雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

気になる南米の野菜たち4 ハヤトウリ 上

2018-07-28 12:15:34 | Weblog

写真はテンプロマヨーロ博物館(メキシコシティ)内の展示。アステカ文明の人々の生活を展示したコーナーの中央部に緑の瓜が置かれているのものが、ハヤトウリ。トウモロコシなどの主食ではないが、重要な野菜と位置づけられている。

果肉の肉質が緻密で固いので、日本ではぬか漬け、味噌漬け、奈良漬けなどの漬け物に主に利用されている。メキシコでは薄切りにして煮物、炒め物、スープの具材などにも利用されている。中国では広東、雲南、広西で食される。日本人としては、甘みが足りず、そのままでは固いせいか、あまり広まっていない。

【日本では学校教材にも】
 ヒョウタンなどに続き、同じく、アステカ文明を支えた重要作物として展示されていた植物にハヤトウリがあります。
 あまり、日常的に日本では食用はされていませんが、娘が小学生の頃、つまり10年ほど前に学校の敷地にグリーンカーテンとして植え、収穫されると、子どもたちが家に持ち帰ったり、学校で、家庭科や理科の時間に薄切りにしたり、面倒見のいい先生だと、漬け物にしたりして、皆で食べていました。一株で数百個実がつく、という利便性が教材に最適だったのでしょう。

それが南米産だったとは。

名前が日本の九州の一地域を指す「隼人」などという名前がついているので、てっきり、日本の南で獲れる、昔からある作物だと思っていました。

 実際には大正6年(1917年)に北アメリカから鹿児島に入ったのだそうです。(高嶋四郎著『原色日本野菜図鑑』 保育社1982年)星川清親 『日本大百科全書(ニッポニカ) 』 小学館「ハヤトウリ」より)しかも、正規の輸入品として、というのではなく、アメリカ帰りの人が持っていたハヤトウリを地元の鹿児島県の永吉村(日置郡)で植えたのがはじまりとのこと。

 今では検疫の関係でそのような持ち込みは禁止されていますが、種だけなら、と中国で見つけた珍しい品種を持ち帰る人をたまに見ます。そんな感じだったのでしょうか?
また、別にアメリカから旧・果樹試験場興津支場(静岡県)に白色品種が導入されています。(農文協編、『地域食材大百科 第2巻 野菜』2010年、農文協)
(つづく)
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気になる南米の野菜たち3 ヒョウタン 下

2018-07-20 11:13:53 | Weblog

写真上はメキシコの雑貨市場でみかけたヒョウタン。棒をさしてマラカスのように振って使うらしい。

そして写真下は雲南のヒョウタン笛。竹が3本以上ついていて、真ん中の竹についている穴をふさいだりして音階を出し、横についた竹の棒を補助の音として響かせ、和音とする。
雲南各地のお土産屋で吹きながらのんびり客引きをしていたが、本格的な楽器屋で、きちんと調律された楽器もある。その道の名人の笛の音は、やわらかで、明るく心地よい響きをしていた。
(昆明の楽器屋で音楽家でもある店主に指導を受ける。)

【納得! 生命力】
前回引用した『資源植物事典』縄文土器文化研究序説(江坂てるや著 六甲出版、1982年)にはヒョウタンはアフリカ原産。海流に乗って、早い段階でアメリカ大陸にも渡り、メキシコでも古い遺跡から出ている、と書かれています。

一方、田中 修『植物は人類最強の相棒である』(PHP新書、2014年)には、ヒョウタンを「世界最古の栽培植物といわれる」とし、原産地の一つとされるペルーでは一万年以上前から栽培されていた、と書かれています。つまりあまりにも世界中に伝播しているためか、原産地を一カ所に認定できないほど、場所を選ばず、気候も選ばぬというじつに生命力の強い植物のようです。このように一万年以上の間、人類の役に立っている植物は、他にないでしょう。

日本でも昔から存在し、いろいろなモチーフに使われました。豊臣秀吉の馬印は、たくさんのヒョウタンがついた千成瓢箪です。

日本以上にヒョウタンの伝承が多いのが中国。西遊記では孫悟空がうっかり返事をして閉じ込められ、うっかり溶かされてしまう危険な目にあったところがヒョウタンでした。雲南でもヒョウタンのモニュメントはよく見かけました。

雲南の西北部の彝族の村に行ったときは、各家の屋根の上には陶器で作られたらしいヒョウタンのモニュメントが飴色に輝いていました。家の繁栄を願う意味があるようです。また、タイ族やラオスの神話では人類はひょうたんから生まれた、とされています。

タイ族が使う、やわらかい音色の笙のような楽器のヒョウタン笛(葫芦絲)はいまでも人気で、なんと、調べてみたら、アマゾンで2000円弱でいまでは日本でも気軽に購入できるようです。

つまり、ヒョウタンは南米原産ではないが、アステカ文明を支えた重要作物。そして日本でも、雲南でも、アステカ文明に負けじともおとらぬほど古くから存在し、今なお人のかたわらに存在し続ける、地球上でも唯一無比の驚くべき作物、ということがわかりました。私も今回、メキシコに行ったことで、この事実を知るきっかけをつかむことができました。
(つづく)
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気になる南米の野菜たち3 ヒョウタン 上

2018-07-15 12:09:46 | Weblog
写真はテンプロマヨーロ博物館内に展示された、アステカ文明を支えた作物のレプリカ。真ん中にひょうたんが置かれている。アステカの神話をひもとくと、食べる、というよりもは、器として使っていた。カカオの飲み物ショコラテを飲む器には華美な彩色を施し、または儀式の際には血受けにも。神話の人物の首を吊るした木もひょうたんの木、とされている。一方でトウモロコシには豊穣の神としての「トウモロコシ神」としてモニュメントされているが、ヒョウタンには見当たらない。

【ひょうたんは、どこ産】
とうもろこし、ジャガイモ、さつまいも、とうがらし、トマト、かぼちゃなどは南米原産の作物として、よく知られています。メキシコシティ旧市街のど真ん中にあるテンプロマヨール博物館で収穫される作物や畑の様子、食べ物の展示を見ていたら、それらに加えてハヤトウリやヒョウタンまでもアステカ文明を支えた植物、として展示されていました。てっきり日本のものだと思っていた作物までもが南米原産なのかと、驚きました。

 まずひょうたんは自然の造形にしては不思議なほど愛嬌があります。コカコーラの瓶のような真ん中がくびれたかわいらしい形、しかも難しい加工技術がなくても液体を溜め、保存することができる上、軽くて持ち運びも楽、という実用性まで伴っています。
 植物として栽培も容易で、比較的簡単に収穫できるヒョウタンは、今でもそれらをモチーフにした小物を集める愛好家もいるほど、愛されています。
 考えてみると日本の江戸時代にはヒョウタン文化と呼びたくなるほど、それをモチーフにした看板や根付け、お皿の絵や絵画にも描かれているものが多く残されています。
 生命の象徴として中国でも、もちろん雲南でも、しばしば見かけました。もしかすると江戸時代は、目新しい植物として、人々に受け入れられたばかりの作物だったのでしょうか?

 そこで調べてみると、ヒョウタンは縄文時代の遺跡からも出土しているほど日本に古くからある植物だとわかりました。(資源植物事典、縄文土器文化研究序説、江坂てるや 六甲出版、1982年、205頁)
 (つづく)
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気になる南米の野菜たち2~チョコの風味 カカオ4

2018-07-06 17:00:36 | Weblog

写真は民芸品市場として名高いサン・フアン市場で売られていた「モリニーニョ」(メキシコシティにて)。チョコレートラテに欠かせない棒であることを、このときは知らなかった。

ただ、同じ並びにでんでん太鼓やコマといった、日本人から見ると懐かしい玩具が並んでいたので、メキシコのおもちゃ売り場としか考えていなかったのである。そこに、みたことのない不思議な装飾の棒を見つけ、メキシコの子どもの独特のおもちゃと思って激写したのであった。

ただ、カナダの先住民が敬うトーテムポールのようにも装飾された呪術的な文様のものを後にチョコレートラテ店で目撃したことを考えると、モリニーニョは、なにか神聖な儀式に使う棒が、子どものおもちゃとしても伝承されている可能性もある。
となると、日本の子どものおもちゃと思っていたコマやでんでん太鼓などが、この市場に置かれている理由はなんだろう? どなたか知りませんか?

【アステカ帝国の言葉から】
前回の続きです。
チョコレートラテを作るための泡立て棒は「モリニーニョ」(molinillo)といいます。スペイン語には「モリーノ(molino)」という言葉があり、その言葉の派生語とされています。モリーノの意味は「小さい粉挽き器」。そのため、モリニーニョは「スペイン式ミル」と訳されたわけです。

実際にスペイン語辞書を引くと「molinillo」の項目に「molinillo de café 」があり、コーヒーミルと書かれていました。

ところが実態はどう考えても粉に挽くことはなく、ただかき混ぜるだけです。

このことに疑問を持った学者がいました。
レオン=ボルティーリャ博士はかつてのアステカ帝国の公用語だったナワトル語の
「振り回す、揺する、または動かす」という意味の「モリニア」の名詞化した「モリニアン」がクレオール化したものではないか、と推測しています。
(ソフィー・D・コウら著、樋口幸子訳『チョコレートの歴史』(河出書房、1999年)

上記の説を見つけたとき、私はようやく納得できました。

あの不思議な形のモリニーニョはスペイン人がアステカの不思議な飲み物を泡立てるために持ち込んだ、というのが定説ですが、そもそもスペインには泡立て器「モリニーニョ」はないのです。それにスペイン人がただ泡立てたいと思っただけならば、そんなに複雑な彫刻を施す必要はありません。ヨーロッパ生まれの調理器具は案外、シンプルなものです。

言語の成り立ちを素直に考えれば「モリニーニョ」は、アステカの人々がカカオに敬意を表して、生み出した道具のほうが真実に近いのではないでしょうか。形が美しく、かき混ぜる目的にしては不要なほど手が込んでいて、呪術的な雰囲気がなんとも魅力的! ああ、買っておけばよかった!
(カカオの章、おわり)
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