北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

今年もお世話になりました ~ 今年の十大ニュース 1位~5位 

2018-12-31 19:31:11 | Weblog

 

 いよいよ今年も、そして平成最後の年も、あと数時間となりました。

 今日は、年越しそばを打って親類に配って歩きました。細く長く暮らせますように。

 さて、昨日に続いて、今年一年のブログの中から、私版今年の十大ニュースの1位~5位です。


【第5位 今年もたくさん釣りに行きました】
 今年も渓流へ、海へ、湖へ、そして氷の上へと何度も釣りに行きました。

 数えてみると、全部で51回の釣りをしました。

 内訳は、氷上ワカサギ釣り13回、渓流でのフライフィッシング21回、海釣り27回というもので、なんと海釣りの回数がフライフィッシングを上回りました。

 

 渓流釣りでは、ヤマベ、イワナ、ニジマスにも会えましたが、なんといっても、然別湖のグレーとフィッシングでは背中の青い"ブルーバック"と呼ばれる、美しいミヤベイワナを釣りあげることができました。

 海釣りでは、今年はマメイカが不漁でさっぱりで、一匹も釣れない"ボウズ"の日も多かったのですが、それなりにホッケやチカは釣れましたし、2年ぶりにサケも2匹釣れました。

 総じて楽しい時間を味わえていますので、来年もさらに回数を増やしたいところです。

【第4位 還暦になりました】
 私は妻も同い年なので、二人そろって今年還暦を迎えました。

 夏に、娘夫婦が誘ってくれて婿さんの会社の保養所でお祝いをしてくれて、プレゼントもいただきました。

 また、高校の同期による「還暦同窓会」もあって、18歳当時の思い出を語りながら青春時代を思い出したのと、同期で芸術家になったサカイ君から、アート作品を買い求める機会にも恵まれました。

 これからは若い人たちの盾になって、若い人たちがしなくてよい苦労を引き受けようと思います。


【第3位 一酸化炭素中毒で死にかけました】http://bit.ly/2F1mOvg
 今年の1月28日のことですが、妻とではなく釣り友達とワカサギ釣りに行って、テントの中で一酸化炭素中毒になりかけて、死にそうになりました。

 帰る頃になって、ワカサギの数が100匹に達しそうになったので、「100まで釣らせて」と延長を頼み込んだのですが、そこで使っていたバーナーの不完全燃焼が発生していたのです。

 テントから出たのも、具合が悪くなったからではなく、「100匹目が釣れたので」出たのですが、外に出てから中毒症状が出て、しばらく苦しみました。

 すぐにネットで、一酸化炭素センサーを買いましたが、皆さんも、音もなく迫ってくる一酸化炭素にはご注意を。


【第2位 大恩人の榛村純一元掛川市長さんが亡くなりました】http://bit.ly/2Fx0ryF
 掛川市役所の副市長へと出向を命じられて、3年間お世話になった、榛村純一元掛川市長さんが3月7日に急逝されました。

 榛村さんからは、生涯学習の真髄に触れることができ、またスローライフなど新しい政策を始めるときの考え方や、地方都市の首長としての品格を学びました。

 このブログを始めたのも、榛村さんに私淑して、「ブログという形で、自分なりの生涯学習的生き方を貫いてみよう」と思い立ったからです。

 榛村さんの生涯学習を直接語り継ぐことは私にとっての使命になったような気がします。

 榛村さんのご冥福を心からお祈りいたします。


【第1位 次女の結婚相手にお会いする】 http://bit.ly/2ScTntP
 今年の第1位はおめでたいお話です。
 
 東京に暮らす次女から、「お付き合いしている男性がいて、その彼氏がご挨拶に行きたいと言っているので会ってくれますか」と連絡があり、11月23日に、その彼氏とお会いしました。

 挨拶の中身は、二人して「結婚したいのでお許しを」ということだったので、喜んで二人を祝福しました。

 ところがその婚約者なる方が、仕事の関係で年明け2月に中国へ転勤することが決まり、急遽次女も、来年の3月で仕事にケリをつけて、中国へ渡ることになりました。

 トントン拍子に話が進んでいて、目が回りそうですが、若い二人の幸せのためにできることは何でもやってあげたいと思います。

 それにしても、今の若い人は海外勤務などもごく普通のことなんだなあ、と感慨に浸っています。

 これを機会に、私も中国語の勉強を始めて、北海道の観光ガイドくらいに慣れないでしょうか。


      ◆


 さて、今年も本ブログを読んでくださってありがとうございました。

 日々新たに、生涯学習を続ける記録だと思って読んでいただければ幸いです。

 

 それでは、今年もお世話になりました。

 来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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ブログを見返した今年の十大ニュース ~ 今日は10位~6位

2018-12-30 23:54:44 | Weblog

 今年もいよいよあと二日となりました。

 大したことも書いていないブログですが、皆さんにご覧いただきながらなんと今年一年も無事に終えられそうです。

 一年間のブログをざっと読み返して、毎年年末の二日間恒例の、「今年の十大ニュース」を拾ってみました。

【第10位 北海道蕎麦研究会30周年記念と蕎麦打ち】http://bit.ly/2OLD4SP
 今年は、所属している北海道蕎麦研究会が30周年を迎える式典が行われました。(8月18日)

 会は30周年ですが、私が加入したのは丁度20年前で、そういう意味では自分自身の蕎麦打ち活動としても一つの節目でした。

 素人そば打ちの段位認定は二段どまりで、そこから昇段試験も受けなくなり、後から入った人にどんどん抜かされているのですが、自分自身が美味しい蕎麦を食べることはできるので、十分満足です。

 また最近は、蕎麦イベントに参加してももっぱら天ぷらを揚げる担当を任されることが多くなり、そういう意味ではまだまだ新しい技を習得している最中です。

 一つ心配なのは、会員の高齢化でしょうか。

 事務局長など枢要な人材ほか、会員も高齢者が多く、今後の行く末が危惧されます。


【第9位 都市地域セミナーで鉄道の歴史を再認識する】http://bit.ly/2DxeZxt
 私が所属する、都市計画学会北海道支部の都市地域セミナーで、今年は北海道鉄道観光資源研究会と共催で、「鉄道遺産・鉄道資産を生かしたまちづくり」について、勉強をしました。

 基調講演の釧路市立博物館学芸員の石川孝織さんによる、簡易軌道による地域の歴史は、今まで全く知らない世界で、大変勉強になりました。

 これからも鉄道の資産・遺産を生かしたまちづくりについては勉強を深めていきたいところです。


【第7~8位 今年もあちこち旅行に行きました】
 今年も小旅行を通じて、いろいろな発見や思い出ができました。やはり旅は良いですね。

 印象的だったのは、1月21日の豊頃町でのジュエリーアイス見学の旅(http://bit.ly/2LFmZhg)と、3月21~25日の浜名湖(http://bit.ly/2GTXgiA)~掛川市明ケ島キャンプ場までの旅行(http://bit.ly/2pDW9w2)と、9月15日の羅臼沖でのホエールウォッチング(http://bit.ly/2pbdIDi)などです。

 どれも、印象的な思い出がよみがえり、またそれぞれ現地での友人とも豊かな時間が過ごせて素敵な時間でした。

 旅の条件は、やはり健康であることなので、来年も健康でまた新たな旅に出たいものです。

【第6位 胆振東部地震の被災の一日】http://bit.ly/2NVFmit
 胆振東部地震は、北海道で初めて震度7を経験した大地震でした。

 震源地となった厚真町やその周辺では、大規模な山体崩壊が発生し多くの犠牲者を出しました。

 また、遠く離れた札幌市内の住宅地でも液状化により多くの住宅被害が発生しました。

 全道一円が大停電になるなど、ほとんど想定しなかったような被災状況も見られる中、我が家では、遠く東京から出張で来られていた関係者を宿泊させるという緊急事案もあって、まあてんやわんやでした。

 亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一日も早い復興を願うばかりです。

 
      ◆

 とりあえず今年の話題の第10位から6位までを記してみました。

 7~8位の順位付けをするのが苦しかったのですが、旅はやはり良い勉強の機会になりますね。

 明日は、今年の十大ニュースの1位~5位をご紹介いたします。
 

 

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年末年始は家の修繕 ~ 職人仕事が嫌いじゃない

2018-12-29 23:08:36 | Weblog

 年末休みになって、ずっとやれずにいた壁の隙間のコーキング作業に着手。

 家も15年を過ぎて、そろそろ使っている木材が収縮したりして、壁や建具の間に隙間ができているのでこれを修理するのです。

 古いコーキング材を丁寧にはがして、マスキングテープを壁の面から幅2~3ミリに貼って、これでコーキング材をガード。


 【古いコーキング材を剥がしてマスキングテープを貼ったところ】

 あとはコーキングガンでコーキング材を隙間の溝に埋め込んでいきます。


  【ちょっとカッコよいでしょう】

 最後に、指でもよいのですが、私の場合は丸い形の柔らかいヘラで形を整えて、最後にマスキングテープをはがして終了。


  【マスキングテープはすぐに剥がしましょう】

 一番時間がかかるのは、割れてしまったような古いコーキング材を剥がすところで、この工程はヘラやカッターで入念に作業しておくと、最後の仕上がりが美しくなりますよ。

 私の場合こういう職人仕事って嫌いじゃなくて、一度やり始めると(あそこもやらなきゃ、ああ、ここも)と次々修理が必要な個所が目につきますし、また作業に入ると楽しくて忘我の境地に陥ります。

 単純作業って、頭を休めるのには良いところもありますしね。

 これで、ずっと気になっていた家の傷みが一つ直りました。

 あとは明日どこまでできるかです。


  【完成 案外上手でしょう?】


    ◆


 夜は、毎年この日恒例の大忘年会。

 公務員、建設関係者、まちづくり屋さん、ビジネスマンと、異業種の集いのような感じで、毎年100人ほどが集まって、旧交を温めたり新しい出会いを楽しんだりしています。

 今日もいろいろな方とお話ができましたが、印象的だったのは、リーダーの振る舞いに不満や意見を持っている人たちが多かったこと。

 ある方は、「うちのリーダーが、とうとうと状況を説明してくれていたんですが、それが現場の思っていることと随分違ったんです。内心、(おいおい、担当者はちゃんと正しい情報をリーダーに入れていないのか!?)ということでした」と嘆いています。

「それって、どうして正しい情報が伝わらないんでしょうか?」
「一つには、リーダーに叱られたりすることが怖くて、近寄りがたい存在になっていること。もう一つは、リーダー自信に周りが正しい情報を入れても叱られない、という安心感がないことでしょうか」

 自分の耳に痛いことをちゃんと言ってくれるような、しっかり者の部下を周りに置いて、「私が嫌がるような情報もちゃんと伝えてくれ」という考え方をちゃんと周りに理解してもらえるまで、それもある種のユーモアも交えながら伝えないといけません。

 イエスマンばかりを重用すると、最後に痛い目を見るのは自分自身なのです。

 
 さて今日も、何人か新しい友達ができました。

 来年も、友達の輪が広がると良いですね。

 忘年会参加の皆様、今年一年、お世話になりました。

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変化を求めて恐れずに

2018-12-28 23:45:45 | Weblog

 今日は仕事納め。

 今年の仕事も無事に終えて、ほっと一安心です。

 今務めている舗装事業協会は、採用されてから2年半が経過して、つまりは3年目。

 毎年行うべき仕事は3回目をこなしている最中です。

 人生の中では何度も転勤をしてきましたが、そのたびに新しい場所で新しい仕事をします。

 一年目は初めてなので、全く要領が分からなくて、前任者が残してくれた資料を基にして同じようにやるのが精一杯。

 それが2年目になると、一度やったことは慣れて安心してできますが、2回目をこなしてみてようやく、(ああ、ここはこうした方がよかったな)という改めたり、変えたりした方が良いと思うようになります。

 そしてその実際に改善を加えてやってみることができるのは3回目となる3年目なのです。

 現役の時代は、転勤のサイクルって大概、2年か3年だったので、3年目に入るということは、(ああ、もう来年はここにはいないな)と思いながら仕事をしたものです。

 それが、ずっと同じ職場や土地にいるとなると、どうしても心に慣れや諦めみたいな気持ちが生じてしまって、その組織全体の変化の仕方が緩やかになってしまいます。

 一人くらいダッシュして目立って頑張っても、組織全体はなかなか変わらないということが分かってしまうので、周りのスピードに合わせてしまうのです。

 そのペースで、定年まで勤めきることを考えると、走るペースは完走を目指すマラソン的なスピードになります。

 転勤で、今のところには2年か3年しかいないぞ、と思えば、800m走くらいのスピードで走り続けて、転勤すればまた次の職場を新鮮に思って、800m走くらいのスピードで仕事や暮らしに取り組めたような気がします。


 最近の若者は転勤を嫌う、と言われますが、場所や仕事が変わることを人生の節目とか、頭を切り替えるきっかけと思えば、とてもよいチャンスなのに、と思います。

 職場での仕事だけではなく、日常に慣れてしまわずに、常に変化を求めていたいものですし、その変化を楽しむような気持になると、人生はずっと楽しいものになるのではないでしょうか。

 いつも何かを変えていきましょう。
 

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移民について欧州の失敗を考える ~ 「西洋の自死」を読んで(長文です)

2018-12-27 22:23:32 | 本の感想

 

 もう20年以上も前のことですが、一度ドイツの観光街道を一週間ほど視察する機会に恵まれました。

 ドイツには、ロマンチック街道、メルヘン街道、ファンタスティック街道など、沿道の町々を結びつけて特定のテーマに従って史跡、遺蹟、風光明媚な風景などを結んだルートに名前を付けることで、ルート観光の付加価値を付ける取組行っていて、それを視察しに行ったのです。

 その際に、日本人ながら現地のドイツ人と結婚してドイツに暮らしている女性に通訳をお願いして、我が視察団に一週間にわたって帯同して頂いたのですが、そのときに「スーパーには、ドイツの国内産牛肉と輸入の安い肉が売られていますが、私たちは安全で安心できる国内産牛肉しか食べません」という話を聞きました。

「では安い肉は誰が買うんですか?」
「それは移民でやって来たトルコ人が買うんです。彼らは収入が少ないですから、安い肉しか買えないんです」

 今でもなぜか、その会話だけははっきり覚えていて、(ドイツには収入の低いトルコからの移民が大勢いるんだな)と漠然と思ったものです。


     ◆


 今般、政府は入管難民法を改正して、外国人労働者を積極的に受け入れる方針を打ち出しました。

 この法律改正案では、新たな在留資格である「特定技能」の創設が柱です。

 従来は医師や弁護士ら「高度な専門人材」に限定してきた就労目的の在留資格を、介護や建設、宿泊、外食、農業、漁業などの14業種において、単純労働分野に拡大するというものです。

 まだ細かい運用方針は議論中のようですが、わが舗装業界が外国人労働者を受け入れるためには、建設分野に新たな在留資格の基準になる「舗装工」を作ることになりますが、その次には「舗装工」という労働者に期待される「技能」が何か、ということが問われることになります。

 こうした準備を一つ一つクリアしてゆく中で、外国人が日本の舗装道路を作ってくれる日がいつか来るのでしょうか。


     ◆


 外国人の受け入れに関しては、国会でも「移民ではないのか?」「移民ではありません」というやり取りがありました。

 日本が外国人をより多く受け入れるとして、それは「難民」を無制限に受け入れるという事ではなく、互いの了解に基づいて、一定のルールと数のコントロールを行う人たちが日本に来て暮らすという事になります。

 そのためには、日本で暮らす外国人の人たちが、我が国社会と相互に適切に幸せを享受できるような制度とコントロールとそのしっかりした運用が必要になってくるでしょう。


 さて、日本の場合は、数も限られ、受け入れに対して事前の準備もするといった意味で、移民ではない、というところから外国人労働者の受け入れをスタートさせますが、こと『移民の受け入れ』ということに関しては、「欧州は完全に失敗し、今や自死の過程にある」と書いた「西洋の自死~移民・アイデンティティ・イスラム」(ダグラス・マレー著)という本が話題になっています。

 移民を受け入れるという事に関して、一体ヨーロッパの何が失敗だったのかを知るためにさっそくこの本を読んでみました。

 この本によると、実はヨーロッパの問題はここ数年のことなどではありません。

 冒頭のエピソードにもあるように、第二次世界大戦後にヨーロッパの多くの国で、外国人労働者の入国を許し、後にはそれを奨励してきました。

 その理由の一つは、始めは特に工業セクターでの未熟練工の人手不足から労働力を補うためという事だったのですが、もう一方の側面は植民地時代の罪悪感を抱き、それを、欧州的な”寛容の心”や”人権”などの道徳的な理由や、”多様性は善である”といった歴史からの教訓を前面に出す形での正当化でした。

 結果として、ほとんど国民的な議論のないままに、大量の移民が欧州になだれ込んでくることになったのです。

【ドイツにおける移民事情】
 移民の規模をネットで検索してみると、住友商事グローバルリサーチが提供するサイトに、『ドイツで増大する移民と経済への影響』というレポートがありました。

 これによると「ドイツ連邦統計局の人口統計(2016)によると、現在、ドイツに居住する外国人は約896万人で全人口8,243万人の約11%を占め、ドイツの外国人比率は他の欧州主要国と比較して最も高い。
 英仏では旧植民地から多くの移民が流入しているのに対し、ドイツでは高度経済成長期の労働力として1950年代からトルコ、イタリア、ポルトガルなどから流入した。当時これらの人々は一時的な滞在を前提としていたが、その後ドイツに家族を呼び寄せ定住し、ドイツで生まれ育った2世、3世が増え続けた。
 現在、こうした移民の背景を持つドイツ人を合わせると全人口の約23%に達している」とありました。

 また、「そもそも飲食・宿泊サービスなどのサービス業や建設業などは賃金が安く、ドイツ人求職者の求める水準に達していないため、低賃金で仕事を請け負う移民を雇用せざるを得ない。しかし同時に、こうした労働集約型産業で多くの移民が低賃金で就労することにより、企業の労働生産性だけでなく、産業全体の労働生産性の向上にもつながっている」とも。(2017年11月28日 住友商事グローバルリサーチ 伊佐 紫)
  ※ https://www.scgr.co.jp/report/survey/2017112829422/

 

【イギリスにおける移民事情】
 もう一つ、今EU脱退問題で揺れるイギリスの移民事情も見てみましょう。

 イギリスの情報には、"EIKOKU GO"というサイトがあり、ここに、「イギリスの入国問題」という記事がありました。 https://japanesewriterinuk.com/article/nationality.html 

 記事では、「第二次世界大戦後の1945~1997年の間、イギリスへの移民の年間水準は毎年約3万人(ネット)でした。
 これは選挙で労働党が勝利し、1997年に政権に就いた時に大きく変化しています。
 労働党の政策は移民の水準を上げることであり、2000年代初期に東ヨーロッパから移民制限を緩和することも決定されました。
 労働党はこれにより、移民が毎年約1万3000人ずつ増えていくと予測していました。
 しかし移民者数は劇的に増加しました。 2015年には移民が年間約332,000人まで増えたのです」

 しかも、イギリス国民は、この数字には嘘があると疑っているとも言われます。

 それは、「イギリスで働くために必要となる国民保険(National Insurance)を申請しているイギリス国民以外人数が2015年には約655,000人のEU国民が国民保険の申請をしている」という事実があって、この国家統計の数字と大きなかい離があることが分かったからです。

 なので、イギリス国民は、政府が元々の英国民の不安と不満を一向に受け入れずに、移民拡大政策を取り続けていることに反発しています。

 イギリスが国民投票の末に、EU離脱を決めたその背景には、こうした政府の移民政策への反発が充満していたことは想像に難くありません。


     ◆


 本の内容に戻りましょう。

 こうした安い労働力の供給という、経済的なメリットを感じながらも、欧州の一般大衆は不安と不満を感じています。

 移民を大量に受け入れ続けてきた結果起こったことは、欧州の文化やアイデンティティに同化せず、自国の言葉で話し、独自の習俗で暮らす人々による並行社会が存在するようになったことでした。

 特にセンシティブな問題は、イスラム教の人たちの問題でした。

 はじめは労働力を補うために始まった移民でしたが、2011年代以降の「アラブの春」と呼ばれる中東や北アフリカでの民主化運動の後にその様相が変わりました。

 中東の国々の民主化に、西側勢力が勝利に酔った一瞬の後には、メルトダウンとも呼ばれるくらいの内線、テロ、独裁の再燃が始まり、大量の難民の発生と、イスラム過激派、そしてそれらに伴う憎悪、民族間紛争、不寛容、暴力の大量発生と拡散でした。

 欧州ではイスラムの人々同士の争いや暴力も頻発し始め、それが自国民へのテロなどの脅威が増すことへの不安は日々高まる一方です。

 しかし、移民受け入れが絶対善である前提に立つ政府においては、移民に関する犯罪や争いなどのネガティブな情報は隠蔽され、そうした移民に対する否定的な声を発する健全な人たちは、「人種主義者」というレッテルを貼られ、言論は封殺され、社会的な地位を失うというおかしな方向にはまって行ったと言います。

 本の著者であるマレー氏はそれを「エリートと大衆の乖離」であり「欧州の失敗」と言っています。

 『欧州の失敗』とは、移民を「永住せず、いつかいなくなるもの」と漠然と思ったことであり、また今いる移民に対して「同じ国の中で移民たちが居住国の相容れない種族や法の下で暮らすことを国家規模で奨励したこと」であり、「同一の法の支配や一定の社会規範が全員に適用される、ポスト多文化主義を目指しながらもそれを実現できなかったこと」であると著者は喝破します。

 ドイツのメルケル首相は移民政策に寛容な立場を取り続けてきましたが、自らの政党が選挙で敗北したことを受けて、ついに「多文化社会を築き、隣り合わせに暮らし、互いの文化を享受するというアプローチは完全に失敗した。だからこそ重要なことは同化なのです」と失敗を認めました。

 しかし今さらそれを認めたところでどうなるでしょう。

 出生率の低い元欧州人は、イギリスでもドイツでも減少する一方で、それに対して出生率の高い移民たちは増える一方で、あと数十年のうちに欧州人は数の上でも移民よりも少数の民族になってゆくと人口学者は唱えていて、そしてそれはこの不確定な世界においてもほぼ確実な未来に見えます。

 難民を受け入れるのではない日本と事情は大きく異なりますが、著者のマレー氏は、こと難民の問題に対しては、「欧州の政治家たちももっと上手にやれたはずだった」と指摘しています。

 一つには、難民を受け入れるに際しては、ひとつには自国に無制限に入れてしまうのではなく、難民が発生したその近くに留まれるような国際政治を行うべきだったという事。

 二つ目には、難民申請の処理を自国に受け入れてから行うのではなく、そもそも欧州の域外で行うべきだった、という事です。 

 ただ、それらが行われたとしても、欧州はもう変わってしまう過程の中にいます。

 「移民は国の性格を変えてしまう。私たちはこの国の性格を変えたくない」と叫ぶごく普通の国民たちの思いを、各国の政治は一体どのようにくみ取ることができるでしょうか。

 あまりにも歴史と規模の異なる事例ではありますが、先行して、そして今自国のアイデンティティを侵食されそうになっている欧州を目にして、私たちも心して外国人を受け入れるための心構えを持たなくてはならないと強く感じます。

 外国人労働者に対しては、労働力の期待だけではなく、一方で異文化の人たちが来ることへの恐怖だけでもない、現実的な対応が社会として求められるという事です。

 そして受け入れに際してのキーワードは、やはりメルケルの言うような、『同化してもらうこと』ではないかと思います。

 新たな来訪者にとって、日本語を話し、日本の食べ物を好み、日本の文化を楽しみ、嘘をつかず誠実を価値あるものとする日本の国柄に浸り、働きながらも日本という国の性格を味わうことが喜びと幸せに結びつくような橋渡しを行う事です。

 単なるネガティブな反対論や、寛容の心や、もしかしたらアジアや世界に対する贖罪の念を起させるような議論に惑わされずに、我が国のあり様のなかで、来る人と受け入れる人とのwin-winをどう実現できるか。

 「西洋の自死」は、オピニオンリーダーや国の政治家だけではなく、我が地域の暮らしが変わりかねない、地方自治体の首長にとって必読の書だと思います。

 地方の政治も大いに問われる時代になることでしょう。

 以上、本のレビューでした。長文失礼。

 

 

 

 

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公にしっかりした場面では、形式を大切に

2018-12-26 23:13:50 | Weblog

 年が明けると、わが舗装業界3団体共催の新年交礼会が催されます。

 ここでは主催者を代表して、(一社)北海道舗装事業協会の渡辺会長が挨拶を述べることになっていますが、その挨拶状づくりは私の仕事。

 以前は、挨拶文は作るものの、それをA4一枚くらいのメモにして読んでいただいていたようです。

 しかし、こういうめでたい場面では、格調高く、しっかりした式辞の形を作った方が良いだろう、ということで、私の時から蛇腹形式の式辞用紙に印刷しています。

 式辞の形式になると、蛇腹に折り返すために折り代を取りつつ文章を書くようなスペースの計算が必要になります。

 ところが最近は便利なもので、こうした式辞用紙も売られていますし、ワードなどに「ここにはめると式辞用紙に印刷して丁度良くなりますよ」というテンプレートも公開されています。

 ずいぶん楽になったものだとは思いますが、昨年までは使っていた用紙は、"インクジェットプリンタ用"で、横長の特殊サイズだったことから、私の自宅のプリンターで印刷していました。

 それが今年は、同じ式辞用紙のメーカーが"レーザープリンタ用"の用紙も出していて、しかもA4サイズで職場のプリンターでも印刷しやすい商品を出していることが分かり、それを買ってきました。

 これを一枚ずつ印刷して、糊代で重ねて貼っていけば長い蛇腹の式辞用紙が完成です。

 私自身、このような会の挨拶は、品のある文章を格調高く読んでいただくようなスタイルが必要だ、という思いが強いので、このような形式にこだわってしまうのです。

 なんだかんだ言っても、やはりここ一番の場面では、「型」って必要だと思うのです。

 その型を支えるビジネスって必要なんだと思います。

 よし、これでようやく年が越せるかな。  

 

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年末用の蕎麦汁を作りました ~ 年越しの時は近い

2018-12-25 23:57:33 | Weblog

 

 年末には、いろいろ頼まれて年越し蕎麦を打つことになりますが、ここにきて蕎麦汁を作るための「返し」がなくなってしまいました。

 「返し」とは、醤油とみりんとザラメ砂糖をまぜたもので、これに出汁を加えることで、冷たい蕎麦のつけ汁や温かい蕎麦のかけ汁ができあがるのです。

 返しの原材料は、上記のように醤油とみりんとザラメ砂糖なのですが、これが、材料を混ぜてすぐの状態と、長く置いて熟成をかけたものでは、材料も分量も同じなのに味が変わってきます。

 作ってすぐの時は、醤油とみりんと砂糖のそれぞれの味が独立して感じられるのに対して、時間が経つと、それぞれが混然一体として、全体として「返しの味」が感じられるようになるのです。

 今回は、色の薄い「薄口しょうゆ」も買ってきて、色の薄い返しも作りました。

 実は、濃い口醤油の返しで作った蕎麦汁はた色が黒くて、かけ蕎麦などに合わせるとその色味からしょっぱく感じてしまいます。

 そこで、温かいかけ蕎麦に合った返しを作るために、「薄口醤油」を使うのが良いとされています。

 これで温かい蕎麦用の汁も作れるようになりました。

 
 出汁には、鰹節の「本枯れ節」と、宗田ガツオによる鰹節、それらに加えて今回は、「トビウオ」による飛魚出汁(あごだし)作りを狙います。

 また一つ、年越しが近くなった思いです。

 

 

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来年から出さないことを「年賀状仕舞」というそうです

2018-12-24 23:45:05 | Weblog

 

 年賀状の一言添えをようやく終えて、無事投函できました。

 年賀状を出すことを止めることを「年賀状仕舞」というそうです。

 ネットではいろいろな文例が示されていて、平成の世が終わることをきっかけにして、年賀状仕舞をする方も多いようです。

 私の場合は、はじめはネットで繋がっていられる人に対して、「年賀ハガキで送るのは今年限りとさせていただきます」と添えていました。

 でもよく考えると、もう何十年も会っていなくて、これからも近くへ寄っても会うことはないだろうという方もいますし、中には相当高齢の方もいらっしゃいます。

 ここまでくると、お互いに年賀状を止めるきっかけが得られないのかもしれません。

 そこで、もうお会いすることのないような方に対しても、年賀状仕舞いとして、年賀ハガキは今年限りのご挨拶を添えて、来年からは送らずにおくことにしました。

 どこかの段階で、どちらかが勇気を出さないと止められないものなので、この際自分から勇気を奮うことが必要ですね。

 数えてみると、ネットで繋がっているから省略しても良い方が一割くらいいたのに対して、ほぼ同じくらいの整理ができました。

 数年前のピーク時には400枚ほど出していた年賀状ですが、来年からは230枚ほどに整理されました。

 これで心すっきり年を越せそうです。

 

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これで年を越せそうだ ~ スモークサーモン大会

2018-12-23 23:45:55 | Weblog

 

 毎年恒例となった、知人宅でのスモーク(燻製)サーモン大会。

 夏から秋に釣りあげたサケを冷凍しておいて、寒風で乾燥するこの時期に燻製にするという仲間内でのイベントです。

 サケを燻製にするなんて簡単なことかと思いきや、その年の釣れたサケの状態や、乾燥具合はその年によって状態が違いますし、どれくらいの温度でどれくらいの時間をかけるかによって、出来具合にばらつきが出ます。

 それらをチェックして、次回につながるように経験を高めるのが大きな目的の一つなので、半分遊びながら半分は真剣なチャンスなのです。

 サケを段ボールの中に吊るすその釣り方一つでもこだわりがあって、これまた年々腕が上がっています。

 燻製づくりには半日くらい時間がかかるので、その間に参加者たちは持ち寄ったお酒を飲んだり、自慢の食材に舌鼓を打つというわけ。

 今年のサケは、どうも全体に小ぶりなようで、水産の世界では取れた数は同じでも魚体が小さい分、水揚げが減少したのだとか。

 水産の世界も難しいようですね。


 燻製は、程よいスモーキーフレーバーになっていて、上手なものです。

 味が染みるためには、もう1~2日ほど乾燥を加えた方が良いそうなのですが、最後には何本かお土産に持たせてくれたので、同じくパン焼き上手な仲間が分けてくれた手作りパンでのサンドイッチが楽しみです。

 これを終えないと年を越せないイベントになりました。

 来年は自分で釣ったサケで参加したいものです。


 

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一陽来復 運気も上昇させましょう

2018-12-22 23:47:31 | Weblog

 今日妻とショッピングセンターに買い物に行くと、後ろで妻が自分たちより年上の女性の背中を直してあげていました。

「どうしたの?」と訊くと「背負っていたリュックのチャックが開いていたから注意してあげたんだけど…」

「まだなにかあったの?」
「リュックの背負いひもに腕がちゃんと通っていなくて、変な背負い方になっていたのよ。本人は『だめだねえ、急いで出てきたら、注意が行かなくって』と言っていたけど、自分たちも気をつけなくちゃ」

 だんだん、一つのことに集中しすぎると他のことに目配りや気配りが欠けるようなことが増えてきました。

 家に帰ってきてからは、車から買い物袋を下したところで釣り道具の整理に取り掛かってしまって、車のスライドドアを開け放したままにしていたのを忘れて放置してしまう始末。

 年末はやることが多くて、いよいよ気ぜわしくなってきました。

 慌てず落ち着いてまいりましょう。
 

    ◆


 今日は冬至ということで、妻がカボチャのお汁粉を作ってくれました。

 当時には「ん」の付くものを食べると良いということで、「南瓜(なんきん)」を食べるのだそう。

 一陽来復。

 明日からは日が長くなってきますので、運気も上昇させていきましょう。

 

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