雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル103 トレドみやげ

2023-05-28 15:56:19 | Weblog
写真はトレド旧市街の刃物店。店の看板はとくにない。ここで買った1000円ほどのアーミーナイフは、その後、私のお気に入りに。

【土産もの】
 先週、クレジットカードの決済に苦労した話をしたので、ついでにみやげものの話を続けます。旅の最終地だったので、どうしても買い物に力点がいってしまいます。

トレドは、小さいながらも老舗も多く、魅力的な掘り出し物もありました。昔から鉄製品の加工や刀鍛冶職人で有名な土地柄だと聞きましたが、刃物の店は本当に魅力的。小さな通りにいっけん、ぽつんとあった角の名もなき刃物屋で見つけたアーミーナイフ。日本円で1000円ほどのものなのですが、これがすぐれものでした。ナイフはもちろんのこと、分解するとフォークとスプーンにもなり、当然ながら缶切りも栓抜きも付いていて、いうことなし。切れ味も抜群で今では旅の必需品となっています。
 トレド製ではないどころか、アメリカ製のようですが、ネットで調べても、同じタイプのものは見つからないので、そうとう刃物の目利きが厳選したものが並んだ店だったのでしょう。
 こちらが興味を持って質問すると、手取り足取り情熱をもって、店員二人がかりでとくとくと説明してくれる手厚さ。彼らの熱い気持ちが伝わってくるようでした。
 
トレド旧市街には各所にみやげもの風のものも含めて、中世の騎士が持つような剣や甲冑、普段使いの金物までスタイリッシュなものが並んだ刃物屋や武器屋、革製品屋さんがたくさんありました。

ペンダント(金や銀の小さなプレートに黒の複雑な模様のあるもの。)も1000円ほどですが、服になじみ、今でもたいへん重宝しています。同タイプものはアンダルシア地方およびモロッコなどのイスラム圏でも売られていますが、種類の多さと値段の安さは負けていませんでした。

他にスペイン製のおかしやチョコレート、香辛料など旅の最後の仕上げに買いこもうと、トレドの中心にある旧市街の市場や商店をみたものの、大量買いしたいし、日持ちの点で包装されたもののほうがいいと考えると食べ物はおみやげには向きません。そこでバスで郊外のスーパーマーケットに行きました。

写真はトレド郊外の大型スーパーマーケット

当然のようにクレジットカードが簡単に使えます。世界一高価なスパイスといわれる地中海料理に欠かせないサフランからメキシコで見かけた日本ではお目にかかれない様々な種類のトウガラシまで、普段づかいの価格で売られていました。
写真は、メキシコでも大量に売られていた大型のトウガラシ。小ナスのような小さな形のとうがらしなど、日本のピリ辛系と違って、カツオブシのようなうまみがある。

スペインはメキシコをかつて征服し、莫大な富を得ていた過去からも、今のスペイン料理にメキシコの影響が色濃いことがわかります。チョコも、中央アメリカ原産です。
 日本に帰ってから、様々な料理に重宝したこれらの品々。クルミも含め、スペインで購入したこれらの品は日本ではなかなか手に入らないので、おすすめです。とにかく安くて質がいい。

※次回は、トレドの博物館など、みどころについてです。
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スペインとポルトガル102  トレド・変わらぬ街と迷子

2023-05-21 14:45:00 | Weblog
写真はトレド旧市街の街並み。道は建物を間を縫うように幅が狭く、曲がりくねってついている。モンブランケーキのクリームの中を縫って歩いているような気持ちになった。

【カンも地図アプリもダメ】
三方向をタホ川に囲まれ標高500メートルの山に築かれたトレドは古くから要塞都市として、ローマ人、イスラム勢力、キリスト教徒と次々と為政者が交代していきました。

そして1561年に首都がマドリードに移るまで、スペインの事実上の首都として君臨。その後の首都の移転によって、その時代が冷凍保存されたように街並みがそのまま残りました。

今とほとんど変わることのない風景を、1584年には戦国時代に九州の大友宗麟らが派遣した天正遣欧使節団が、1614年には奥州の伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団がトレドに宿泊し眺めています。当時、すでに首都はマドリードに移転していたため、彼らはいずれも国王との謁見のために、すぐにマドリードに向かいました。

そして今もトレドは、息詰まるほどの狭く曲がりくねった小道が連なって小高い層をなしています。そのため教会の出口を出て、元に戻ろうと別の道を通って帰ろうとすると、方向は間違いないはずなのに、迷うのです。

自分でいうのもなんですが、方向感覚には自信があり、紙の地図を読んで歩くのは得意なのですが、ここでは勘はまったく通じません。
いっぽう、わが娘は、おそろしいほどの方向オンチなのですが、彼女は勘に一切頼ることなく、常にスマホを使って地図アプリで日頃の生活を乗り切っていました。ところが、この地図アプリも、トレドでは通じないのです。1メートル幅の狭い道が石の建物に挟まれているのため電波が通じず、たとえ電波が通じてもGPSがもっとも苦手とする立体地形なのです。

【カード決済にも支障が】
ほかにも困ったことがありました。トレドの小道脇の小さな雑貨店で地元産のクルミを買ったときのこと。カード可だというので、出すと店主がクレジットカードを読み取り機に挿したまま、黙って店を出て路地でウルトラマンが変身するときのように高々と掲げてあっちをウロウロ、こっちをウロウロ。やがて、電波にぶつかり、決済を終えて戻ってきました。これは日常のようです。
ちなみにこの狭い溝のような、複雑に曲がりくねった道は1000年以上前のイスラム統治時代の名残だそうです。
(つづく)

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スペインとポルトガル101 天空の城ラピュタのようなトレド

2023-05-14 12:32:55 | Weblog
写真は、トレドの街の対岸の展望台よりみたトレド。湾曲したタホ川に囲まれた要塞都市だということがよくわかる。マドリードに首都が移転するまで、長らく首都として君臨していた。

【ごきげんなトレド・トレイン・ビジョン】
 世界遺産に登録されているトレドの旧市街は湾曲するタホ川に囲まれた天然の要塞都市です。
その全貌を自分の足で歩き回らなくても、最高のロケーションで見られるツアーがありました。トレド トレインビジョン(TOLEDO TORAIN VISION)です。
 宿泊したホテルの真ん前、アルカサル(軍事博物館)の横に真っ赤なトロッコ列車のような形を模したミニバスが停まっていました。すでに何人か人が乗っていて、看板には一人6.5ユーロ(2023年現在は7ユーロ)でトレド旧市街を通って、外周まで遊覧できるツアーだと書かれています。時間は45分。

 ヨーロッパ中世に栄えた多くの街に共通することではあるのですが、トレドの街も小山なので、どこに行くにも坂道ばかり。疲れていたので、さっそく乗ることにしました。
 ちょうど出発というタイミング。機関車の横に立っていた受付の人にお金を払っておもちゃのような4人掛けのイスに座ると、目の前にイヤホンジャックでオーディオガイドを聞けるようになっていました。イヤホンも渡されていて、日本語の設定もあります。出発すると、流ちょうな日本語が流れ、目の前に見える景色の説明をしてくれました。

【数々みえる街のシンボル的門と橋の美しさ】
 曲がりくねった石畳を通ると、まず、14世紀に建てられた太陽の門(PUERTA DEL SOL)、さらに進むと、より趣のある門が見えてきました。ビサグラ新門(PUERTA DE BISAGRA)です。

 新門といっても1550年に当時のスペインの王カルロス1世(=神聖ローマ帝国カール5世)とその子フェリペ2世の命で建造したものなのでかなりのもの。名前の由来はアルフォンソ6世がトレドを奪還した際にくぐった9世紀にアラブの人が城壁に築いた門があり(その門の別名はアルフォンソ6世門)、それを旧門として、その横に造ったので新門と名付けたのでした。名前に「新」が残っちゃった感じは東京の「新宿」みたいなものでしょうか? 門の荘厳さにぞくぞくしました。

 この門をくぐると、中世の街から、外に出ます。

トレドの外周は意外と森だった。

 すぐにタホ川を渡り、そのまま直進するとトレド駅、それを川沿いに右に曲がって対岸の小山を登っていきます。途中、タホ川とトレド市内を結ぶ、またもや荘厳な門が見えてきました。古代ローマ時代から戦争による破壊と修復が繰り返され、現在のものは1721年にフェリペ5世が再建築を命じてできたバロック式の門アルカンタラ橋(PUENTE DE ALCANTARA)です。車は通れない門なので、歩いて渡っている人がみえました。

トレドの街を右手に眺めながら丘を登りきると、トレドの全体を見渡すのに最適な展望台(MIRADOR DEL VALLE)へ。ここで10分ほど停車してトレドの街並みをじっくりと遠望することができました。乗客はみな、写真を撮るのに夢中です。

ちょうど夕暮れ時だったので、陰影にとんだ中世の街並みがタホ川にぐるりと囲まれて浮かび上がるように見えました。守りやすく、攻めにくそうな要塞都市。マシュマロのようなほどよい丸みのある宇宙的な都市。ヨーロッパ中世のお姫様、王子様が出てくる絵本のページが目の前に現出したかのようです。いつまで見ていても飽きない細密な美しさでした。夕やみが迫るにつれ、冷たい風が吹いてきました。

ゆっくりと景色を堪能した後は、展望台から続く山道を降り、タホ川にかかる市西部のあるサン・マルティン橋をわたり城内へ。これも14世紀後半に賭けられた石の橋です。周辺には土産物屋が連なっていました。
こうして石畳の道を通って、元の場所へ。

 期待をしていなかったのですが、身体も楽だし、景色もおもしろく、解説もよく予想以上に楽しめました。
朝10時から夜10時まで30分おきに出発しています。3月に行ったのですが、夕暮れ時はぐっと冷え込むので足掛けがあるといいと思います。席は右側がおすすめです。

参考 https://www.toledotrainvision.com/
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スペインとポルトガル100 スペインの古都・トレド

2023-05-07 15:40:19 | Weblog
写真上と下はトレド駅駅舎の内部。ここがトレドの外と駅のホームをつなぐ待合室なのだ。

【荘厳でレトロなトレド駅】
ようやく着いたトレド駅。古都だ、最終地だ、と気が楽になり、ウキウキ。じつに立派な駅舎です。
トレドに鉄路が引かれた1916年に建造され、2005年AVE(スペインの高速鉄道)延伸に伴い、改修された駅舎は、まるで荘厳な教会のよう。細かな装飾が施された黒塗り木製のおしゃれな格天井。石やタイル、ステンドグラスが組み合わされた新ムーア様式の建物は、落ち着きと特別感があふれていて、列車から降りてくる観光客はのきなみ、振り返っては写真を撮っていました。
 マドリードと違って人も多くないので、写真を撮っていても誰の迷惑にもなりません。
 私もベンチに腰を下ろし、ほの暗く、落ち着いた空間に浸った後、駅の構内を抜けてタクシー乗り場へ。外に出ると夕方といえども日差しは強い。

写真はトレド駅を外からみたところ。

この後30分以上タクシーが来なかったのですが、ぜんぜん平気。だって、あの魔のマドリード駅に比べれば、すべてに歓迎されているような気がするし、タホ川を渡れば、すぐトレド世界遺産の地区なのですから。

【トレドはスペインの京都】
 ホテルはセルコテル・アルフォンソ6世(Hotel Sercotel Alfonso VI)。珍しく4つ星ホテルなのですが、昨日まで泊まっていたコルドバの星なしのホテルと、値段が同じなのです。少し高台にあり、優雅なバルコニーも付いてロケーションも最高。内装も優雅だし、期待は否が応でも高まります。

 同じ階には小学校高学年のスペインの子たちが修学旅行らしき風情で泊まっていました。とってもにぎやかで、先生たちが注意したり、男の子が顔を真っ赤にして、女の子に告白しようとしたり、というのがあけっぴろげに見えて、どこの修学旅行も変わらない、というのが率直な感想。

 日本の大手旅行社の団体さんもちょうどチェックイン中でした。ちょっとくたびれた男性の添乗員がみんなのパスポートを集めて、ホテル側に見せている間にも、トイレの位置から、フリータイムの食事の場所まで、なんでも参加者らが聞いたりお願いしたりしていて、天手古舞。それでいて、よくよく見ていると添乗員さんは語学が不自由らしく、しったかぶりで答えたりしていてハラハラしてしまいます。

 なるほど、手頃なお値段の、それでいて星がいっぱい付いたホテルというのは、団体さん御用達になるらしい。日本でいえばさしずめ京都。大きな古都の大きなホテルにいる実感がわいてきます。
        (つづく)
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