舌の根の乾かぬうちに便利だと思っていたラインもちょっとした心理合戦が繰り広げられているような気が勝手にしている。旅仲間で設定してもらったグループ設定でひとつの情報に対するそれぞれの思いの温度差がある。沈黙は何となく関心がないように思われてしまうのではないか、或は発信してくれた人に失礼ではないかと思う感情が余分な書き込みをして自分自身で疲れてしまう。こんな経験は今に始まった事ではない。大勢の中で喋り疲れて帰ってきてあのはしゃいで喋りまくっていた自分は沈黙に堪えられない人間なのだとふうぅぅとため息を三つくらいついてしまう。こんな高齢になってでさえこんな事を思うのだから毎日会って話をしている若い人達の気持ちを思うと便利になったせいで考えられなかったようなストレスに晒されていいるのではと可愛そうになる。
そして何よりも経験で人間が成長するかと言われれば全くそんなことはないと自分自身に関しては断言できる。
ねじめ正一さんの本を読んで長新太さんの(ゴムあたまポンたろう)を孫に買ってやろうと思った。
常識と理屈と成熟 この三つは子どもの本の敵だと思っています 子どもをいい子に育てたい大人は、この三つが大好きです しかし忘れてはなりません 常識の行き着くところは硬直 理屈の行き着くところは妥協 成熟の行き着くところは凡庸 たましいのやわらかい子どもにこの三つだけは与えたくないと心底思っています
と書かれている。孫、ゴムあたまポンたろう楽しみにしてまっててね。