現在の国の債務は太平洋戦争末期よりも膨れ上がっていますが、
この深刻な事態を、国民やマスコミはわかっているのでしょうか。
この期に及んで消費税増税を延期する声が出ています。
(財務省資料)
もしそうなれば、ムーディーズなどの格付け会社は、
シビアに日本国債の各付けを下げるでしょう。
現在の格付けは、
欧米に比べて日本はまだ増税の余地があり、
必要があれば政府はそれを実施する、と見込まれているからです。
国債格付けが引き下げられれば、
それをきっかけに国債の売りが始まり、
国債暴落による財政破綻の可能性があります。
(ちなみに、国債暴落とは国債の利率が上がることです)
国債が暴落すれば「円」も暴落すると思いますので、
ものすごいインフレ・物価上昇がおこります。
そうなると、景気が良い、悪い、どころの話ではありません。
私としては、国の財政破綻やハイパーインフレは、
庶民の生活を苦しくしますので、絶対に避けたい、
子どもたちに大きな負債を残したくない、
そういう気持ちで政治に取り組んでいますが、悪化するばかり。
もしもに備えて、
戦後の日本がどのようにインフレ退治をしたのか、
ドッジ・ラインやシャウプ勧告をおさらいしたいと思います。
今回はドッジ・ラインについて。
(2014年12月20日の読売新聞からご紹介)
対日占領政策を転換した米国は日本経済復興のため、
ドッジ・ラインにより超均衡予算でインフレ退治を図るとともに、
1ドル=360円の単一為替レートを設定し民間貿易を再開。
その後シャウプ博士が来日し、
シャウプ勧告により税制改革を行いました。
<経済安定9原則>
ドッジ来日の前年である昭和23年、
米政府は「経済安定9原則に関する中間指令」を
連合国軍最高司令官のマッカーサーに伝えました。
1 均衡予算の達成
2 徴税強化
3 金融機関融資の抑制
4 賃金安定計画の策定
5 物価統制の強化
6 外国貿易・為替管理の改善
7 配給制度の効率化
8 国産原料・製品の増産
9 食料統制の効率化
<ドッジ・ライン>
ウイキによれば、「ドッジ・ライン」とは、
戦後占領期の日本経済の自立と安定のため実施された財政金融引き締め政策。
インフレ・国内消費抑制と輸出振興が軸。
GHQ経済顧問として訪日したジョゼフ・ドッジが、立案、勧告した。
彼の来日の前年にGHQが示した経済安定9原則の実施策である。
昭和24年、米デトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジは、
トルーマン大統領の要請を受け、マッカーサーの財政顧問として来日。
早々記者会見で「竹馬の足を縮めろ」と語りました。
当時の日本経済は2本の竹馬の足の上に乗っているようなものだった。
1本はアメリカの援助。もう1本は日本政府から民間への補助金。
ドッジは国の予算編成で一般会計はもとより、
特別会計も含めて赤字を大幅に削減し、予算の均衡を図ると明言。
<激しい物価上昇>
戦後の日本は物資不足から、すさまじいインフレに襲われた。
東京の小売価格は戦前に比べて、昭和20年は3倍、21年は19倍。
政府はインフレ対策のため「新円」を発行。
100円だけ旧円と交換し、残りは強制的に銀行に預けさせた。
引き出し額は世帯主で月300円、月給の現金払いは500円まで。
世の中のお金を強制的に吸い上げた。
それでも物価上昇・激しいインフレはおさまらず、
昭和24年には、物価は243倍になった。
経済安定本部は、
石炭と鉄鋼に優先的に資材をつぎ込む傾斜生産方式に着手。
昭和22年に全額政府出資の「復興金融金庫」が開業。
その融資の財源は復興金融債でまかなわれていたが、
復興金融債を買っていたのは日銀で、
その購入分だけ世の中にお金を流していた。
この物価騰貴を「復金インフレ」と呼んだ。
米陸軍予算を中心とした昭和20~25年の援助額は
総額18億ドルを超え、当時の日本の年間予算額を上回る規模。
米議会から反発が強まっており、ドッジも対日援助は
米国民の税金から出ていることを銘記すべきとクギを刺した。
<消えた減税公約>
ドッジは、昭和24年度の予算編成で、
政府が支払っていた隠れ補助金をすべて明らかにし予算計上した。
公共支出増大の主因だった復興金融金庫の新規貸し出しを停止させた。
ドッジの予算案は、日本の政府原案とは全く違った。
一般会計は2割増え、補助金の計上額は3倍になった。
(それまでは隠されていた)
輸出補助金は打ち切られ、公共事業や失業対策は大幅削減。
歳出は、全て税収でまかなうとされた。
衆院選で大勝した自民党の減税公約は吹き飛ばされました。
ドッジから補助金削減の影響を問われた池田大蔵大臣は、
「水泳を習わせるには、とにかく水の中に投げ込むのが一番早道」
と答え、ドッジの考え方に共鳴していく。
ドッジ自身が「何人からも公平に不満を買うから、良い予算だ」
と評した予算案は、ほぼ無修正で国会に提出され成立した。
(補足)
昭和23年度までは、一般会計はみかけ上均衡させ、
特別会計の公債や借入金につけ回ししていた。
これに対し、昭和24年度予算では、
特別会計、政府関係機関、地方公共団体まで細目を検討し、
隠れ債務や補給金を予算に見えるように計上し、
「総合予算の真の均衡」を達成。
さらに決算で黒字を出し債務償還に充てて「超均衡」と言われた。
<単一レート 1ドル=360円>
ドッジの指示した昭和24年度予算が成立した3日後の
4月23日、連合国軍総司令部(GHQ)は、
1ドル360円の単一為替レートを25日午前0時から実施するよう指示。
戦後、貿易はGHQの管理下に置かれ、
品目ごとに異なるレートが適用されていた。
1ドル=360円は、その後22年間公定為替レートとして
日本の輸出拡大の基盤となった。
<ジョゼフ・ドッジ>
物事を簡略化して本質を捉える才能があった。
「インフレは、大衆にとって、逆進的な税をかけられるのと同じで、
ひどい目にあう。だから最大多数の利益は、インフレを抑えることよりない」
との信念を持っていた。
(均衡予算のための参考ブログ)
・社会保障の構造改革
・どんだけ厳しい プライマリーバランス
この深刻な事態を、国民やマスコミはわかっているのでしょうか。
この期に及んで消費税増税を延期する声が出ています。
(財務省資料)
もしそうなれば、ムーディーズなどの格付け会社は、
シビアに日本国債の各付けを下げるでしょう。
現在の格付けは、
欧米に比べて日本はまだ増税の余地があり、
必要があれば政府はそれを実施する、と見込まれているからです。
国債格付けが引き下げられれば、
それをきっかけに国債の売りが始まり、
国債暴落による財政破綻の可能性があります。
(ちなみに、国債暴落とは国債の利率が上がることです)
国債が暴落すれば「円」も暴落すると思いますので、
ものすごいインフレ・物価上昇がおこります。
そうなると、景気が良い、悪い、どころの話ではありません。
私としては、国の財政破綻やハイパーインフレは、
庶民の生活を苦しくしますので、絶対に避けたい、
子どもたちに大きな負債を残したくない、
そういう気持ちで政治に取り組んでいますが、悪化するばかり。
もしもに備えて、
戦後の日本がどのようにインフレ退治をしたのか、
ドッジ・ラインやシャウプ勧告をおさらいしたいと思います。
今回はドッジ・ラインについて。
(2014年12月20日の読売新聞からご紹介)
対日占領政策を転換した米国は日本経済復興のため、
ドッジ・ラインにより超均衡予算でインフレ退治を図るとともに、
1ドル=360円の単一為替レートを設定し民間貿易を再開。
その後シャウプ博士が来日し、
シャウプ勧告により税制改革を行いました。
<経済安定9原則>
ドッジ来日の前年である昭和23年、
米政府は「経済安定9原則に関する中間指令」を
連合国軍最高司令官のマッカーサーに伝えました。
1 均衡予算の達成
2 徴税強化
3 金融機関融資の抑制
4 賃金安定計画の策定
5 物価統制の強化
6 外国貿易・為替管理の改善
7 配給制度の効率化
8 国産原料・製品の増産
9 食料統制の効率化
<ドッジ・ライン>
ウイキによれば、「ドッジ・ライン」とは、
戦後占領期の日本経済の自立と安定のため実施された財政金融引き締め政策。
インフレ・国内消費抑制と輸出振興が軸。
GHQ経済顧問として訪日したジョゼフ・ドッジが、立案、勧告した。
彼の来日の前年にGHQが示した経済安定9原則の実施策である。
昭和24年、米デトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジは、
トルーマン大統領の要請を受け、マッカーサーの財政顧問として来日。
早々記者会見で「竹馬の足を縮めろ」と語りました。
当時の日本経済は2本の竹馬の足の上に乗っているようなものだった。
1本はアメリカの援助。もう1本は日本政府から民間への補助金。
ドッジは国の予算編成で一般会計はもとより、
特別会計も含めて赤字を大幅に削減し、予算の均衡を図ると明言。
<激しい物価上昇>
戦後の日本は物資不足から、すさまじいインフレに襲われた。
東京の小売価格は戦前に比べて、昭和20年は3倍、21年は19倍。
政府はインフレ対策のため「新円」を発行。
100円だけ旧円と交換し、残りは強制的に銀行に預けさせた。
引き出し額は世帯主で月300円、月給の現金払いは500円まで。
世の中のお金を強制的に吸い上げた。
それでも物価上昇・激しいインフレはおさまらず、
昭和24年には、物価は243倍になった。
経済安定本部は、
石炭と鉄鋼に優先的に資材をつぎ込む傾斜生産方式に着手。
昭和22年に全額政府出資の「復興金融金庫」が開業。
その融資の財源は復興金融債でまかなわれていたが、
復興金融債を買っていたのは日銀で、
その購入分だけ世の中にお金を流していた。
この物価騰貴を「復金インフレ」と呼んだ。
米陸軍予算を中心とした昭和20~25年の援助額は
総額18億ドルを超え、当時の日本の年間予算額を上回る規模。
米議会から反発が強まっており、ドッジも対日援助は
米国民の税金から出ていることを銘記すべきとクギを刺した。
<消えた減税公約>
ドッジは、昭和24年度の予算編成で、
政府が支払っていた隠れ補助金をすべて明らかにし予算計上した。
公共支出増大の主因だった復興金融金庫の新規貸し出しを停止させた。
ドッジの予算案は、日本の政府原案とは全く違った。
一般会計は2割増え、補助金の計上額は3倍になった。
(それまでは隠されていた)
輸出補助金は打ち切られ、公共事業や失業対策は大幅削減。
歳出は、全て税収でまかなうとされた。
衆院選で大勝した自民党の減税公約は吹き飛ばされました。
ドッジから補助金削減の影響を問われた池田大蔵大臣は、
「水泳を習わせるには、とにかく水の中に投げ込むのが一番早道」
と答え、ドッジの考え方に共鳴していく。
ドッジ自身が「何人からも公平に不満を買うから、良い予算だ」
と評した予算案は、ほぼ無修正で国会に提出され成立した。
(補足)
昭和23年度までは、一般会計はみかけ上均衡させ、
特別会計の公債や借入金につけ回ししていた。
これに対し、昭和24年度予算では、
特別会計、政府関係機関、地方公共団体まで細目を検討し、
隠れ債務や補給金を予算に見えるように計上し、
「総合予算の真の均衡」を達成。
さらに決算で黒字を出し債務償還に充てて「超均衡」と言われた。
<単一レート 1ドル=360円>
ドッジの指示した昭和24年度予算が成立した3日後の
4月23日、連合国軍総司令部(GHQ)は、
1ドル360円の単一為替レートを25日午前0時から実施するよう指示。
戦後、貿易はGHQの管理下に置かれ、
品目ごとに異なるレートが適用されていた。
1ドル=360円は、その後22年間公定為替レートとして
日本の輸出拡大の基盤となった。
<ジョゼフ・ドッジ>
物事を簡略化して本質を捉える才能があった。
「インフレは、大衆にとって、逆進的な税をかけられるのと同じで、
ひどい目にあう。だから最大多数の利益は、インフレを抑えることよりない」
との信念を持っていた。
(均衡予算のための参考ブログ)
・社会保障の構造改革
・どんだけ厳しい プライマリーバランス