北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

今年の個人的十大ニュース(後半) 

2011-12-31 13:49:21 | Weblog
 いよいよ今年最後の記事は、個人的十大ニュースの後半、第五位から第一位です。

 今年も振り返るといろいろなことがありました。それでは今年の出来事第一位から第五位です。

①長女の結婚
②東日本大震災で釧路も津波被災
③台湾を二度訪問する
④フライフィッシングを始める
⑤フェイスブックを始める

 
 それでは一口コメントを。

⑤フェイスブックを始める
 昨年まではツイッターがこれからの情報発信ツールかと思っていましたが、ほぼ匿名でのツイッターがデマの温床になりやすいのに対して、ほぼ実名のフェイスブックでは情報の受発信に互いの顔が見えるという安心感があります。

 また自分自身の情報を入れることで、新しい繋がりを紹介してくれるという面白い機能もあって、これで同窓生を随分見つけることができました。

 これまでいろいろなブログやSNSなどをやってきましたが、ブログ+フェイスブック、というのがこれからの流れになりそうな気がしています。そういう意味でフェイスブックを始めたことは今年の大きな転機なのだと思います。


④フライフィッシングを始める
 六月に掛川の友人達が釧路を訪ねてきて、「フライフィッシングの聖地、道東でぜひ釣りを楽しみたい」というオファーがありました。

 それまで全く釣りなどしたことのない私でしたが、フライをするという友人を知っていたので、地元の案内をお願いしました。

「当然小松さんもやるんでしょうね?」という声に、付き合い上なにげなく同行したのですが、そこで改めて道東の川のすばらしさを知ることとなりました。

「釧路にいて釣りをしないのは、松本にいてアルプスへ登らず蕎麦も食べないのと同じくらいもったいない」と分かり、早速道具を仕立てるとともに、あちらこちらの釣り場へ連れて行ってもらうことにしました。

 しかも人生の釣り二回目にして、Mさんというフライの大師匠に巡り会うことができて、一気にその真髄の一端に触れることができました。

 釣り人でなくては見る機会のない多くの景色も見ることができ、これはやはり人生を変える出会いであったと思います。

 誘ってくれた皆さん、またその後に数々の指導をしてくれた友人達に感謝です。

③台湾を二度訪問する
 今年はやたらと台湾に縁のある年でした。

 始めは8月末に、台北に贈られる二羽のタンチョウの先遣隊として台北市政府に挨拶に行きました。

 このときに、台湾立法院の王金平さんとの会話は至福のひとときでしたし、台北市のハウ市長さんにも会うことが出来光栄でした。

 また二度目は10月末のチャーター便による釧路からの訪問団としての台湾渡航。このときは妻と一緒にプライベートな旅として台湾を見ることができました。

 新幹線で高雄にも行くことができて台湾の旅を満喫。行けば行くほどまだ行っていないところが分かってきます。

 人柄も温かく、何度でも行きたくなるのが台湾です。来年も行きたいなあ。


②東日本大震災で釧路も津波被災
 3月11日午後の巨大地震が発生した時、私は市長室で市長共々打ち合わせをしている最中でした。

 いつまでも収まらない揺れに地震の大きさを感じて、すぐにテレビをつけたところ、大きな津波の警報が各地に出されています。

 市内でもすぐに6m以上の大津波警報発令の災害放送が流されましたが、最初は市民の反応が鈍かったようです。

 ところがテレビで東北地方の港町が次々に巨大津波に襲われる映像を見た住民がやっとのことで避難を始めてくれました。

 しかしいざここに至って初めて、釧路では津波に特化した地域防災計画がなかったことが分かると共に、橋の交通止めが災害対応や市民生活に大きな影響があるウィークポイントであることも分かりました。

 結果として釧路には最大波2.1mの津波が襲来し、300戸以上の建物が浸水被害を被ることに。幸いなことに死者が一人も出なかったことに救われた思いがしたものです。

 この間、情報発信機能が途絶えてしまったために、私の個人ブログで情報提供を続けたりもしましたが、改めて災害時の情報提供への備えが想定外だったことも分かるなど、数多くの課題が浮き彫りとなりました。

 ほぼ500年間隔で津波に襲われているのがこのあたりの考古学上の歴史だと言うことも分かってきて、対策はこれからということになります。

 もちろん、東北地方を始め日本全体に及ぼす影響も極めて大きなもので、年単位での国民をあげた支援体制を続けて行きたいものです。
 


①長女の結婚
 6月に長女が結婚しました。花嫁の父ってどんなものかなあ、と思っていましたが、淡々と時間が過ぎました。

 自分たちもそうやって結婚をして独立をしてきたのですから、子供の成長を喜ぶべきです。

 お婿さんの方にお父さんがいらっしゃらなかったために両家代表の挨拶をさせて頂くことになり、緊張しましたがなんとかそれも無事にこなすことができました。

 来年は孫の顔を見ることができるでしょうか。


    ※    ※    ※    ※


 それでは皆様、今年もお世話になりました。

 来年もパワーアップしてお届けしますね。

 では良いお年を!
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私の今年の十大ニュース(前半) 十位~六位のご紹介

2011-12-30 23:45:16 | Weblog
 今年の個人版十大ニュースをまとめてみました。今日から二日に分けてご紹介します。

 まずは前半の第十位から第六位まで。⑥が第六位で、⑩は十位です。

⑥国際バルク港指定されるも、予算が付かず
⑦被災地お見舞いの旅
⑧巷論の執筆者になる
⑨釧路検定、北海道観光マスター検定に合格する
⑩MOOのフィットネスセンター廃止条例が否決される


 それではそれぞれに一口コメントを。

⑩MOOのフィットネスセンター廃止条例が否決される
 釧路も人口減少がどんどん進む中、持っている資産の有効活用を早期に行わなくては行けない状況になりつつあります。

 そういう視点で見た時に、フィットネスセンターについては、施設そのものが年間9千万円もの管理費がかかる構造になっていることも問題だし、利用料収入も2千万円と少ない収支構造になっています。

 もはやこれからの釧路にとってはもう維持することが難しく、そのために多額の税金を投入し続けることはもはやできない、という総合的な判断によって施設の廃止条例を出したのでした。

 しかし、施設を廃止する上での利用者への説明が足りないのではないか、という議員からの声は大きく、議会では廃止の条例案が否決されるという結果となりました。

 利用者や議会への説明が足りなかったのか、という反省もありますが、利用者だけではなく市民全体がこの問題に関心を持って頂きたいと思います。


⑨釧路検定、北海道観光マスター検定に合格する
 漫然と時を過ごさずに、常に新しい自分になるような努力を続けていたいものです。そんなときに紹介されたのが釧路検定や北海道観光マスター検定でした。

 問題は販売されている教科書の中から出るので、それをよく読み込んでおけばよいのですが、これがまた結構たいへんです。

 運良く合格はしましたが、試験に挑戦する過程で勉強をしたことの方が重要でした。皆さんは今年何課に挑戦しましたか?


⑧釧路新聞「巷論」の執筆者になる
 「巷論」とは釧路新聞に複数の執筆者が提供する800文字ほどの文章欄です。このような公の場に発言の機会を得たことは光栄です。

 今年の夏から私にも執筆の依頼があって、いろいろと調整をした結果、書かせて頂くことになりました。

 基本的には月に一度ということですが、二度でも良いとのことです。せっかくこういう機会をいただけたので、よそ者としての視点を活かして書いていこうと思います。


⑦被災地お見舞いの旅
 五月の中旬に、サンマ漁で釧路港を利用してくれていた漁船の船主の方達へ、釧路漁業協同組合の組合長と一緒にお見舞いをしてきました。

 向かった先は石巻、気仙沼、大船渡などですが、まだ津波のがれき処理のまっただ中で、津波被害の恐ろしさを目の当たりにしました。

 がれきは片づいてもまちの復興は果たされるでしょうか。まだまだ国民一人ひとりが忘れることなく支援を続けたいものです。 
 

⑥国際バルク港指定されるも、予算が付かず
 民主党による事業の「選択と集中」という指導を受けて、国交省が港湾整備の戦略として進めてきたのが国際バルク戦略港湾でした。

 釧路は穀物での戦略バルク港としていち早く手を挙げ、国の指導も受けながらプレゼンテーションを行ってきました。

 その結果、5月30日に晴れて穀物バルク港の指定を受けることができました。釧路港の未来に明るい日が差した…、と思われたのですが、その後の来年度に向けた予算政府原案にはこの釧路港での調査が認められないということになりました。

 実に残念なことですが、作戦を練り直して今後もねばり強く事業を進めて行きたいと思います。
 

    ※    ※    ※    ※


 以上が今年の個人版十大ニュースの十位から第六位まで。

 明日は上位の五位から一位までのご紹介です。
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新年の誓いを確認してみると

2011-12-29 23:45:17 | Weblog
 官庁関係はすでに御用納めが終わって年末年始の休暇に入っているのですが、地方自治体は年末まで業務を行うところも多くあります。

 そんなわけで釧路市役所も明日まで仕事日。明日はあいさつ回りが中心となりますが、お会いできない皆様にも、今年はお世話になりました。

 
 さて年末と言えば、新聞紙上などで今年の十大ニュースなどという企画ものが紙面をにぎわす頃ですが、私も毎年年末のブログには今年一年を振り返った個人版の十大ニュースを書くことにしていますが、今年は明日ご披露する予定です。

 書いたブログを眺めているだけでも今年一年が走馬灯のように思い出されます。

 一応ちゃんとした文章を書こうと思うと、原典に当たったり分からない単語の意味や背景を調べたりもするわけで、興味は尽きません。

 またそうやって強制的に知識を増やし曖昧なことを確認しようとすると、普段から頭が鍛えられますし。

 ともすると移ろい流れてしまう一瞬の感動や感情をとにかく何らかの表現として形にしておくことは振り返ってみたときにやはり意味があります。
 
 公表しなくったって、果たして続けられるかどうかの実験的な意味で日記のようなものを書き続けてみることをお勧めします。


    ※     ※     ※     ※     ※ 


 今年の元旦のブログにはこんな風に書いてありました。

「我が家の年末年始の光景は、二人の娘と妻と家族四人で私の実家を訪ねて大晦日から元旦にかけて一泊をするというもの。
 今年は長女が結婚予定なので、来年の歳とりはこの組み合わせというわけにはいかないかもしれません。
 家族の姿も歳とともに変わってゆくものですが、今この瞬間を大切に生きて後悔をしないようにしたいものです」

「仕事の面では赴任以来半年が過ぎ、そろそろ本腰を入れて釧路市の課題解決とまちづくり、そして人づくりに積極的に参加してゆきたいと思います。この願いがどう実現したかは一年後のお楽しみ。
 人生の残り時間は無限ではありません。一瞬一瞬を真面目に真剣に生きるように心がけたいと思います」


 さて一年後の今、この新年の誓いはどれほど果たされたでしょうか。
 
 確かに長女は六月に結婚し、年末年始は次女と三人になりそうです。来年は長女から朗報が聞けるでしょうか。

 また、釧路の課題解決にはどれくらい貢献できたでしょうか。震災対策は予想外でしたが、それ以外も道半ばの思いがしますし、人づくりの方はまだまだだな、と思います。

 今年もいよいよあと二日、今生の人生の中で『今年』の意味をもう一度かみしめてみるとしましょうか。
 
 
 
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フィットネスセンターの激変緩和案

2011-12-28 23:39:10 | Weblog
 すでに地元の新聞などには報道が出されていますが、去る12月26日の月曜日に、フィットネスセンター利用者による二団体と市長との会談が開かれました。

 席上市側から、フィットネスセンターを廃止するにあたっての利用者に対する激変緩和措置の提案がなされました。

 その案とは下記のとおりです。



【市側からの対応措置案】
1 釧路市フィットネスセンター利用者(プール)の受け入れ施設としての釧路市鳥取温水プールの施設整備と体制強化

(1)水中歩行関係の施設対応
 ①水中歩行専用コースを拡充します(現行1レーンから2レーンへ)
 ②その内、1レーンにプールフロア(水深を浅くする可動式調整台)を設置し、水深を概ね1.1メートルに調整するとともに床面をフラット化します
 ③利用者の集中時間帯等において、その利用状況に応じたレーン設定など、必要な対応を指定管理者と協議し取っていきます

(2)施設及び設備関係の整備
 ①男女のシャワーブースを各3箇所から4箇所に増設
②男女更衣室内のロッカーを改修(各160箇所全て使用できるよう整備)
③男女トイレ(個室内)を全て洋式化に改修
④プール室内の休憩用椅子の更新整備  など


(3)管理運営体制の強化
 ①繁忙期における利用変動の把握に努め、指定管理者と協議し、必要となる管理体制について対応を取っていきます
②利用者増に対応し、開館日の拡大を図るため、休館日について月2回を基本に当面運営し、利用動向を見極めていきます
(現行休館日:毎週月曜日)
   ※当面、試行として4月~9月を実施(利用実態を踏まえ下期対応)



2 釧路市フィットネスセンター利用者(プール)の皆さんへの対応
(激変緩和の対策)

(1)釧路市鳥取温水プール利用への切替者(とりわけ橋南地区居住利用者)への対応として移動手段の確保  ※自家用車利用者除く
 ①市内バス事業者に運行委託 - 1年間
 ②運行予定 - MOOと鳥取温水プール間を1日3往復運行
 ③対象者 - フィットネスセンター利用会員であった方で鳥取温水プールへの利用切替者
  ※4月~9月(上期)の運行実績を見て、下期の運行計画を調整

(2)民間プール利用への切替者への対応として民間プール会員料金の一部助成(1年間)
  ①対象者 - 現フィットネスセンター利用会員で65歳以上の方で市内民間プール会員に切り替えられた方
  ②具体的助成案- 1人(年間)8,640円助成


3 釧路市フィットネスセンター、あとスペースの活用について

1.基本的検討方向
(1)MOOの商業施設との連動性
(2)にぎわいの創出、中心市街地の活性化に寄与
(3)全天候型空間としての有効活用

2.活用プランの検討の進め方
 (1)庁内ワーキングチームの設置(12月)、プラン案の検討
 (2)「市民委員会」による検討、基本構想(市民提言)の取りまとめ
 (3)平成24年度の早い段階での実施設計着手


 以上です。

    ※     ※     ※     ※     ※


 これだけの対応を行うとすると、年額で千数百万円ほどの費用がかかると思われます。

 しかし、下記のグラフを見ても、現状の利用を続けると年間7千万円もの補てんが必要になり、利用者団体からの提案でも数千万円程度の赤字が見込まれます。市財政にとってはかなり大きな負担と言わざるを得ません。

 利用者団体からは、条例案否決の重みをどう考えるか、などといった質問がなされ、市側からは、議会の判断は重く受け止めつつ丁寧な説明に努めたいという考えが示されました。

 この日の会談では議論は互いに並行線でしたが、話し合いを継続することでは一致しました。

 年明けに再び意見を交換する機会を持たせていただきたいと思います。 



 【全体の収支構造比較試算】



 【施設運営費の内訳試算】
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「備えよ常に」が生きる瞬間

2011-12-27 23:45:21 | Weblog
 市立病院にいる一人のお医者さんと話す機会がありました。

 その方とは、現在研修医として市立病院で勉強を重ねている塩野谷愛香先生。

 塩野谷先生は釧路出身で札幌医科大学を卒業、一昨年既に医師免許を取得した俊才でしかもキュートな女医さんです。

 実はこの塩野谷先生は去る5月27日にJR石勝線で発生した脱線炎上事故に遭遇した医師の一人でした。

 塩野谷先生は既にご結婚されているのですが、この日は金曜日最終のスーパーおおぞら14号でご主人と札幌へ向かう途中でした。

 その走行中の車両が途中のトンネルの手前で部品を脱落させて、緊急停止したうえに炎上するという大事故が発生したのです。

 事故発生直後から炎上した一号車には煙が充満し始めましたが、なかなか避難指示が出ず、たまりかねた一人の乗客が非常ドアを開けたことで全員が脱出を始め、トンネルの反対側へと避難して、なんとか難を逃れたそうです。

 しかし軽度の一酸化炭素中毒にかかった人やぜんそくの発作を起こした人も多く、乗客の中にいた医師たちは急きょ被災者の治療にあたるべく立ち上がり、一時間後にようやく到着した救急車で重症者に付き添って救急病院へ向かうことができました。

 まさに九死に一生を得た瞬間でした。


    ※     ※     ※     ※     ※





 この塩野谷先生にお話を聞きたかったのは、実は彼女が子供の時からガールスカウトに所属して活動を続けていた少女だったからです。

 小学校一年生のときに仲の良い友達に誘われて入った釧路の第9団での活動はとても楽しく、中学校三年生になるまでは一生懸命に参加していたそうです。

 ガールスカウトには「ガールスカウトの約束やおきて」などがあって、それらを暗誦して日頃からの行動の原則として自らを律することが求められます。

 なかでもモットーとして掲げられているのが「備えよ常に」という言葉です。

 塩野谷先生は、今回の事故に遭遇した時もガールスカウトで培われた精神を思い起こして行動を起こすことができたそうです。


   【ガールスカウト活動で人格形成】



「実は第9団って他の団に比べてとっても指導が厳しかったんです。ちょっとしたことでも叱られたりして…。でも振り返ってみるとそうしたことが今の自分を形成することに繋がっていたわけで、今はとても感謝しています」と笑顔で語ってくださった塩野谷先生。

「もし将来女の子が生まれたら、主人の理解を得てガールスカウトに入れたいな、と思います」とも。

 いつかその夢がかなうよう心から願います。


   【今年の釧路第9団のクリスマス会】


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 今日少子化と子供たちの課外活動の多様化で、ガールスカウトに参加する子供たちは以前よりは少なくなっていると聞きました。

 音楽やスポーツなど、将来的な才能開花に直結するような活動がついもてはやされる今日、全人格を陶冶するような活動の意味を上手にプレゼンテーションすることは難しいかもしれません。

 子育てにあたって、何が子供のためになるか、などを正しく見通すことは親としても難しいものです。

 ただ成長した時には世の中に受け入れられる正しい価値観だけは持っていてほしいもの。

 ガールスカウトのモットーである「備えよ常に」は、災害にあたっての心得としても大切な事柄です。

 
「将来は皮膚科の医者としてアトピーなどの子供たちを癒したいと思っています」という塩野谷先生のこれからのご活躍を心からお祈りします。


   【実は私の娘と同い年の塩野谷先生とツーショット】
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今年最後のプレゼント

2011-12-26 23:45:36 | Weblog
 東京から札幌での仕事を終えて、一週間ぶりに釧路へ戻ってきました。

 出際の札幌は吹雪で荒れた天気に加えて霰(アラレ)が降る悪天候。道路も電車も大荒れでした。

 釧路への汽車も20分遅れで到着しましたが、釧路は雪のない氷の世界は変わりません。

 釧路は寒いと言われますが、冬の生活は雪で悩ませられるところよりも楽で住みやすいような気がします。 


    ※     ※     ※     ※     ※

 家に着くと、たまった郵便物の中に厚い封筒が一つあって、差出人は釧路商工会議所。

 中には北海道商工会議所連合会からの、北海道観光マスター検定の合格証書。

 自己採点では76点くらいで、合格ラインの75点ぎりぎりだと思ってはいたので、とりあえずホッとしました。これからも北海道観光の宣伝に努めたいと思います。

 よく「資格とかけて、足の裏についてご飯と解く。その心は『取っても食えない』」なんて言われますが、まあいろいろあった今年を締めくくるプレゼントになりました。

 油断すると同じような日々の連続になりそうな日常です。

 意識して変えるにはどうしたらよいでしょうか。


   【とりあえずホッとしました】
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バルク港不採択はなぜ?

2011-12-25 23:45:14 | Weblog
 来年度予算の政府原案が閣議決定されました。

 いよいよ年明けからこの予算案に対する国会での質疑応答が繰り広げられることになることでしょう。

 政府の予算案に関しては、衆参二院制があっても衆議院での議決が優先されるということになっていますが、この予算案を執行するための関連法案に関しては衆議院の優越は適用されないために、予算案が通ってもそれを執行出来ないという膠着状態に陥ることが十分に予想されます。

 そこで予算案の通過と共にいつかの時点で解散総選挙を行って国民の信を問わなくてはならないのではないか、という論調も出てくるのです。

 国家財政の逼迫と消費税率のアップやTPP問題、年金や原発など、国民自身がそろそろ覚醒して方向性を一人ひとりが責任を持った発言をすることが求められる時代になりつつあるような気がします。


    ※    ※    ※    ※


 さて、こと釧路に関する来年度予算では、釧路港の国際バルク港としての整備着手が見送られることとなりました。

 来年度は主にバルク港化に向けた調査を行う要求をしていたのですが、どうやらバルク港としての整備は認められず、その前段の調査をしなさいという決着になった模様です。

 一部新聞には、予算担当者の弁として「バルク港が指定されたからと言って、そのまま整備になるとは限らない」という発言を紹介する形で、将来性についても疑問を投げかけていますが、これはやや論点がずれているように思います。

 3.11による復興を行わなければならないことは分かりますが、そのための事業とそれに対する財源は今回手当をしたはずで、淡々粛々と行われることが期待されます。

 港湾行政に関しては、これまで多くの港に配分されていた予算を『選択と集中』の名の下に、民主党政府が掲げる新成長戦略(平成22年6月18日閣議決定)の重要施策として位置づけられたのが国際バルク戦略であるわけで、その重要性はいささかも低下したものではありません。

 また全部で十港あるバルク選定港のうち、要求準備が整ったのは釧路港だけで、他の港よりも熟度が高いわけで、私個人としても採択されなかったことについて理解ができずにいます。

 今後はおそらく国土交通省や北海道開発局と調整をはかりながら現状分析や今後の方針について議論がなされなくてはなりますまい。

 なんだかどこでどのように国の意思が発現しているのかがわかりにくい世の中になりました。
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ジョブ・ディスクリプションという約束

2011-12-24 23:45:08 | Weblog
 クリスマスイブだというのに、そんなものは関係なーい、という大人の男が集まった懇親会。
 とはいえ、せっかくなので奥さん連れも良いだろうと、三人の男と二人の奥さんによる飲み会となりました。

 教育関係者の友人は、しきりに学校の先生のコミュニケーション能力を憂いています。

「学校の先生の仕事って、1/3は子供達に勉強を教えることですが、1/3はテストや成績、打ち合わせなどの事務仕事、そして1/3は保護者やPTAなどとのコミュニケーションなんです。ところが『先生の仕事とはそう言うものだよ』とだれも教えないんです」

 するともう一人の友人が、「何が仕事なのかを日本ではほとんど明確化して伝えるということをしませんよね。私はアメリカにいたことがありますが、そこでは”Job description”と言って、『あなたの仕事はこれこれですよ』ということを書き表せて伝えるということが当たり前でしたよ」

「なるほど、私の職場でも仕事の分担などは曖昧なことが多いですね。もっとも敢えて明らかにしないことで、書かれていないことでも自分がやるべきだ、と前向きに捉えてくれることを期待したいのですが」

「しかし、それが『それは私の仕事じゃない』という消極性につながりやすいとも言えますね」

 要は、普段から仕事や自分の責任を前向きに捉えてくれるような組織マインドを醸成出来ていれば良いのですが、それができないようであれば、『最低これだけはやってくれ』という要求の最低ラインを定めるほうが良いということになるでしょうか。

 最近の仕事は複数の担当課にまたがっていて、職務職階制の間に落ちるようなものが多いのですが、そのときに譲り合うのか取り合うのかという振る舞い方が組織運営のポイントになります。

 ジョブディスクリプションというのは、求める最低線でしかないと思うかどうか、と言う点で西洋的契約社会のあり方のようですが、『意気に感じる』ことを求める東洋的な考え方と微妙に合わないような気もします。

 組織を動かすことは難しいですが、リーダーシップとは何かも問われます。

 熱いだけがリーダーでもないようです。年末年始の時間を使って、ゆっくり考えてみましょうか。
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天皇誕生日に思う

2011-12-23 23:45:44 | Weblog
 天皇陛下78歳を迎えられる天皇誕生日。

 クリスマス周辺に祝日が増えたことを喜ぶ国民は多いことでしょう。

 お誕生日に際しての天皇陛下のご感想が宮内庁のホームページに掲載されています。

 全文は2700文字以上の文章ですが、新聞紙上などでは、「振り返ると,今年は災害に明け暮れた心の重い年でした」というあたりを強調されています。

 しかしその外にも、タイの洪水に触れて現地の日系企業に勤めているタイの人たちが一時日本国内に来るようになったことに際して、「言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。この度の日本における災害及びタイの水害は,改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした」と心温まるお言葉を述べられています。

 日本国政府による国の意思が述べられる言葉とはまた趣の異なる日本からの発信。天皇家があらせられることへの感謝に堪えません。


      ※     ※     ※     ※     ※


 さて、陛下はこの御言葉の中で、先の戦争にも触れられています。

「…今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り,戦後,こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう,日本の人々は,真摯に過去を学びつつ,戦後の厳しい困難に耐え,営々と国づくりに励み,今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日,皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び,平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います」

 実はこの12月23日というのは日本にとってまた別な意味を持っています。それは戦争を指導したとされる東条英機や板垣征四郎などが巣鴨プリズンで処刑されたのが昭和23年の日であるわけです。

 それが偶然なのか、連合国側が強く意図した出来事なのかは分かりません。しかしそういう日であるという事実だけは残ります。

 決して戦争を賛美するわけではありませんが、日本がいかにこの戦争に対峙したのかを学んでおくことはきわめて大切だと思います。

 そんなエピソードの一つとしてご紹介したいのは、ドイツとの間でのユダヤ人をどうするか、という問題。

 昭和13年当時、当時日本は日独伊三国同盟の前進となる防衛協定を結んでいましたが、その協定先であるドイツからは日本に対してユダヤ人を排斥するように再三要請が届いていました。

 それに対する国としての方針を決定する会議が昭和13年12月6日に開かれ、そこで板垣征四郎陸軍大臣から、「我国は、八紘一宇を国是としておりユダヤ民族に対してもこれを例外とすべきではない。彼らは世界中に行先無く、保護を求めているのである。窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずという。況(いわ)んや彼らは人間ではないか」として、ユダヤ人対策要綱を国是と決定したのでした。


      ※     ※     ※     ※     ※


 八紘一宇とは、先の大戦を肯定するスローガンとしてネガティブな印象を背負わされた言葉ですが、出展は日本書紀で神武天皇が述べられた言葉です。

 「八紘一宇」の八紘とは、四方と四隅、すなわち、世界中という意味であり、一宇とは「一つ屋根」を意味する言葉です。

 初代天皇の神武天皇が即位された時に、人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、天の下のすべての人民が一つ屋根のもとで家族のように仲良く暮らすことを、建国の理想とされたということに由来するもので、その言葉自身に戦争を賛美するような意味はありません。

 そしてこの決定によって、すぐ翌年にシベリア鉄道によって二万人とも言われるユダヤ難民が押し寄せて吹雪の中で立ち往生をしているときに救出列車を出した樋口季一郎少将や、6千人ものユダヤ難民に対して日本への出国ビザを出した杉浦千畝のような者も現れたわけです。

 
 「八紘一宇」などという神話の世界の価値観が息づいて国是となし、しかしながら先の大戦による大きな悲劇もありました。

 神話の世界から連綿と続く天皇の御代を祝うと共に、戦争について考えさせられる日、それが12月23日なのだと思います。
  
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五番館、西武、そして青い空

2011-12-22 23:35:40 | Weblog
 朝まだ暗い都内から羽田空港へと向かい、8時のANAで新千歳空港へと向かいました。

 新千歳空港の朝はまだ天候が安定していて、着陸にも支障はなし。今日は札幌市内で年末の挨拶やら打ち合わせなどを行うことにしているのです。

 道庁へと向かうのに、札幌駅から地下道を通って駅前通で地上に出てみると…、「な、なんだこの風景は?」 いつもとは違う風景が目の前に飛び込んできました。

 札幌の方はもう見慣れているのかもしれませんが、そう五番館西武、そして札幌西武のあった場所、札幌っ子には昔懐かしい五番館のあった場所の建物はもうありません。

 都市の新陳代謝とはいえ、一抹の寂しさを感じます。


   【空が広いなあ】
      ※     ※     ※     ※     ※


 五番館の歴史は札幌農学校を卒業した小川二郎が、明治32年に北4条西3丁目に札幌興農園を開いたことに始まります。

 やがてそれを明治39年に初めて百貨店としてオープンさせましたが、日露戦争後の経済混乱の波に洗われてこれを小田良治という人に譲りました。

 札幌興農園はその後も駅周辺で農機具や種苗などの販売をしていました。私が農学部の学生の頃は東急百貨店の南側の北3条西2丁目の興農園ビルでそうした商売をやっていて、ヒョウタンの苗を買ったことなどを覚えています。

 残念ながら興農園も今は駅前からは移ってしまいました。懐かしいなあ。

 さて五番館、その名の由来については「かつて電話番号が5番だったから」と教えられたものですが、五番目の駅逓があったからという説もあるようで、もはや歴史の謎になってしまったのかもしれません。

 五番館は札幌を代表するデパートとして明治45年に開業、人気を博しましたが、駅前に多くの競合百貨店が進出してきたことや、自動車時代の到来と共に駅前の商業力にかげりが見え始めました。

 ついに昭和57年に西武百貨店と提携、一時は五番館西武を名乗っていましたが、平成に入ってからは完全に吸収合併されて札幌西武となりました。

 煉瓦造りの外装にツタをはわせるなど、景観環境に気を遣っていた建物で私は好きだったのですが、思い返しても滅多に買い物はしなかったなあ。

 平成21年にはその札幌西武も閉店をしました。煉瓦の建物の面影が、大泉洋さんの映画「探偵はBARにいる」のワンシーンに映し出されたときは懐かしく思ったものです。

 跡地はヨドバシカメラが取得して出店を計画しているのだそう。どのような建物になるのか、駅前の趣を大切にしてくれるのか、それともヨドバシカメラという企業イメージを前面に出してくるのか、興味があるところです。

 駅前通の景観協定なんてあったのかな。

 賑やかさと共に落ち着きや趣など、魅力のある駅前エリアの形成を期待したいと思います。

 
【余談】
 個人的には五番館の道路を挟んだ西側にあった洋菓子のニシムラのソフトクリームが好きでした(笑)
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