北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

最後の琵琶法師

2010-01-25 23:47:22 | Weblog
 最後の琵琶法師だった方が亡くなったそうです。

 ---------- 【ここから引用】 ----------
【asahi.com】最後の琵琶盲僧 永田法順さん死去 2010年1月25日22時48分
 http://www.asahi.com/obituaries/update/0125/SEB201001250036.html




 永田 法順さん(ながた・ほうじゅん=日向盲僧琵琶弾奏者、浄満寺住職)が24日、死去、74歳。通夜は26日午後6時、葬儀は27日午前11時から宮崎県延岡市山下町3の4088の善正寺で。喪主は妻年代さん。浄満寺は同市山下町3の4082。

 2歳で視力を失い、13歳で浄満寺先代住職に弟子入りし琵琶と経典を学んだ。琵琶を弾きながら約千軒の檀家(だんか)を回って無病息災や五穀豊穣(ほうじょう)などを祈る「最後の琵琶盲僧」だった。2002年に県の無形文化財に指定された

---------- 【引用ここまで】 ----------

 琵琶法師だなんて、平家物語や小泉八雲の会談に出てくる以外にはなかなかお目にかからない存在です。それでも無形文化財として今まで続いていたとは知りませんでした。

 しかしこの永田さんが最後と言うことはもうそのような芸能を見ることができないわけですね。また一つ日本の芸能という文化が消滅したということで少し寂しい気がします。

 永田さんのご冥福をお祈りします。


 琵琶法師で思い出しましたが、山口県下関市には源氏と平氏による壇ノ浦の戦いでわずか八歳で非業の死を遂げられた安徳天皇を祀る赤間神宮があります。

 この赤間神宮は明治の神仏分離令までは、赤間関紅石山麓阿弥陀寺と言ってお寺でした。このお寺を舞台に描かれたのが小泉八雲の「耳なし芳一」の物語。

 芳一は物語の中ではこのお寺に住んでいる有名な琵琶法師で、あまりに上手であったため平家の亡霊もこれを聞きたいとある夜密かに現れた…とあります。

 実は私も一度この地を訪ねて神社巡りをした際にこちらへもお詣りをしてデジカメで写真を撮ったのですが、なぜかこの土地の写真は画像データが壊れてしまっていて手元に残っていないのです。

 まさか平家の亡霊が嫌がったため、とは思いませんが、時として起こるデジカメ画像データのクラッシュには、なにか因縁があるのでしょうか。

 琵琶法師で思い出しました。

 「耳なし芳一」のお話はこちら → http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/ 
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