雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

語学留学でセブに行く13

2019-10-26 15:05:37 | Weblog
写真上は自習室の外観。椅子と机が30席ほど用意されている。パソコンも自由に使うことができる。外装には学校名が英語、中国語(繁体字)、隣の窓にはハングル文字で記されていた。日本語はなかった。
写真下は私が居住していた階の廊下。掃除がされていて、皆も気を遣い合っていたので、なかなかきれいだった。

【居住スペース】
 学校が借り上げているホテルの部屋には1人部屋、2人部屋、3人部屋がありました。一番安いのが3人部屋で、多くの人がこれを選びます。

 部屋はたいてい韓国、台湾、日本の人が一人ずつ、という構成になっていました。国を越えてコミュニケーションを取って欲しいという学校側の希望が反映されているのです。実際、多くの友情が生まれていました。

 一部屋6畳程度の広さにベッド3台、机3つ、また3人でトイレとシャワーを共有するので、気を遣い合わないとたいへんです。エアコンの設定温度にしても、それぞれの快適温度が違うので、睡眠時の温度設定があわずに体調を崩している人もずいぶん見かけました。

そのため3人部屋の人は宿題などの勉強のために、自習室を使うことが多かったです。

 家人はほとんど自習室に入り浸っていました。狭い空間にいるより、皆のざわめきの中で勉強できて集中力が高められるし、寂しくない、とのことでした。

 ここを拠点にプールもトレーニング室も食堂も教室もすぐに通えるのですから、欲さえ出さなければ、勉強に集中するにはいい環境、といえます。

【掃除・洗濯など】
 掃除は週に一回、してくれます。トイレなどもピカピカになります。希望すれば害虫駆除も。
 シーツは何もなければ2週に一度、洗濯は一回、200円程度で朝のうちに籠一杯をランドリー室に渡すと、乾燥まで済ませて夕方までには受け取ることができます。一人週2回と決められ、女性の日、男性の日とありました。

 ランドリー室ではコインランドリーのような大型の洗濯機に洗剤を入れて回してくれるだけなので、デリケートな衣類は洗濯ネットに入れて出していました。下着類が気になる方は部屋で洗って、干すための小さなピンチハンガーを持って行くといいでしょう。

 
小さなピンチハンガーは100円ショップのものが重宝で、私は長期の旅行の際に必ず持って行きます。締め切ったホテルで手洗いしたときにとても便利です。

 語学学校付近にはありませんが、セブ島本島までいけばショッピングモールに日本のダイソーが進出しているので洗濯ネットもハンガーも買うことができます。値段は日本より少し高めです。ものは同じです。

 ちなみに「DAISO JAPAN」と書かれていてフィリピンではおしゃれ雑貨屋としての地位を築いていました。私が立ち寄った時はAKB48系の音楽が流れていて、ピンクや花柄のものが多く集められていた印象があります。私が買ったのはせいぜい300円分でしたが、私の前のお客さんは1万円くらい買っていました。先生方に聞くと、ダイソーのものはいいからと、お友達の誕生日プレゼントなどにきれいに包装して渡すのだそうです。

 あちらは大家族なのでそのプレゼントの数も半端ではないのにアニバーサリーが大好きな国民性。私が見かけた1万円分買っていた人も、大量の同じようなコップと、包装紙を購入していましたから、おそらくプレゼント用なのでしょう。

水は各階ごとにウオーターサーバーが置かれていて、浄水のタンクを警備員さんが時折、入れ替えていました。部屋で水の飲むためにコップや水筒があると便利です。
(つづく)
※いつまでも続く台風。いよいよ気候変動は無視できないレベルになってきました。被害に遭われた方の日常が早く戻りますように。
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語学留学でセブに行く12

2019-10-19 21:11:06 | Weblog
写真はセブ島本島の代表的なショッピングモールの一つ、アヤラモールの土曜日のコンサート。歌手の近くにはチケットを持つ人しか入れないが、周辺で歌を聴くことはできる。歌手の人と舞台に上がって、一緒にデュエットするコーナーでは緊張と感激で泣き出す人も。

【フィリピンの人の英語習得法】
 セブ島中心部の巨大ショッピングモールに週末、出かけたときのこと。フィリピンの大物歌手がショーを開いていました。

 英語の歌を一曲披露した後、タガログ語で挨拶します。周囲には尊敬のまなざしで見つめるフィリピンの人たち。緊張の面持ちです。
 
 そんなとき、ふと、ビサヤ語を交えたのでしょう。ちょっと風情の違う言語を交ぜて観客に語りかけたとたんに、客席からドッと笑い声が起きて、その場の親しみの度合いがぐっと上がるのを感じました。フィリピンで歌手として活躍するには英語、タガログ語の他に歌う場所に応じての言語に通じている必要があるようです。

 この不思議な場面をみた翌日にさっそく授業で先生に写真を見せて尋ねると「ああ、往年の大歌手だよ。ラッキーだね。」
 このときの歌手の言語の豊富さに感嘆した、と話すと、先生方が英語を話せるようになるためにたいへん苦労していることがわかりました。

 セブ島出身の若い男性の先生は、小学校時代は英語が大嫌いで、英語を一切しゃべらなかったそうです。ところが大学になると授業はすべて英語。英語をしゃべろうとすると、言葉がでなくて固まっていた、と言っていました。

 ある若い女性の先生は、おばあちゃんのお金で大学に行って英語の先生の免状をもらったときは、泣いて喜んでくれた、と話してくれました。

 ボホール島で通訳をしてくれたグレン・ルマンタオさんは英語の先生の資格もあり、副業として教えているそうです。彼は、

「僕は英語を習得するために妹を相手に英語を使い、彼女が飽きて行ってしまうと飼い犬にも英語で話しかけ、日夜努力を重ねたんだよ。フィリピンに英語を学びに来る人も日頃からそれくらい努力しなくてはいけない」
と真剣に諭しました。
 彼は芸術家としてフィリピン各地で展覧会をし、地元のラジオ局でディスクジョッキーもしているそうです。とても豊かな感性を持ったおもしろい人でした。英語になんの不自由もないように見えたのですが、そこまで努力が必要なのかと驚きました。

 まず、そもそもフィリピンの大学で学問をしようとすると英語が必要になるようです。専門用語があまりフィリピンの言語に翻訳されていないのです。
 そう考えると江戸から明治にかけて、専門用語に日本語をつけてくれた日本人
(たとえば酸素、水素、窒素といった元素名や金属、細胞、試薬、圧力、温度、物質、法則といった科学方面の学術用語を造語し、コーヒーに珈琲の漢字を当てた宇田川榕庵など)
 の英知に感謝せずにはいられません。おかげで私たちはいま、日本語で難しいことまで考えることができるのですから。

 現在、日本の大学は文科省の政策で授業の英語化が推進されていますが、日本語で考えられる強みについても、やはり考える必要があると思います。いや、その前にフィリピンに行くほど苦労している英語、なんとかしなさい、という突っ込みが入りそう。この悩みも日本では明治からずーっと続いていますね・・。
(つづく)

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語学留学でセブに行く11 フィリピンの言語事情

2019-10-12 13:01:20 | Weblog
写真はボホール島。おまんじゅうのようなきれいな丸い形の山が続く。ここに道を作ったので、車はジェットコースターに乗ったように動き、アップダウンのたびに胃がすーっとなる。この山々はかつて珊瑚礁だったものが、地殻変動により、海の上に出たものだという。

【フィリピンのことば】
 英語学校の先生方はすべて英語で話しますが、外に出ると必ずしも英語とは限りません。

 あるときCNNフィリピンをスマホでキャッチできることに気がつきました。回線が混んでいないときに見ていると(そうでないと画像が止まる!)ニュースの解説は英語でも、気づくと英語以外の言語になっています。

 とくにインタビュアーが田舎で質問していると何語かさっぱりわからなくなります。大統領の言語すらも、です。この言語の切り替えがじつに当たり前に、なめらかーにフィリピンのテレビはおこなわれているのです。

 これが現実世界の日常でもあるのでしょう。

 ご存じのようにフィリピンの公用語はフィリピン語(タガログ語をベースとして作られた国語)と英語。でも、この公用語はじっさいに使われている言語のほんの一部だとは知りませんでした。
 フィリピン全体では、控えめに見ても、なんと100以上の言語が存在しているそうです。しかも、日本の共通語と関西弁程度の違いではなく、はっきりと違うらしい。

 学校の休みを使って、お隣のボホール島に行ったときのことです。そこで通訳ガイドをつけたことがありました。
 そのガイドさんはうれしそうに
「ほら日本人が君のほかにもいるよ」

 その人が指さす先に黒髪の平たい顔の人たちがいました。
 私がこともなげに
「日本人じゃないですよ。日本語をしゃべってないから」
 と言うと、ガイドさんはびっくり仰天。日本人じゃないことに驚いたのではなく、理由は別にありました。
「日本語じゃないかがすぐにわかるのですか?」

 日本には方言はあるけど、ちょっと語尾や単語が違う程度で意味はすぐにわかると説明すると、とてもうらやましそうにしていました。フィリピンでは島を離れると、まったく言葉がわからなくなることが多いそう。100語以上あるという言語の隔たりは想像以上に大きいようでした。

 セブ島はビサヤ語です。
 一方で私の留学した英語学校の本校は、マニラより北方の山岳地帯、ルソン島のバギオにあるとのこと。そのため優秀な教育スキルを持った先生はそこから派遣されてきた方が多かったのですが、その方々と地元で採用された先生方とは言語がまったく違うとのこと。だからバギオからきた先生は学校のない休日はお金の問題もあるのでしょうが、ほとんど宿舎を出ずに過ごすのだといっていました。

 前にも書いたように家人は英語の勉強のために英字新聞を毎日、読んでいましたが、見ると、フィリピン全体の政治のことが主でセブ島の事情はほとんど触れられていません。

 私は、せっかくセブにいるのだから、と、地元の事情が書かれている新聞をセブンイレブンで買い求めました。水たまりの問題やセブ島の議会が開幕した、といった地元ネタの写真があり、早く読みたいとわくわくして自分の部屋に戻りました。

 ぱらりと開けてよく見ると、一面の大見出しは英語だったのに、内容はアルファベットをいくら追ってもさっぱり意味が分からない。なんとビサヤ語の新聞だったのでした。
(つづく)

※関東が大型台風の襲来でたいへんなことになってきました。
 ブログが見られる状況ならば、ちょびっと肩の力を抜いて楽しんでいただければ、と思います。
 地球温暖化への対策、やや遅し、としても、できることはコツコツと。ちょっとでも、ちょっとでも。
 
 停電などになりましたら、来週の更新はできないでしょうから、少し、長めにアップいたしました。

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語学留学でセブに行く10

2019-10-06 11:13:09 | Weblog
写真はある日の語学学校の給食。バナナ、パイナップル、スイカのフルーツは毎食の定番。朝はパン、昼、夜は白いご飯と何らかの汁物が付く。あとは味付け2種類から選ぶことができる。
 トレーを持って並ぶと食堂の地元フィリピンの従業員が盛りつけてくれる。量の加減のタイミングが合わないと、恐ろしい量になることも。
 食事の後、おのおの、トレーを片付けコーナーに持っているのだが、そこにグッドとバッドのコインが置かれていて、それを小さな箱に投入することができる。反響を気にしているようで、給食に気を遣っていることがわかる。普通においしい。

【フィリピン料理より本格的な韓国料理】
 学校の食堂で毎食聞かれるのが
「スパイシー? ノット スパイシー?」

 フィリピンなのに韓国料理が多く、ノーマルだと真っ赤で辛い。辛くないほうを選択すれば味は、日本人にとって食べやすくなっています。
 だしの概念が抜けていることとキムチも暑いせいかうまく発酵が進んでいないことが残念、とは思いますが、飽きのこないように工夫が感じられ、好もしい。この料理めあてに何度もここに留学しているという定年退職された日本人男性もいました。

「学校には無料で使えるトレーニングジムもあるし、3食付いている。自炊するより健康的でいいですよ」と,食堂でも積極的に若い方に声をかけて英語の訓練も怠りなし。
 外食してもいいのですが、食費は留学費用に含まれているので、私もつい、食堂に足を向けてしまいます。

 とくにお昼時の食堂は先生と生徒であふれかえっています。せっかく留学したのだから英語をしゃべりたい! ところが聞こえてくるのは韓国語と中国語、それと日本語。相対的にアジアの言語に親しみやすい環境です。

 だから油断していると中国語や韓国語のスキルの方がアップしてしまいそう。休み時間に「トゥイ」なんて中国語で相づちをうった直後の授業で、言語の切り替えがうまくいかなくなり、先生との会話で追い込まれると、頭が中国語に変換ばかりはじめてしまい、言葉につまってしまうこともありました。これはまずいと、中国の人とも英語で会話するように決めました。

 韓国の人とは英語で会話し、一緒に街に(冒険に)出かけました。おかげで実践的な英語は身に付いたような気がします。
(つづく)
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