風の吹くまま

気の向くままに

東の空が茜色になっている

2017-10-26 04:05:45 | Weblog
04:05起床
まだ暗い。そして暗いうちから起き出して私は一体何をしようとしているのか考えてみた。世の中には極端に睡眠時間が短い人がいるらしい。1日の使える時間が増えたらきっと素晴らしい事が待っているはずだと単純に考えた。とか言うのではない。お酒は日に何本飲んでいたかわからない。煙草はワンカートン、ツーカートン纏めて買い日にどれだけの本数を吸っていたのかさえ知らない。三年寝太郎かと思うほど起床時間などと言うものがこの世には無い思える暮らしでいつ起きて日中はどのような過ごし方をしていのかも知らなかった。頭を抱え込んで頭痛に苦しんでいる姿を目撃したこともある。世に言う「自殺頭痛」と呼ばれているたった今窓から飛び降りて死んでしまいたいと思える程の恐ろしい痛みらしい。書き上げたら切りもないがそんな人間がそんな生活から足を洗って「健康のためなら死んでも良い」という暮らしを始めた。誰のこととは言わない。その変わりように驚いた。これまでの暮らしが一転し毎日規則正しい生活を始めた人間の姿は感動的でさえある。睡眠時間を減らして1日の活動時間を延ばすという画期的(??)な思考もその人間によってもたらされた。言ってみればその人間の言っている事に便乗したのだ。長くなってしまったが誰かが私の真似をしてやるような内容ではなく、人間はそれぞれが好きなように生きて好きなように暮らす事が最大の目的だ。人真似などしない私だがここだけは「まだやっているよ」などと偉そうに言ってみたいだけの単純な理由で続けている。どうでもいい事だ。機会があれば一日中喋り続けてもなくならないほどの思いも持っているがそんな事を喋られたら聞く方も迷惑だと思うのでこのくらいにして置く。

昨日は9時半前に家を出て歩いて娘の家に向かった。何時もの散歩道ではなく道路脇の舗装された歩道を歩いた。雨が降っていて寒い。途中スーパーにより昼の弁当などを買って散歩道には戻らずそのまま舗装された道を歩き続けた。何時もの散歩道の広場に目を向けると傘を差した後ろ姿が見えていた。雨も降っていて寒いのに多分文庫本の人が本を読んでいる後ろ姿だ。文庫本の人もきっと私と似たような思いで暮らしているのかもしれない。電子化の作業は先が見えてきた。もう少しで終わりになるようだ。この作業はお金と時間と忍耐力を必要とする。誰かが思い立って電子化などと考えても「ええっ!そんな時間ありますか?」とか聞き直して確認したいくらいだ。私には電子化にする努力をする能力が完全にない。図書館が書庫で本当に良かった。それでも3号と過ごした時間は楽しく一生の掛け替えのない良い思い出になった。保育園からの戻った1号2号とタッチして娘の家を5時頃に出て帰りは何時もの散歩道を通った。家に着く頃にはまた雨が降り出し風も強くなっていた。一枚の写真もとらないのが淋しいのでフェンスからの出ている葉っぱを摘んで戻った。
葉っぱって何よ。今度山頭火のようにシダを摘んで帰る事にする。これは南天の葉っぱかな。

今日も娘の家に行く予定だ。

昨日の歩行数
16,039
コメント (3)
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