内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

喋れても文章は書けないが、ちゃんと文章が書けるようになれば必ず話せるようになる

2017-02-16 19:15:14 | 講義の余白から

 昨日の記事の冒頭に、「体調はほぼ本調子に戻りました」と書きました。それはもちろん嘘ではないのですが、この一週間で体重が三キロ減ってしまったので、体がすっかり元に戻ったわけはありません。BMI が20.5まで下がり、これはここ数年で最低の数値です。それでも普通体重の範囲内ですから心配することはないのですが、ここまで下がったのは、この一週間それだけ体に負担がかかったということなのでしょうね。
 さて、今日木曜日の修士一年の演習(二つの演習の組合せで計三時間)が冬休み前の最後の授業でした。明日午前中一つ成績判定会議がありますが、これはまあ出席して書類にサインすればいいだけのことで大した仕事ではありません。ですから、病後何とか一週間乗り切り、今、少しホッとしているところです。
 今日の演習の最初の一時間は、いわばライティング演習です。学生たちに日本語で書く訓練を施す演習です。昨年から導入された演習で、専任でただ一人の日本人である私が担当するのがよかろうということで引き受けました。引き受けるにあたって、演習の内容をどうするか、いろいろ思案したのですが、まずは初歩的なところから少しずつ固めて行こうと思い、教科書として本多勝一『中学生からの作文技術』(2004年)を採用しました。
 去年も今年も、演習の初回にこの本の表紙を見せて学生たちに紹介すると、最初の反応は似たような感じで、失笑が漏れるのです。まあ、それは無理からぬ反応です。中身を見る前にタイトルだけ見せられれば、自分たちのレベルはその程度だと思われているのか、と、ちょっと自尊心を傷つけられるところがあるのでしょう。彼らは、修士に入るまでに少なくとも三年間は日本語を勉強してきているのですから。
 そこですぐに私はこう説明します。
 「タイトルよく見てね。中学生のための、ではなくて、中学生からの、ってなっているでしょ。これは単なる中学生用のマニュアルじゃないんだよ。中学生からでも学べる、いや、中学生になったらもうしっかり身に着けなくてはいけないし、その気になれば身につけられる作文技術の基本が書いてある本なんだ。現実には、いい年した大人だったここに書いてある規則をちゃんと守って書いていない人が日本人の中にもたくさんいるんだよ。それがつまらない誤解の原因にさえなっている。だから、ここに書いてあることを身につけることは、誰であれ、日本人であろうがなかろうが、わかりやすい日本語を書くために必要とされる最低限のことなんだよ。この本を読んで、そこに書いてある規則をちゃんと守って書くようにすれば、君たちもわかりやすい日本語が必ず書けるようになるから。」
 そして、こう付け加えます。
 「ちょっとうまく喋れるようになっても、書けるようにはけっしてならない。喋っている言葉は書き言葉の基礎にはならないんだよ。逆に、ちゃんと書けるようになれば、必ずちゃんと話せるようになる。だから、書くことを厭うてはいけない。毎日書きなさい。もちろん書きっぱなしでは意味がない。それを直してもらわなければ、どこがいけないのか自分ではわからないから。」
 今日の演習でも、学生たちにあらかじめ提出させておいた作文を一つ一つ徹底的に直していきました。直しを入れる箇所すべてについてその理由を説明しながらだったので、ものすごく時間がかかりましたけれど、この作業をしばらく繰り返すことで、学生たちは徐々に自分自身で推敲できるようになっていきます。そこまでは付き合います。
 これから三ヶ月、このようにして彼らの作文力を鍛えてゆきます。












最新の画像もっと見る

コメントを投稿