雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

ドイツ編15 ベルリンの中庭

2019-05-31 10:59:54 | Weblog
写真は宿泊したホテルオイローパシティの3階の部屋から見た中庭。

【ホーフ建築】
ホテルオイローパシティは部屋の天井が高く、白く、そして漆喰で描かれた天井の隅の装飾は草花が漆喰で立体的に刻まれていました。カーテンも高い天井からドレープのようにつり下がり、派手さはないですが優雅さを漂わせています。バスタブもあって、年代ものではありますが大きい。トイレも壁も、きれいに磨かれていて清潔です。階下へ通じる階段は大きく、優雅な螺旋階段がしつらえてあり、荷物をもって上がりさえしなければ快適です。

ホテルの部屋は大通りの反対側に面しているにも関わらず、窓の外には生い茂った緑が。窓を開けて見ると5階建ての建物と同じ程度の高さの巨木を中心にした中庭がありました。一階からは、この中庭の散歩もできます。

よくみると中庭を中心に四方を同じ造りの建物で囲い、ホテルはそのうちの一面だけで、他の3面はマンションなど別の用途に分譲されていました。そのため、建物の廊下を回って4面をめぐろうとしても、壁に阻まれて進むことはできません。

今は安価なホテルになっていますが、不思議な構造と高雅さが漂う雰囲気から、なにやら歴史を感じさせます。映画のワンシーンのような独特の雰囲気が漂っています。

北京の四合院みたいだなあと強く印象に残ったので、いろいろと調べていると、ドイツによく見られる「ホーフ(Hof:中庭の意味)」型とよばれる建物でした。ベルリンでは1900年代初頭にさかんに造られ。ベルリンの壁崩壊後は、さかんにリニューアルされ、有名なショッピングモールやアパート、現代アートの展示場などになりました。独特の雰囲気が人気となっていて、世界遺産になったものもあるそうです。

中庭があるおかげで、どの部屋からも緑が美しく、また間接的な日射しが入り、なんとも落ち着いた空間になっています。この空間のようにベルリンの街全体も造られているように感じました。街の中心には、うっそうと茂る森の公園が驚くほどの広さで広がっていて、その周辺に主要な政府機関などがポツリ、ポツリと建っていました。日比谷公園より10倍濃い緑。とにかく雰囲気が独特の街です。

ホテルの位置はベルリンの中心部より西にあり地下鉄で8分、西ベルリンのシャンゼリゼといわれた繁華街に近く、歴史を感じさせる映画館やブティックの通りはすぐそこ。これでピーク時での宿泊代が一泊18000円ほど(3人だったので、一人6000円で朝食付き。普通の4つ星ホテルが一人一泊2万円ぐらいだったので、格安でした)。

ベルリンがイギリス、フランス、アメリカ、ソ連の4つの国に共同統治という名目で分割され、ソ連以外の領域は西ベルリンとされていた頃は、イギリスの占領地域だったところですが、その複雑さがなんともいえない陰影をもたらしているのかもしれません。
(つづく)

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ドイツ編14 ベルリンにて4 味のわかる人たち

2019-05-25 17:45:18 | Weblog
写真はベルリンのフリードリヒシュトラーゼ駅近くのビアハウスにて。各種ブールがビールサーバーより注がれ、ソーセージも直径3センチ、長さ25センチぐらいが普通の状態で、とてもジューシー。この駅の周辺はレストランで賑わい、駅前の広場はテラス席で食事できるところで埋め尽くされていた。スーパーマーケットなども充実しているので、ベルリン市民の買い物や食事を知るにはいいところである。

【朝食はバナナが重要】
前回の続きです。

このような状況の中、冷静だった人たちがいました。

まずは中国の人たちです。昨日も朝食会場で見かけた彼らは、バナナと牛乳のみを朝食として選んでいました。
中東風の人もバナナと持参したヨーグルトのみで、パンには決して手を出しませんでした。

 私はというと、昨日の夕飯の残りのソーセージを持ち込み(上の写真参照。ドイツでも残したものを持ち帰りたい店に頼むと、ちゃんと包んでくれました)、これはおいしくいただき、さらに足りないので朝食会場の肉団子を一口。昨日はまあまあ食べられた肉団子も、自分で持ってきたおいしいソーセージの後では、食べ進めることはできませんでした。あとは、バナナ。
 このホテルでも親指程度の大きさのソーセージが湯がいて置かれていたのですが、ふやふやして味が薄い、食べ物となっていました。

 こうして、このホテルに宿泊したマラソンランナーの命運は、バナナが握っていたような朝食を終えました。

 この後、ベルリンマラソンが始まり、それらが終了した午後5時ごろ。記念のメダルを首からぶら下げて歩くランナーの方々、それを見学、応援していた人たちが一斉に帰路につきました。我々も帰りがてら夕飯を食べようと、トロリーバスに。
 路上も、バスの中も、当然、ラッシュでもみくちゃ状態。気づくと、夫のスマホがなくなっていました。乗車直前までスマホをいじっていたので、落としたのでもなく、すられたようです。ズボンの後ろのポケットに差しておくのは、よくないですね。
 以後、夫はスマホをベルトに吊るすように工夫しました。その後も何度も出かけていますが、今のところ、なくなる様子はありません。

 ところで、このホテルですが、インターネットの宿泊サイトでの朝食の評価は、なかなかよいのです。
たまたま私が泊まった時が不運だったのか、はなぞですが、食べた人が一様に同じ表情をする、というのは、かなり特別な光景ではありました。ちなみに、ベルリンでは、ここの朝食以外は、まさしくドイツ料理というべきおいしさだったことを付記しておきます。
(つづく)

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ドイツ編13 ベルリンにて4 コワモテだけどやさしい

2019-05-18 10:29:55 | Weblog

中央の白い柵の辺りの平べったい乗り物を熱心に応援する人たち。ベルリン国際マラソンの早朝、目の前を高速スピードの人の乗る乗り物が走り去っていった。車いすかと思ったら、ハンドサイクルという、車いすを改造した形の乗り物で、足を使わず、手だけで漕ぐ。空気抵抗を減らすために寝そべった形に進化したものだ。ともかく速くて、一生懸命でかっこいい。

 スピードの出るスポーツなので一般的な成人男女のマラソンの前にスタートする。このように一般のマラソンの他にローラースケートを履いて走るインラインスケート、車いす、このハンドバイク、そして子どものマラソンと部門別レースが充実していた。

【不思議な朝食風景・・】
前回のつづきです。

ここであらたにおしゃべりをしながら楽しげにおばさん二人が朝食会場に入ってきました。トレーの上に楽しげにお料理を載せて、おしゃべりをしながらテーブルに向かい合って座って、一口。
とたんに無言、無表情。

 ここまでくると、あまりの見事な表情の変化に笑いのツボにはまってしまいました。もちろん、失礼なアジア人と思われないように私としては最大限、努力しているので、食べるどころではなくなってきました。

 次に新たに小学生の女の子と、スレンダーで都会的雰囲気の母親が入ってきましたが、やはり想像通りの展開に。笑いを声に出さないように腹筋でとどめているのが苦しかったこと。

追い打ちをかけるのが、ここの従業員のスキンヘッドで入れ墨の入った若いお兄さん。とにかくめまぐるしく働いています。ブレーメン以来の慌ただしさです。

 へそから下を覆うエプロンをきっちり巻いて、目的のテーブルに早歩きで突進し、有無も言わさず空いたお皿を取り上げて、ずんずんと厨房に戻っていきます。動きはあくまで直線的で、テーブルの上を拭くにしても、すばやく、直線的で力強く、しかし、汚れを残すことなく、確実に仕留めていくのです。なんだかこわいぐらいでした。

 ところが、2日目、私がジュースを入れようとしていると

「これはアップルジュース、オレンジジュースはこちらだよ」

と、この若いお兄さんが声をかけてきたのです。

私が昨日、オレンジジュースをなみなみと注いでいたのを覚えていたのでしょうか?そこで

「わかっています」

と私はそのままアップルジュースを入れようとすると、彼は丁寧にボタンを押して、コップに注いでくれ、そして丁寧に渡してくれたのでした。

「ダンケシェーン」と私は丁寧におじぎをかえしました。

 さてこのアップルジュース、席について飲むと、アップルというより、たんなる炭酸で、固くて甘いだけの味がしました。

【ベルリン国際マラソンの朝食】
 このホテルにも、たくさんのベルリンマラソンの参加者が泊まっていました。マラソン当日の朝、彼らのカロリーを思ってか、朝食会場にバナナが房ごと置かれました。

慶事です。

ロシアのナショナルチームの文字入りTシャツの若者の集団や家族でおそろいのデザインのマラソンシューズを履いている人も、続々と朝食会場に降りてきました。

ナショナルチームの若者は今日のためにと山盛りの炒り卵、サラダ、そしてパンを皿に盛っています。大丈夫かと心配になってみていると、どの人も予想通り、一口入れると瞬時に目もほっぺの筋肉も一斉に落ちて無表情になるのですが、文句もいわずに黙って苦行に耐えていました。そして、見事に食べきっていました。

私の笑い袋はその日はとうとう耐えきれず、爆発してしまったのでした。
(つづく)
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ドイツ編12 ベルリンにて3 『モモ』の朝食?

2019-05-12 10:41:34 | Weblog
ベルリンの高級ブティックのある、日本でいえば銀座のような通りにも直結し、地下鉄の駅にもほど近い便利な三つ星のホテル オイローパシティ。通りの建物は、いずれも古風な風格にあふれ、ベルリンの雰囲気を味わうことができる。
 人々は一見、都会風なよそゆきの風情だが、人が倒れたりすると、すぐにだれかが気づいて駆けつけ、集まった人が見事な連携プレーで、救急車を呼んだりと、スタイリッシュの中にある、下町風あたたかさを随所で感じた。

【不思議な朝食】
 ベルリンには3泊しました。ちょっとぜいたくな旅の楽しみの一つはホテルの朝食。さて、朝、おなかがすいたと会場に向かうと、なぜか殺伐とした空気に包まれていました。

 忙しそうなサラリーマン風背広を着た二人連れの男性は表情もなく無言で食べ物を口に運んでいます。
入れ墨の入った中東風の顔立ちの丸っこい男性二人もひたすら機械的に食べ物を口に詰め込んでいます。
下がピンクのぱっつんぱっつんのスパッツに花柄の長袖シャツを着た、白と灰色が入り交じった長髪を無造作に後ろに束ねた、やや皺顔の女性は、薄切りパンがいっぱい入った袋を片手に戦闘的に前を見据えて食べ続けています。
「袋にいっぱいパンを詰めちゃって。配膳コーナーからお昼用にちょろまかしてきちゃったのかしら」

なんとなく、ブレーメンに続いてこれまたミヒャエル・エンデの小説『モモ』の世界を彷彿とさせます。

 ベルリンではホテルが取れなさすぎて、ホテルのランクを下げたとはいえ、ずいぶん人の雰囲気が変わるものだ、と、なかば呆れつつバイキングの列に並びました。

【バイキングの列へ】
 壁際には、お皿からはみ出る丸パンや、温かいコーヒー、それなりの品数の料理の数々に
「けっこう豪華そう」
と一緒にいった人たちは目を輝かせました。

 さて、大皿を持って料理の前に行き、日本のお弁当の定番・タコさんウインナーやきゅうりやパプリカのピクルス、トマトとレタスとキュウリのサラダ、炒り卵、ハム、プロセスチーズ、丸い形の白パン、ミルク、オレンジジュース、コーヒーを取って空いている席へ。

さあ、食べるぞ、と気合いを入れ、まずは飲み物から。

 ミルク、うすい。

オレンジジュース、たんなる色のついた水。

コーヒー、なぜか大量の油が浮いている。

ピクルス、野菜丸ごと一個のものしかないので、セルフで薄く切って食べるしかない、という新鮮な体験。

炒り卵、しょっぱい、どころか卵の味が遠く、豆腐が半分以上、入っているかのような不思議な食感。ソーセージは、本場のはずのドイツで奇跡のような、香りのなさ。

パン、ああ、これは、なつかしの、小学校時代にお世話になった市内1万人以上の子ども向けに一斉に配給していた給食センターの、あの、うまみのない、ぱっさぱさの、コッペパン。

 そうだ、なんにも手をいれていない、ただ切っただけのサラダを食べようと、トマトとレタスのキュウリのサラダを手に取ると、新鮮さのかけらもない、しなびた味。せめて、果物があれば、と目を凝らしても、ぜいたくなのぞみなのか、ありませんでした。

 こと、ここにいたって気づきました。朝食会場の人たちの表情や行動は必然だったのだと。

おばさんの、片手につかんでいた薄切りパンは、朝食のあまりのまずさの自衛策として、パンを自分で買って持ち込んだものだったのだと。

そう気づいて、新たな気持ちでおばさんを見ると、カマンベールとか贅沢なもののないチーズでも、ふやけた味のハムでも、とにかく無造作にパンに載せて、飲み物で流し込んでいます。
 とにかく、全然楽しそうじゃないことは確かです。
(つづく)

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ドイツ編11 ベルリンにて2  プレ・ベルリン国際マラソン

2019-05-04 09:39:29 | Weblog

写真上は、1989年のベルリンの壁を市民が歓声をあげて壊している映像をニュースで見たとき、映っていたブランデンブルグ門。行くとちょうど、ベルリン国際マラソンの前日で、子どもマラソンを開催していて、市民の温かな空気に満ちていた。世界的大都市なのに、小さな街の目の届く範囲ないで行われているお祭りのような雰囲気だった。
 ベルリンの壁はなく、地面に20㎝ほどの太さの石組みがささやかにはめ込まれている線のみが往事をしのばせるのみ。石組みは基本的に道路の中央を直線的に引かれているのだが、この門のところのみ、門を囲うように丸い線となっていた。門は東側にある。よほどソ連がこの門を欲しかったことがわかる。

 写真下、門を背にしてまっすぐ西を見ると、直線道路の先にドイツ映画のはじまるところによく映っていて、かつ「ベルリン天使の詩」で印象を残す金色の女神像が載る塔(ジーベスゾイレ・戦勝記念塔)が見えた。
 これは東ドイツ側からも見えたであろうモニュメントに違いない。映画はきっと、塔の先のブランデンブルグ門、その先の東ドイツへの呼びかけの意味もあったのでは、と、位置関係を見て、映画の深い意味合いに、衝撃を受けた。

【ホテルがない訳】
ベルリンは旅行の手配をするなかでもっとも手こずった都市でした。どうがんばっても希望の額でホテルが予約できません。大手旅行会社の人は「とくに大きな会合などはありません」というばかり。これは、よほどホテルのない都市なのか。

 そして行ってみると、なんとベルリン国際マラソンの真っ最中だったのでした。

[今回、手配に大手旅行会社を使ったのですが、逆にいろいろとトラブルに見舞われました。帰国後、指摘すると「今後の参考とさせていただきます」の一言で終了。諸事情のため、利用せざるを得なかった会社なのですが(だから殿様商売なのかも)、あまりに手配ミスが多かった。人件費代程度はせめてがんばってほしいものです]

【国際マラソンのイケてるプレイベント】
 世界6大マラソン(ボストン、東京、ロンドン、シカゴ、ニューヨークがある)の一つなので当然、世界中の人がやってきます。

 着いた翌日の昼間にベルリンの中心部にあるブランデンブルグ門に行くと大通りを跨ぐように大きなブルーの空気風船のような巨大なゲートや応援用舞台、巨大スクリーンなどが設置されていました。

 そこを軽快なDJ風の司会者の言葉や音楽が流れるなか、子どもたちが元気に駆け抜けて行きました。

 その日はベルリン国際マラソン本番の前日で、地元の子どもたちのマラソン大会が開かれていたのです。国際的な設備の中で走っているという誇らしげな顔をしたほほを赤らめた子どもたちの顔、顔、顔。

とてもいい企画です。

東京マラソンでも行われているのでしょうか? 交通規制がたいへんなのかもしれませんが、大人も含め、健康的で明るい空気に満ちていました。

(つづく)

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