雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南のシルクキャンディ-・絲窩糖(スーウオータン)11 柳の木の前集合

2018-02-25 11:14:28 | Weblog

写真は雲南・昆陽の鄭和公園内の博物館にある鄭和が建立した鄭和の父を顕彰する碑。「字、哈只(ハッジ)、姓、馬氏」と書かれている。

【清・雍正八年に雲南へ】
 まず、シルクキャンディーのこの村でのはじまりが、なぜ300年前といわれているのかというと、この村で一番の名刹といわれる回族寺院の拖姑清真寺の由来記にあるようです。

 1730年(雍正八年)に清朝武官の蔡家地(サイジャディ)の馬姓の祖先である馬鱗燦公、馬鱗熾公が戦功によって、拖姑村にやってきて、上記の回族寺院を建てたのです。ここまで明確に時代考証のできる資料は珍しく、その時からある食べ物、とどこかで確証を得たのか、300年前、と確定したのでしょう。
 というと、この食べ物はこの地で創作されたものでなければ、清の雍正帝の時代に清朝武官の暮らす地に伝わっていたと考えられます。

【「族譜」を読む】
 そこで、まず、彼らの出自を考えてみます。

 馬姓は、中国では回族がよく持つ姓です。鄭和の本名も「馬和」です。

蔡家地はサイジャチとも読めるので、もしや、元の時代に雲南を治めるためにやってきた、あの中央アジア出身の、あのサイジャチかと思ったのですが、違うようです。

 蔡家地馬姓には代々伝わる「族譜」(中国の人は血筋の系統を書いたこの文書をとても大切にしています。華僑が世界中にネットワークをたやすく構築できるのも、この族譜をもとに結束を固めていることも一因です。)が伝わっていました。それによると

「唐代に西域より山西省太原に移り住んだ貴族の武人の出で、元朝後期に陝西省固原柳樹巷に移り住み、明の洪武16年に西天竺の天経8巻を解釈したことで、皇帝に喜ばれて太師の称号を賜り、その後、1625年(明天啓二年)に貴州省に貿易でやってきた。同族に雲南昭通の蔡家地馬姓などがいる」とのこと。

 ここで注目したいのが「陝西省固原柳樹巷」。これも何度かこのブログで指摘していますが、雲南各地に移住した人々が出身地として異口同音にいう地名です。雲南に居住する前の地として、フィールドワークをしていると、本当によく出てくる名称です。私も聞きました。
 上田信著『海と帝国』によると、おそらく、雲南に屯田させられる時に集合場所とされた場所なのだろう、ということ。元朝後期から雲南への移住のために目をつけられていた一族だったのかもしれません。
(つづく)
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閑話休題・映画「苦い銭」をみて

2018-02-18 14:48:43 | Weblog


映画「苦い銭」の映画のチラシとパンフレット。

【全国で上映中】
 ドキュメンタリー映画の巨匠といわれるワン・ビン(王兵)監督の新作が現在、渋谷イメージフォーラムや名古屋シネマテーク他で上映中です。
(http://www.moviola.jp/nigai-zeni/theaters/index.html)

 雲南、安徽、河南省の農村部から浙江省湖州の縫製工場に働きにきた人々、もしくは田舎から出稼ぎに行く様子を密着して撮る、それを編集して映画にしたものですが、このドキュメンタリーが2016年ベネチア映画祭の脚本賞を受賞しました。
 脚本に基づいて俳優が演じるのではなく、人々の日常を映像にうつしたものを、つなぐことで生まれたドラマが脚本に値する、と認識されたのでしょう。

 ベネチア映画祭、なんとも粋、です。

 上映時間は2時間43分と長いのですが、本物の芸術に触れたときと同様、一コマ一コマの感じ方が観る人によって違うドラマを感知してしまいそうになる、そんな予感がしました。

【小さなバスから乗り継いで】
 最初のドラマは、雲南の田舎から縫製工場に初めて働きに行く15歳の女の子に密着したものです。
ほっぺたがくりくりと若さにあふれた女の子。希望に満ちています。
 一家の団らんでも、これから行く未知の世界に親は、「彼氏を作ってそこで結婚はダメだよ」と心配し、弟(?)はちょっとうらやましそう。

 親は「○○の家の子は、あっちで結婚して、もう戻ってこないだろう。(その家の親は)地震で死んだものとあきらめた、と言っていたよ」

 田舎を出るバスの中でも、地震の話が。そして彼らにはたいてい兄弟姉妹がいます。このことから、映画の字幕やチラシでは「雲南省出身」とだけ書かれていた少女の故郷は昭通ではないか、と推測しました。現在、当ブログで取り上げているシルクキャンディーのもう一つの故郷、回族も多く暮らす昭通市です。

【昭通市からはじまる】
 映画を観た後に映画館で売っているパンフレットを購入し、熟読すると、やはり少女の故郷は昭通市。
 当ブログで取り上げている魯甸県の隣でやはり2014年8月3日の地震の被害が甚大だった巧家県でした。
 ここは中国最長の川、長江の上流域の一つ、金沙江が山をえぐって深い谷間をつくる複雑な地形です。
 このあたりは、漢族のほか彝族、回族、苗族、布依族など、少数民族が多く暮らす地域です。かつての一人っ子政策では少数民族は複数人の子どもを持つことも許されていました。
 
 彼女がそうかはわかりませんが、周囲の人々も兄弟、姉妹の話が多かったので、可能性は高いでしょう。
さて、さきに浙江省の工場に出稼ぎに出ていた親戚のおばさんとともに、楽しげに浙江省の工場の目指す少女がたどり着いた仕事は、無造作に積み上がったできあがったばかりの子供服を綺麗にたたんで袋詰めする仕事でした。

 さて、彼女と話す同じ工場に顔を出した女性が、次にフォーカスされ、と、人のつながりでドラマは次々と続いていきます。人のつながりのタペストリーのような映画だと感じました。

【一人じゃない!】
 じつはこの映画を誘うチラシには疲れ切った顔の女性の写真とともに「働けど、働けど。」と書かれていました。
 社会派の映画かと、重たい気持ちで行ったのですが、決して女工哀史のような悲惨な話ではなく、たくましく、故郷の縁なり、親戚の縁なり、近所の縁なりで、つながる人々の、現在の日本よりも、よほど人とのつながりを感じさせる世界の話でした。

 映画に出てくるおじさんも言っていました。「一人じゃ生きていけないだろ。」

 15歳の少女が夜行列車にゆれて浙江省に行く場面で乗り合わせた、やはり農民工の赤ちゃんのかわいらしいこと。手持ちカメラの画面のゆれが、私は相変わらず苦手ですが、画面の隅々に目を凝らしたい映画でした。
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雲南のシルクキャンディ-・絲窩糖(スーウオータン)10 300年前の意味

2018-02-12 16:19:45 | Weblog
【「元」でも「明」でもない】
「昭通市の十大風味小喫」に選ばれた理由のなかに、回族、すなわちイスラムの食品として300年の伝統を誇る、とあります。

 昭通市のなかにある桃源郷拖姑村に暮らす回族調査のなかで絲窩糖が報告されたのだそうです。いまから300年前というと1700年ごろ。清朝の初期にあたります。

いままで何度か当ホームページでも記しましたが、雲南には回族、すなわちイスラムの民が以前より交易のために入り込み、とくに元代において流入しました。

そのときに雲南の平定に送り込まれたのが、フビライ・ハーン直々の命令で雲南に行政長官として赴いたサイジャチ(=サイード・シャムスッディーン)でした。もと、中央アジアの貴族で一族を率いてチンギスハーンも元にやってきた人物です。
(詳しくは当ブログ「雲南の回族・サイード・シャムスッディーン」をご参照くださいhttps://blog.goo.ne.jp/madoka1994/m/201305)

さらにもう一つの大きな波が明の明代以降、多くの漢人が組織的に屯田兵として雲南支配のために送り込まれた人々です。

明の永楽帝の命によってアフリカまで船を連ねていった鄭和は、雲南の昆陽出身ですが、彼も回族です。彼は明の軍隊によって雲南で狩られました。つまり鄭和は明以前より雲南で暮らす回族だったことになります。

ちなみに彼は以後、宦官として永楽帝に仕え、遠征を任されるまでになるのですが、それは彼の回族の知識に負うところが大きかったのです。

300年前となると、元でも明でもない、しかし回族、ということになります。
                   (つづく)
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雲南のシルクキャンディ-・絲窩糖(スーウオータン)9

2018-02-06 10:34:50 | Weblog

写真は雲南のクルミ。(蒙自にて)。魯甸産のクルミは、一般にはわざわざ地名を表示されることは少ない。小ぶりだが、皮が薄く、実がつまっている、といわれている。

【回族の特産?】
紀元前の『楚辞』の時代より、前政権の栄華をしのぶ象徴、それはともすると現政権を批判するアイテムともなった、お菓子・絲窩糖。
 
 いまでも人々に慕われ、愛されるお菓子であることは、スーパーマーケットに行ってもわかりますが、伝統的なお菓子として認定した地域が雲南にあります。

 今から2年前の2015年12月14日、雲南の北方にある昭通市で魯甸特色小喫として絲窩糖が「昭通市の十大風味小喫」の一つに選定されました。
 
 魯甸県は2014年8月4日に地震があり、600名近くが家屋の倒壊などで死亡し、日本でも大きく報道されたことでご記憶の方もいるかもしれません。ここは貧困県ということもあって、地震の規模はそれほどでもなかったのに、家屋がゆれにあまりにも弱かったためでもありました。いまでは復興資金によってコンクリート家屋が均一に建ち並ぶ地域となっています。

 ここの特産品の中に変わったものがありました。いぼたろうむしです。中国語では白蝋虫。カイガラムシの一種で白い蝋を作り出します。日本でも会津ロウという和蠟燭の原料として用いられていたそうです。パラフィンを使い出すまでは家具の塗装などにも使われていました。魯甸県はその主産地なのです。今でも家具の塗料などとして使います。
(ちなみに中国語でクレヨンは「蝋筆」、さらに余談でクレヨンしんちゃんは「蝋筆小新」と書く。中国でも大人気のアニメとなっている。)

 近年ではクルミも有名です。緑色食品という、農薬や化学肥料をあまり使わず、遺伝子組み換えのない作物などに与える国家認定基準である、とアピールして生産しています。緑色食品については流通過程でニセモノが多数出ていますが、生産者に指導するほうは真剣です。ちなみにクルミで有名なのは大理です。この話はまた章を改めましょう。他にたばこ、羊毛などが生産されています。

 この地域は回族、苗族、彝族などの少数民族が多く暮らしています。その中で、絲窩糖は回族の伝統菓子として「昭通市の十大風味小喫」に選ばれたのでした。いったいどういうことなのでしょうか?
(つづく)

※次回、更新は少しずれこむかもしれません。確定申告の時期になりました。私は毎回、がんばって記入してはいるのですが、どうも頭の中は難破船になってしまいます。
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