北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

疑問があったら質問しよう

2019-03-31 23:55:55 | Weblog

 

 冬から夏へと気持ちを切り替えるために、車庫の整理をして冬と夏を入れ替えました。

 雪かきの道具を車庫の上の棚に上げて、ワカサギ釣りのテントを干して、ワカサギ釣りの道具は手入れをします。

 電動リールも電池をはずしてロッドをとります。魚探や一酸化炭素センサーなども丁寧にケースに収納して、これで夏の間はお休みです。

 夕方に車の掃除をしていたら、お隣さんの小学校2年生になる息子さんが話しかけてきました。

「あのう、さっきオレンジのテントを干していましたよね」
「うん、干してたよ。冬の間に使って濡れていたから乾かしてから仕舞うんだよ」

 すると、「あのテントは底がなかったんですけど、何に使うんですか?」といたく興味津々で聞いてきます。

「ああ、あれはね、ワカサギ釣りに使うんだよ。ワカサギは氷に穴をあけて釣るんだけど、そのときに風が当たらないように周りだけを覆うテントなんだよ。普通のテントだったら、シュラフや布団を敷くから底に布があるけれど、これは底に布がないもんね」

「はい、底がないので、何に使うのかな、と思いました」
「ははは、ワカサギ釣りって楽しいんだよ」

 テントは、三か所の入り口のジッパーをあけて干していたので中が見えたのでしょうね。

 そういう疑問がちゃんと聞けるのが立派です。

 機会があれば、連れて行きたいくらいです。

 さて、明日からは新しい年度の始まりです。

 一か月だけの平成31年度。

 新しい元号はなにかな? 

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年度の変わり目に心機一転を

2019-03-30 23:54:54 | Weblog

 

 新年度予算も成立して、いよいよ週明けは新しい年度に突入です。

 オフィス環境も心機一転して改善を図ろうと、マウスを変えることにしました。

 これまではパソコンから有線でつながっているマウスで、左右のクリックとセンターホイールのいたってシンプルなものを使っていました。

 折角新しいものを買うので、高機能ということで6ボタンのマウスにしてみましたが、家で箱を開けるとサイズが思ったよりも小型のものでした。

 箱を見ると「Sサイズ」と書いてあって、どうやらMサイズもLサイズもあるらしいのですが、まあとりあえず使ってみましょう。

 このマウスの売りの一つは、ハードウェアマクロ搭載で、ショートカットキーなどを繰り返し使う操作を1クリックで実行できるということだそう。

 まだ使い方がよくわからないのと、自分の普段の操作のなかにそんな繰り返し操作があるのかどうかもわかりませんが、勉強してみます。

 以前もワイヤレスマウスを使ったことがあるのですが、そのときはマウスアクションへの反応が鈍い感じがして、それっきりワイヤレスを使わなくなったという経験があります。

 でも今回のものはさすがに新しい製品だけあって、反応が良くなっています。

 ボタンへの操作の割り付けもいろいろと変えられるらしいのですが、こういう自由度がどこまで使い勝手につながるのかどうか。

「これしかできないんです」と言われたほうが、その範囲でいろいろな工夫をするということもありますが、「なんでもできますよ」と言われると却って思い切ったこともできないものですね。

 皆さんは、新年度に当たって心機一転することなんてありますか。

 節目はどこかで大事にしたほうが良いですね。

 まずは掃除か(笑) 

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スマホも生涯学習なんだよね

2019-03-29 23:44:55 | Weblog

 

 わが友人に、「スマホは嫌いだ、ガラケーで十分だ」と言い張って、いまだにスマホデビューしていない人がいます。

 彼には中学生になる息子がいて、「もうそろそろスマホを買ってよ」とねだってくるのですが、それに対しても「そんなものを持たせたら勉強に集中できなくなるから不必要だ」と堅固な意思で、その要求を撥ねつけています。

 私はいつも「それでいいの?新しい技術にはある程度ついていかないと、そのうちついていけなくなるよ」と意見をするのですが、聞いてはくれません。

 ところが先日あったときに、「ところで、スマホの画面が大きいパッド系のツールがあるよね。あれをパソコン的に使えば、家のパソコンと同じようなことを外に持ち出せるのかな」と聞いてきます。

「全く同じとは言えないけれど、かなり近いことはできるよね。ただ外で通信を行おうと思うと、スマホと同じようなデータ通信の契約をしないといけないけどね」
「うーーーん、その辺がわからない」

「な?それ!『スマホを持ったほうがいいんじゃないか?』と言い続けていたのは、ただスマホをいじっていろいろな情報を得たり動画を見たりすることができるということだけじゃないんだよ。そもそもどういう契約をして、データ通信がどうやってできるか、ということまで含んだ全体が、新しい時代のシステム技術だってことよ。
 いい加減意地を張って、やらない理屈を探していないで、新しいシステムの勉強をし始めたらどうだい?」
「ふーん、まあ考えるよ」


 さて、彼はパッドを買って、データ通信契約をすることになるでしょうか。

 私は掛川で「生涯学習」ということを学びましたが、その一番の神髄は「好奇心を持って、新しいことについて行け」ということだったように思います。

 気持ちが、「もうここでいいや」と思った時から、前に進むエネルギーは出にくくなってしまいます。そして遅れてゆけば遅れるほど、ついてゆくことが億劫になる。

 この「億劫になる」ということを恐れなくてはいけません。

 億劫にならずに新しいことについてゆくのは大変だけど、始めるなら早いほうが良いと思うよ。

 ところでパッドをパソコン的に使おうと思うと、"ブルートゥース"のキーボードくらい持っていたほうが良いと思うけど、それもわかるかな?

 ふー、時代についてゆくのは大変だ。
 

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人も犬も高齢化する社会

2019-03-28 23:18:12 | Weblog

 

 毎朝通勤の時に、お年寄りの女性が犬を連れて散歩をしているのによく会います。

 女性の方はおそらく80歳近い方ですが、釣れている犬もかなり高齢の犬。

 女性は犬のために散歩をしているつもりなのでしょうが、犬の足元がもうふらついて覚束ない足取りです。

 先日思い切って、ちょうど自転車を押しながら犬と散歩をしていたその女性に声をかけてみました。

「毎日お散歩をされていますが、そのワンちゃんはかなりのお年なんでしょうね」

 するとその女性は、「ええ、今年で15歳になります。最近は歩くのも大変で…」

 そういうとその女性は、引いていた自転車のカゴにワンチャンを乗せて歩き出しました。

 普段は歩いているところだけを見ていましたが、この日自転車を押していたのは、途中で犬を乗せるためだったのです。

 人間も歳を取りますが、ペットはそれ以上の速さで歳を取ります。

 犬は人間のほぼ6分の1の寿命だとすると、人間から見て6倍の500歳まで生きる存在があるとしたら、それはもう神のような存在になるでしょうか。

 そしてその神もまた有限な存在であると。

 さて、高齢化社会はどういう姿になるでしょうか。

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明日はFMアップルで、残間さんの番組の最終回 ~ 声が聴ける最後のチャンス

2019-03-26 23:53:02 | Weblog

 

 ホリエモンこと、実業家の堀江貴文さんはいろいろなツールで言論活動を展開していますが、一見奇抜なことを言っているようで、本質はつかんでいることが多いように思います。

 先日も、「人生は壮大な暇つぶし」というタイトルで話をしていて、その中身は、「現代の人間を百年前の祖先が見たら、『田んぼで農作業もしないで何やってんの?』と言われるでしょう。でもテクノロジーの勝利だけれど、現代の我々は単純な労働作業からは解放されて、それでも食べていけるようになった。
 さらにこれからはAIが発達して、ポジティブに言えば"仕事をしなくてもよくなる"し、ネガティブに言えば"職場から追い出される"でしょう。
 
 追い出されて何をするのか。『人生は壮大な暇つぶし』なんだから、そういう時に豊かな人生を歩むことはとても大事なことになる。そのときには心の満足ということが必要で、そのためには様々な『遊び』を全力でやる、ということなんですよ」という、そんなお話でした。

 僕もこの意見には大いに賛成で、なんとか時間を見つけて、屋外へ出かけて釣りをしてキャンプをして、蕎麦を打って楽しもうとしています。

 しかし真剣に立ち向かうと、この『遊び』も結構厄介なものです。

 堀江さんが言うように、単なる『暇つぶし』ならゲームでもなんでもあることでしょうが、それを趣味として少しでも上手になったり、知らないことを見つけて乗り越えてゆこう、と思うと、時間もお金もかかるし、なによりのめりこむ精神力が必要になってゆきます。

 僕の中の遊びの基準は、ガイドさんに教えられて始めながら、なんとか自分一人で道具を選んでセッティングして、出かけて行って楽しめる、というところにあって、そこまで達して、ようやく『遊びを楽しめる』と言えるのではないか、と思うのです。

 蕎麦打ちも、先生にはなれないとしても、おいしい蕎麦粉をみつけて、それを自分や家族に美味しく提供するくらいにはなれたので、もう満足。

 フライフィッシングも、決して上手ではないけれど、自分で作ったフライ魚が食いついてくれて、釣りあげるところまでなんとかできるようになりました。

 ワカサギ釣りも、自分の舌を釣りつつも、そういう失敗を重ねながら夫婦だけで出かけて100匹くらいは釣って帰れるようになりました。

 大概そういう遊びには、ベテランでいろいろなことを教えてくれる先輩がいました。

 そういう先輩たちから温かい目で見てもらいながら、時には失敗を笑われながら少しずつ経験を積んで、より楽しめるようになってゆくものです。

 遊びを真剣にやっていると、志を同じくする友達ができてきて、それもまた人生を豊かにしてくれます。

 還暦を超えていい歳になったら、良い遊びに時間を使いたい。

 本ばかり読んで知識を膨らませてばかりいないで、フィールドに出て自分の未熟さを知って打ちのめされたほうが良いのじゃないか。

 それがまた明日への糧になるはずです。


 この春に亡くなった、野遊びと人生の先輩である残間正之さんは、札幌で毎週水曜日の午後3時から、FMアップルという地元の地域FM局の中で「ぶら~り地球散歩@ときどき野遊び」というコーナーにゲスト出演されていました。

 残間さんが亡くなったことでこのコーナーは、明日が最終回となるとのことですが、内容は残間さんの過去の収録の中から印象的だったことをダイジェストで放送してくれるとのこと。

「遊びも粋じゃないとだめだよね」

 本当にそう言ったかどうか、記憶はないのですが、きっと残間さんならそう思っていたはずです。

 明日はラジオを聴きながら録音もしておきますよ。

 

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幼稚園で泣くなんて

2019-03-25 22:59:40 | Weblog

 

 先日、孫が幼稚園の卒園式を迎えました。

 早いもので、この春からはいよいよ小学生です。

 私は事情があって卒園式に出席できなかったのですが、妻は卒園式に出て様子を見ていたとのこと。

「Y(孫のこと)が泣いちゃって、最後に先生から『一言何か言ってくれますか』という問いかけにも嗚咽で何も言えなかった」のだそう。

「この子が泣いちゃって、それを見てその後に泣き出す子が出ちゃったのよ」とは母親である娘の言葉。

 幼稚園での友達や先生との別れはさぞ寂しいでしょう、悲しいことでしょう。

 幼い心には、感情をコントロールできないこともあるでしょうね。

 でも大丈夫。

 かくいう私は、恥ずかしながら小学校を卒業するときにクラスの友人たちとの別れが寂しくて涙を流したものです。

 それに比べればまだまだまし。

 大人になってからの涙はもっとつらい涙になってゆきます。

 子供のうちに純粋な涙を流しておくのが良いよ。

 

 皆さんは、自分が小学校へ入学した時のことを覚えていますか。

 私は、稚内で小学校へ入学するときに、当時はやっていた鉄人28号の絵が描かれた上靴袋を持って通学したことを今でも覚えています。

 3年前に稚内へ赴任した時は、かつて渡った橋がかけ変わっていて、通学路も当時とは変わっていました。

 いろいろな思い出も懐かしくなることでしょう。

 別れと出会いの春ですね。

 

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代行サービスって、昼はやってないの?

2019-03-24 22:35:00 | Weblog

 一時帰省中で、もうじき旦那さんと一緒に中国へ行く娘に対して、親類に集まってもらって昼食会を行いました。

 会食の趣旨は、急に話が進んだ結婚の報告と併せて、中国へ行くことへの壮行会の意味合いです。

 私と妻の両親に加えて、双方の兄弟家族と私の長女の家族が集まって、全部で18人。

 会場はまちなかのホテルでしたが、娘一家の孫はバスに乗せるのが忍びなくて、ホテルまで私の車で行くことにしました。

 昼食会でしたが、お酒は好きなものを飲んでもらって大いに盛り上がって楽しい時間が過ぎました。

 義兄は、「色紙を持ってきたから、みんなで一言ずつ書くように」と盛り上げ役を買って出てくれるなどサービス精神満開。

 こういうことが得意な人と、苦手な私との差なのかな。


      ◆
   

 さて、ホテルへは車で行ってお酒を飲んだら、帰りは代行で帰るつもりで、ホテルに代行を読んでくれるようにお願いをしました。

 するとホテルの担当者は少し調べてくれたものの、「申し訳ありません、代行業者は大体夕方からのサービスなので、まだこの時間にやっているところがないようなんです」と申し訳なさそうな説明が。

 私、実は今の今まで、車を家まで運転してくれる「代行サービス」というものを使ったことがありませんでした。

 そのため、代行サービスが夕方からでなければやっていないということをこの時初めて知ったのですが、昼食会が終わったのは午後2時半くらいだったので、こりゃ参りました。さて、どうしたものか。

 すると、こういうことに詳しい義兄が、「俺の知り合いに、早くからやっている代行業者を調べてもらってみるわ」と言ってくれて、すぐに何社かの電話番号を入手し、片っ端から電話をかけました。

 ようやくその中の一社が「うちは午後3時からやっていますが、3時にスタッフが出社してくるので、それからそちらへ向かうので3時半くらいになりますが、それでもかまいませんか」と言ってくれて、即決でお願い。

 頼んでから一時間ほど経った3時半ころにようやく代行のスタッフが駐車場へ来てくれて、無事に家までたどり着くことができました。

 運転をしてくれたスタッフも、「我々も3時からとはいえ、この時間に出動することは滅多にありませんね」と苦笑い。

 駐車場の料金やら代行の料金などを考えると、お酒が入ることがわかっているのだったら、帰りをタクシーにするほうがよほどお手軽でした。

 自動運転の時代の、ドライバーの飲酒ってどうなるのでしょうかね。

 さて、娘の中国行きがまた一日近づきました。 

 
  
 

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行きつ戻りつの春

2019-03-23 23:56:01 | Weblog

 気持ちはもう春でしたが、昨夜からの突然の積雪。

 朝起きてみると、15センチほど積もっていました。

 どうせすぐに融けるので、雪かきの必要などはありません。

 しかし、降ったままの雪をそのままにしているというのは、家の周りに無関心なようでどうも気持ちが落ち着かず、汚れを放置して部屋の掃除をしていないような気分になってしまいます。

 そんな気持ちが嫌で、つい除雪に手を出してしまいました。

 敷地の中には融雪槽という、除雪の雪を入れてお湯で溶かす装置がついています。

 しかし雪を溶かすには水道代や灯油代がかかるのでもうほとんど溶かすことはなく、ただ穴の中に雪を入れるだけで自然に融けるのを待つだけにしています。

 もう春が近づいて、冬の間に入れた雪はとっくに融けているので、今日は敷地の雪を融雪槽の中に入れて除雪完了。

 実際には、夕方には道路の雪はほとんど融けていました。

 行きつ戻りつの北海道の春です。

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こういう空間も必要なのに違いない

2019-03-22 23:59:27 | Weblog

 札幌市役所が「業界の担い手対策プランを作りたい」という意向で、それに向けた会議が開かれました。

公共工事のための予算を安定的に確保するという観点では、財政部局の理解も得なくてはいけませんし、なにより今年は札幌市長選挙の年でもあるので、選挙後の市長の意向も効いてくることでしょう。

 ただ、施設のリニューアルや維持管理を考えると、建設産業は一定程度の就業者と施工能力、そして機械類を適切に保持しておかないと、災害などへの対応もおぼつかなくなってしまいます。

 特に冬期の除雪を考えると、除雪機械の運転手さんの確保も大変になる時代が来ようとしています。

 建設産業が、収入も良くてしっかり休みも取れるという職場環境にしないともうもたなくなりそうで、早めの対策が必要になることでしょう。

     ◆

 前回の会合では、私の方から「建設局だけで解決するのは難しいと思いますので、建設業界の担い手対策は、札幌市全体の問題として考えていただきたい」と発言をしたのですが、それが記録に反映されていたので良しとしました。

 札幌市全体というのは、例えば、子供たちに対する職業意識を持たせるという意味では教育委員会との協力が必要ということ。

 また、住宅地などで工事を施工しようと思うと、騒音などから住民を守る環境規制が厳しくて、思うように資材や工事用機械を仮置きすることにも制約が生じている、といった、環境部局との調整をしてほしい案件などもあります。

 建設産業の問題も、他の部局と関係していることは多いので、庁内でより幅広く議論をしてほしいものです。


      ◆

 さて、会議が終わった後で同じくメンバーだった知人と、「もう少し話そうよ」とまちなかの喫茶店に入りました。

 喫茶店は結構混んでいましたが、タバコを吸っている人も多く、「喫煙コーナーだったのかな」と言いながら会話を進めていました。

 コーヒー代を払おうとしてレジへ向かうと、こんなサインが貼ってありました。


 なるほど、「全席喫煙可」が売りの喫茶店でしたか。

 僕はタバコは吸いませんし、タバコそのものにファッショ的な恨みもありませんが、そういうお店は選ばないとなりません。

 愛煙家にはこういう空間も必要なのでしょうね、きっと。

 

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イスラム教については、もっと勉強したほうが良い

2019-03-21 23:18:30 | Weblog

 

 先日、いろいろな調査で世界中をめぐっている学者先生とお酒を飲む機会がありました。

 いろいろと話をする中で、ニュージーランドのモスク銃撃事件に話が及び、私がふと「イスラムの人たちの移民を嫌う白人が多いということでしょうか」というと、その先生がイスラム教についての感想を教えてくれました。

 それは「イスラム教というと、何か"過激な宗教"だとか、"イスラム過激派"などを引き合いに出して、狂信的な恐ろしい宗教というイメージをもつ日本人が多いかと思います。でも私も、それほどイスラム教を専門に学んだわけではありませんが、イスラム教の包容力の大きさはすばらしいと思います。それはキリスト教や今の日本の社会よりもずっと寛容で優しい宗教だなあ、という印象をもっているんです」

「それは僕の印象とは異なりますね」
「そうかもしれません。でもイスラムの人たちは、困った人がいると施しをして助ける精神が旺盛です。今の日本のように、社会システムからこぼれてしまった人を多く見るようなことはありません。だからイスラム教に改宗する人がとても多いんです。
 確かにニュースには、過激派による暴力事件が多く取り上げられますが、全体としてはもっとずっと寛容な宗教ですよ。日本人は、もっとイスラム教について真剣に学んだほうが良いです。そうしないと、ネガティブなイメージが先行しているようなところがありますからね」

「そうですか。僕もちょっと勉強してみます」

 今や日本は世界中から観光客を受け入れるべく、様々な取り組みをしています。
 
 その中には、イスラム教の方も多く、女性は"ヒジャブ"と呼ばれるスカーフのような布で頭を覆っていますし、また食べるものでも禁忌があって、正しくイスラム教の人が信仰に問題なく食べられる、いわゆる"ハラールな食事"に気を使っているところはまだ多くありません。

 さらにこれからは、観光客のみならず、外国人労働者を受け入れるということになればイスラム教の人たちだっているに違いありません。

 様々な人種の多様性のみならず、宗教の多様性についてもしっかりと学んで、それを尊重して受け入れるような体制や意識も備えてゆかないといけないようです。

 このときのお話を聞いて、もっとイスラム教について勉強をしなくてはいけないな、と思いました。

 まずはネットでもいろいろと調べてみましょうか。

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