雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

ドイツ編10 ベルリンにて1 ベルリンとりどり

2019-04-27 16:59:25 | Weblog

写真上はベルリン名物フリーマーケット。この日は博物館が集合している博物館島の道路各所で開かれていた。とにかくベルリンを歩く人々(観光客以外)の人を観察していると飽きることがない。
写真下はベルリン市内のタイマッサージ店。ブレーメンでもよく見かけたが、ベルリンでもマッサージ店は多かった。皆、お疲れなのだろう。


【個性的な人が息づく】
 ドイツの旅の最終地はベルリンでした。「ベルリンの壁」など歴史を考えるには外せないとの意見で目指した地。2018年9月14日。街はちょうど秋の入り口で木々が黄色くなりかけていました。時折吹く風も冷たく感じて、まだ夏の名残のポロシャツに薄手のコートを羽織り、風の冷たさに襟を立てる人をよく見かけました。

 リューベックもおもしろい街でしたが、ベルリンも一人一人に物語を感じる、味わいのある街でした。日本で上映されるドイツ映画はドイツという括りでは語りきれない、「ベルリン」映画だったのかも知れない、と思うほどに。

 夕飯を食べに、西ベルリン時代に造られた日本の銀座に相当するクーダム通りと呼ばれる繁華街に行くと、黒いコートにねずみ色のモシャモシャ髪のおじいさんが自転車を引いている。その自転車の工夫された荷台には「MICKY MOUSE」ならぬ「MICKY RAT」と丁寧にレタリングされた看板が置かれたネズミの飼育小屋が載せられていました。

 また、スーパーマーケットで買い物をして並んだレジでは、咳き込む老婦にレジを打ちながらさりげなく飴を渡す人、それを慣れた風情で食べる上品なおばあさん。窓が開いたままのアウディの車に金髪のいわくありげな男性3人・・・。どこを見てもなにやら不思議な物語が紡がれているような不思議な雰囲気です。

 都市ごとにこんなにも景色って違うとは! ドイツは均一ではないことを実感するのでした。

(つづく)


 
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ドイツ編9 東の香り、リューベック5 欧州ハンザ博物館の充実ぶり

2019-04-20 12:27:09 | Weblog


写真はリューベックの中心にある市庁舎。レンガがにび色に光っているのだが、これはかつて、牛の血と塩を塗ったこの地方独特の色彩なのだそう。1159年に建てられた、ドイツ最古のゴシック建築とされている。その後のハンザ同盟都市の市庁舎のモデルともなっているらしい。
写真上は風が通り抜けられるように独特の穴が開いた市庁舎の破風。なんとも威厳がありつつも、おかしのようにかわいらしさが同居した不思議なつくり。

【旅行ガイドにはない、巨大な博物館】
リューベックに行ったのは、かつてのハンザ同盟都市の中でも盟主でハンザ同盟の集まりでは一番中央のいい席に座っているほどの都市だったため。ちなみに第2はハンブルグ、第3,4あたりにブレーメンがきます。

 まだ、日本のガイドブックには載っていないのですが、「欧州ハンザ博物館」という巨大な施設があり、あきらかにハンザ同盟の街としての町おこしに力を入れていたからです。

この博物館は、たとえば様々な船や実際の交易品などという、当時、実際にあった、もしくは使われていたようなモノはほとんどないのですが、再現映像やレプリカ(立体の模型)などが果てしなく充実。開館と同時に入って5時間ぐらいそこにいても見切った感じがしないほどでした。

たとえば、各所に設けられたQRコードの読み取り機に自分の入場券をかざすと、テーマ別の解説の文字が事細かに表示される仕組みになっていて、一つ一つ丁寧にみたら、博士論文10本分以上を読み切ったと思えるほど、文字情報が充実しています。

残念ながら日本語の解説はないのですが、たとえばロシア語の文献や論考までも英語に訳されて解説されているので、なかなか意義深い博物館となっていました。

 この地は塩の産地のリューネブルクから運んだ塩を、当地では水揚げされたニシンなどの魚の塩漬けに使い、さらにそれら加工品や塩そのものをデンマークを始め、ノルウェーを初めとしたスカンジナビア半島、さらにはロシアのノブゴルトまで、海を通じてさかんに交易を行っていたことがわかります。現在でもデンマークまで鉄道がつながっている、ドイツの窓のような町なのでした。

(つづく)

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ドイツ編8 東の香り、リューベック4 欧州ハンザ博物館へ

2019-04-13 15:05:04 | Weblog

写真上はリューベックの街並み。全体にレンガ造りで高い尖塔を持つ教会が町の中央及び東西に建つ。ハンザ同盟第1の都市として隆盛を極めたこの町では、それぞれの職業組合ごとに立派な教会を建てたことによる。ドイツは全域で世界大戦で爆撃を受けたたため、中世以来の街並みが広範囲で残っていることはあまりないが、この地は爆撃が全域にまでは及ばなかったため、よく保存されている。

写真下は船員組合レストランで食べたポテトの炒め物。ベーコン、キノコとポテトでかりかりに炒め、その上にパセリ(?)が載っている。基本的にどの料理にもポテトを使った料理がつく。塩味がほどよく、ビールのつまみによく合う。

【蒸気機関車も】
リューベックは東ドイツ圏だったのか、と調べてみると予想に反して西ドイツの領域でした。ただここから東ドイツへ向かう蒸気機関車が走っていたので(今も蒸気機関車は走っている)、東ドイツの文化などが流入していたのでしょうか?

 日本でテレビや映画を見ていると共産圏の東ドイツと民主主義の西ドイツはきっぱり国境で分けられていたように感じていたのですが、あいまいで共産圏が入り込んだような都市もあった、ということなのでしょうか? 実際、当地にある欧州ハンザ博物館のリューベックの地域をあらわす言葉として、頻繁に「ボーダー」という言葉が何度も使われていました。

ポーランド映画などを東西の違いは、人の生死をも分けるほど厳しいものだったように思っていたのですが、この地の状態は一体、どう考えればいいのでしょうか?

(つづく)
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ドイツ編7 東の香り、リューベック3 英語は風のささやき

2019-04-06 14:25:54 | Weblog

写真上はリューベックのレストラン「シファーゲゼルシャフト(Schiffergesellshaft)」の外観。建物の最上部には船の模型、中段には1530年の文字と船の絵が掲げられている。この店の道をはさんだ向かいの教会は、船で難破し、亡くなった方々を供養する教会が建てられている。
写真中は、そのレストランの天井。様々な中世からの船の模型やランタンがぶら下がっている。
写真下は、店の名物。カツレツ。肉のうまみと塩味のバランスが絶妙。もちろん、揚げたて。

【英語は風の音?】
夜、かつての船員組合の建物だった「シファーゲゼルシャフト(Schiffergesellshaft)」という名前の老舗のレストランにいきました。1866年に金銭上の都合で船員組合が売りに出したために今日までレストランとして残った建物です。ほの暗い建物の天井からは様々な船の模型がつり下がり、木の横長につながった椅子にも船な何かの名前の彫り物がカラフルに彫られていてなんともステキな空間が広がっています。

ここでブレーメンまでの習慣に従って英語で人数を告げ待つこと10分。入り口の番頭風の黒ジャケットのおじさまと目まであったのにナンの変化もなし。

ところが次に来た客がすんなり案内されたのを見て、あわてて『一人歩きのドイツ語』の本を片手にドイツ語を発すると、おもむろに番頭さんは笑顔で、席に案内する人を呼んでくれたのでした。

 その後、日本人とわかると、奥から紅顔の青年がはずかしそうにやってきて「私は日本語を勉強しています」といってメニューを見ながら説明してくれました。

 つまり、英語対応はできなくて日本語対応の備えのある店だったのです。翌日も同じ店を訪れると、とても喜ばれ、常連さんのいる奥の部屋に案内してくれました。

 さらにその奥には、かつて取引があったらしく、ハンザ同盟時代のスルタンの手紙が飾られていました。

人々も次々とハイペースでジョッキのビールの飲み干す人々がたくさん。

横に座っている方は女性2人組です。あまりにもおいしそうに飲み干すので同じもの、とウエイターに告げるべく、見ていたら目があい、お互いにご挨拶。とても居心地のいい空間で、質のいい油で揚げたカツレツの香りが漂い、おなかの心も大満足のお店でした。

 日本と違ってすごいのは、みんなビールの杯を重ねているのに陽気にはなっても、お酒に飲まれている人は見当たりませんでした。アルコール分解能力が高いのでしょう。ベルギーのビールよりアルコール度数が少なく、5%程度だったことも関係があるのかもしれません。
(日本と同程度。そもそも日本のビールはドイツの製法からきたものが多い。)
(つづく)
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