて、レトロなフランス映画に出てきそう。
 フロント近くには談話室があって、夜になると暖炉と明かりがついてくつろぐこともできました。その日の宿泊客は私たちのみで、他の客と談話することはなかったのですが。
 荷物のことをのぞけば、居心地はよかったです。
(チェックアウト時は、タクシーの運転手さんにお願いして荷物を運んでもらいました。)

写真はソラール・ド・モンファリムの談話室。
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スペインとポルトガル37 エヴォラのおみやげ

2022-01-09 12:16:41 | Weblog
写真はエヴォラの市場の脇にある小売店にて。おやじさんの持つおしゃれなはちみつの小瓶が、やがて大惨事に。

【おみやげの選択】
その晩は15世紀に建てられたロイオス修道院をホテルに改修したポルトガルで人気のポサーダ(国が管理する歴史的建造物の宿)で一泊、夕飯もそこでいただきました。ひとまず、私と娘はここでみなさんといっときお別れです。僧房だったという少し狭めの客室で、月明かりに照らされたディアナ神殿を見ながら眠りにつきました。

翌朝、研究者一行はファーロを目指し8時にホテルを出発。私は朝5時に起きて洗濯をして、みなを見送った朝食後に昨日、目星をつけていたサン・フランシスコ教会の横にある市場を目指しました。

Kさんの案内がない街はなんだか広い。

迷いながらも着いた市場は、9時前だというのに閑散としています。売り手も買い手もお年寄りばかりです。昨日は11時過ぎだから店の半分以上が閉めていたのかと思っていたのですが、さにあらず。市場はすでに街のよりどころではなくなっているようです。

わずかに肉をさばいて売る店や花屋、フルーツを目の前で絞って飲めるジュース屋、蜂蜜屋、ベルト屋があいていました。

市場を出たところに個人商店がありました。おじさんが一人で切り盛りしている10㎡もないくらいの小さな店です。ただ、客は引きも切らず、活気に満ちていていました。奥には等級ごとに整然と並べられたタラを塩漬けして干したバカリャウ、店先にはさまざまなパンがいい匂いを漂わせています。

お店のバカリャウはビンテージもの、エクセレントもの、と細かい等級に分かれて並んでいた。ポルトガルの人々のバカリャウ熱がうかがえる。

おいしそうなポテトチップス、かごに山盛りで置かれた赤い卵、クルミ、各種オリーブオイル漬けの缶詰、大瓶から取り分けるオリーブの塩漬け、チーズにワイン。ソーセージやサラミなどは天井から吊るされています。ハムのスライスはショーケースに。クッキーも、素朴でおいしそう。どれも手づくり感あふれ、温かみがありました。

娘はここで美しい壺に入った、はちみつを見つけました。親としては止めたのですが、やはり買ってしまった。娘はウキウキとした高揚感とは裏腹に文字通りその重さと取り扱いに苦労し、一月後にはロウで目止めされたはずの壺からはちみつがしみだしてスーツケースの中が大惨事に。

ただ、娘にとっては買った満足のほうが上回ったようで、今もその壺は娘の机の上を飾り、はちみつは服から絞り出して日本製のびんに詰めて食べきったのでした。根性あるわ!
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