そもそもアメリカンブレックファーストという意味がわからないが、ボーイさんが忙しく動き回っているレストランで、朝食をとる。たぶん、このホテルも日本のツアー会社の指定ホテルになっているのだろう。アチコチで日本語を話す声が聞こえてくる。おかゆもあるし、パンもある。玉子焼コーナーでは女性のコックさんと男性のコックさんが客の要望に応えて目玉焼きを焼いたりオムレツを焼いたりしてくれる。パイナップルやスイカその他名前も良くわからない果物も食べ放題だ。好き嫌いの激しい私は、ロールパン二個に少しのサラダ、焼いてもらった玉子焼、それに紅茶とスイカ。タクシーで北バスターミナルに行き国境の町アランヤ・プラテートまでのチケットを購入。アランヤ・プラテートに到着は、四時間以上バスに揺られて13;30頃。「あなたたち、何処へ行くの。安くしておくから乗りなよ」とトゥクトゥクのお兄さんたちが大勢寄ってきた。とまるで私がタイ語をペラペラと話せるかのような書き方をしてしまったが、これが以心伝心というものだろう。そんな大勢の人をかき分けて、ちょっと旅なれた風を装いすぐ近くの食堂に入った。私は、「アレアレ」と食べている人の皿を指差して「ワンね」と言った。夫も黙って食べている人の皿を指して「サムサム」とか言っている。夫は、初めてタイ語を使ったつもりだろうが、同じ同じと言ったつもりなら「セムセム」だろう。ニコニコ笑いながらも店主は、私と夫が意図したものを運んできてくれた。こうやってタイ出国の手続きをすませ、無事カンボジアに入国した。今回の旅の最大の難関は、この国境の町ポイペトからシムリアップに行くの途中にあるシソポンにどうやって行くかだった。ガイドブックでは、この町はトットと通りすぎて泊るならシソポンのほうがいいだろうと書いてあったからだ。おお暑い暑い。それにこの土ぼこりはなあに。あなた誰よ。何で私を追いかけて来るの。私はマダムなんかじゃないよ。マダムマダムってもういいから帰って。ピックアップトラックに乗ったら荷物をいっぱい積んだ上に乗せられて途中何度も落ちそうになったと、ここを通ったことのある友人が言っていたので、決してそんなトラックには乗らないと心に固く誓ってきた。目指すバス会社までしつこく付きまとう青年に、もういい加減に帰ってと言いながら歩き続けた。「シソポンシソポン」とそのバス会社のおじさんたちに言ったら、うちのバスはシソポンには行かないよといっている。しつこく付きまとう小柄で色の黒い青年は、まだマダムマダムと私から離れない。その青年が違うバス会社のドライバーになんだかんだと言っている。一人5ドルでシソポンまで行くというのだ。こうなったら仕方がない。その話に乗ることにした。昔のバスは、オンボロバスでとか言う歌があったような気がするが、その昔のバスでもたぶんここまでオンボロではなかったと思う。バスの中は、ゴミだらけ。自慢じゃないがこんなバス私じゃなければ乗らないよと思うくらいのすごさだ。この大型バスの所有者らしい人が10ドル先払いしろと要求してきたが、右も左もわからないのに途中で降ろされたらたまったものじゃない。シソポンに着いたら払うと言ったらシブシブ発車した。どうやらこのバスは、私たち二人だけの貸切状態だ。所有者らしいドライバーの他には、知り合いの人らしい男性が二人、それに地元の女性が一人。後は野となれ山となれで「百円均一」で買ってきた飴を取り出して皆さんにおすそ分けした。こうして全く舗装されていない、土ぼこりで視界ゼロと言っても過言ではないガタガタ道を二時間近く揺られて今日の宿泊地シソポンに着いた。夜は涼しいくらいで、水シャワーしか出ない6ドルのゲストハウスは少し寒くて悲しいがこうしてカンボジアの夜は更けていった。
今日泊ったホテルはこちらと書きたいのだが、残念ながらいただいたカードはカンボジア語で全くわからない。
今日泊ったホテルはこちらと書きたいのだが、残念ながらいただいたカードはカンボジア語で全くわからない。